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「札幌文学」85号(札幌市) オムニバス形式六話に見る思い出の深淵描いた 須崎隆志「記憶の沼地」 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月12日(月)03時20分8秒
返信・引用 編集済
  ・「札幌文学」は、北海道では「人間像」「山音文学」と並び戦後間もなくの昭和二十年代に産声を上げた北海道の老舗同人誌。ページ数の多い時には300頁を超え、20人近くの作者が雑誌を飾ったものだが、今では常連作者も高齢化し、20人の会員を擁しているにもかかわらず、次第に発表作品も減少し今号は小説4編、随筆3編にとどまっている。若い会員の奮起が望まれるところだろう。

・須崎隆志「記憶の沼地」は、30枚の短編だが、六つの話のオムニバス構成という趣向。第一話は、主人公の中年の主婦が財布をどこに置いたか忘れて戸惑う話。散々探したあげく、財布が冷蔵庫のエコバックの中にあったというオチ。第二話は、娘の私を捨てて逃げた母・・でもそんあ私も近く結婚することになった。だから、現れてほしいと鏡に願う娘の心境。第三話は、朝、私が目覚めたが妻はまだ眠っている。カーテンを開けると朝のまぶしい光が目を射る。ふと幼い頃のことを思い出す・・。その原風景はひょっとして経験してない偽の記憶、あるいは前世の記憶かもしれない・・第四話は、30年前の記憶・・営業の契約取りに苦労した頃、訪ねていく目的の所番地がなかなか見つからない・・夢現つの話、第5話は、男の魂が棺を抜け出して浮遊する話。第六話は、店を閉めて車を取りに行くのだが、運転席に座ったら、後部座席の闇が恐怖となって襲ってくる思いになる・・それは、七歳の時のある事件の記憶・・。このようなショート・ショートの六話からなるのだが、ベテラン作家の切れの良い文章が光る作り。

・海邦智子「誰何・マドカの丘」は、十九歳の神谷は、部隊の先輩に連れられてカレーライスを食べに行き、「札幌の親父」と呼ぶようになった七十歳の泰三と知り合う。神谷も泰三も趣味はマラソン。神谷の部隊の話とマラソンの話をミックスさせて、この若い作家の自衛隊物の一話掌編である。前回の自衛隊物の続編としての一話か。

・曽根すみれ「流氷」は連載の①である。転勤族の父の転勤に付き合わされた女の子。六歳になるまで五回も引っ越しを経験した女の子の体験記である。このような作品は、やはり、一回完結でつなぐ構成が望ましいのだが・・。

  郵便ー006-0034  札幌市手稲区稲穂四条四丁目4-18  田中方

             電話ー011-681-5480
 
 

「季刊午前」54号 ②(福岡市) 曲折した若者の心理を描いた秀作は井本元義の「山の日記」、 女性の心理を描いた西田宣子「窮屈なはなし」、 現代詩の新領域に挑戦する詩群

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月 8日(木)19時29分59秒
返信・引用 編集済
  ・西田宣子「窮屈なはなし」は、45年の夫婦生活で夫の操縦方法をすっかり身に着けた町子の悩みは、38にもなる独身の息子の和彦のこと。商社に勤めていて職場の心配はないのだが、突然、35歳になる図書館の司書をしている靖子という女性と同棲生活に入るので家を出ると言われて動揺する。夫は猛反対。町子も結婚せず、子供も作らないという若い息子たちの同棲生活には賛同できない。小説は、母親の町子の目線からと靖子の目線から交互に描写されて進んでいく。若いのにもかかわらず、仏像を見て歩く一人旅を趣味とする変わった女性の靖子、片や息子の行く末を心配する町子と夫の生活描写・・登場人物がそれぞれ独特の個性として描写されるところがなかなかの書き手と感心させられた。60枚を超える枚数なのに筆力に押されて最後まで面白く読んだ。ただ、イントロの料理教室の描写は、冗漫でこれは十行か二十行で次ぎへつなぐ工夫があっていいのではないか。

・井本元義「山の日記」は、日記とあるけれど、小説である。つまり「山の日記」という小説である。そこに新鮮な方法意識がある。歯科医の父は僕が歯科医なって歯科医院を継いでくれることを期待していたが、僕は美術学校に進みたいと希望していた。しかし、それはできない相談だった。歯科の大学の面接試験で、「僕は歯科医になるつもりはありません」と宣言、面接官はあっけにとられていた。父は怒り狂って描きかけのキャンバスをずたずたに引き裂いた。「異国の屋根裏で血をはいて絵を描く以外自分の道はない」と思うのだが、父母は趣味は趣味でやればいい、という考え方だ。僕は反発して「絵を捨てることは反抗と復讐、己自身への怒りだった。己自身を抹殺することで復讐を遂げるのだ」そうして、僕は捨て鉢な気持ちで山の飯場にやってきて、肉体労働をし日記を書いている・・・。その日記に、愛しいはずの女を凌辱したり、邪険にしたりするニヒルな暴力的衝動が描かれ、若者の屈折した心理を見事に表現しているところが<文学的>な問題作。アルベール・カミュの言うところの不条理と反抗的人間の存在をこの小説で描こうと意図したのではないか、とも読み取れる。

・詩作品を読んでみた。戦後、現代詩は全盛期を迎えて、荒地派、列島派など優れた詩人が輩出したが、昭和の後期から平成に入ると、現代詩は下降線をたどる。それは、戦後の生活詩運動が逆作用して、誰でも詩を書くようになった反面、詩がつまらなくなり、作文詩や随筆を行替えしただけの散文詩が主流になったことが原因だろう。谷川俊太郎のモダニズム、石原吉郎の哲学的作風などを除けば実りは少なかった。そのような詩の風土の中で詩人がいかなる位置を占めていくか、詩人にとっては困難な時代に直面していると言えるだろう。

・吉貝甚蔵「失墜のための序章」は、自動記述のようなテンポとリズムを持つ反世界的な色合いの長詩。
  アナタの中にキミの切れ端を見つけたら/探しに行くよ ボクハキミを//無調の波に乗りながら/反転す  る世界の音を聴くために/眠りつつけろ! ワタシ つまりはアナタ!

・降戸輝「水のステップ」は、四連からなる短詩なのだが、行替えや行間の言葉の間合いを知っている詩人か。
  匂い/ふくらみ/肌を離れ/小さな水の粒たちが/陽に昇る

・井本元義「青空」は、「反逆者は沈黙でそれを確認する」「僕をやっと支えてくれるのは何か」「凍った一 点の絶頂はいつまでもそこに」・・・このような断片的な章句を拾ってみても、作品の精神性が読み取れる。最終連のあとに、アルベール・カミューの「異邦人」の主人公ムルソーの「獄舎は高台にあったので小さな窓から海が見えた」の言葉が引用されているのは象徴的だ。このムルソーの引用が、詩のイメージをドラマチックに広げて読者を魅了する。

・鹿野至「陽炎の舞台」は、イントロの一連に「アスファルトから10センチの高さの/舞台の演目は/陽炎に 溺れて読むのがむずかしい」という章句。

・安河内律子「果」は、「生れ落ちながら死にかけた私を蘇らせたおん婆は/お前さんにも行く道があるのだと送り出した」という小説のイントロのような章句から始まる人生訓的な味の作品は、おん婆という人物を登壇させることで、詩作品に立体的な思想を注入できた例だろう。

・脇川郁也「九月の空を」は、イラン中部の土地で出合った驢馬の渇きを思い出しながらの一編の詩である。
 驢馬の渇きを思いだしながら/ぼくは/ペットボトルの冷たい水を呷る


 

個人誌「想」6号(札幌市) 北海道の文学活動を詳細に拾いとる文芸時評家・妹尾雄太郎氏の年間活動の総まとめ

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年12月 8日(木)01時12分53秒
返信・引用 編集済
  ・作者の妹尾雄太郎氏は長く北海道新聞の創作・評論部門の同人雑誌・新刊単行本の評を手がけてきた文芸評論家で、日頃の評論活動で書いてきたものをまとめて年に一冊のインターバルで個人誌を出してきている。依頼によって折に触れて書いた雑文やエッセイのほか、担当した文学賞の選評も含まれており、「道内文学」として北海道新聞に毎月「同人雑誌・新刊本」の感想・評文を書いているものを載せている。北海道在住の作家には心強い文芸時評家として頼りにされているのは、新聞の限られたスペースに的確で鋭い批評を行っているからであろう。

・注目するところは、北海道の文学活動や同人雑誌の動向なども別建てで詳しくまとめてあり、後世に資料として残る貴重なもの。180ページ。

    連絡先ー063-oo22  札幌市西区平和二条5丁目1-20  妹尾 雄太郎

              電話-o11-665-1527
 

「季刊午前」54号(福岡市) 誠実な筆筋に切々と感動が迫る もとむら和彦「いのちのかぎり」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年11月25日(金)15時17分35秒
返信・引用 編集済
  ・この雑誌は、同人誌の世界では有名である。九州には「九州文学」という老舗の大きな団体があるが、この雑誌は新進気鋭の作者がいることで同人雑誌の世界では高い評価がある。そんな中で、地味で古風な筆筋だが、じんわりと読者の胸に迫る作品を書く作者がいたことに意外な思いがした。

・もとむら和彦「いのちのかぎり」は、ノンフィクションとあるが、私小説でもあろう。作者が飲み疲れから下痢をして、その下痢の細菌がどう回りまわったのか妻の血液の癌発生の引き金になったらしいが、詳しいことは書いてない。看病物は多く書かれているが、妻が血液の癌に侵され、看病に誠意を尽くす作者の痛々しい姿がリアルに大切に描かれていて読者を揺さぶる。最後は船に乗って散骨して妻を見送るのだが、それらも読者には参考になる記述。作品の作りの技術はないが、とつとつとした語り口が作者の誠実な人柄を思わせる好編であった。素朴な記述の作品も時には心が洗われていいものである。この作品を巻頭に持ってきた編集人の手腕が光る。

  郵便ー福岡市博多区山王2-10-14 脇川方 季刊午前同人会

      電話ー092-452-0510
 

「嵐」19号(千葉市) 詩情豊かな風野涼一「空蝉」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年11月24日(木)21時30分16秒
返信・引用 編集済
  ・初めての雑誌である。編集後記に浅田次郎の「最もなくてはならないのは個性」、西加奈子の「小説は自分の内面に穴を掘っていく作業」という言葉を引用して会員を鼓舞していた。問題は、作者が掘った穴を読者が見に来るかどうかだろう。自分の穴を勝手に掘るのはいいが、読者が見に来なければ意味がない。読者を引き寄せる手法を選択するのも必要条件だ。

・風野涼一「空蝉」は、小学校五年生になった腺病質の主人公の孝一が昭和41年、父の実家で一月養生した時の体験。性に目覚めようとする年齢の微妙な体験を詩情豊かに描いたところが買える。ただ無駄な会話と会話の多様が生きてない。会話と地の文の呼吸を身に着けたい。「ただいま」「お帰り」のオウム返しの会話はいただけない。というより必要ない。

・中嶋英二「萌えいずる日々のむこうで」は、イントロの人生訓じみた演説が気になった。パリで関係のあった女が人妻となって再会、魅かれあう話なのだが、やや通俗的な描写と展開も気になった。抑え気味の筆筋でないと男女の仲の描写は通俗にながれがちだ。書ける作家のようだから、気持ちをセーブして書き進む意識があれば、詩情豊かな作品になったろうと惜しまれた。

・石井冴子「二人の母」③は連載物だが、地に足のついた節度ある文体が練れている。戦争末期、転校生となった娘の手続きを済ませた初子は戦地の夫の身を案じながら、けなげに生きていた・・という場面は、よくある話ながら、体験者には身につまされる話だろう。だが、月刊雑誌ならいざ知らず、インタバルを置いた連載は読み手には向かない。ここは区切りよく話をおさめる短編構成にしたいもの。

・菊池美世「居場所」⑥は、これも連載物だが、やはり落ち着いた文体はかなり修練を積んだものと読み取れる。だが、これも区切りよく短編構成にしたい。次の話は、また読者を意識して短編で決着する手法を選択すべきだろう。

・総体的に自然描写、環境描写を緻密にデッサンしたいもの。それと、会話の鍛錬が課題のようだ。

・寺岡光二「青春」も連載物。働きながら夜間大学に通う話は、時代背景や職場のことも細やかに書かれていて、なかなかの書き手のよう。これも、短編構成にしたい。

  郵便ー261-0011   千葉市美浜区真砂3-1-9   嵐同人会

                  電話-043-278-7467
 

パソコン故障でご無沙汰してました

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年11月22日(火)17時26分10秒
返信・引用
  ・パソコン不調で二週間ほど無沙汰してました。
これから年末にかけて手元の二十冊ほど、こなしたいと思っています。
悪しからず・・・・。
 

“ある星座からの眺め” 安宅夏夫/『長帽子』№77

 投稿者:荻野央  投稿日:2016年11月18日(金)13時49分24秒
返信・引用 編集済
  この心地よい長さの散文詩は次の一節から始まる。

“私は、今夜、アンドロメダ銀河に向かい合う銀河系・太陽系の星の一つの上に居て、
満天の星の輝く、荒川の岸辺を歩いた。バスに乗って、少し離れた銭湯に行ったのだ。

先だってNASAは「我々の銀河と隣のアンドロメダ星雲は今から40億年後、間違いなく衝突する」と発表した。
ポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカは先年ノーベル賞を受賞したが、
「星座から自分自身を見つめるが良い」と言っている。”

ここから詩が歩き出す。その目的地は「時間」の不確定性と「時間」の神秘性である。誰しもが持つであろう奇妙な印象―それは、引用されたNASAの発言にある、”億年”と予測でしかない概念を時間に持ち込んで予測を超越して”間違いなく”という断言的な結論にいたる天文学の、馬鹿げた傲慢に満ちた奇妙さだ。(二つの大戦の反省から常に科学と科学者は批判される立場にいるという自覚の無さが見える。)
宇宙に関わる数字の不確定性と神秘性は―予断と推論よりも―ポーランドの詩人の発言の方が現実味があって、その現実味は、宇宙の一点にいる「私」、星々を真上にして荒川べりを歩いている「私」のどこかで生じているのだ。
「私」は時間を確定的に捉えている普通の人間の精神であり神経作用そのものだ。”億年”の曖昧さより、”今”生きている「私」がより確信しているのではないか、予断と推論に沈降しているNASAの人々に現実味は存在するはずもない、と筆者は思う。
どうして「私」はナチュラルにそういう態度で歩行しているのか。次の段落がそれを説明してくれる。それは普通の中で普通に行われる時間を思い合う場面に描かれている。

“昼間、私は通院日だった。
途中、地下鉄のホームにある小さなエレベーターで地上に出る。
今日、エレベーターは私と同じ年頃の人と二人きりだった。
相乗りとなったその人が私に問いかけた。
「何歳ですか」と。
「82歳です」
相手は「私は83歳です」と応えた。
地上に出るには地下歩廊を歩いて少し行かねばならない。
途中に改札があり、そこで別れた。
連れになった人は言った。
「大学で仲良しグループだった六人の内、五人は身まかり、私一人になりました」と。
私も「同期会が壊滅同然になっている」ことを言った。

簡単な握手をした。
「百歳まで元気でね!」
私が言うと、その人は笑って言った。
「百五歳ですよ!」と。
「プラス五歳」とは恐れ入った。
私はルーチンルックのキャリーカーを曳いて、
その人は心持ち大股で地下歩廊を離れていった。”

普通の状況下の普通の出会いで人間の確定的な時間を互いに「想像」し思い合う瞬間であるけれども、一気に天文学的な思考から一般的な思考に移行するになんらのギクシャク感がない場面だ。スムースに移行は描かれて、詩の中で二つの老境の思考が吹き出る瞬間でもある。
読者はそうした穏やかで静かで、百歳と百五歳の架空的な数字に触れ、ふと自分に向き合うのだ、老いも若きも。自分にとって「人生」時間とは何"だった"のか、と。
そしてこの先、いかなる価値的な表情を「人生」時間は自分に見せてくれるのだろうか、と。

“今夜の事だが、私は、銭湯からバス停までの星空の下で考えた。
宇宙が始まってから、その終焉までは、どれくらいの時間があるのか。なんでも70億年後のはずだったと。
頭上の星空が一瞬輝いたように見えた。”

エレベーターの小宇宙からの帰途、「私」は思わず天文学的数字と「人生」時間の数字を思い比べ、その瞬間星空が輝いて見えたという、素敵に眩い最終行に思ったことが、しまわれて詩は終わる。
穏やかで静かな星の下の歩廊において、「私」は眼前に延伸する時の帯を見、思い浮かべた事の意味を知ったのではないかと、と思ってしまった。それゆえ、この詩は筆者の中で終わらない、いつまでも。
(蓋し、時間は「過去的なもの」と「未来的なもの」を同時に含むから、老いも若きも無い。NASAはそこまで考えもしないのだろう。)
 

「カプリチオ」45号(東京都)① リアリズム筆法ながら不思議な話を描いた関谷雄孝「白く長い橋」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年11月16日(水)00時38分30秒
返信・引用 編集済
  ・二都文学の会というグループは、かなり前から同人雑誌の世界では知られていたが、手にするのは、ここ二年ほどのことである。「群系」という評論の雑誌の掲示板で偶然知り合った草原克芳という才能ある書き手の文芸評論に注目することで、彼からある日送られて来たのが「カプリチオ」の雑誌だった。以来、3号ほど読んできたが、書き手はすでに現代文学の課題と真正面に格闘する作品ばかりで、よくある定年退職して何かすることがないか、と見回してたまたま小説を書き出した・・といったたぐいの書き手とは違ったグループであることに注目し、噂に違いのない良い雑誌と確認した次第であった。そんな書き手の中で筆法はリアリズムながら、異界めいた現実の体験をする話である関谷雄孝「白く長い橋」にまず注目した。

・主人公は82歳になった外科医師。下町の運河のある街で外科医院を開業していたが、医院を閉じて自由時間を楽しむ生活に入った<私>である。この私は、身近な世界から宇宙の果てまで続く時間と空間の感覚を感受する新鮮な感覚に取り込まれていた折に、真夜中に子宮に着床しているがごとき体験を感覚する。ここから、<私>は、戦後間もなく医学生になって、アルバイトに苦しむ生活体験を回想する話になる。それは、白い橋と稲荷社の教祖のことであった・・・というような話なのだが、人間の意識を超えた宇宙観と現実の目の前で展開する不思議な出来事と得体の知れない人物の行動と悲惨・・を物語る話は直接の体験なのか小説として造形されたものなのか、いずれにしても、不思議な話へと読者を誘うのである。

      ・郵便ー156-0044  東京都世田谷区赤堤1-17-15  二都文学会
    
 

博多駅前の陥没・・何ですかね、これは・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年11月 9日(水)02時56分16秒
返信・引用 編集済
  こいつは酷い・・。博多駅前の大陥没・・・。
まさか、高岡啓次郎君の九州文壇デビューに大変動を予兆したわけではあるまいが・・・。
 

苫小牧の高岡啓次郎が第10回北九州文学協会の応募文学賞の大賞受賞、賞金十万円

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年11月 7日(月)23時50分36秒
返信・引用 編集済
  ・「無口な女」と題する30枚の作品であるが、早速コピー原稿を読ませてもらった。純文学分野の群像新人賞、新潮新人賞に匹敵する完成度。つまり純文学の全国区のレベルの出来だろう。これまでストーリーテーラー的才能の持ち主と言われたのは、書き出したころ長編部門の挑戦が続いたためだったが、短編畑で腕を磨いた成果がようやく出てきた結果だろう。

・それにしても、リアリズムも抽象ものも構成ものも器用にこなす画家のように、何でも書けるし素材に応じて文体も変えることのできる作家に成長したようだ。これは天性の才能だろう。

・「無口な女」の筋書きを簡単に紹介すると、還暦を迎えて画家として成功した男が、成功のきっかけであった作品、20年以上前にモデルにした女が、老婦人となって道ですれ違う話から始まる。若い頃の画家としての苦闘した時代背景、美人じゃないが個性的な女の風貌。細やかな心理描写と環境描写のデッサンも抜群に光った作品で、水準の高い北九州の文壇で認められた快挙と言えよう。おめでとう。一首献上・・。

  ・無口なる女をモデルに君が身は九州文壇にデビューしたりき  石塚 邦男
 

“全ては過去でできている” 間島康子/『駅』№108

 投稿者:荻野央  投稿日:2016年11月 4日(金)13時29分44秒
返信・引用 編集済
  “あしたこの茎のさきの
蕾がひらくだろう
あさって別のところに
白く花が咲くだろう
そしてまた次の日

なぜかいつのまにか
そう思っている

それは正しい
どこかでは多分


大風が来て蕾は飛び散る
大水が出て花は流れ去る


ここに
蕾はない
花は見えない

かつてひらいた蕾
以前咲いた花
それらが重ねられた
土の上
あるいは
過去の先頭に立ち
眼をつむる

先のことは
目のなかの
おぼろな仮定
全ては過去でできている“

「蕾」や「花」は言わば万物流転の法則にしたがって今在り、そして消滅すると同時に「過去の先頭」に立つものとして流れていく。筆者も植物の変転、生成に悦ばしいものや美しさを感じ受けるが、植物が動物と違って動かぬように見えてほんとうは動いているとして見るからなのだろうと思う。根っこや茎も同じ。それらは枯れる。一年草であっても多年草であっても、「枯死」だ。枯死から、それらは戻らぬ過去でなくて<過去的なもの>に移行することからきていると思ったりする。
作者が「目をつむる」と書いた後、過去の「花」が過去的なものになり記憶に滲みだしていくと感じていることがわかる。つまり閉じられた目の中においてはそれらは消滅はしていない。この空想力がこの作品のポイント、つまり目の中で、今何も無いあるいは咲き乱れている花が植えられている土の中に、かつて美しさを誇ったもの見る者を慰めてくれた自然の美と再会している。それらは今現前しようがしていまいが在るということには変わらない。過去的なものは未来的なものを胚芽し予見するから、今在るものは反復の永遠であるということになるということ。空想力から創造力へ、詩人の力の幅であろうか。
(若者たちの談論に、彼らの将来、未来、憧れなどの未来図の話を聞いていて、まさに自分は自分の未来、将来、渇望のなかにいると思えば、いよいよ自分の生の内容は色濃くなるものだろう。)

すぱりと「全ては過去でできている」と終わっているこの詩の持ちうるパースペクティブはそのような思考の促しではないかと想像してしまった。
 

「いぶり文芸」47号(室蘭市) 浅野清の価値ある労作「金成マツ略伝」の連載物 高岡啓次郎「クラック」の人生模様、斬新な手法の清水俊司の短編二編  光る三村美代子の詩「とべない獣」の形象力

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年11月 2日(水)21時30分11秒
返信・引用 編集済
  ・この雑誌の発行責任者は胆振芸術祭実行委員会で、胆振支庁が地域の文学振興を目標に、年1回文化祭行事の一環として予算を出している官費の雑誌。47年目となる。地域に住んでいる者なら誰でも1200円の雑誌一冊を買うと投稿できるありがたい場で、作品を貯めたい者には都合の良い場所として重宝されている。

・創作は、高岡啓次郎「クラック」が良い。作者はすでに全国区の作者として著名だが、書ける場にはこうしてマメにすかさず書いている驚くべき筆力の持ち主。塗装業の主人公が自宅からさほど遠くない家の塗り替え工事を頼まれて出かけると、見知っていた少女に10年ぶりに会う場面から始まる。祖母と親が住むその家に二十歳になった少女が、軽自動車に乗ってやって来て再会する。すでに二人の子の母になっていた。主人公は結婚して13年になるが、子供はまだない。工事現場には高校生の子の姿があるが、父親の姿が見えない。はて、父親はどうしたのか・・。工事現場に見える人間模様と仕事の苦労・・・塗装業を営む作者のしみじみとした私小説的味のある作品である。

・清水俊司は「the san」と「マネージャー」の掌編二編。前者は殺人をして独房生活しながら裁判の開始を待つ近未来の話・・。その近未来の実体とは・・。「マネージャー」は暴力団の幹部がホテルで急死した。自然死か他殺か・・。調べが始まる。その背景は・・という話で、意外性と推理の好きな読者からは興味をもたれそうなひねった味の作品。

・浅野清「金成マツ略伝③」は貴重な資料である。アイヌ口承文芸の筆録者であり伝承者であった金成マツの生涯とその業績を丹念に掘り起こしたもの。関係者の証言も丹念に拾った価値ある労作である。


・詩作品は六編それぞれのスタイルが印象に残る。福士文浩「空のワルツ」のナイーブな詩語の感性、清水俊司「いくつかの小さな詩」の内面性、庄子義孝「七十路」ほか一編の素朴な物語、中村喜代子「奇跡」ほか一編の批評性、三村美代子「とべない獣」の歴史を見抜く眼力、鈴木みな子「レクイエム」の哀歌。それぞれのイントロを紹介。このうち、三村美代子「とべない獣」が特に詩言葉の力が光っていた。

・この空は/どこまで続いているのだろう/手を挙げて指先の風を感じる   福士文浩

・ガランドウが街を駆け抜ける/ガランドウが街で大声を上げ/街は、ガランドウに、なる 清水俊司

・いがぐり頭のボクに/お婆ちゃんが言った/あんがりが良いか?さんがりが良いか?  庄子義孝

・マントルの器がはげしく揺れ あふれ/地軸を揺るがす鼓動/巨大化した活断層帯  中村喜代子

・とびたくて/とびたくて/じっと たたずむ獣がいる/頭上一面 土色の孤独におされ
 背後に傾く命の球を/見つめ続けて四千年/ひたすら座す獣            三村美代子

・七月の晴れた朝/あなたは静かに旅立っていった                 鈴木みな子










 

そろそろエンジンをかけないと・・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年11月 2日(水)20時11分11秒
返信・引用 編集済
  ・手元にたまった同人誌・・・そろそろ拍車をかけて感想を書き込みます。

・請う、ご期待・・・。
 

「人間像」186号(北海道北広島市) 北村くにこ「女たちの箱舟」は複数の女性の生き方をドラマチックに活写

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年10月14日(金)23時39分59秒
返信・引用 編集済
  ・北村くにこ「女たちの箱舟」は、めぐり巡って同じ職場に居合わせることになった女たちの生きざま・・・という作品。

・若い頃、サオリの女の側から結婚を迫ったのに拒否された青野に20数年ぶりに再会した二人。青野には二人の子供のいる家庭があったが、二人は再び会い瀬を重ねるようになった。もうひとりの主人公のルミコは、不動産会社に勤めている。短大を出て商事会社に勤めたが上役を好きになって職場を変えた。またも上司と恋愛関係になったが長続きせず仕事への情熱をなくしていたとき、「家庭学習研究所」の募集に応じて派遣家庭教師になる。もう一人の主人公チハルの夫はブランド会社に勤めている。二人は徹底的なブランド志向。この三人の女たちが同じ職場で一緒になるのだが、さて・・という女の事情の話である。現代の女の多様な時代感覚、生き方を活写した100枚の作品は、女たちの新しい生き方の指針にもなりそうだ。

・だが、一方で、これが文学道に照らして厳しく査定するとき、単なる女性の現代の風俗紹介にすぎない、という観方も否定出来ない。現代の風俗紹介で文学作品と言えるのか、という問いにこの作品は応えているかという観方もでてくるだろう。

   郵便ー061-1148  北広島市山手町1-1-10  人間像同人会 
 

「ざいん」20号(室蘭市) ①  こしばきこう「暗い森」大自然をバックにした一家の去就と父の秘密を息子の目線から描いた異色作

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年10月14日(金)02時34分56秒
返信・引用 編集済
  ・この雑誌はなかなかの書き手が揃っているので以前から注目していた。今回も楽しみにして頁を開いたものである。表紙絵は高岡啓次郎。主情的な表現派の手法の水彩なのだが、道に逃げるように女が描かれ、それを男が頭を抱えて見送る・・という図式が小説的ドラマを感じさせ、ノルウェーの国民的画家エドヴァルド・ムンクの内面描写を暗示させる色調と共に特異な同人雑誌らしい表紙絵となっているのは象徴的だ。ムンクはボードレールの詩集「悪の華」の挿絵を描いたことでも知られた画家・版画家である。この絵を一言で言えば、ボブ・ディラン風に「答えは風に吹かれて」というところか・・。

  How many roads most a man walk down

 The answer is blowing in the wind

・こしばきこう「暗い森」は、製薬会社で主任研究員だった父が突然五十の歳を迎えて山岳カメラマンになると言って、日高山脈の麓の山小屋の住人になった・・・そして二年後、父は山に入ったまま帰らぬ人となった。祖父はゲストハウスを経営している。母は父と離婚してNPO法人の「野生動物救護センター」を運営している。僕と十三歳の妹の咲は祖父のゲストハウスを手伝っている。僕は六歳から八歳まで祖父のいる村に住み、小学校に通っていた。僕は父母と同じ大学の薬学部に入学したが、父と因縁のある熊谷冴子との問題があって、3年の冬に休学して現在にいたっている。熊谷冴子は、売り出し始めたフリーのルポライターで昨年まで父の下で製薬会社に勤務していた。僕が大学を休学した理由は冴子の論文を読んで感銘を受けたことに起因していた・・・という人間関係があって小説が動き出す・・という趣向。

論文を読んで冴子に惹かれてゆく僕は、冴子と父の関係をふと疑ってみたりする・・というところや妹が一緒に風呂に入らなくなって女になって行くさまを兄の目線から見るといったエピソードが枝葉ながらなかなか良く書けている。そして、父の秘密が次第に解き明かされるのだが、日高の大自然をバックにした普通の小説にはない珍しい人間関係と人物背景が魅力的な作品である。

この人物配置なら、細やかに描けば200枚は行きそうな内容である。短編としたのはデッサン的な意味もあったのか・・・。読者の側から読み込むと、父が製薬会社を退職した理由の背景や僕の冴子に対する感情などもう少し立体的に書いて欲しかった、という気もするし、父母の離婚の背景や父と冴子との関係に疑惑を募らせる僕の複雑な感情も突っ込んで書いて欲しかった気がするが、どうだろう。もちろん、これはこれで佳作になっているのは言うまでもないところなのだが・・・。

 郵便ー050-0071 室蘭市水元町22-7 光城健悦方

                     電話-090-2876-1409
 

多忙につきしばらく

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年10月 7日(金)02時20分35秒
返信・引用
  ・手元の雑誌はほとんど読了済みなんですが、数日多忙につき、もうしばらくお時間を・・・。それが済み次第、一挙掲載します。  

Re: 「クラルテ」7号(調布市) 隠れた歴史を再発掘した小高平男の研究ノート「東学農民革命 朝鮮全土に広がる烽火」の貴重な研究

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年10月 2日(日)00時52分22秒
返信・引用
  > No.1830[元記事へ]

根保孝栄・石塚邦男さんへのお返事です。

> ・六十年ぶりに会った3歳下の幼友達。「随分あなたに苛められましたよ」と彼は私に言った。私には彼を苛めた記憶はなかった。差別した側とされた側の記憶の深浅は、当事者比較によって明らかにされる。現在の日本と韓国の複雑な歴史認識の根本には、そんな幼友達との記憶の深浅に結びつくものかもしれない。した側とされた側の立場の違いは明らかだろう。前にも紹介していたのだが、読み返して感動を新たにしたのでここに再び紹介したくなった一編は小高平男氏の研究ノート「東学農民革命 朝鮮全土に広がる烽火」である。副題に「民族の独立・民主主義の民衆闘争の実相と歴史の真実とは」とある。
>
> ・小高氏は冒頭を次のような文章で始めている。「わが国には、歴史の事実を直視することなく、これを無視する潮流が今日も依然として跋扈しています」・・・われわれ日本人には実にきつい言葉に聞こえるが、日本の朝鮮統治時代を体験している韓国人の年配者には、自然に受け止められる言葉だろう。小高氏は、東学思想と向き合うため現地を二度旅して現地を見てきたという。つまり、日本軍と戦った激戦地探査である。当地で出会った韓国の人たちの協力、支援によって完成した50枚の原稿・・・日本と欧米の侵略を退けて国の自立、自主をめざす民族独立の思想に立脚した東学革命思想は、江戸時代の農民一揆、島原の乱に比べられるかもしれない。かつて韓国の金大中大統領は「かつてアジアにも西洋にも劣らない人権思想と国民主権の思想があり伝統もあった」としてこの東学農民革命の運動を上げているのは示唆的だと、小高氏は言う。
>
> ・この運動で、韓国のジャンヌ・ダルクと言われた女性がいたことを私も初めて知った。彼女は最期に日本軍に捕まって厳しい拷問の末に獄死しているが、明治28年の日本の国民新聞でも取り上げられていたらしい。一番重要なことは、この農民戦争は日本の近現代歴史から抹殺されていることだ、と小高氏は言う。ここで詳細に紹介するスペースはないが、一読に値する研究ノートであった。
>
>  郵便ー182-0035  調布市上石原3-54-3-210  北村隆志方
 

「クラルテ」7号(調布市) 隠れた歴史を再発掘した小高平男の研究ノート「東学農民革命 朝鮮全土に広がる烽火」の貴重な研究

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年10月 1日(土)12時09分12秒
返信・引用 編集済
  ・六十年ぶりに会った3歳下の幼友達。「随分あなたに苛められましたよ」と彼は私に言った。私には彼を苛めた記憶はなかった。差別した側とされた側の記憶の深浅は、当事者比較によって明らかにされる。現在の日本と韓国の複雑な歴史認識の根本には、そんな幼友達との記憶の深浅に結びつくものかもしれない。した側とされた側の立場の違いは明らかだろう。前にも紹介していたのだが、読み返して感動を新たにしたのでここに再び紹介したくなった一編は小高平男氏の研究ノート「東学農民革命 朝鮮全土に広がる烽火」である。副題に「民族の独立・民主主義の民衆闘争の実相と歴史の真実とは」とある。

・小高氏は冒頭を次のような文章で始めている。「わが国には、歴史の事実を直視することなく、これを無視する潮流が今日も依然として跋扈しています」・・・われわれ日本人には実にきつい言葉に聞こえるが、日本の朝鮮統治時代を体験している韓国人の年配者には、自然に受け止められる言葉だろう。小高氏は、東学思想と向き合うため現地を二度旅して現地を見てきたという。つまり、日本軍と戦った激戦地探査である。当地で出会った韓国の人たちの協力、支援によって完成した50枚の原稿・・・日本と欧米の侵略を退けて国の自立、自主をめざす民族独立の思想に立脚した東学革命思想は、江戸時代の農民一揆、島原の乱に比べられるかもしれない。かつて韓国の金大中大統領は「かつてアジアにも西洋にも劣らない人権思想と国民主権の思想があり伝統もあった」としてこの東学農民革命の運動を上げているのは示唆的だと、小高氏は言う。

・この運動で、韓国のジャンヌ・ダルクと言われた女性がいたことを私も初めて知った。彼女は最期に日本軍に捕まって厳しい拷問の末に獄死しているが、明治28年の日本の国民新聞でも取り上げられていたらしい。一番重要なことは、この農民戦争は日本の近現代歴史から抹殺されていることだ、と小高氏は言う。ここで詳細に紹介するスペースはないが、一読に値する研究ノートであった。

 郵便ー182-0035  調布市上石原3-54-3-210  北村隆志方
 

贈呈されてきた単行本・同人雑誌がたまってきた

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年 9月24日(土)03時33分45秒
返信・引用 編集済
  ・またも贈呈されてきた単行本・同人雑誌が手元に十数冊たまってます。
明日。明後日に旭川の「ときわ短歌」15周年記念大会を終えてのち、読破して「関東」掲示板に書評を書き込みます。旅行には数冊持参して列車の中で読破するつもりです。
いい作品に出会うと、旅行も楽しくなりますね。

・「人間像」「ザイン」「「海峡派」「文芸きなり」「中部ペン」「小樽詩話会」「海」「季刊午前」「弦」「じゅん文学」「法螺」「遠近」「山音文学」「コブタン」そのほか新刊本、詩集、歌集・・・20冊近くたまってしまったか・・・。

  ・気がつけば山積みとなる新刊本・同人雑誌読まねばならぬ   石塚 邦男


・雑誌送付は、以下に
      住所ー053-0011 苫小牧市末広町1-12-1-920  石塚方 根保 孝栄
 

「私人」(東京都)87、88、89号  根場至「119番」書けている老夫婦の心情、時代の色合いが出た櫻井邦雄「ロックの時代」 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2016年 9月18日(日)04時38分26秒
返信・引用 編集済
  ・「私人」という同人誌は会員も増えて、いつの間にか季刊発行になっている。指導者の尾高修也氏の指導がいいのと会員の意欲的な取り組みによるものだろう。

・87号では轟五郎「とあるデートレーダーの一日」が珍しい定年退職者の株式にどっぷりの生活ぶりを詳細に赤裸々に描いているところが今風で時代の一つの風俗的風景として印象に残った。特別小説として成功しているとは思えないが、時代を感じさせる批評的作品としても読めて愉快だった。

・88号では、えひらかんじ「ロシアンヒルの記憶」が印象に残っている。高校を中退してシスコに渡り、底辺の生活を体験する少年の話。

・さて89号だが、根場至「119番」は、自分もおぼつかないのに、ボケが進む妻を見守る生活・・という話は現代の世相を反映し、よくある話ながら、老夫婦の痛々しい心情が出ている。

・えひらかんじ「ビッグ・サー」は、留学生としてシスコのロシアンヒルの高台で生活していた頃の1958年、身元引受人のベルキュー氏とその娘さんとの交流の話を中心に、シスコの南にある「ビッグ・サー」という場所に行った時の思い出。人生は自力で切り拓くものと受け止めて懸命に生きるビッグ・サーの住民・・アメリカの実態に触れた体験であるが、味がある。

・松本佐保子「うまくやったわね」は、夫とマンション住まいをしている麻里子はおじの家が気に入っていて、遊びに行くごとにその家が自分のものになればいいな、なんて夢想している。おじの息子は医者で独身。どこかで知り合った超美人と付き合っているらしいが、30過ぎの年上でさして名のない専門学校出だという。おじもそれがやや気になっているらしい。だが麻里子は、美人で仕事ができるその女性が家に入ると自分は太刀打ちできなくなって自由に出入りしていた静かな生活が乱されるのではないかと不安に思い始めた。そして・・珍しい話ではないが女性の作者らしい自然な着想ながら、女心が出ている。

・佐倉六月「クラブ・マノン」は、公然の秘密になっている国際線の飛行機の高級乗客を相手に娼婦業をする女たちの秘密組織。クラブ員の寺澤知奈美は、客の指名を受けて相手をする仕事をしているが年下の恋人はいる。そんな女の内幕的な生活・・・という話。

・櫻井邦雄「ロックの時代」は、県立の進学高校に入ったはいいが、家族は転勤で自分だけが寮生活を始めることになった。その寮というのが、太平洋戦争で焼け残った時代物。安カーテンで仕切られた二人部屋生活。ところが、二年になって寮は廃止となることが決まり・・という話。時代は70年安保時代が終わり・・という頃、今度は下宿生活を始めた主人公・・。時代の雰囲気がよく書けている。

・池坂英子「小さな日常」は、「女はともかく男は下心なくして女とは会わない・・」という哲学や「毒入りの据え膳を食った男」の話などが出てくる別れた別れないという女性らしい視点の作品なのだが、ここを突き抜けた人生訓や文学性があれば、もっと高度に出来上がったろう。惜しい作品。

・以上のような作品が並ぶが、いずれの作品も事柄は器用に書けていて文章力もあるのだが、今ひとつ文学精神とは何かという基本的な姿勢が希薄なのが寂しい。文学性とは何か・・尾高氏の訓育に期待したい。

   ・発行人住所364-0035 埼玉県北本市本市高尾4-133 森由利子方  電話048-591-3940

  ・発行所住所163-0204 冬季用と新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル 朝日カルチャーセンター
 

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