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文学とは何かについて

 投稿者:管理人 iPad 282  投稿日:2017年12月24日(日)23時51分10秒
返信・引用 編集済
     このテーマについては、観念的に理屈でああだこうだいうより、具体的な作家を上げるのが最も説得的だろう。文学(者)とは、例えば梶井基次郎、をここではあげよう。かつての論稿から一部を掲出してみる。


  ・・・改めて梶井基次郎の諸作品を読み、感じさせられたのは、文字による表現がいかに人間やその周囲の自然、あるいは宇宙といったことまで巨細に描き分けることができるのか、といった驚きであり、またいかに、たとえばわれわれの幼年期の記憶にまで遡り、あるなつかしさを感じさせたか、であり、総じて文学表現というものが、人間の営みの中でいかに信頼のできる、われわれの生きる内実に即応しているかの、発見であった。

    まずある詩人の梶井讃の言葉を掲出したい。

      本質的な文学者                  萩原朔太郎
   日本の文学に対して、僕は常に或る満たされない不満を持って居た。それは僕の観念する「文学」が、日本の現存してゐる文学とどこか本質に於いて食ひちがつて居り、別種に属して居たからである。然るに梶井君の作品集「檸檬」を読み、始めて僕は、日本に於ける「文学」の実在観念を発見した。(中略)
   僕は考へる。文学の條件すべき要素は、単なる理智でもなく、観照でもなく、またもとより、単なる感覚や趣味でもない。文学の真の本質は、生への動物的な烈しい衝動(意志)に発足して居り、且つその意志が、対象に向って切り込むところの、本質の、比較解剖学的摘出でなければならない。(中略)
    梶井基次郎君は、日本の現文壇に於いては、稀に見る本質的文学者であった。

   この朔太郎の文章は、梶井没後に刊行されることになった全集(六蜂書房版・昭和9年、没後二年)の内容見本に載ったものであるが(新全集では別巻に所収)、こうした梶井文学の〈本質〉におりたった讃仰は、他にも見受けられる(管見では、小林秀雄、井上良雄など、戦後派では、『近代文学』同人であった佐々木基一など)。
                 「梶井基次郎  表現としてのメタファー  ー「ある心の風景」「冬の日」に即してー」
                                               (「群系」第15号 〈特集 梶井基次郎  珠玉の文学世界〉2002年より)

    いかにも朔太郎らしい言喩であるが、この朔太郎と基次郎との共鳴し合う時空間に、一つ文学なるものの表出が見られるのではあるまいか。
 
 

北朝鮮には、小林秀雄は生まれない。

 投稿者:管理人 iPad 961  投稿日:2017年12月22日(金)18時34分48秒
返信・引用 編集済
    北朝鮮のニュースが今世紀に入って引きも切らない。特にこの数年、金正恩という若造がトップになって以来、この国のマンガのような動向に、メディアも大国も振り回されている。やれ、核だミサイルだ、の核時代ゲームは前世紀で一応収拾がついたのではなかったか。この国のことを、嘲笑いながら、真摯な対応をする政治家やメディアは現れないものかー。
   不思議なのは、こんな小さな国に、アメリカを始め、日本も皆、振り回されていることである。GDPでいうと、日本の東北地方の一つの県の総生産しかない国に、振り回されている。いまの時代に、今さら核、大陸間弾道弾などといわれて、各国が右往左往している。これはどういう事態なのだ。アメリカが本気を出せば、赤子の手をひねるようなものではないか。
   確かに狡猾な北朝鮮は、ICBMだと言って、米国のどこかを核着弾の恐怖でもって、情勢を支配している。しかし、こんな話、危惧は前世紀のことではないか。今さら核の恐怖に怯え、子供じみたわがままをどうして許すのか。ことは、人道上の問題である。   北は、自国の安全を守ること、その手段が核であろうと、固有の権利だ、などとほざいているが、彼らがいう、「自国」とは、金正恩一派だけのことではないか。人道上の問題とは、核を向けられている国民、人びとのことをいうだけでない、北朝鮮内部の、彼の国の人民の人道上、今の金正恩政権は至って害悪だと言いたい。
    この数ヶ月、彼の国の漁船、イカ釣り船の、我が国への漂着がニュースとして流されていた。なんとも見すぼらしい木船で、多くの漁民がそこには乗っていた。皆、栄養状態もよくなく、さらにイカ釣りのノルマがあるという。漂着したからまだいいほうで、下手をすれば遭難・沈没も普通に考えられる。こういう厳しい労働条件のもとの労働、どうしてこれが労働者の国のものいえようか。中には実際遭難して遺体で発見された漁民も一、二の例ではない。彼らの労働条件、栄養状態の劣悪なこと、他国のことながら、義憤、同情の涙を禁じ得ない。
   驚くのはこうした末端の労働者のみならず、精鋭とされる兵士、特権階級とされる北朝鮮へいしにもこうした栄養状態の劣悪が見られたことだ。二、三ヶ月前の、38度線を超えてきた北の兵士、傷ついて南の介護を受けたが、ついに亡くなった彼の体から、なんと寄生虫がわんさと出てきたというではないか。我が国なら終戦直後の話だが、現代の21世紀の今日、精鋭と言われる兵士がこのざまである。
   怒りが湧いてくる。こんなバカな幼児的政権はいますぐにでも、転覆させるしかないではないか。脱北に失敗した人民、思想的に問題のあるもの、これらは皆、収容所送りだという。まるでナチスではないか。

   当方は、この国に自由はあるのか、特に学問や思想の自由は、と考えた。確かに技術的なこと、科学に関する探求・研究の自由はあろう。しかし、人文社会科学の自由はあるか。まったくもって、それは不毛の問いでさえあろうかと思ったのは、北朝鮮の国の内情をWikipediaで調べたときであった。なんと大学の名前に、金日成の名前を冠したものが数多くあるではないか。これでは、思想の自由、文学の営為は計れないと心底思ったことである。
     Wikipediaでの大学例
   金日成放送大学
   金日成軍事総合大学
   金日成政治大学
   金正日政治軍事大学
   金正淑海軍大学
   金日成総合大学
    地獄。知らないものは、そういう感覚もないであろうが、我が国のような国で文学に馴染んできたものにとっては、この国は地獄、でしかない。
 

芥川龍之介の死について

 投稿者:管理人 iPad 397  投稿日:2017年12月11日(月)20時48分26秒
返信・引用 編集済
     転換期の作家として、作品とその身ともに時代を表した作家として芥川龍之介はその第一に挙げられるであろう。明治以来、この国の近代という時代は繊細な個人に大きな犠牲をしいた。近代に抗って、二十代で夭折した、三人のT、として、北村透谷、石川啄木、小林多喜二をあげたのは、小田切秀雄であったが、確かにこれらの作家は、時代に先んじたその資質、世界観ゆえに自滅せざるを得なかった。だが、こうした明らかな犠牲に対して、芥川の場合は一見なんだかわからない自殺であった。本人も、「ぼんやりした不安」と。いっている。
   以来この芥川の死を巡って、多くの人が論じていったのは、周知のことであろう。当時代表的な見解としては、宮本顕治と小林秀雄のそれであろう。
   宮本は芥川の死を見て、その文学を「敗北の文学」とした。勃興する新しい勢力を目の前にみながら、結局それに与することなく自滅したことの謂いであったが、この勃興する勢力とは、大正期になって勢いを伸ばしてきたプロレタリア勢力であり、その文学活動であった。当時、この運動の勢いがどんなものであったか、というと、東大に新人会という左翼のサークルが出来、セツルメント活動に奉仕する学生も現れた。労働者はむろん、学生も無産政党に参画することが多くなってきた。この熱病のような左翼熱は、当時学生だった津島修治(太宰治)でさえ、「唯物弁証法は否定することの出来ない真理だ」としていたような具合だった。当の芥川も、その遺作となった「玄鶴山房」の最後に、リイプクネヒトを読む学生を配して、滅びゆく暗い山房の古い世代と対比したのであった。だが、結局、その勢力に自ら参画することなく、晩年を苦悩のうちに過ごした。宮本顕治はその芥川にむしろ同情的に、「芥川氏は自らのプチブルインテリゲンチャの苦悩を噛み締め誠実に羽搏いた」(要旨)とした。
   芥川の実像をむしろ冷静に裁断したのは小林秀雄であった。昭和四年の、「改造」懸賞論文に「様々な意匠」が二席で当選してデビューした小林は(一席は、宮本顕治「敗北の文学」)は、この喧しい喧騒のなか、舞台の正面切ってというより、自身言うように「搦め手から」登場した。この喧騒も様々ある考え方の一つに、すなわち「意匠」に過ぎないとしたのであった。小林は、「芥川龍之介の美神と宿命」でまず、彼の文学とその生を次のように裁断する。すなわち、芥川氏は人がみるような、理知の人ではなかった。その文学も神経でしかなかった。大正初期の作品から、昭和2年に死ぬ晩年まで、十年ばかりの彼の作品は、決して現実を理知の目で見据えたものではなかった。あくまでも、斜めから冷笑と皮肉を交えたものであった。よく言われるように、彼は逆説の人、でもなかった。逆説を弄するほど知的でもなかったー。
    実に辛辣であるが、いわゆる学校秀才・芥川をこのように言い切れたのは、小林ならではあろう。

   しかし、芥川の死は、時代の激動の中、後代のさまざまな人の気持ちを捉えた。何よりも同じ下町の中学の後輩・堀辰雄には大きな影響があった。「聖家族」は、芥川の死を聖なるものと捉えたものであろう。また、先の太宰治も、遠い津軽の地で芥川の死を知った。当時、「不在地主」など左翼文学を書いていた太宰はここから太宰らしい作品を書いてゆく。皆、自らに引き換えた捉え方をしていたが、同世代の問題として捉えたものに、昭和8年頃の、井上良雄の論考がある。さらに、同じ下町出身の吉本隆明にも、注目すべき論考があるが、またの機会にしたい。
 

「泡沫のキリスト」関谷雄孝作

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年12月10日(日)20時07分20秒
返信・引用 編集済
  掲示板小説第五弾「泡沫のキリスト」関谷雄孝作
開始いたしました。

http://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs/405


カプリチオ掲示板
http://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs
 

漱石の「女装趣味」について

 投稿者:管理人 iPad 428  投稿日:2017年12月 2日(土)01時32分29秒
返信・引用 編集済
     他の板からの引用で恐縮ですが、次のようにありました。

>漱石は「則天去私」などとカッコイイことをいいながら、女装癖があった、
あんな変態文学者の書くことなど研究するのもバカバカしいとか、女装癖のあった変態オヤジの漱石こそ本性で、明治帝の葬送の日の憂いを帯びた肖像の漱石など外面を装っているに過ぎないー。

  これを引用された方は、この意見に対して、たとえ女装趣味があったにせよ、それが漱石文学の本質ではなかろう、としています。

  この問題に関して、同人であった野口存彌氏は次のように言っています。

   『漱石の思ひ出』(妻・鏡子の著、1929年刊)に記録されている新婚当時の回想でやや奇異な印象を受けるのは、漱石について、
「一体自分でもきちんとしたなりをしてゐることの好きな人でした。又女のきれいな着物を着ることが好きで、私が脱いでおくとよくそれを羽織って、褄を取って見たりなんかして、家中歩き廻ったものでした」
と記している点である。漱石に女装趣味があったと判断することも可能である。しかし、それよりも結婚したことによって呼び覚まされた女性への関心の生々しさが、そのような行動をとらせたのdrはないかと考えるほうが妥当なのかもしれない。ー
     野口氏、「家族という他者と漱石ー「道草」と「漱石の思ひ出』から浮かび上がるもの」 ( 「群系」25号  漱石特集 に掲載)
2010年7月刊
 

堀辰雄という生き方

 投稿者:管理人 iPad 998  投稿日:2017年11月28日(火)21時28分23秒
返信・引用 編集済
    三島由紀夫の対極にいる作家は大江健三郎かと思っていたが、それは政治的な立場、戦後という空間に対する立場からのみいえるのであって、作家の個人的なありよう、文学的スタンスからいえば、案外堀辰雄などがそれにそうとうするのではないか。三島は国家とか民族にこだわったが、堀はそういうことへの関心よりもっぱらじぶんのこと、自分と身近な人の生をのみ考えていたように思う。三島がボディビルなどをやって、身体の強健をはかろうとしたが、堀辰雄にとってはそんなことは思いいたることもなく、結核の療養に日々を費やした。
   おそらく、彼らの読者もお互い、疎隔というか、言えば好きではなかったろう。三島の読者は、堀の生活態度から女々しいとか、弱々しいと思うだろうし、堀の読者もからすれば、三島の鍛えた筋肉すらおぞましく、その政治的主張に対してはほとんど発言もしたくないだろう。それぞれの立場はそれぞれあるのであって、それは容喙する立場にはない。

   だが堀にしてみれば好きで肺結核になったわけではむろんなく、サナトリウムの療養生活も仕方なくそうせざるを得なかった。当時の医療水準と合わせて、彼の人生、生き方は宿命、というしかないだろう。そしてその上で覚悟を決めた彼の人生、生がどういうものであったか、そこが問題である。宿命の中で、自らの生を輝くものにしたい、痛々しいがそこに彼と彼の許嫁の生があった。
   矢野綾子は、たった25歳でその生を閉じている。数少ない彼女の写真をいま見ると、いかにも堀が好きそうな、上品で、凛としたその目と帽子が束の間の生のポートレイトをなしている。二人の、二人だけの、かそけき営み、それを国家や民族を考えていないエゴチストとどうして断ずることが出来ようか。
 

同人雑誌評は「全国文芸同人誌の掲示板」にアップしております

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月23日(木)19時46分17秒
返信・引用
  httpは以下に。

     http://6928.teacup.com/377612377612/bbs

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

たまには、純情画像も。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年11月 9日(木)21時08分45秒
返信・引用 編集済
  https://m.youtube.com/watch?v=Znt84EAxU-Q  本間千代子

https://m.youtube.com/watch?v=9cVRyDnpm0o  キューポラのある街


https://www.youtube.com/watch?v=iP1IZUrpd3M     同   名カット集

https://m.youtube.com/watch?v=aDl-Uqf37RE  二人の銀座

https://m.youtube.com/watch?v=DHMy6WJLyFE  教育映画六人姉妹

https://m.youtube.com/watch?v=Z1dUUVohy2s  ルルの歌

https://www.youtube.com/watch?v=e2vkuDPLqYo&app=desktop     里の秋

https://www.youtube.com/watch?v=pbAHB49R1C8&app=desktop     川田正子
 

ネコ界の策略家ども 167

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年11月 8日(水)10時40分37秒
返信・引用 編集済
     大人気のネコくん、今度は世界の指導者に成り代わって登場です!

ネコ界のトランプ     「アメリカ第一、ネコ第一!うちらのミサイル買ってくれれば、北なんて一発にゃ、イエイ!」
ネコ界の習近平        「国内の権力基盤も固まったし、さあ来い、トランプ!土産に美味しい鰹節、たっぷりやるにゃ」
ネコ界の金正恩        「へっ、アメリカなんか何ぞのもんにゃ。うちらの核・ミサイルは米国ネコ民の恐怖になっとる」
      しかし、この三匹は、皆太ってますな。アジやサンマ、たっぷり食って、腹デブになったのね。
      しかし、うちらネコが出なくとも、こいつらのキャラは人間でも十分ですニャア。
ネコ界のプーチン     「おいおい、俺を忘れにゃ。北の策略家、実力者プーチン様だぞ。鰹節の分け前は均等ににゃ」
      しかし、世界のその他の政治家は、安倍クンも含めいまいちキャラ不足だにゃ。昔は、フセインだの、カダフィだの、ウサマ・ビン=ラディンなど、いたのに。奢れるものは、風の前の塵、か。おいらも、注意せんとあかんにゃ。
    というわけで、ネコ様は、策略家は辞めて、のんびり、平和主義者になったのでした!  オソマツ!
      
 

人気のネコ様、再登場!

 投稿者:管理人 iPad 853  投稿日:2017年11月 5日(日)12時06分2秒
返信・引用 編集済
     最近、SNS界で、評判・人気のネコ様、今一度、登場願いましょう!
                                                                              ピー。フイー、やんややんや、フットライト!

正義のネコ(人のものは掠め取らない)。            目の前で堂々といただく。
律儀なネコ(飼った恩は忘れず、元主人に会えば、挨拶する)。     ゴッっちゃんす。いえーっ!
弱いものを苛めないネコ(逃げ回る小動物を他のネコから守ってやる)。   あんさん、勘弁してやっておくんない。
魚を食べないネコ(菜食主義)。    最近、小骨がひっかるのね。ネコのくせに、俺、繊細なのね。
家庭教師ネコ(飼い主の宿題を解いてやる)。 おめえ、こんなのもわかんのけえ、バカっか。
留守番ネコ(留守番電話の替わりに応答してくれる)。 おかけになった電話番号は現在使われておりまん。番号をお確かめになってもう一度お掛け直しください。
風邪をひくネコ(マスクをかけてる)。    顔、見られたくないんでね(最近こういうマスク流行っているのよ)。
点滴をしているネコ(蒲柳の質でね)。    点滴してるって、ちょっと繊細で上品じゃない。
リポビタンDを欠かさないネコ(主人の習慣が移った)。  これ、適度に甘くて美味しい。炭酸でないのがいいにゃ
義理と人情の侠客ネコ(任侠道を一人行く)。 ネコ界の高倉健。
思いやりのあるネコ(他の立場にたって、物事を考えられる)。ネコ界の安倍晋三。      冗談きつい。
 

ネコからの反論

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年11月 4日(土)20時22分59秒
返信・引用 編集済
  〉しかし、現実のネコは無責任で、自分勝手で、他人の都合も考えず、弱いものにはすぐ手を出し容赦ない。強い者からはすぐ逃げる。食べ物をねだるときは、ニャオ~、と媚びて、意地汚く食べて、その後始末もろくにしない(し、顧みない)。正義の観念のかけらもなく、平等、人権の考えの一くさりもない。自分さえよければ、という典型。ろくな働きもせず(就労意欲が皆無)、毎日ぶらぶら、かといって勉強に励むわけでもない。これといって趣味もなく日がな、のんびり、ぐうたら、している。

   この意見に対して、愛猫家の方は、憤り心頭で、ネコに成り代わって以下のような反論をよせてきています。

  ネコは「無責任」で「自分勝手」で「他人の都合も考えず」というが、いったい一匹の猫が誰にどう「責任」をとるのか、「自分勝手」も一匹で生きているのだから仕方ない。「他人の都合」も、一匹のネコの頭にはお互い、ない。
「弱いものにはすぐ手を出し」「強い者からはすぐ逃げる」ー。これは弱肉強食の世界を生きるからには必須の鉄則。「食べ物をねだるときは、ニャオ~、と媚びて」ー。これも餌を手っ取り早く取るためには合理的なこと。「意地汚く食べて」「後始末もろくにしない」ー。食べたらさっさとその場を去るのが、厳しい世の中を渡る身にとって当たり前。すなわち、彼には生存原理の合法則性があるのだ。

「正義の観念のかけらもなく」「平等、人権の考えの一くさりもない」ー。ネコにとっては、自分がきちんと生きているのが正義。正しく生きていれば、自ずから皆と平等、人権(ネコ権)に配慮していることになるのです、
「自分さえよければ」ー自分がよければ、自ずと皆のためになる、この自己存立が世界の平和につながる、彼らネコぞくの至高の生存原理ーなのです。わかるかなあ、この弁証法が。
「ろくな働きもせず」「就労意欲が皆無」「毎日ぶらぶら」ー。繰り返しますが、彼らネコ族にとっては、生きていることが、労働、就労なんですよ。
「勉強に励むわけでもない。これといって趣味もなく」ー。ネコにとって、生きること、日々の生活が、それが勉強であり、いわば人間のいう趣味にもあたるのでげす。
 

ネコの勝手さ

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年11月 3日(金)15時14分10秒
返信・引用 編集済
   本質を逆手にとった形容はおもしろいですよ。過去ログ(2009・2・8)からのコピペ紹介です。144554

 例えば、責任感のあるネコ。 媚びないイヌ。  太ったサンマ(魚の)。 痩せたブタ。 羊毛のない羊(キモイ)。角のない牛。 猪突猛進しない温和な猪。 美しいゴキブリ。 クビの短いキリン。 鼻の短い(普通な)ゾウ。 飛ばない鳥(これはざらにいるか)。

 さらに、動物以外に目を向けると―、

 やわらかいダイアモンド。 硬い豆腐。 熱い氷(摂氏80度)。 むさくるしいそよ風。 晴天の雨。 暑くない赤道。 寒くない北極―この辺になると、笑えないですね。

 さらに皮肉交じりではー。

 誠実な政治家。 まじめな社保庁職員。 責任感ある区職員。 親身な指導の巨大予備校。 勉強をする大学生。 大人の言いつけをきちんと守る小学生。 携帯を手にしない若者。 電車内で化粧をしないOL。 漫画を見ないビジネスマン。 漫画を見ない首相。 岩波新書を携帯する大学生。 文学にあつい若者。
―こうした言い方だと、年寄りの説教みたいですね。
 (しかし、昭和はよかった)。

 しかし、何といってもおもしろい主役はネコ。ネコへの形容です。

 正義のネコ(人のものは掠め取らない)。 律儀なネコ(飼った恩は忘れず、元主人に会えば、挨拶する)。 弱いものを苛めないネコ(逃げ回る小動物を追いかけない。むしろ他のネコから守ってやる)。 魚を食べないネコ(菜食主義)。 家庭教師ネコ(飼い主の宿題を解いてやる)。 留守番ネコ(留守番電話の替わりに応答してくれる)。 風邪をひくネコ(マスクをかけてる)。 点滴をしているネコ(蒲柳の質でね)。 リポビタンDを欠かさないネコ(主人の習慣が移った)。 義理と人情の侠客ネコ(任侠道を一人行く)。 思いやりのあるネコ(他の立場にたって、物事を考えられる)。

 しかし、現実のネコは無責任で、自分勝手で、他人の都合も考えず、弱いものにはすぐ手を出し容赦ない。強い者からはすぐ逃げる。食べ物をねだるときは、ニャオ~、と媚びて、意地汚く食べて、その後始末もろくにしない(し、顧みない)。正義の観念のかけらもなく、平等、人権の考えの一くさりもない。自分さえよければ、という典型。ろくな働きもせず(就労意欲が皆無)、毎日ぶらぶら、かといって勉強に励むわけでもない。これといって趣味もなく日がな、のんびり、ぐうたら、している。
 (でも、こういうタイプ、どっか人間にもいるのでは)。
 だから格言。「食べたあと、すぐ横になるとウシになっちゃうよ」 ではなく→「ぶらぶら横になってばかりいるとネコになっちゃうよ」


 あ、きょう日曜のサンデープロジェクトに、内田誠さんが出ます(〝派遣〟の問題。先週の続編)。10ch、TV朝日。
 

掲示板へのエネルギー

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月25日(水)09時36分1秒
返信・引用
    でも、根保さんのエネルギーはどこから生まれるのでしょう。
   ただ、何か書く、適当な文章で掲示板を埋める、ということでは、小生もふくめ、どなたもやれることでしょう。自分のこと、自分の好きなこと、得意な分野を書けばいいのですからね。
   でも、他人のこと、人の作品をあげつらうとのなると、別のエネルギー、力量が必要になります。まず、そうした作品をよむこと、読もうという気持ちはなまじっかなものではないと思います。

    僕らがなぜ文学をやるか、というと好きだからですが、しかしそれは、漱石や芥川や堀辰雄や太宰治など、好きな作家さん相手だからであって、じぶんの好みのものでない作家は当然読むわけはない。ハードボイルドだと言って大藪春彦を当職が読むわけはない。推理小説でも冒険小説でも、好きな人はそれが趣味なのだからそれでよい。だが、僕らが文学に求めるのはそういうことではない。今更だが、生きることの意味、感触を得たいのだし、自分が何を求めて居て、どういう時代の、どういう場所になじみを感じるのか、知りたいのだ。いわば、生のありかを確認したいのですね。
   単に、おれはこんなに書けるのだぞ、とか、おれの才能をみてみよ、みたいな自己顕示は、歳も歳、自分の関心ではない。若い人は、自分が何者かの、自分探しゲームの一つとして、自己の才能を発見したら、それで一つの満足を得たらそれでよかろう。これは、自分の美貌を改めて発見し、恍惚となる経験と同断だろう(が不幸にして、多くの人にそうした恍惚は現れない?)。
   好きで読むのではない作品批評、作品をダシにして自分を語る手の、作品評は、多くの同人誌の諸子にはイマイチかも。ま、それでもないよりはいいかな。

 

「群系」の次号楽しみにしてます

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月25日(水)04時57分46秒
返信・引用
  選挙も終わりましたので、そのうち「群系」の作品をホームグラウンドで感想書き継ぐ予定でいます。手元に同人雑誌十数誌溜まってますので、その合間に感想やるつもりでいますので、ご容赦を。

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

あ、たまには泊まりがけで。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月24日(火)18時57分28秒
返信・引用 編集済
    あ、存じ上げています。
  根保さんは、相変わらず、旺盛な筆力で感心しています。
  マイホーム、出来ましたが、時には泊まりがけでよそにもおいで下さい
  マイホームのリンクがあると、今度は人々もお宅へおじゃますることになります。
  よろしく、ね。
  
 

管理人さんへ・・・マイホームができましたので・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月24日(火)15時49分10秒
返信・引用
  ・必要連絡事項以外は書き込みする時間もありません。
ホームグラウンドを立ち上げましたので、
書き込みはそちらでやりますので、悪しからず・・・

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

大政翼賛会の民主主義

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月23日(月)17時47分19秒
返信・引用 編集済
     帰宅途中に、朝日夕刊と日刊ゲンダイを購入した。朝日の見出し、「自公3分の2、首相続投」、対して、ゲンダイは「自公3分の2、改憲大政翼賛会」とあった。単に首相続投だけでなく、問題の本質を大手メディアは書けないでいる。この絶対的多数の獲得は、黙れ、下民!の大政翼賛会ではないのか。
   自由にものをいえない、正論を言おうにも、右顧左眄、上の顔色をうかがうようになれば、より民意を反映した意見など出なくなろう。もはや、このことは、国家社会のその前の職場でなされ、皆窮屈な思いに駆られつつあろう。それでも以前なら職場を変えるなどできたろう。しかし、これからはどこへ行っても上意下達の、一方的な命令が支配することになるやもしれぬ。
   それでもこの国は、多少過去の経験の、いわば免疫があるからよかろう。北朝鮮なんか、民意どころか、民主主義の経験がないものだから、少しでも意見が異なったり、抗弁しようものなら、抹殺がまっている。
   いま、そんなには未熟でないはずのこの文明国でも、本当の民主主義とはどういうものか、問われつつあろう。
 

自由な意見交換の場として、またどうぞ。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月23日(月)16時28分21秒
返信・引用 編集済
    この掲示板の有効利用を考えましょう。
   本来なら、この板は、文藝思潮誌主催の、関東の同人誌の作品について論じようということで設置されたのですが、そう何度も同人誌の交流会を開けるものではなし、なかなか書くにことかくときもありましょう。でもやはり閲覧者があるかぎり、自由な意見交換の場となるのが望ましいですね。
   題材・テーマはなんでもよく、文学だけでなくても、いいとおもいます。たまたま選挙があった直後なんですから、現代の日本社会のおかしさを、どんどん自由に言ったらいいと思います。

  自由な物言いの場、これこそ今まで人類が望んできたものではないでしょうか。せいぜい、その恩典を利用しようじゃありませんか。
   いちおう、設置者としての当方の名前を明かしておきますと、小生は、群系発行人の永野悟です。
根保さん、またよしくです。
 

「同人雑誌」の感想書いてあると、書き手は時間を置いても何度も読み返すもの

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月23日(月)14時44分49秒
返信・引用 編集済
  ・管理人さん、閉鎖することはやめてほしいものです。
感想や評は読み返されるものです。

・多分、今でも少なくても毎日、60、70人はアクセスしているはずです。

http://6909.teacup.com/nebo/bbs

 

閲覧される権利

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月23日(月)09時36分28秒
返信・引用 編集済
    民主主義とは、言いたいことが自由に言えること。
  そのためのこうした掲示板は、ネット社会の、賜物だ。
  しかし、そこにはもう一つ、大事な要素がある。
  それは、閲覧者がいることだ。
  言論の自由とは、言うことと、それが皆のもとに届いている、物的な保障も不可欠なことだ。
それこそ、閲覧される権利を言うのだろう。

http://www.sanspo.com/shakai/election2017/giseki.html

 

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