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“風景” 木原能子/『駅』№110

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 5月16日(火)14時43分57秒
返信・引用 編集済
  何ということのない平凡な庭を描いた詩でありながら、ハッと気づかされる詩である。

“トカゲ

死んでいる

私の小さな庭の
うす暗がりの
黒い
土の面に
肢体を
投げ出し
息絶えている

トカゲ

トカゲとして
立派に
乾き
ちぢんで
屍の
風景を
獲得している

うつろな
うす暗がりの
寂寥に
戦き
そして。”

作者の眺めている庭に転がっているトカゲの屍が、奇妙な形で語られるとき、すなわちトカゲが自分の死の風景を獲得したという記述が輝いている。
死んでしまってどうどうと(「立派に」)死を主張して、それが見慣れた「私」の庭の一隅においてひとつの風景として「獲得している」とした文章は魅力的だ。読後に、ひと隅がつまり一片が全体の風景となりゆき、眼前に展開している死んだ当事者(トカゲ)が自分の屍と相対峙している事態になる。

わたしは、トカゲは長年「私」の庭に生息し、「私」の哀願の対象であったと想像した。とするならば、のっぴきならぬ存在の、他者の死は「私」の眼の前で死の風景と化すのは普通の感情なり直観ではないだろうか。
横たわる命の無い形姿を見るとき、のっぴきならなかった死者は愛惜とか悲しみを越えた喪失の一般性に至る。そのとき、一気に死者は石のように庭に転がっているのを「私」は見てしまう。するとその死者は「私」の固有をはみ出て一般性に至るのだ。死を獲得する、死を得るとは、そういう拡張的な意味があると思う。拡張していつもの庭の風景に紛れていってしまうことになる。

似たような表現ではE・ユンガーの代表作『鋼鐵の嵐の中で』にある表現。時は第一次世界大戦、フランスの領土内でイギリス軍と激しい攻防をしているさなかに、主人公の若いドイツ将校が弾丸の飛び交う中、退却途中で爆撃孔に飛び込み助かる場面がある。やや戦闘が収まって、僚友たちが助けに来たとき、ユンガーは彼らは「私の死体を引き取りに来た」、と表現した。英訳では to carry my body back。「死んだ私」をではなく、たんにmy badyと書かれてある。死体として認識している主人公の視線は、トカゲが死と相対峙している獲得という視線は、「戦闘死」そして「庭」と言う平凡な風景という一般性を表現する。その一般性において、詩は冷静になり混乱を鎮める。
(ユンガーは冷徹な視線を持つ作家である。)

木原氏はエッセイでも名文家であり、詩において、その巧さを背後に、読み飛ばせない詩行を連ねる詩人だな、とつくづく思う。
 
 

日本語の特性・・口語と文語  辞世の一句、一首くらいは残してほしい

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月15日(月)00時16分0秒
返信・引用 編集済
  ・昭和の初めまで、軍人は言うに及ばず、文士やジャーナリストたち文筆を生業にしていた者はなべて俳句のひとひねりは当然教養として身に着けていたし、万一命を落とすことがあってもいいように、覚悟を決めて俳句、短歌の辞世の一句、辞世の一首を懐にして世を渡っていたものだ。

・ところが、最近の物書きたちは、一句一首も作れない。作ったことがない。日本語を操ることを生業にしている小説家、詩人、ジャーナリストでさえ、一句一首を作れないありさまなのだから、日本語がダメになるのも仕方ないか。日本語の劣化は、こんなところにも崖の地層の断面のようにくっきり顔を出している。話し言葉の口語は、意味が伝われば目的を達するので、「おい」「何だ」という具合に、基本は問いと応えで成り立っていて、微妙な心理の綾などはなく、いわゆる散文的だ。泣き笑いの喜怒哀楽心理の綾は、対面の表情で補えばいいからだ。

・古語の文語は手紙文として発達してきたものであるから、見えない相手にこちらの喜怒哀楽の感情を伝える手段。スマホも携帯も写真もない時代。感情を相手に伝える伝達手段として発達したのは当然だったろう。

・昔の文語は余情、余韻を伝える手段としては、世界に誇れる言語であろう。しかし、現代では文語は死語に近い扱いになっていて、英語、中国語は堪能だが、日本の伝統文語は見知らぬ外国語みたいな扱いになってきているのは、ちょっぴり寂しい。

・せめて、小説家や詩人、ジャーナリスト、放送関係者くらいは日本人の証し、たしなみとして、上手、下手は別にして辞世の短歌、俳句くらいは常日頃懐にしていたいものだ。

  ・幽玄の桜吹雪を北国にまとめてくだる花の筏よ   石塚 邦男

 

「響」23号(苫小牧市)① 野沢透子「シニアハッピネス」初めて男性の目線で描いた挑戦姿勢は買えるが・・・、一読巧みに読めるが悪乗りした漫才・落語的な作風は泉玄冬「夫婦坂」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月12日(金)20時51分47秒
返信・引用 編集済
  ・会の名は「いずみ同人会」。月一回の学習会を例会として継続しているのがメインで、年一回学習会の集積として「響」を発刊している。今号は例年の二倍の200頁を超え会員の奮起があったのか。作品にも気合の入った作品も増えて、結果を怖れず挑戦する姿勢が見え、全体的には好感を持った。しかし、ありきたりに誉め言葉でしめくくるには、少々問題がある作品も見られるので、今回は問題点を多角的に指摘してみたい。ただし、この場で深掘りする作品は、ある程度の水準に達している作品であって、初歩的な作品については触れない。初歩的なありきたりの作品については会の中で討議されるものであろう。

・また、作品の感想批評では筋書きを簡単でも紹介するのが礼儀なのだが、要領のいい筋書き紹介の典型も以下にお見せしたい。要領のいい筋書き紹介も表現技術の問題なのだ。下手な評者は筋書き紹介もろくにできず、できても下手なものである。

・今号は小説(創作)六編。
・野沢透子「シニアハッピネス」は、この作者が初めて男性の主人公を設定して、その目線から物語が進行する作品に挑戦したもの。作者は長く詩を書いてきたが、十年ほど前から小説に挑戦、私小説的な作風を数編書いて小説のイロハを学んだ後の男性を主人公にした今回の作品はどうだろうか。
・長患い後に亡くなった妻の三回忌の法事をすませて、肩の荷をおろした実雄は65歳。友人が婚活の集まりに出入りし、生き生きしているのを見聞きするにつけ心が動き、紹介された「シニアハッピネスセミナー」に入会、59歳だという富沙絵と知り合う。和服姿に見惚れて付き合うようになった。何度か会っているうちに思い切って求婚したが、「時間が欲しい」と言われお預けになるうち、借金の申し入れを受けた。結婚すれば同じ釜の飯か、とついつい小刻みに貸しているうちに五百万円の額になってしまった。さすが不安になって催促すると、思いもかけず二百万円だけポンと返してくれた。疑ったのは考えすぎだったかと気を良くした実雄は彼女を自宅に誘ったところ、意外にもOKしてくれた。

 彼女は台所に立って珍しい料理を作ってくれて、二人が機嫌よくビールを飲んでいたさなか、突如彼女は苦しみだした。驚いた実雄は救急車を呼び病院へ連れて行き手当を受けさせた。書類には患者の友人と書いたものの、心細くなって長女に電話、来てもらい富沙絵の家族に連絡しようとしたが、バッグの中の健康保険を見ると名前も違い年齢は六十九歳となっている。彼女の持っていた手帳を開いてみても婚活の会員の住所がかいてあるだけ。入っていた預金通帳も見知らぬ女の名義・・これは一体どうしたわけか・・というありさまで謎の女であることが次第に明らかになり、ついに夫がいることが判明する・・・という詐欺まがいの謎の女に翻弄された結婚願望の老年男の次第・・。

 この作者が男性の目線から書いた作品は初めてで、その挑戦意欲は買えるし一読、丁寧に描いてはいるものの、内容は全国の同人雑誌によくある今はやりの話で、気合を入れて書かれた小説のメーンテーマ‐にしては新鮮味に乏しい。平凡な素材でも独自の人生観や社会批評眼で書かれているならそれはそれで秀作に仕上がるものだが、そこまでの力量を望むのは酷だとしても、せめて個性を際立たせた作品に仕上げるとなると、婚活をエサに体よく騙される男の哀れさを深掘りしなくては異色の作品にはなりきらない。
 ここはもう一歩大胆にコケテッシュにギャグめいた切れのある皮肉な筆筋で描く人間批評、時代批評的内容の色付けをしたかった。佳境にはいるまでの前半が丁寧に書き過ぎてか冗漫で退屈。ここは要領よくはっしょり、詐欺まがいの疑いあたりからの主人公の男の心理描写の揺れに力を入れる構成にすべきだったろう。

 この作品で作者が訴えたいところは何なのか、それを明確にして小説としての山場の取り方を考えたい。筋書きから言って、男の単純さ、女の狡猾さと哀れを描き切れるかどうかが、小説の成否を分けることになるか。

・泉玄冬「夫婦坂」は、いつも酒酔い運転しては捕まる常習犯の夫。酔っては家に友達を連れ込んで女房の私に愛想をつかされている夫。妻から観て単純に行動する夫の保夫に悩まされる妻。その妻の目線から小説は進行する構成を選択し、男性作家が妻の立場で描いた内容は、先の女性作家が男性の目線で書き進む手法の野沢透子の作品と真逆の視点選択の作品。男性作家は女性を書けなくては作家とは言えない・・そして、女性作家は男性を書けなければ女流とは言えないという世界への挑戦とも見える冒険か。
 夫の保夫は勤めていた会社の社長と折り合いが悪く、自動車クリーニングの会社を立ち上げ、妻も協力して何とか軌道に乗せ、会社は順調になるが、そのうち夫の保夫は会社の女の子との仲を周囲に疑われたり、妻の目線から姑のこと、子供のことをコミカルタッチで描いていて、一読、筋書きだけ読めば巧妙な作りに見えはするが、ついに夫の保夫は病気になり・・・という結末は「夫婦坂」という題名にはふさわしいものの、良くある漫才、落語的な古い筆筋と言われる誹りは免れまい。

 八さん熊さん的古い落語的、漫才的オチの連続だけでは文学にはならない。同じ漫才、落語風でも、開高健の「太った」「笑われた」などの一連の作品のギャグと笑いのごとき知的な新派の切り口の文体と構成でなくては通俗作品としても通用しないということだろう。例えば「私を丸裸にして寝室に運び、交わろうとするのです。しかし、あまりにも酔っているので、肝心のものが立ちません」とか「連れだってラブホテルに入り、いざことに及ぼうとしたとき、肝心なものが役に立たず、情熱をもてあました美由紀が狂ったように怒りだし・・」なんて描写は、事実がそうだとしても、このリアリズムは漫画にもならないありきたりの良くあるワンパターンの場面描写で、同じリアリズム描写でも書きようがもう少しあったろうと作者の文学的品格とセンスを疑いたくなる。

 色々部分的に瑕疵があっても目をつむってリアリズム文学と半ば認めたいところも、こういう通俗的描写に出合うと、うんざりしてやれやれと溜息が出てしまう。戦後のカストリ小説によくあったカビの生えたありきたりの描写みたいで、何でこのような書き方をしなくてはならないのか、作者の創作意図の理解に苦しむのである。

 面白がって書いているのは作者だけで、読む方は面白くも可笑しくもなく退屈なだけであることを肝に銘じることだろう。作品を手がける限り読者をバカにして書いてはならない。この作品は、作者が悪乗りし過ぎたゆえの結果というべきか。この作品を小説として自立させるには、全編を流れる人生の哀感のペーソスの色合いをバックミュージックのように流す構成が欲しい。この作品にはそうした立体的構成の意図が見えないただの平面描写で終わっている大きな欠点がある。

・男性作家は女を書けなければ一人前の作家ではない。また女流作家は男を書けなければ一人前の女流とは言えない・・ここに挑戦した野沢透子と泉玄冬だったが、結論を言えば、良い線は行ってはいるが、私が縷々述べて来たように小説の愛読者からは好みも交えて蛇足の注文は色々あるのは仕方ないことで、これに懲りず新境地開拓の挑戦姿勢を貫き通していただきたい。次作に期待して注目したいお二人である。

  ・残り花哀れ地に落ち散り敷けば幼な童の聴く子守歌  石塚 邦男

・053-0047 苫小牧市泉町1-3-16 榎戸克美方 「いずみ同人会」
                     電話faxー0144-35-024

 

1983年・・・反戦ルポ「青春のブラックホール」出口富美子作のベストセラーの仕掛け人だったが・・・社内の反対を押し切って連載に踏み切った結果・・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月12日(金)07時07分22秒
返信・引用 編集済
  ・再婚したため、姉の下で育った長男坊が自衛隊に入隊したと聞いて、母親の出口さんは日頃心配していた。そんな折にフランスは自国の植民地の紛争処理に自国の軍隊を使わず、世界から食うに困っているならず者を集めて訓練し、危険な紛争地帯に派遣する「外人部隊」を編成していたが、ここに日本人の青年が二、三入隊していることが噂になり、日本国内で問題になっていた頃・・・

・出口さんは、当時私より二つ下のまだ三十代半ばだったが、三歳にもならない末の子を連れて、二十代のカメラマンを自費で雇い真相究明の旅に出る・・幼い子の手を引いてフランスからアルジェリアと旅し、外人部隊の実態を取材する一月半の旅・・・この手書きの書きなぐり粗原稿を私が若干手をそえて苫小牧民報・千歳民報に金曜版一回二十枚のルポ小説三百枚に仕立て上げ「外人部隊」の題目で掲載した。連載後、これを読んだ講談社の女性編集者が注目して出版の労をとって会社も決意、後追い取材のバックアップをして完成したのが「青春のブラックホール」のルポであった。彼女の取材には、講談社、北海道新聞、読売新聞の記者たちのバックアップと助言、画家の遠藤未満の弟の子であるパリ留学中の青年画家・遠藤力君らの献身的な援助を得て、彼女はついに目的を達したのであった。今にして思えば、彼女は不思議な女性で、周りがいつしか手を貸したくなる魅力を持っていた存在であった。そんな彼女の魅力も、この取材を成功に導いた大きな要因であったろう。

・この取材旅行で彼女は当時の金で200万円ほど費やし、嫁ぎ先の老舗(映画館二館、喫茶店を含む高級クラブ五店の入居するテナントビル経営、ふとん店経営)の縁者に「悪妻」と言われて糾弾され、とうとう夫からも「出て行け」と見放されて離縁の憂き目にあっているが、彼女を狂気の行動に駆り立てたものは、若者を戦場に送ってはならないという母性本能の「反戦思想」であった。千歳・恵庭の自衛隊基地を抱える新聞の性格からいって、この作品の新聞掲載決定には、私もかなりの勇気ある決断が必要だったが、掲載決定に社内の猛反対を押し切って踏み切ったのは、彼女の母親としての情熱に感動したからだった。

・編集後記に出口さんは次のように書いている。

「ま、一生懸命やったんだ。このページはお前さんにくれてやるよ。好きなように書いてみろよ。おれは良い仕事だと思っているよ。けど、一般受けは無理だろうなあ。なあに、これを載せたからって購読部数が減ることはないだろうよ」活字にしてくれと泣きついた時、苫小牧民報社のĪ氏(根保・石塚)はそう言って笑った・・・。

・要するに、自衛隊の取材など便宜をはからった私が仕掛け人の元凶だったのだが、この「青春のブラックホール」は、十五万部のベストセラーになり、講談社も儲け、作者にも印税が入り、私も編集者として面目を保ち三十代にして部長昇格を果たしメデタシメデタシとなったのである。

  ・仕掛けたる劇画のごときフランスの外人部隊を取材す母子は   石塚 邦男
 

感謝!

 投稿者:kaikyoha  投稿日:2017年 5月10日(水)22時54分34秒
返信・引用
  根保様 「海峡派」138号、139号の丁寧な批評をありがとうございました。いつもしっかり読んで細かい部分までご指摘くださり、感謝しています。またがんばろう、と励みになります。
青江由紀夫さんと根保さんとはご学友だったのですね。それはそれは・・・ご縁を感じます。銀ちゃんがお亡くなりになったことは、「海峡派」同人にとって、とてもショックで悲しいことでした。そうです、ずっと生原稿でしたよ。銀ちゃんのいなくなった寂しさも根保さんと分かち合えてよかったです。
ありがとうございました。
 

“符号” 間島康子/『駅』№110

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 5月 9日(火)14時03分28秒
返信・引用 編集済
  “この小さき子らの
やわらかなふくらみのどこかに
わたくしがいる

まるで
こことそこの
離れた距離のように
あえかに霞んだ
認証ではあるが

父と母から渡された
あれこれの中から
娘らに継がれたものは
私らとは別の土壌で
育ち広がり

さざめきの坩堝から
違う香りと結び合い
また新たな子らを生んだ

私の血は遠く行った

祖父母と呼ばれ
孫と呼ぶ
そこには遠く行く
生き物の一片の符号が
やすやすと流れている”

記号でなく「符号」を用いた意図を思えば、記号の語の一般性という広がりを限定するということ、つまり、+と-、♭と♯など、作品全体に加えるアクセントを感じさせる。符丁と言い符合といい”符”の与えるアクセントとはなんだろう。私はそこに何かしらの「一致」を思う。
ドレミフアソラシドの音階が符号でかすかに変化して、数の絶対性が符号で揺籃するとき、人であれ人以外の生き物であれ、一貫性や不変性を目指すものではないかと思う、無意識に。初めから終わりまで変わらないということ。「私」がいてその主体は産んでくれた「親」から譲り受けたものであり、そして「子」へ伝えるものであるという一貫して変わらないこと。どう疑ってみてもそれは真実である。その三者がどのように生きて死ぬかに人生の彩と固有の重みがあるにしても、言わば、精神の遺伝子は真実として疑うことはできない。

“私の血は遠く行った”

この要の一行は、揺籃していく事態を根底から無言で支える感想である。血の流れは永遠に続けられるか、区切りをつけて回文のように再び現出するのか。どっちにしても人と人以外の生き物は、不連続(死)と連続(誕生)の繰り返しながら受け継がれていく(G・バタイユ、『エロティシズム』)のである。「遠く行く」のだ。
命とは何か、という古来から考え抜かれた命題は、この真実のほかに答えは無い。あるとすれば「私」が「孫」を見つめる愛、「親」になった「子」への愛、そして「私」の「親」を想起する愛のほかにない。この詩はその不滅を静かに訴えているように感じた。
 

「海峡派」139号(北九州市) あの世から夫に感謝する独り語りの味は若窪美恵「吹く風のように」、冥界から見下ろす労りの目線は田原明子「楠の下・・」、木村和彦の「銀次郎の日記」で有名だった青江由紀夫氏の追悼文の惜別の情

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月 4日(木)04時44分58秒
返信・引用 編集済
  ・引き続き139号の感想。編集後記で詩人の大岡信さんがなくなったことに触れている。大岡さんの息子さんの大岡玲さんは、イタリア文学の専門家で、芥川賞作家。たまたま、私が所属している苫小牧の読書会で、連休明けに大岡玲さんの小説「黄昏のストーム・シーディング」を取り上げて読後感を話し合うことにしているので、奇遇な気がする。大岡信さんは、朝日新聞で長く折々の歌を連載していたので、古い人は歌人の間でも有名だ。 三十年ほど前に、札幌の詩人の集まりにたまたま来道した大岡さんの謦咳に接する機会を得たことがあった。詩だけではなく歌にも造詣深い方であった。

・・若窪美恵「泰子、河内に吹く風のように」は、あの世に居る沼田泰子が、夫が自分のために建ててくれた五言絶句の詩を記した記念碑に対して夫の真心に感激、夫とのなれそめからその後の一生を回顧するという設定の小説。明治十九年に八幡製鉄の建設計画が浮上、地元の八幡村の土木部長だった夫の沼田が製鉄に必要な大量の水を確保するためダムを建設、河内浄水場の完成にこぎつけることに成功するのだが、住民との間で摩擦が生じて苦労した次第を、あの世の妻の立場から語るという構成になっている力作短編。

・田原明子「楠木の下を通る日に・・」は、突然の頭痛に見舞われ意識を失った老婦人の私から、枕元に集まった家族の様子を幽冥界から見下ろす・・という構成。周りの愚痴や溜息、残った者への冥界からの労り・・作品が読む者を惹きつけるのは、そんな場面がいずれ訪れることを感じている年配者であろう。

・有馬多賀子「五時の女」は、残業で遅くまで帰れないのが日常になっている職員室なのに、夕方の五時に帰る教師がいた。それは・・・というような教職現場の話。学校のこと、町内会のこと、育児のことなどをからめて、女性の職場の課題を考えさせる作品。

・都満州美「落とし穴」は、パソコン、インターネットの問題点、便利さがあるかわりに機種やセッティングの違いによって不便もある、というような今日的な課題を小説にした新しさは買える。

・若杉妙「父の贈り物」は、中心街で四十年スナックバーをやっている淳子が、八幡製鉄の社宅時代を思い出して語る・・という内容。

・詩作品は、さとうゆきの「れんじふーど・だいぶ」が、レンジフードに乗った側からの目線で童詩的に語る構成。高橋糸子「83歳nou」の諧謔時代批評詩は愉快だ。波多野保延「母よ」は、96年散々苦労してきた母が、今病床にある。その母への感謝と労りの詩。

・木村和彦「青江由紀夫同人を悼む」は、「銀次郎の日記」の連載で有名な青江由紀夫さんが亡くなり、追悼の文。この青江さんは、私の大学の学部も一緒の同級生だが、大学院で経営学の学位を取った方と記憶している。北海道の「山音文学」にも「銀次郎の日記」を十数年連載していた。函館大学の学長で定年になり、その後東京の団体役員をしてこれを辞し千葉の自宅で読書三昧を楽しんでいた人物。ネットもワープロもやらないので、原稿用紙に直接書き込むやりかたで押し通した方で、私も十年前まで「山音文学」の編集部の一員として生原稿のタイプ打ちを数年手伝ったことがあった。合掌・・・。

  ・惜別の寮歌聴きたり幻想の空に響かふ友の歌声    石塚 邦男
 

「海峡派」138号(北九州市) しみじみした読後感は都満州美「逃避行」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月 3日(水)23時12分34秒
返信・引用 編集済
  ・遅れましたが、読後感を。

・川下哲男「川筋少年」上の作品は、1958年、小学校三年生になった本田正吾が主人公。その目線から炭鉱町に住む一家の模様が語られる。家族は六人、三十代前半の父母と母方の祖母、幼い弟二人の合計六人が木造平屋の二軒長屋に住んでいる。酒が回ると炭坑節を歌う大人たち。線路沿いに水路があり、池がある。川上には滝がある自然に恵まれた町。学校生活、子供たちの遊び。そのような昔懐かしい日本の炭鉱町の風情を細やかに描く。

・若窪美恵「まいど。鰻屋です」は、大学で文学部を専攻した太った若者が鰻の養殖場に見習いとして勤めることになり、日々奮闘するという珍しい職場の話。

・有馬多賀子「おもちゃのヘビ」は、新しく赴任した女性教師が、難しい年頃の六年生の担任になって奮闘する話。

・都満州美「逃避行」は、佳作である。両親と暮らしていた兄は、母が世話をするので日常生活で身の回りのことを何もせず過ごしてきた男。父が亡くなり、世話係の母も亡くなって、一人っきりの生活になった兄の住む実家は荒れ放題。姉はまともな結婚をして家を離れていったのに比較して、語り部の私は一人暮らしをして今はアルバイト生活。実家に帰って兄の世話をしながらアルバイト生活をすることにした・・。実家の一室を自室として住むことになったのだが、兄の日常生活が少しずつ狂い始め、それにつれて自分もおかしくなって行くのを感じ始める。老いに向かう兄妹の共同生活は・・・という話なのだが、細やかに肉親の変わり行く姿を描写する筆筋が地味ながら読者を惹きつける。

・横山令子「艶やかに」は、夫の死後、あまり外出をせず、誰とも会話しない日が多くなった夢香は、久しぶりにコスモスを見に外出する。そして、粋な感じの老年紳士と知り合いになる・・というロマンチックな話。

・詩作品は清水啓介「あくるひ」は、団地風景の一齣をシュールに点描した着想と構成が光る。山口淑枝「ダイニングキチンで」は、ご飯の炊き具合を竈の神様めいた目線で描写した構成と着想に心魅かれた。随想では、若杉妙「私の岩下俊作像」が同人雑誌ゆかりの岩下氏にまつわる伝説めいた思い出話の披露が心に残った。

   ・老いに向く兄妹互ひに庇ひあふ地味なる話しみじみと読む  石塚 邦男

  ・北九州市八幡西区岡田町11-10-510  若窪美恵方
 

弦100号批評お礼

 投稿者:市川 しのぶ  投稿日:2017年 4月23日(日)10時44分0秒
返信・引用
  弦100号掲載作品『ぎんなん』『鬼夜叉』2作をご批評頂きまして有難うございました。
記念の100号でしたので、力を込め、心を込めて、書き上げた作品ですので、とてもうれしく思います。今後とも『弦』を宜しくお願い致します。
 

「海」第二期17号(太宰府市)② 貧しい時代の姉弟の情愛を描いた秀作は高岡啓次郎の「斎場」、有森信二「水際」は夫婦の男女の機微を描こうとした意図はわかるが・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月22日(土)16時15分42秒
返信・引用 編集済
  ・北九州地方は、名古屋地方と共に文学活動が盛んな地方として知られている。東京文化に対抗しているわけではないだろうが、菅原道真時代からの流刑地における独立した文化人の気概を感じるがごとしで優れた人材が土着して、政治、経済、文化の特異な成熟をなしとげているようだ。この「海」の書き手も水準が高く全国平均から突出しているようだ。雑誌を受け取って作品を読み終えてはいたものの雑事にかまけて時が経ってしまったが、残る秀作について感想を述べたい。

・高岡啓次郎「斎場の雨音」は、第十一回銀河文学賞佳作を受賞した作品に若干手を加えた作品だというが、きめ細かな描写が持ち味の作品。戦後の貧しい時代の日本で母子家庭で育った主人公高志を中心に肩を寄せ合って生きて来た一族の去就をリアルに描写した作品として評価されるもので、この作者の持ち味をいかんなく発揮した作品群の中でも、代表作と目される作品であろうか。北海道で板金業を営んでいる高志は六十に手が届く年齢になっていながら、第一線の現場に立って仕事をしている。妻の良子との間に子供も居ず後継者もいない。姉の夫である70歳になる和菓子職人の義兄が亡くなり、千葉の流山で葬儀が行われることになって、仕事の後始末の段取りをつけ夫婦で出席することになった・・・。この葬儀に出席する道々に姉の結婚にいたる複雑な家庭事情が回想されるところが、優れた小説になっているのである。残る兄弟の身を案じながら意に添わぬ結婚に踏み切り、残る家族のために爪に火をともす思いで貯めていた貯金をそっくり家族のために残していった姉・・というような場面は、涙なしには読めない優れた描写である。

・有森信二「水際」は、学生結婚した祐介と理乃。祐介は不動産販売会社に就職、主婦生活をしていた理乃は特殊な浄水器の効果に魅せられて販売の講師になり働き蜂の女性となる。祐介は移動で離ればなれの生活になる。理乃は仕事にのめりこんで多忙らしい。たまにあってベッドを共にするが、祐介は理乃の体が会うごとに瑞々しくなっているように感じ、これも浄水器の効用と思う。ところが・・という夫婦の男と女の関係の微妙を描こうとしているようなのだが、90枚の力作枚数の割には読後感が今いち薄いのは、夫婦の微妙な男女関係の機微を描こうとしながら独自の解釈で描き切れていないためか。この作者の力量であれば、このテーマで半分の50枚ほどで引き締まったまとめとすることもできたであろう。新機軸に挑戦したのは分かるが、水準作とは言え、夫婦の機微を描く筆筋がややパターン通りの通俗に終りがちだったのは残念であった。

  ・後ろ髪引かれつ嫁ぎし姉さんの心いかにと今も思ひつ   石塚 邦男
 

「弦」100号記念号 長沼宏之「ぎんなん」のサラリーマン世界の巧みな人間模様の描写、市川しのぶ「鬼夜叉」の戦慄すべき戦争への怨嗟と怨念

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月22日(土)03時20分58秒
返信・引用 編集済
  ・書き残した佳作について触れたい。名古屋の同人誌の雄の一誌「弦」の100号記念号である。

・長沼宏之「ぎんなん」は、人事異動が四月が恒例というのに、半端な九月に人事異動が行われ、勝野潤一郎は営業の係長から異例の総務課長として昇格赴任となった。特別仕事が切れるというわけでもないと自分では思っていたのに、三十七歳の若さで課長職は、二、三年早いもので自分でも意外な気がした・・・。そんな潤一郎からサラリーマン世界の人間関係を描く作品なのだが、人物の個性が浮き彫りに描けているところが読みどころだろう。なかなか巧みな筆筋である。

・市川しのぶ「鬼夜叉」は、終戦後の混乱期、両親は名古屋で働き、幼い小夜は田舎の祖父母に預けられて大きくなった。実家は母の末の弟が継ぎ、さらにその弟の息子の代になっていた。その子が隣の土地に新しい家を建てたので、旧家を解体することになり、残った遺品を片付けるために実家にやってきた小夜。小夜は、片付けものをしながら実家にまつわる人々の過去を回想する・・。五人兄弟のうち、三人の兄を戦争で失い、たった一人の姉まで、間接的に戦争中死なせてしまったオトは、どんなに戦争を憎んだろう」と小夜は回想する。学徒出陣となったのに、戦地に向かう途中で行方不明になった男がいた・・・。彼は故郷に辿り着き、屋根裏に身を隠していた・・・。自分で隠れたのか、父親が隠したのか・・そんなことが残っていた記録から薄々分かって来る。そして、山に隠れた男は、伝説の夜叉となって村の子供たちの童歌に歌われるようになった・・・。この小説には、戦争の怨念を引きずる世代の詩情が籠っていて胸が震えた。この作者はいつも秀作、佳作を読ませてくれるベテランとして名があり、この作品も読者の期待を裏切らない秀作であった。

  ・海溝の底を歩みて故郷へ還りくる霊今も居るらし  石塚 邦男

  郵便ー463-0013 名古屋市守山区小幡中3丁目4-27  中村賢三方 「弦の会」

           電話・ファクス 052-794-3430
 

「相模文芸」33号(相模原市) 竹内魚乱「カタ屋さん」はしみじみした哀感あふれる小品

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月21日(金)23時34分15秒
返信・引用 編集済
  ・竹内魚乱「カタ屋さん」は、二十数枚の小品だがしみじみとした哀感のある作品であった。傷痍軍人のおじさんは片手がないのに、子供たちに素焼きの型枠を売って生活している。賢治は、色を塗るときれいに仕上がる型枠に魅せられて、カタと色と刷毛を十円で買い、作品作りに挑戦する。並べてあるカタは、鉄腕アトム、鞍馬天狗から羽子板、ネコやネズミ、また風景ものもあった。立派にできると点数がもらえて、他の型枠と交換できる仕組みだ。そんなおじさんに一番可愛がられたのが賢治だったが、ある日、おじさんは入院することになり、何月何日にはここでまた店を開くから、来なさいと言って去って行った。ところが、約束の日が過ぎてもおじさんは現れず、かわりに賢司と同じくらいの少女がやってきて、おじさんが亡くなったことを賢治に告げた。そして、賢治が一番欲しかった金閣寺の型枠をおじさんの形見だといって渡された・・・。起承転結の書き方も心得た作家で、冗漫さや無駄な描写のないところが買える作家だ。

・えびな銀子「時代下り」は、八十を過ぎた私が、夢の中でよく出てくる高校時代一緒だった佐知子の行方を捜していると、佐知子の息子と名乗る人物から電話があった。心臓を患って病院にいるが、何とか元気だというのである。会いに行くと・・という十数枚の小品であるが、これも起承転結まとまった余情ある作品。

・外狩雅巳「工場と時計と細胞」は、夜学に通いながら働く青年を主人公にしたドキュメント的体験小説構成で80枚を超える力作。構成にやや難がある作品であるが、主人公の体験の重さは読者に伝わる。

・野口英次「加藤武雄の文学について」②、木内是壽「新時代を迎えた文芸同人誌」のエッセイは小論ながら、的を外さないベテランの筆筋。また、野田栄二、横山絹子の連載小説も好調。

  ・亡き人の形見をその手に眺めつつ幼なははるか未来を見つむ  石塚 邦男

  ・相模原市中央区富士見3-13-3 竹内健方

     電話ー090-8460-2098
 

ロシア映画も変わった・・・ロシア文学も?

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月21日(金)04時45分44秒
返信・引用 編集済
  ・yahoo映画で最近のロシア映画「ミッション・イン・モスクワ」というロシアの活劇映画を観たが、ロシア映画も、フランス映画、アメリカ映画の影響からか、テロを阻止する警察・・という内容にかかわらず、ずいぶんと楽しいギャグ交じりの科白もあって、楽しくなっているのを確認した。ロシア文学も今後大きく変貌することだろう。

   モノクロに翳るロシア文学を読み継ぐ貧しき時代の日本   石塚 邦男
 

「法螺」74号(交野市)  問題作は、高橋惇「合理化の裏で」、達者な小説作りの西向聡「花束」「海鳥」の短編の佳作

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月15日(土)23時46分52秒
返信・引用 編集済
  ・この雑誌、数年前に、昨年文芸評論同人誌「群系」が受賞した四国の三好市主催の富士正晴文芸大賞を受賞している。年二回発刊で数人のレベルの高い書き手だけで運営している同人誌だが、主宰の西向聡氏はなかなかの人物で、枚方文学の会をまとめているのは敬服に値する。

・曽根登美子「家庭の事情」は、息子の洋一夫婦が離婚したと事後報告を受けた淑子は、納得できない。孫の運動会に老夫婦そろって応援に行ってから二か月も経ってないのだ。こんな大切なことを自分たち両親にも相談せずに決めた息子たちに淑子は不満なのだ・・。そんな話から始まる短編は、現代の世相を見事に切り取っている。

・高橋惇「合理化の裏で」は、八十にもなると、勤めた会社のOB会に出席するのも億劫になる。それでも働き盛りの頃務めた会社の同僚は懐かしい。OB会で「課長、お久しぶりです」と声をかけてきたのは、特別の思い出のある北川だった。それは、人員削減問題にかかわったときの気の重たい思い出とかかわる男が北川だった。その昔の出来事とは・・という話であるが、組織と人間の板挟みで苦渋の決断をせざるを得なかった人間模様は、企業内小説という範疇から抜け出た人間の条件にも迫る問題作。

・高山順子「風立つ日々ーマリオ・②」は、マリオという子供の成長と生活を地道に描いた連作もの。二世の子供が肌の色が違うために何かといじめを受ける・・・だが、それを克服して得意のスポーツを生かして成長する少年・・・という異色の物語。

・井藤藍「赤いコート」は、中学生のとき貴志が病気になり、空気の良い田舎に一家で引っ越してきたのだが、父が亡くなり、母は弁当屋で働き始めた。短大を卒業した姉に比べ、朱実は定時制高校を卒業してやっと宅配会社に就職、プログラマーになることを夢見る弟の貴志は・・・そんな一家の貧しいが懸命に幸福を求める姿を描く。

・西向聡「花束」は、フェリーで夫人が甲板から散骨をする様子を目撃した話を嶋田という旅行者の目線から描写する作品であるが、全国を自転車で旅行している作者が、旅行先の風土をヒントにすかさず上出来の作品に仕上げる勘の良さが光った。
・西向聡のもう一作「海鳥」は、海で遭難死した井上と離島の中学校で同級生で、共に水産高校に進学、別れ別れに就職した二人は偶然、海峡の町の居酒屋で再会した・・・。その井上が亡くなり、井上の妻から手紙をもらったのが五年前、一度訪ねようと思いながら日は過ぎていた・・その井上にまつわる話は、人生の機微に触れる佳作に仕上がっている。

     ・貧しきを健気に生きし子供らの輝く時代に光当てたる  石塚 邦男
 

「法螺」72号(交野市) 高橋惇「見えない瑕疵」の製薬会社の組織をベースにした特異な作品、西向聡の詐欺グループの出し子青年の裏表に見るアクチュアルな作品

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月15日(土)00時37分50秒
返信・引用 編集済
  ・「法螺」の主宰者である西向聡氏は二年前に自転車で全国を旅する壮図の途上、苫小牧市に立ち寄り、ホテルで歓談したが、70過ぎての大旅行とは呆れ驚いたものであった。

・高橋惇「見えない瑕疵」は、警察の刑事課から、会社の薬剤製品に酷似したラベル表示の錠剤入りコンスリーを本物かどうか鑑定してほしいと持ち込まれた。麻酔・沈静作用のあるその薬が、ある事件に悪用されたというのである。試験三課の広瀬は、上司の命令もあって内密に試験室で分析を始める。そんな職場の人間関係などがからむ話なのだが、製薬会社の組織などリアルに描写されているところが特異な作品で、目に止まった。

・曽根登美子「水位計」は、四国のお遍路の旅を団体でしている<わたし>の同行者の点描なのだが、起承転結がしっかりしている構成。

・井藤藍「青い風」は、五年生になった女の子の由美の目線から母親や出入りする母の会社の男性などのことを描写する内容。亡くなった父の思い出や学校生活、という内容ながら、女の子の周囲を見る細やかな視線が書けている。

・西向聡「虚飾の虹」は、主人公が詐欺グループの下っ端である「出し子」の若者が主人公という珍しい小説。周囲には派遣社員と誤魔化してアパートで一人住まいしているが、収入はすごい。その若者が出し子になるまでの過去や、出し子としてやばい仕事をするようになった経緯などが、要領よく語られるベテランらしい小説作りのテクニックは、さすがだ。

・高山順子「八十路の童女」は、東京に住んで私立の高校の教師をやっている賢司が、京都の実家の母に会いに行くときは、いつも夜行バスを利用する。父母ともに教職にあったが、今は年金生活の上に父は病に倒れ亡くなる、母は認知症に。そんな家族の話なのだが、ベテランの書き手だけに無駄のない、読者を納得させる筆筋で読める作品。

・村川良子「薔薇一輪」は、五十にもなる娘の圭子が、度重なる夫の暴力に耐えかねて、実家に帰りたいと電話してきた。母親の節子は娘を迎えに行き、実家近くの警察に被害届をだしたのだが・・圭子はその後、うつ病が高じて支離滅裂になって行く・・という怖い話。

・西向聡「灯台のある岬へーチャリンコ漕いでときどき俳句」は、全国を自転車で旅する作者の紀行文なのだが、100枚もの枚数があるのに、文章の組み立て、情景描写など読者を飽きさせない練達の文才披露はさすがである。また、作者は抜け目なく、旅行中のエピソードから短編小説を着想して発表するなど、旺盛な才筆ぶりを発揮していることは、同人雑誌仲間間では有名である。

   ・チャリンコを漕ぎて旅する老作家そのまなこに宿る哀愁   石塚 邦男

    ・郵便ー576-0062  交野市神宮寺1-26-6 西向 聡方
 

「星灯」4号(東京都)② 島村輝、佐藤三郎、北村隆志の新鮮で繊細な力作文芸評論に感銘

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月14日(金)03時53分59秒
返信・引用 編集済
  ・かなり間をおいての批評書き込みになったが、どうしても触れたい作品があった。それは、島村輝、佐藤三郎、北村隆志の各文芸評論の力作についてである。

・島村輝「若き神々の黄昏ー(オリンポスの果実)とその時代」は、1932年のロス五輪に競艇選手として出場した田中英光の代表作「オリンポスの果実」を主題に、作者と作品の時代的背景を探査した文芸評論で、着眼が新鮮。小説の主人公坂本は、ロス五輪の競艇チームの一員で、陸上女子選手に恋心を抱くという青春小説。英光の兄が共産党のシンパであったことから影響され、「幼いマルキスト」の傾向がある青年なのだが、この作品は、こうした作者の体験も加味した主人公として設定され、オリンピック参加の責任感に乏しい若者として描かれている内容。評者の島村は、この小説が書かれた1940年時代の党生活者の揺れる心情なども作品の中から冷静に分析しているところが注目される論考である。田中英光が20歳の時同人雑誌に発表した作品を読んだ太宰治が、「君の手紙を読んで泣いた男がいる」と田中に手紙を書いた話は、あまりにも有名だが、党を巡って揺らいでいた当時の太宰と田中の心情的共通項などの微妙なところにもメスが入っている論考ではあった。

・佐藤三郎「一場の春夢-伊藤ふじ子と(党生活者)」は、27歳の小林多喜二と20歳の女優の伊藤ふじ子との出会いから説き起こし、二人の交流の足取りを丹念に拾って行く。そして、多喜二の作品に表われたふじ子像を多喜二の作品から丹念に拾いとる。多喜二とふじ子の同棲の心の葛藤を作品の描写の中から細やかに抽出し、ふじ子像を微細に際立たせているところがユニークである。また、ふじ子は多喜二の妻田口タキと対比して論じられていて、多喜二が私生活と党生活者とを使い分ける苦しみに直面していたリアルな現実も解析しているところが、新しい見方であろう。小林多喜二文学の脇役の女性・伊藤ふじ子の存在から、小林多喜二文学と党生活者としての苦渋を浮き彫りにした着眼と細密な分析は刺激的だ。

・北村隆志「加藤周一ノート③ー西洋見物と雑種文化論」は、大学で医学部に居ながらフランス文学に大きな関心を寄せていた加藤周一の戦後間もなくのフランス留学を経済面で支えていた西日本新聞の功績に触れているほか、加藤周一のフランス語の学習方法なども紹介、日本の文化を<雑居文化>と言った加藤周一の卓見の裏面を詳しく解析しており、北村の加藤周一に対する並々ならぬ傾倒ぶりが情熱的に描かれている論考。そして、加藤周一を日本の第一級の文化人・文学者としている北村のその理由と見解を鮮やかに論理立てて解析、説明している筆筋は、最近にない鋭い観方であった。読んでいて実に面白く感銘深いものであった。日本の知性を代表した加藤周一という文学者の偉大さを、改めて再認識できる卓越した論考である。今後、どのような展開を見せるか、その筆筋の行方に興味津々である。

・小説は三編。未だ書き始めと見えて、初々しい筆筋。初めての書き手の登壇もあって、特別に紹介したい。

・三浦協子「サルと闘ったはなし」エッセイ的題名で、実際、小説というよりも体験記的筆筋。勤めていた労働組合を解雇され、夫と言い合いになった末に離婚した<わたし>は組織のごたごた騒ぎに疲れて、下北半島の猿を見に行こうと思い立ち、現地に入ったのだが・・という話なのだが、猿の群れのボスと睨み合って撃退する体験をする結論。職場の失敗、離婚の出来事と猿を見に行く動機を、もう少し巧く結びつけてオチをつくる小説作りを知ると良い作品になりそう。身近な人に意見を求めて、何度も書き直す根気が大事である。

・野川環「オリ」は、70過ぎて住宅取り壊し現場の警備の仕事をしている勝子は、かつて息子夫婦と孫の四人暮らしだったが、育児放棄し、家事もしない嫁がいて、孫の世話、家事一切を手がけていたが、ついに嫁に追い出される羽目になり、今は侘しい一人暮らしをしている。しかし、孫のことが心配だ。そんな老いた一人暮らしの女の心境を描いているのだが、文才がありそうなので、今後期待できそう。

・渥美二郎は「町屋のイエス」「24の一文小説」の二編だが、読書会などの人間模様を丁寧に描こうとした「町屋のイエス」は、もう少し粘ると小説の形になりそうな素材だ。








 

ありがとうございます

 投稿者:kaikyoha  投稿日:2017年 4月11日(火)22時50分38秒
返信・引用
  根保様、高岡様
「海峡派」の若窪です。メールでお付き合いさせていただいていますが、ここでもご挨拶させてください。根保さんにはいつも「海峡派」を読んでいただき、丁寧な批評をいただいていて感謝していますし、しっかり受け止め次作へ向けて気を引き締めています。また、批評は「海峡派」のブログに抜粋させてもらっています。
高岡さんには「北九州文学協会文学賞」の授賞式でお会いし(「無口な女」が小説部門で大賞受賞)、根保さんとお知り合いということをうかがいました。文学を通じて繋がっているんだなあと、とてもうれしく思いました。高岡さんには、「海峡派」の木村さんの本『輝けブラス』を批評してくださり、ありがとうございました。
どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。
 

「輝けブラス」最終考

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2017年 4月 8日(土)12時55分30秒
返信・引用
   前回ふれた周囲に溶けこまない少年のかかえた闇がエンデイングが近づくに連れて明らかになっていく。少年は人間が存在することそのものが罪なのだとつぶやくが、ずっと自死を考えていたのだった。周囲の仲間たちが楽しそうに音楽にのめりこんでいくのを、どこか冷ややかな態度で達観しているふうだった。奏でるトランペットの音色はどこか周囲と違う。その超然とした様子に、ときに教師は苛立ちを感じるが、ある日、少年の心に宿る深い悲しみの理由を知って謝罪したいと望み学校から連れ出そうとする。
 どこに行きたいかと聞くと、小石海岸に行きたいと答える。絶えず死を意識している少年に教師は死ぬなとはいえない。ただひとこと、もういちどだけ全員で演奏してみないかという。少年は暗い海岸にたたずみながら首を縦にふる。何が演奏したいかと教師が質問すると、チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレがいいと答える。
 やがて演奏会があり、結果として少年は自死を思いとどまる。ずっと後年になってから大人になった少年は。あのとき先生が小石海岸に連れて行ってくれて、もう一回だけ一緒に演奏しようと言ってくれなければ自分は死んでいたと思うと打ち明ける。少年はやがて小石に住む同級生の女性と親しくなり結婚し、街で鍼灸師として治療院を作る。
 「輝けブラス」という表題は、ある意味で人間すべてに向けられた普遍的な言葉である。障害を背負った人たちへの激励であり、不条理な時代に生きている我々すべてに向けられたメッセージなのだ。この本には哲学的な要素も随所にちりばめられており、視覚を遮断された人たちの思考がいやおうなく深くなっていく謎にも迫っている。この本を入手したい人は下記に申し込むことができる。


リーダーズノート出版。 東京都北区田端6-4-18 電話 03-5815-5428 
 

「輝けブラス」の続き

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2017年 4月 5日(水)06時57分7秒
返信・引用 編集済
  私がこの本を褒めるのは他にも理由がある。以下に一部を記す。


 彼の表情を見ているのが私だけだということが、彼と私が二人だけで対決しているようなき重さになって私を捉えていた。

 体育の先生がムッとくる炎熱の匂いを撒き散らしながら入ってきた。

 彼の音は、彼の体臭のように周囲に従えている空気そのものであった。その音は凍りついていた。硬くて重く傲慢でさえあった。
 それが攻撃的ならばまだ若さがあったが、彼はけっして自分からことを起こそうとはしなかった。四角や三角の組み合わさったその音は長調では格言のように、短調では靴に石を入れた歩行のように辛く痛かった。
 それは私に頑固な老人を思い出させた。
 これだったんだな、私はつぶやいた。

 この文章を見ていて分かると思うが、周囲に溶け込まない少年が楽器に向き合っていく様子が描かれ、それを主人公である教師が不思議そうに、扉の中をのぞくように描写している。
木村さんの許可を得てこの本の入手方法を近々みなさんに知らせたいと私は思った。
 

輝けブラスは映画になり得る

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2017年 4月 3日(月)08時11分30秒
返信・引用
   木村さんの作品を読んですぐに感じたことは、私が映像の世界に生きる人間なら、ためらわずに映画にしたいということだ。この種の成功物語には「フラガール」があり、いま封切り中の「チアダン」があるが、この小説ははるかに精神性をともなった深い映画になりえるのではないかと思う。工学部を出た物理の教師が盲学校に赴任するいきさつや、正義感に満ちた青年教師が、今まで気付かなかったことに目覚め、新しい世界で子どもたちと一緒に成長していく過程が実に面白い。文体は平易にして会話も軽妙。九州にはずいぶん優れた書き手がおられるのだなあと改めて感心させられた。この本についてはもういちどふれてみたい。  

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