teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


「群系」37号(東京都)② 力作の島原の乱を描いた柿崎一の「士道無残」は完結、萩野央「桜の木が倒れた日」の掌編の象徴性、稲垣輝美の注目の沖縄物「戦世を超えて」は後編に期待

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月31日(火)06時22分58秒
返信・引用 編集済
  ・稲垣輝美「戦世を超えてー父と母の記」前編は、沖縄出身の作者が父母への鎮魂をこめて書き始めたらしき私小説風の作品。前にもこの作者の沖縄物を読んだ記憶があるが、沖縄戦の過酷な状況下で幼い作者が命からがら生きた作品として鮮烈な印象であったのを記憶していただけに、今回は父母の出生から説き起こす回想風の静かな船出といった書き出しである。この前編は40数枚のボリュウムで、掲載費もかなりの負担だろうが、書き残したい執念が滲む作風だけに、後編は注目される。

・荻野央「桜の木が倒れた日」は、昨年妻に先立たれた「わたし」は、慣れぬ一人暮らしに追い立てられながら、妻との思い出に押しつぶされそうな毎日を送って来た。息子は外資系の会社で海外を飛び回っていていつ孫の顔を見られるのかも分からない。一人暮らしで一気に老け込んでしまったことを自覚している「わたし」の日常・・・。そんな生活のわたしの息抜きの話し相手は、わたしのマンションの向かいに住んでいる木村老人・・・というような15枚ほどの短編なのだが、桜の木の小道具が亡き妻への哀惜とともに象徴的に描かれていて小説になっている。

・柿崎一「士道無残」下は、前号からの連載。島原の乱に焦点をしぼった歴史もので読ませる四十数枚。なかなかの作者である。行を詰めて書かずに、もうすこしゆったりした筋書きで書くと、持ち味がさらにでたろうと惜しまれた。話は余談になるが、この島原の乱以降、幕府のキリシタン弾圧は過酷をきわめ、宗徒の相当数が北海道に逃げてきて、鉱山の労務者として隠れ住む者が多かったことである。また、宗徒はアイヌの民の中に交じって住み、キリスト教をアイヌの民に広げる役割も担ったことが言い伝えられていることを申し添えておく。

  ・追はれ住む北辺の地の荒涼に生きし者たち墓標もなくて   石塚 邦男
 
 

相模文芸33号

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2017年 1月20日(金)17時59分4秒
返信・引用 編集済
  冬になってから、今まで書けなかった分を一気に書こうとして長編に取り組んでいる今日このごろです。相模文芸を送っていただいてかなりたつのですが、今日、目次に目を走らせ、印象的な題名のものから読もうと思いました。
矢来あさ子さんの「手を離したら」という掌編小説はよく書けています。文体を変えたら児童文学としても優れたものになる可能性があります。私自身が母子家庭で育ったものですから、この物語に出てくる男の子の気持は本当によくわかります。孤独とやるせなさ、生き別れた父への複雑な想いをかかえながらも、母親を愛し、慕い、守ってあげたいという気持ちを捨てない。見えざる神というものも考える。少年が自立していく過程をわかりやすい文体で書いています。登場人物をひとりかふたり加えて、母親が絡む人間関係に問題を起こさせ、少年の葛藤を描き込めばさらに優れた小説になるのはまちがいない。

外狩さんの「工場と時計と細胞」は原稿用紙になおせば70枚くらいの作品だろうか。往年のプロレタリア文学の現代版かと思って読み始めたがそうではないようだ。視点を次々に変える実験的な手法で書いている。導入部から廃屋的な雰囲気が漂ったが、どうやら千人以上も働く外資の工場ということだ。知らない専門用語も多いが工場の躍動感は伝わってくる。導入部の「鳥の目」で砂をさす言葉が10回も出てくるのはよろしくない。何人もが入れ替わって巨大工場の中に生きる人々が描かれる。今日は半ばまで読んだが、果たして後半は盛り上がるかどうか・・・
最後まで一貫して工場に勤める人たちの群像が描かれている。次々と登場人物が変わっていく。それぞれのセリフがあって、どこかレーゼシナリオ的な作品だが、やはり小説としては少し無理があるような気がするがどうか・・・
 

ありがとうございました

 投稿者:秋乃みか  投稿日:2017年 1月15日(日)14時33分33秒
返信・引用
  根保様
じゅん文学89号「ひそむもの」を読んでいただいてありがとうございました。
自分の欠点を克服しつつ書き続けていこうとおもいます。
これからもよろしくお願いします。
 

「ザイン」20号② 掌編ながら精神性が際立つ青木円香「雷鴫」鳥の羽の象徴的着眼が優れている

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月14日(土)02時47分11秒
返信・引用 編集済
  ・青木円香「雷鴫」は、妻子ある八歳年上で塾の経営者の一人直司と二年前知り合った美紗。美紗が塾を手伝っていたとき知り合ったのだが、直司に家庭があると知っていながら彼をアパートに泊めて以来一週間に一度くらい付き合って二年になっている。彼とある日、鴫を見に行き、拾った羽を美紗にくれた彼。そんな彼が過労のあげく吐血し入院、胃癌と判明しあっという間に亡くなってしまう。葬儀は身内だけで済ませたので、せめて遺影にでも会いたいと訪ねたマンションはすでに知らない若い夫婦が住んでいるだけだった・・。彼が生前「鳥になったら迎えにいけるかな」と言っていた言葉を思い出し、鳥かごと粟粒を買って帰り、鳥かごに彼からもらった鳥の羽をいれる美紗・・。毎日、鳥かごを見るのだが、当然粟粒のエサは減らない。その鳥の羽におーちゃんと名つけ、毎朝出勤するときに「おーちゃん、行ってきま^す」と表面上は明るく声をかけて出かける美紗は「きっと彼は、先に鳥になって待っているんだ」と信じ始めていた。この「鳥の羽」の小道具が生きていて、象徴的意味を持つ。ここに着眼したところが才能なのである。

そんな美紗もやがて次第にやせ細って、ある日、道で突然倒れ帰らぬ人になってしまう・・・。そんな十数枚の掌編なのだが、全編に流れる抒情は淡々と描かれながら胸を打つ話にまとまっており、この作者の精神性が際立っている資質を証している作品。苫小牧市民文芸などに発表した作品を読んできたが、抒情的でありながら抒情に溺れない構成とバランスある今時珍しい才筆と注目していた作家である。

・ここで助言すると、苫小牧市民文芸の鳥の作品とこの作品を合体させて、五十枚から七十枚の作品に仕上げ、「北海道新聞文学賞」(賞金五十万円)、クオリティーの「北海道文学賞」(賞金十万円)に応募するといい。当確は確約できないが、有力候補にはいくだろう才筆だ。二十代、三十代でなくては、選者は取らない。若い作者は、将来性を見られて有利なのだ。「文学界」「群像」など純文学分野の新人賞などは、年配者の作品なら、たとえいい作品でも無視されがちなのである。

・勝負は若いうちにやることだ。無駄に同人雑誌などに所属して貴重な時間を浪費しないことだ。特に、仕事を持っている者は、無駄な時間を浪費せず、効率的に時間を使うこと。私なんかは二十代、三十代の過酷な第一線記者時代、常に原稿用紙を持ち歩いて、食事時間前後の喫茶店、取材と取材の合間の待ち時間を利用して長編小説を書き継いでいたものだ。

・パソコン時代の現代でも、勤め人なら、会社の退社時間後、喫茶や居酒屋で一休止してコーヒーかビールでも飲みながら、パソコンで書き継ぐくらいの器用さがないと、あっという間に一年が過ぎるものだ。若さは貴重である。時間を惜しんで効率よく利用することだろう。私なんかは喫茶店でデートしているときも、愛を語りながら原稿用紙を広げて書いていたものである。ただし、相手がそんな無作法を許してくれるなら、の話である。今なら相手が許してくれるなら、パソコンを打ちながらデートしたっていい。この多忙な時代に小説を書いて行こうとするなら、時間の使い方が鍵になるだろう。

  ・相変わらず書いてますねと八頭身ウエートレス嬢声をかけ来る  石塚 邦男
 

「中部ぺん」23号(名古屋市)②

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月12日(木)11時54分7秒
返信・引用 編集済
  ・詩作品を読んだ感想を。


・尾関忠雄「天国・地獄逆さ吊り」は、「これはいったい何だ」というようなモノローグのなかに「どひゃあ」「ぎひひ」「どばあ」などの擬音がはいる散文的な作品なのだが、人生や世の中を諧謔的に観る批評詩は面白かった。

・若山紀子「行方不明」は、「あした もうご飯を炊きません/あした 味噌汁を作りません/あした 洗濯しません/わたしは居ません」こんな一連で始まる作品は、主婦が決まりきった日常が嫌になって、どこかへ行ってしまった、という話の皮肉な作品なのだが、定年退職したご主人を抱えた大方の主婦の願望かもしれない社会批評詩とも読み取れる。

・エッセイはいずれも健筆が光った。
 

アピ紹介御礼

 投稿者:田中 修  投稿日:2017年 1月10日(火)20時24分13秒
返信・引用
  アビ7号を初めて送りましたがご批評に感謝です。一人でも読んで戴ける読者がいることが書き手の励みになります。  

「中部ペン」23号(名古屋市)① 久野治の連載「黎明期の中部地方詩人」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月10日(火)19時01分1秒
返信・引用 編集済
  ・中部ペンクラブ主催で年二回発刊されている。中部地区の同人雑誌間の興隆と親睦を目的として、年二回発刊、同人雑誌に発表された作品を対象にした「ペンクラブ文学賞」を公募、文芸セミナーやシンポジュウムを開催して地区の同人雑誌活動を盛り上げている。

・今号には第二十九回文学賞決定の発表のほか、会員の掌編小説、文学賞選考経過、文学講演会、エッセイ、詩、短歌作品など盛り沢山の百九十頁で商業誌並みの水準高い内容で名古屋地区の層の厚さを裏付けている。

・注目したのは、久野治の連載「黎明期の中部地方詩人」の連載。この中で北園克衛を取り上げてますが、十代から詩を書いてきた私ですが、北園はもっとも影響を受けた詩人でした。昭和三十年代に学生だったのですが、そのころのわれわれのグループはアヴァンギャルド、ダダの洗礼を受けてポール・エリュアールなどの影響、西脇順三郎の影響など濃くありましたね。

・文学講演会の清水義範「名古屋の生活と文化」は、名古屋人の気質を愉快に指摘していて面白いものでした。ケチ、貯蓄第一、もらえるものならなんでももらう気質など・・。名古屋場所の土俵の砂を持って行っても途中で捨てている・・・なんて面白いですね。大阪でもなく東京でもない名古屋文化、名古屋人の気質・・参考になりました。

・受賞作の安倍千絵「犬が鳴く」は、結婚した主婦の私は、その家にいる老犬にいつまでも馴れず「野犬」とあだ名したというところが象徴的で効いている。こういうところが小説になっている。

・猿渡由美子の短編小説「窓を越えたさきに」は、この地方の優れた書き手ということで掲載されたのだろうが、初老の夫婦の話ながら、人生の機微に何気なく触れていくところに味がある。既成作家に劣らない境地を拓いている作家である。

・掌編小説特集も、作家が力を込めて競作しているようで、津之谷季「可愛い男たち」、臼田慶子「イケスの中で母は」、合田盛光「空蝉の記」、あきのしんこ「大伯皇女姉弟最後の再会」、水上浩「歓喜の第三楽章」、名村和実「街角にて」も一流の筆筋。


   掌編に収めて並べし特集の妙なる調べ久に読みたり   石塚 邦男

   郵便ー464-0067  名古屋市千種区池下1-4-17 オクト王子ビル六階

                           中部ペンクラブ事務局

     電話ー052-752-3033
 

長期旅行でご無沙汰してました

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月10日(火)02時46分47秒
返信・引用
  ・長期旅行でご無沙汰してました。手元に二十冊ほど溜まってしまいましたので、気合を入れて書き込むつもりです。  

「じゅん文学」89号のご批評について

 投稿者:有芳 凛  投稿日:2016年12月31日(土)11時22分54秒
返信・引用
  根保孝栄さま
「3.5センチの隙間」を読んでいただき、ありがとうございました。とても励みになりました。
今後ともよろしくお願いいたします。
 

御礼

 投稿者:北原深雪  投稿日:2016年12月30日(金)23時49分35秒
返信・引用
  根保孝栄さま
「向日葵の蔭」へのご批評ありがとうございました。
自分の作品を同人仲間以外の方に読んでいただき、感想をお聞かせいただけることはとても貴重でありがたいことだと思います。大変参考になり、次作を書きたい気持ちが湧いてきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
 

ありがとうございます。

 投稿者:猿渡由美子  投稿日:2016年12月27日(火)11時11分39秒
返信・引用
  根保様
いつも読んで頂きありがとうございます。
ご意見、励みになります。
これからもよろしくお願いします。
 

「じゅん文学」(名古屋市)88、89、90号 猿渡由美子の「ミスター・ヒビキ」「駅に立つ」の軽妙な小説作り、読ませる有芳凛「3・5センチの隙間」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月26日(月)00時57分37秒
返信・引用 編集済
  ・この雑誌は季刊なので、もたもたしているとあっという間に二、三冊手元にたまってしまう。今回もぐずぐずしているうちに、三冊溜まってしまった。

・88号では猿渡由美子「ミスター・ヒビキ」が軽妙な作品。導入部からしてしたたかな作品だと判別できる。「ここはひとつ、どうでも承諾を得ないといけない。/私は眼の前の男を眺めた。その男、神崎響はウエートレスの尻に眼をやりながら、コーヒーをずっ、ずっ、と音をたてながら飲んでいる。白いものがまばらに混ざった無精髭と、落ち着かなく泳ぐ目玉。これが結衣子の夫なのか。意が削がれる。結衣子はこの男のどこに惚れて、一緒になったのだろう」・・・このイントロからしてなかなかの作者であることが判る。私と同じ歳の結衣子に別れ話を依頼されて神崎を説得しに来たのだが・・という話。深刻な話をコケティッシュにえがいているところが持ち味で、この作者は言わずと知れた同人雑誌では有名な書き手だ。この作者としては、アミューズメント的に軽く書いた類の作品で、巧いが勝負を意識した作品ではないだろう。

・89号では秋乃みか「ひそむもの」が印象に残った。結婚、夫の浮気、姑、ジェラシイといった女の事柄なのだが、話の筋書きがごたごたしてるにしても、100枚近くの作品には題名にある「ひそむもの」の女の情念のようなものが漂っていて気になる作品であった。

・89号の作品でもう一作印象に残った作品があった。有芳凛「3・5センチの隙間」は、実家の母を訪ねると家出していた・・・。母は、父が蜘蛛膜下出血で亡くなった後、昼夜とわずに働き14歳の私を育ててくれたが、時には男の臭いをまとって帰って来る母を嫌悪していた私は、都心の大学に入学すると実家を離れて独立生活を始めた。3年前に70歳になった母と自分の独り身を考え勤務先に近いところにマンションを買った私。なのに母を久しぶりに尋ねると家を出ていた・・。そのようなイントロで始まる作品に思わず引き込まれた。そして・・と先を読まされる作品。地味な内容ながら、登場人物の陰影が立体的に彫り込まれているのがいい。

・90号では猿渡由美子「駅に立つ」がやはり読ませた。上司から休めと半ば強制的に言い渡されて休むことにした私は、子育てと両立させて課長になった妻の時子と高校2年の娘の背中を見送って、誰もいない家で新聞を見ながら朝食をとる47歳の男が主人公・・という話。そしてやがて男は会社に出る決意をするのだが・・。何気ない日常の一齣を切り取るセンスのある作家だ。

・北原深雪「向日葵の蔭」は、卒寿で逝った母の一周忌が過ぎて、実家の整理をした主人公の夫は横浜に単身赴任、一人息子は北海道で働いている。整理した荷物を車で名古屋の自宅に持ち帰った<私>は中学校時代のアルバムを開いた。その中学生時代の思い出・・というよくある話なのだが、文章がきちんとしていて読ませる。この作者の作品は、過去に何作か読んだ記憶があるが、巧みさはないにしても周辺の描写を平面的ではなく立体的にとらえるリアルな描写力はなかなかである。筆が流れずしっかり物事を描写できているところは買えるだろう。

・大倉克己「存疑の崖」は、安政四年、出川村と松本村の境の崖の入会地で起きた転落事故の話・・なのだが、ごたごた騒ぎの果ての事故にまつわる人間模様である。もう少し要領良く書くと引き締まった佳作になったかもしれない。

  ・郵便ー463-0003 名古屋市守山区下志段味字西の原897  「じゅん文学の会」

          電話ー052-718-1493  「じゅん文学掲示板」参考のこと。
 

「カプリチオ」45号② 貴重な「ニキ美術の特集」、エッセイに見る会員の豊かで特異な分野への興味

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月26日(月)00時40分29秒
返信・引用 編集済
  ・この雑誌は、小説も面白いが、エッセイが充実していて味がある。

・特集は「ニキ美術館の神話-新しいルネッサンスに向けて」と題するもの。
・同美術館の元館長の黒岩有希「ニキ美術館の閉館から」は、閉館して五年経った今、閉館に至った経緯を書いたものだが、同氏は「カプリチオ」の創刊よりイラストを描いてきた画家。亡くなった最初の館長のヨーコさんより引き継いだもの、伝記作り、ニキ展開催の次第など詳しく書いた貴重なもの。塚田吉昭が「ニキ・ド・サンファル・空想展覧会」として、ニキの作品に触れたときの精神性について述べている。草原克芳が「白い魔女の予言的想像力」として、ニキ作品が問いかけている内面性について草原らしい解説をしている。

・石井利秋「ル・クレジオ[発熱]を読む」は、アパートで幻覚に翻弄され尽くして行き付いたロクの感覚こそ物質的恍惚の世界だろう」として、「凄まじいまでに強烈な表現に充ちている」と結論している。

・そのほか、水野肇「江戸名所図会で観る狛江」、石田三千枝「ハラールとは・・」など特異なエッセイはこのグループの一人一人が特殊な分野に興味を持っていることを示していて奥深く印象つけられた。
 

「文芸多摩」9号(町田市)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月22日(木)16時01分10秒
返信・引用 編集済
  初めての雑誌は、内容にかかわらず一応紹介することにしてます。この場合、作品の良し悪しや好みなどは別にして、内容を紹介しております。


・木原信義「四十七年前の決断」は、七十年安保時代の極左学生と民青運動の中で青春を苦悩しながら生きる青年群像の話はよくある話ながら学生の青春は書けている。


・原秋子「メイコの選択」は、小学校四年のメイコは先妻の子。パパは舞台美術の仕事をしている。新しいママは劇団の女優兼ピアニスト。住んでいるのはママの両親の敷地内。そんな少女の心境を童話的タッチで描いているのだが、子供の純粋な目線がいじらしく可愛く描けている。

・大川口好道「転機」は、不思議な絵を高校の展覧会に出品した志田に興味を覚え訪ねて行った英治。その絵は「坑道」と題した黒い作品。高校を卒業した1951年。酒におぼれている魚屋の父。幼い妹もいる一家7人。何とかしなくてはと志田を頼って上京したが・・・という絵描きを志した青年の波乱の青春話はある程度書けている文章。

  ・町田市中町2-18-10 木原信義方
 

「アピ」7号(茨城県笠間市) 面白い今は昔の赤鬼の話は西田信博「鬼草紙」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月21日(水)15時21分21秒
返信・引用 編集済
  ・初めて目にする同人誌。エッセイ、詩歌も載っていて文芸全般の同人誌のようである。創作は四編。書き手の水準は高い。


・宇高光夫「空に星があるように」は、妻がボランテイアで出かけ、留守番していると、高校時代の友人の内海が亡くなったと電話があった。共に悩み、遊び、歓び、必死にもがいた時代を共にした友人。その時代を大切に回顧した作品。

・西田信博「鬼草紙」は、「今は昔のことである」という書き出しで始まる。諍いばかり起こす悪僧が破門されたが、老僧に「お前は優しい男だが」と言われたことが気になる。托鉢中に腹がへって座り込んでいると、赤鬼が大根を差し出して食えという。その赤鬼の身の上話・・・という内容は、なかなか愉快で面白い。書き慣れた筆筋。

・さらみずえ「花傷み」は、第一次世界大戦中、シベリアに出兵した日本軍。出征兵と残された家族の話はなかなかできているベテランの筆筋。

・短歌の林坊晴「里に住まえば」の三十数首は力作。
  ・テーブルに君が手織りし布ありて吾は手彫りの器を置きぬ

・山口明美「講習小梅」の四十数首もなかなかの作品群。
  ・ふんわりとしあわせを手に包むごとまっ白ご飯をぎゅっと結ぶ

  郵便ー309-1722  茨城県笠間市平町1884-190

                 電話ー0296-78-3139
 

「カプリチオ」45号① 異色のシュールな物語は関谷雄孝「白く長い橋」、意味深い加藤京子の編集後記 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月13日(火)13時00分42秒
返信・引用 編集済
  ・新しい文学に挑戦する集団である。作品に入る前に編集後記の一部を紹介する。

・多忙になればなるほど、身に付けた別キャラ・マニュアル通りに動くようになり、そこに感情の入る隙はない。だからこそ小説を書くことで慰められた。小説の中では思いきり自分を出せる。自分が変態で愚かで気まぐれな人間だと大っぴらにしていいなんて、こんな有難いことはない。それで細々ながらも書き続けることができた。現在はすでに仕事から解放され子も独立しており、書く時間は充分にある。好きなだけ小説に没頭できるはずなのだが、これが遅々として筆が進まない。言葉遣いに迷う。表現に悩む。どうにも閃きがやってこない。行き詰まったあげく嫌になってしばらくパソコンから離れたり、そしてようやく書き終えても、かってのような喜びや充実感が蘇ってこない。気持ちが乗ったときに泉のように湧き出てきたあの感覚を記憶の中にまさぐるたび、虚しくなる。いくら否定してみたところで、やはり、という思いは拭えない。日常生活に埋没するうちに感性が枯れたのだ・・(略)今や感性の力を借りることができなくなった分、これまでの人生で何を考えどう生きてきたかが自ずと抽出されるだろう。そういう年齢になったのだということを、粛々と受け入れるとしよう(加藤京子)

・関谷雄孝「白く長い橋」は、82歳の外科医が医院を廃業して自由の身になった話なのだが、昭和22年17歳の私が、占領軍の市道で開校した医科大学の予科に入学、アルバイト生活を始める。リュックに薬品を詰め込んで運ぶアルバイトなのだが、途中バスで渡った橋のことが今でも鮮明に蘇るのだ。その先である日不思議な人物に出会う話。敗戦後の日本の生活事情やお稲荷様の薬を運ぶ学生の私の奇妙で怪奇な体験という設定は、時代背景とともに奇妙でシュールな物語として小説のリアリティを盛り上げている。

・玉置伸在「八月の放物線」は、暴力団関係の死体を引き取って、密かに焼き、処分するシステムという奇態な話・・景雲寺は祭壇下の冷蔵装置付き引き出しに死体を保管、この死体は銭湯の定休日にボイラーで焼却されるというシステム。つまり、寺と銭湯が死体処理に関わっているのである。寺の隠坊が銭湯の釜焚きを兼ねているのだが、この役をひきうけているロクさんにまつわるエピソード話は面白かった。ありえない話をそれらしく読者を納得させていく筆筋は、リアリズム手法ながらシュールに飛躍するエピソードを盛り込んで作者の小説哲学が垣間見られて奥が深い。

・加藤京子「あの夏の、サキ」は、貧しい家庭の中学生のサキの交友と家庭事情の話なのだが、苛めと貧乏とのはざまで、けなげに生きる少女の姿はいじらしい。思春期の女の子の微妙な心理を描いたところに価値がある作品。

・塚田吉昭「となり家のばか娘」は、藤原孝標の隣に住んでいる語り手が、孝標の娘が三十にもなって和歌とか物語が得意で祐子内親王のもとに上がることになった事柄を噂話に語る、という構成は面白い着想と試みだろう。なかなか芸達者で幅広い視界を持つ作者だ。この作家の創作集も手元に送ってきている。近く紹介したい。

・郵便ー156-0044
     東京都世田谷区赤堤1-17-15 二都文学の会 草原克芳










 

「群系」37号(東京都)① 圧巻は草原克芳の「車谷長吉論」、右派の論客らしからぬ大堀敏靖「西村賢太論」に注目

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月13日(火)07時49分50秒
返信・引用 編集済
  ・今や文芸評論の同人誌としてすっかり有名になった。三好市が行っている全国の同人雑誌対象の同人雑誌賞を今年受賞したのも、ユニークな活動ゆえのことだろう。

・今号は二つの特集を企画している。一つは「私小説について」もう一つは同人の一人であった野口存弥氏の死去に伴う特集「野口存弥著作解題」である。「私小説特集」という打ち出し方はよくあるもので、特別目新しいものではないが、問題は、日本の短歌的、俳句的精神風土が私小説を育む結果になったことを深く指摘する論者がほとんどいないことを常日頃感じていて、その点を掘り下げる論考がないか期待したのだが、皆無だったことにいささか失望した・・・というのが個人的な好みから観た一つの感想であった。私小説という性格付けを既成のものとして捉える研究論考の数々があるのだが、なぜ私小説が日本の精神風土にはびこったかの根源探査の論考は、わずかに草原克芳の論考だけであったことは少し寂しかった。

・草原克芳「逃亡奴隷という仮面ー車谷長吉」は、私小説作家と言われ、また自認している彼の作品は、普通の私小説作家とは違う得体のしれないものがあり、そう感じる理由について突き詰めている論考・・いつものことながら、草原克芳という作家にして評論家は、作家を語っても作品を語っても、思わぬ切口を見せる論者なので楽しみにして読み始めたが、期待に違わぬ論点であった。これについては、後ほど詳細に解説したい。

・大堀敏靖「のめりこむ私小説ー西村賢太・苦役列車」は、右派の論客として、「群系掲示板」で草原克芳と渡り合うさまを時折楽しみに読んでいるが、その文芸批評の筆筋は右派の論客らしからぬ人間味あふれるもので、不思議な人物である。普通の芥川賞受賞作品は退屈で読了するのに一苦労するが、西村賢太の作品に限れば、のめりこんでしまう魅力に満ちている、として、その理由を連綿と述べている内容は、なかなか説得力があった。
 

「札幌文学」85号(札幌市) オムニバス形式六話に見る思い出の深淵描いた 須崎隆志「記憶の沼地」 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月12日(月)03時20分8秒
返信・引用 編集済
  ・「札幌文学」は、北海道では「人間像」「山音文学」と並び戦後間もなくの昭和二十年代に産声を上げた北海道の老舗同人誌。ページ数の多い時には300頁を超え、20人近くの作者が雑誌を飾ったものだが、今では常連作者も高齢化し、20人の会員を擁しているにもかかわらず、次第に発表作品も減少し今号は小説4編、随筆3編にとどまっている。若い会員の奮起が望まれるところだろう。

・須崎隆志「記憶の沼地」は、30枚の短編だが、六つの話のオムニバス構成という趣向。第一話は、主人公の中年の主婦が財布をどこに置いたか忘れて戸惑う話。散々探したあげく、財布が冷蔵庫のエコバックの中にあったというオチ。第二話は、娘の私を捨てて逃げた母・・でもそんあ私も近く結婚することになった。だから、現れてほしいと鏡に願う娘の心境。第三話は、朝、私が目覚めたが妻はまだ眠っている。カーテンを開けると朝のまぶしい光が目を射る。ふと幼い頃のことを思い出す・・。その原風景はひょっとして経験してない偽の記憶、あるいは前世の記憶かもしれない・・第四話は、30年前の記憶・・営業の契約取りに苦労した頃、訪ねていく目的の所番地がなかなか見つからない・・夢現つの話、第5話は、男の魂が棺を抜け出して浮遊する話。第六話は、店を閉めて車を取りに行くのだが、運転席に座ったら、後部座席の闇が恐怖となって襲ってくる思いになる・・それは、七歳の時のある事件の記憶・・。このようなショート・ショートの六話からなるのだが、ベテラン作家の切れの良い文章が光る作り。

・海邦智子「誰何・マドカの丘」は、十九歳の神谷は、部隊の先輩に連れられてカレーライスを食べに行き、「札幌の親父」と呼ぶようになった七十歳の泰三と知り合う。神谷も泰三も趣味はマラソン。神谷の部隊の話とマラソンの話をミックスさせて、この若い作家の自衛隊物の一話掌編である。前回の自衛隊物の続編としての一話か。

・曽根すみれ「流氷」は連載の①である。転勤族の父の転勤に付き合わされた女の子。六歳になるまで五回も引っ越しを経験した女の子の体験記である。このような作品は、やはり、一回完結でつなぐ構成が望ましいのだが・・。

  郵便ー006-0034  札幌市手稲区稲穂四条四丁目4-18  田中方

             電話ー011-681-5480
 

「季刊午前」54号 ②(福岡市) 曲折した若者の心理を描いた秀作は井本元義の「山の日記」、 女性の心理を描いた西田宣子「窮屈なはなし」、 現代詩の新領域に挑戦する詩群

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月 8日(木)19時29分59秒
返信・引用 編集済
  ・西田宣子「窮屈なはなし」は、45年の夫婦生活で夫の操縦方法をすっかり身に着けた町子の悩みは、38にもなる独身の息子の和彦のこと。商社に勤めていて職場の心配はないのだが、突然、35歳になる図書館の司書をしている靖子という女性と同棲生活に入るので家を出ると言われて動揺する。夫は猛反対。町子も結婚せず、子供も作らないという若い息子たちの同棲生活には賛同できない。小説は、母親の町子の目線からと靖子の目線から交互に描写されて進んでいく。若いのにもかかわらず、仏像を見て歩く一人旅を趣味とする変わった女性の靖子、片や息子の行く末を心配する町子と夫の生活描写・・登場人物がそれぞれ独特の個性として描写されるところがなかなかの書き手と感心させられた。60枚を超える枚数なのに筆力に押されて最後まで面白く読んだ。ただ、イントロの料理教室の描写は、冗漫でこれは十行か二十行で次ぎへつなぐ工夫があっていいのではないか。

・井本元義「山の日記」は、日記とあるけれど、小説である。つまり「山の日記」という小説である。そこに新鮮な方法意識がある。歯科医の父は僕が歯科医なって歯科医院を継いでくれることを期待していたが、僕は美術学校に進みたいと希望していた。しかし、それはできない相談だった。歯科の大学の面接試験で、「僕は歯科医になるつもりはありません」と宣言、面接官はあっけにとられていた。父は怒り狂って描きかけのキャンバスをずたずたに引き裂いた。「異国の屋根裏で血をはいて絵を描く以外自分の道はない」と思うのだが、父母は趣味は趣味でやればいい、という考え方だ。僕は反発して「絵を捨てることは反抗と復讐、己自身への怒りだった。己自身を抹殺することで復讐を遂げるのだ」そうして、僕は捨て鉢な気持ちで山の飯場にやってきて、肉体労働をし日記を書いている・・・。その日記に、愛しいはずの女を凌辱したり、邪険にしたりするニヒルな暴力的衝動が描かれ、若者の屈折した心理を見事に表現しているところが<文学的>な問題作。アルベール・カミュの言うところの不条理と反抗的人間の存在をこの小説で描こうと意図したのではないか、とも読み取れる。

・詩作品を読んでみた。戦後、現代詩は全盛期を迎えて、荒地派、列島派など優れた詩人が輩出したが、昭和の後期から平成に入ると、現代詩は下降線をたどる。それは、戦後の生活詩運動が逆作用して、誰でも詩を書くようになった反面、詩がつまらなくなり、作文詩や随筆を行替えしただけの散文詩が主流になったことが原因だろう。谷川俊太郎のモダニズム、石原吉郎の哲学的作風などを除けば実りは少なかった。そのような詩の風土の中で詩人がいかなる位置を占めていくか、詩人にとっては困難な時代に直面していると言えるだろう。

・吉貝甚蔵「失墜のための序章」は、自動記述のようなテンポとリズムを持つ反世界的な色合いの長詩。
  アナタの中にキミの切れ端を見つけたら/探しに行くよ ボクハキミを//無調の波に乗りながら/反転す  る世界の音を聴くために/眠りつつけろ! ワタシ つまりはアナタ!

・降戸輝「水のステップ」は、四連からなる短詩なのだが、行替えや行間の言葉の間合いを知っている詩人か。
  匂い/ふくらみ/肌を離れ/小さな水の粒たちが/陽に昇る

・井本元義「青空」は、「反逆者は沈黙でそれを確認する」「僕をやっと支えてくれるのは何か」「凍った一 点の絶頂はいつまでもそこに」・・・このような断片的な章句を拾ってみても、作品の精神性が読み取れる。最終連のあとに、アルベール・カミューの「異邦人」の主人公ムルソーの「獄舎は高台にあったので小さな窓から海が見えた」の言葉が引用されているのは象徴的だ。このムルソーの引用が、詩のイメージをドラマチックに広げて読者を魅了する。

・鹿野至「陽炎の舞台」は、イントロの一連に「アスファルトから10センチの高さの/舞台の演目は/陽炎に 溺れて読むのがむずかしい」という章句。

・安河内律子「果」は、「生れ落ちながら死にかけた私を蘇らせたおん婆は/お前さんにも行く道があるのだと送り出した」という小説のイントロのような章句から始まる人生訓的な味の作品は、おん婆という人物を登壇させることで、詩作品に立体的な思想を注入できた例だろう。

・脇川郁也「九月の空を」は、イラン中部の土地で出合った驢馬の渇きを思い出しながらの一編の詩である。
 驢馬の渇きを思いだしながら/ぼくは/ペットボトルの冷たい水を呷る


 

個人誌「想」6号(札幌市) 北海道の文学活動を詳細に拾いとる文芸時評家・妹尾雄太郎氏の年間活動の総まとめ

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月 8日(木)01時12分53秒
返信・引用 編集済
  ・作者の妹尾雄太郎氏は長く北海道新聞の創作・評論部門の同人雑誌・新刊単行本の評を手がけてきた文芸評論家で、日頃の評論活動で書いてきたものをまとめて年に一冊のインターバルで個人誌を出してきている。依頼によって折に触れて書いた雑文やエッセイのほか、担当した文学賞の選評も含まれており、「道内文学」として北海道新聞に毎月「同人雑誌・新刊本」の感想・評文を書いているものを載せている。北海道在住の作家には心強い文芸時評家として頼りにされているのは、新聞の限られたスペースに的確で鋭い批評を行っているからであろう。

・注目するところは、北海道の文学活動や同人雑誌の動向なども別建てで詳しくまとめてあり、後世に資料として残る貴重なもの。180ページ。

    連絡先ー063-oo22  札幌市西区平和二条5丁目1-20  妹尾 雄太郎

              電話-o11-665-1527
 

レンタル掲示板
/83