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都市の風景

 投稿者:管理人iPad -9680  投稿日:2020年10月13日(火)07時49分10秒
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   実は個人的趣味として都市巡りというのがあります。道路を行きながら、向こうのビルや建造物がいろいろに見えてくる。空と地面、そのあいだのものものがいろいろ見えてくるのは、子どもではありませんが、何か新鮮な今というときを生きているという感じ。いまも通院の都バスの九段下から女子医大の靖国通り、その途中の皇居、向こうの九段会館(長い間改修工事だった)、反対の靖国神社、市ヶ谷駅から外濠を下るときの両側の風景(特にここは東京でも最高の場所と思う)、右には法政大学のボアソナードタワーと大日本印刷などの高層ビル、左も最近完成した四ツ谷駅前の高層ビルが、周囲の緑と空の青さに映えて美しい。そして右に防衛省の建物と、その上の大きな鉄塔アンテナが見えてきて、ああこれが北からのミサイルを感知するのか、と時折思う。途中女子高生などの乗車が多く、女子医大前では勤務の医療者も多く下車する(またこの女子医大病院の構内の配置、また病院棟の内部も建物として、特に患者の気持ちを配慮したコンソールタイプといつも思う)。

 昔から建築中のビルがある道路を見るのが好きだった。中学生時代、浅草駅から都電に乗って、浅草橋駅までそこにあった中学校に通っていました(埼玉県草加からいわゆる越境通学)。この都電からの風景が絶品でした。行きもいいけど帰りが似た風景のある二つの行先があって、三ノ輪行きに乗ると浅草駅へは行かない。ぜひとも南千住とある電車に乗らねばなりません。
 地図で見るとわかるように、当時国電の浅草橋駅の高架下の都電停留所から、江戸通りを北上するのですが、途中Yの字形の分岐点があって、浅草へ行かず途中から三ノ輪の方へ行ってしまいます。いま思うと、南千住も三ノ輪も、労働者(あぶれ者も)の街として、下町のドヤ街でしたが、当時の中学生はそんなことより、都電が走る前景が楽しみでした。何かそのYの字の分岐点の風景が自分が降りる浅草駅(松屋)の風景と非常に似ていたのでした。

 そして何より、この浅草駅、東武線の起点たるこの駅と、それがある松屋デパートの建物がすごく好きでした。なんでも昭和六年竣工で(野口存彌さんの生年)、いまに至るも立派に役割を果たしています。Google Earthで俯瞰すると、その直方体でブラウンのビルがいかにも昭和で、あの戦争の戦禍にもよく遭わず、と感慨です。当方が通学していた頃、業平橋駅から浅草駅へ電車が進入するのが素敵でした。何せ隅田川を渡河するのですし、手前の左岸には隅田公園の桜が、向こう岸には今から入っていく松屋デパートの浅草駅があるのですから(その手前には雪印のビルが印象的でした)。特に帰宅時は、3車線あるプラットフォームの端まで行って、当時の日光行きロマンスカーや両毛号を見つめたものでした。

 草加から浅草駅まで行って、そこから都電でしたが、中二の時かな、地下鉄日比谷線が出来て、秋葉原まで直通で行けるようになりました。その年から行き方が変更になって、秋葉原駅から総武線下り方向に一駅歩いて通学することになりました。たまに遅れそうだと、国電ひと区間乗ってました(10円だった)。今度は秋葉原が帰りの寄り道のテリトリーになりました(御徒町や上野まで歩いたことも)。もう懐かしいそれらの土地、Google Earthでよく見ています(年齢はいったけど、科学技術の進歩で、往時に飛んで行ける)。
 
 
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