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戦時中の輸送船

 投稿者:永野悟(群系) 515  投稿日:2019年 1月 7日(月)17時20分15秒
  通報 返信・引用 編集済
     以下は、群系掲示板に掲出したものですが(12月25日)、この板にもふさわしいと思いますので、今一度コピペでアップしておきますね。

                            ◯

  当方宅に、いろいろな同人誌が来ています。
「群系」誌も、この12/15に刊行でしたが、他の文芸同人誌も歳末刊行のようです。

「相模文芸 」37号  12/15 相模原市
「人物研究」42号  12/10千葉県松戸市
「構想 」65号  12/17  長野県東御市
「海 」第二期 21号  1/1  太宰府市
「白雲 」47号  1/5  新春号  横浜市
「風の道」10号  12月刊   東京都
「文学街 」355号  11/1   東京都杉並区

    大抵は年2回刊行なのでしょうか、頑張っていますね。

    いくつかの作品を読ませていただいていますが、このうち、夏の群系三〇周年のパーティーにもおいでいただいた吉岡昌昭さんからは、たいへん丁寧な「群系」41号送付のお礼と感想をいただきましたが、同封の「文学街」355号掲載のご文にはひじょうな関心をもって読ませていただきました。
「暁に祈る  一徴用船員の記録」と題したエッセイは、一等航海士として、戦時中の輸送船に乗り込んだ父君の思い出を記したものですが、まだ幼児であった吉岡さんが、父に乗せてもらった輸送船のことを、しみじみ追憶していますが、そうした中でご父君が乗り換えていったそれぞれの船が米潜水艦に攻撃・撃沈されたことも綴って、この国の悲劇の歴史の一端を記録したルポにもなっています。
    父君が乗務されていた三つの輸送船は、大阪丸(3740トン)、芝園丸(1831トン)、祥保丸(1327トン)というのですが、そのかつての遺影の写真とともに、戦争末期の影の働き手のことを今更思わせてくれました。幸いご父君は、九死に一生を得て戦後まで生き延びたそうですが、あの太平洋戦争末期、特に昭和19年になって、敵は民間のそうした艦船も攻撃の対象としたそうです。大阪丸は昭和19年5月25日、芝園丸は昭和20年1月3日、祥保丸は昭和20年7月15日、それぞれ遭難、特に祥保丸は小樽から酒田までという内地の用務に就ていたのに、あろうことか米潜水艦は日本海にまで出没していて、同船は、北海道積丹沖の海で沈没したということです。

    あの太平洋戦争の最中、日本の艦船は米国の航空機・潜水艦によって、多くが大破・沈没しました。昭和17年5月のミッドウエー海戦では空母や戦艦を多く失いましたが(まよくこれだけの空母を開戦までの短い期間に造ったことも感心ですが)、これによって多くの兵が亡くなったこと、今更黙禱の気持ちですが、軍の艦船ではない民間船が攻撃されたことは、戦時とはいえ、怒りがわいてきます。どれだけの輸送船が犠牲になったか、一度調べて表に作りたいところです。
    がいま思って胸に迫るのは、戦争末期の対馬丸の悲劇です。これは沖縄の学童たちを内地に疎開させようとしたものですが、鬼畜米潜水艦の攻撃によって、その多くの子供達とともに船は海の藻屑と成りました。先日、年の暮れ胸に詰まる挨拶をされた天皇陛下は、以前にこのことを会見で披瀝されたことがありましたが、「私と同じ世代の多くの子供達が犠牲になられた」と言及されたことに、陛下の戦争に対する思いが凝縮されていたように思います。

※ 下にあるリンクは、「全国文芸同人誌評掲示板」です。「群系」も含め、上にあげた文芸誌作品の紹介をされています(この常連投稿者の根保孝栄氏の勢力はすごいですね。また読みもご文もしっかりされています)。

https://6928.teacup.com/377612377612/bbs

 
 
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