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最近、小さな幼児への虐待、殺害のニュースがよくきかれる。新潟では線路上で女児が置かれていたという。犯人の若者はクルマの中で女児が大声をあげたので、首を締めたという。あるいはベトナムの女児を殺害したとされているのは、学校のPTAの会長だという。自分の立場を守るためか、事実無根、検察のでっち上げ、と叫んでいる。さらに今回ひじょうに悲しい事件になったのは、目黒の女児虐待死である。食事もろくに与えず、冬の寒い中、部屋には暖房もなく、時にはベランダに裸足で出され、あしうらには霜焼けが出来ていたという。日頃から殴る、水をかけるだの、信じられない暴行がいたいけな子供に加えられた。特に耳目を嘱されたのは、この女児のノートに書いたという、両親に許しを乞うメモ書きだ。もうこういうことはしないから、ぜったいにしないから、ゆるしてください、という読むのもつらくなる文面だ。iPadで、女児の名、結愛ちゃんで検索して、テレビのワイドショーの報道を何度も見たことだ。
いったいに、虐待している親などは、愛情どころか、自分の感情、あるいは自己の立場中心に動いていよう。だから女児の、切なる訴えも感じ入ることがない。気に入らないとすぐ手が出るのだろう。それにしても、この子の立場で考えると、胸がつまる。許しを得ないとますます辛くなると追い詰められて考えたのだろう。彼女の孤独、未熟、を考えると余計にせつなくなる。相手は大人であり、こっちは誰も味方がいないという、閉じ込められた環境だ。死ぬ、というのも時間の問題だったかもしれない。
以下は、大学ノートに記したとかいう、結愛ちゃんのメモである。これは多くの人が全部を読みきれないというほど、哀切極まるものだ。文学を言う前の、人間の原点があるように思う。
ママ もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから
きょうよりかもっと あしたはできるようにするから
もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして
きのうぜんぜんできなかったこと
これまでまいにちやってきたことをなおす
これまでどんだけあほみたいにあそんだか
あそぶってあほみたいだからやめる
もうぜったいぜったいやらないからね
ぜったいやくそくします
もう あしたはぜったいやるんだぞとおもって
いっしょうけんめいやる やるぞ
5歳といえば、翌年小学校に上がる、これからいろいろなことをやって楽しんで、遊んで、学んでいくその途上にある子だ。ものごころが付きつつあり、うれしいこと、たのしいこと、またかなしいことがわかってくる年頃。幼児から子供になる時期、でもまだまだ保護が必要とされる時期だ。わたしたち大人はそういうことがわかるから、それらの必要を満足されず、ひもじい思いをしつつ懸命に生きようとしていたこの子に、つよく共感する。ほんとに生きていて欲しかった。どんなに痩せても、最後は保護されて、適切な医療を受けて、再生して欲しかった…。
子どもが子どもらしい、適切な環境にいること、それを満足させられない国々が世界にはたくさんある。しかし、とびきりの先進国のこの国で、それも東京の真ん中でこんな悲劇が起ころうとは…。
結愛ちゃん、美味しいものを食べて、楽しいことをいっぱいやって、ね。
https://mainichi.jp/articles/20180609/k00/00e/040/258000c
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