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モーツアルトについて

 投稿者:管理人 iPad 5007  投稿日:2018年 3月 1日(木)14時17分11秒
  通報 返信・引用 編集済
     旧稿から、モーツアルト論の一節と、その楽曲をご披露しますね。
                                                                                (「群系」第19号  「モーツアルトの協奏曲について」)

                                    ◯

 弦楽五重奏曲第四番ト短調 第一楽章(K516)を聴く。初めて聴く。切なさをすぐに感じた。ああ、これなんだな、とやっと了解した。実は同じト短調の曲といっても、いわゆるト短調のシンフォニィー(K550)と混同していたのである(こちらは小林秀雄が道頓堀でふらついたとき、急に頭の中をこのメロディーが流れた、というエピソードのあるやつである)。弦楽器の方なんだ。小林秀雄が弦楽器が好きだ、というのを高橋英夫もどこかで言っていたなということを思う。
    何をぶつぶつとお思いかもしれないが、このト短調のクィンテット(弦楽五重奏曲)の発見はまったく別のモーツアルトを見つけた感じだったのだ。スタンダールが有名なモーツアルト研究者であるのはよく知られているが、彼がモーツアルトの音楽の根底にはtristesse(かなしさ)があるといって、以下小林秀雄は次のように言っている。

 ゲオンがこれをtristesse allante と呼んでいるのを読んだ時、僕は自分の感じを一言で言われた様に思い驚いた。確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する、涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法を知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家は、モオツァルトの先にも後にもない。まるで歌声の様に、低音部のない彼の短い生涯を駈け抜ける。  (『モオツァルト』9より)

     筆者は改めて、音楽の鑑賞法を教わる。このト短調のクィンテットのtristesse allante(疾走するかなしみ)は、たとえば、〝空の青さや海の匂いの様に〟〝万葉の歌人が、その使用法を知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい〟のだ。このような時間空間をまったく隔てた比喩も許されるのだ、と。
 だが、モーツアルトに〝かなしみ〟などあるのか。小林秀雄はいまの文に続いて、微妙な表現を使っている。

  彼はあせってもいないし急いでもいない。彼の足どりは正確で健康である。彼は手ぶらで、裸で、余計な荷物を引き摺っていないだけだ。彼は悲しんでいない。ただ孤独なだけだ。孤独は、至極当たり前な、ありのままの命であり、でっち上げた孤独に伴う嘲笑や皮肉の影さえない。(同)

 「彼は悲しんでいない」とある。いわば、「透明な感じ」(高橋英夫)なのであろうか。
モーツアルトに言及した文章として小林秀雄『モオツァルト』の意味は非常に大きい。右のようなそ
の本質について書かれた若干のエスプリを引用しておこう。

(先の大阪・道頓堀での事件の叙述のあと)思い出しているのではない。モオツァルトの音楽を思い
出すという様な事は出来ない。それは、いつも生れたばかりの姿で現れ、その時々の僕の思想や感情
には全く無頓着に、何というか、絶対的な新鮮性とでもいうべきもので、僕を驚かす。(同2)

 成る程、モオツァルトには、心の底を吐露する様な友は一人もいなかったのは確かだろうが、しかし、心の底などというものが、そもそもモオツァルトにはなかったとしたら、どういう事になるか。…モオツァルトの孤独は、彼の深い無邪気さが、その上に坐るある充実した確かな物であった。彼は両親の留守に遊んでいる子供の様に孤独であった。(同9)

  彼に必要だったのは主題という様な曖昧なものではなく、寧ろ最初の楽音だ。或る女の肉声でもいいし、偶然鳴らされたクラヴサンの音でもいい。これらの声帯や金属の振動を内容とする或る美しい形式が鳴り響くと、モオツァルトの異常な耳は、そのあらゆる共鳴を聞き分ける。凡庸な耳には沈黙しかない空間は、彼にはあらゆる自由な和音で満たされるであろう。(同10)

  独創家たらんとする空虚で陥穽に充ちた企図などに、彼は悩まされたことはなかった。模倣は独創の母である。唯一人のほんとうの母親である。二人を引き離してしまったのは、ほんの近代の趣味に過ぎない。模倣してみないで、どうして模倣できぬものに出会えようか。(同11)

  モオツァルトは目的地なぞ定めない。歩き方が目的地を作り出した。彼はいつも意外な処に連れて行かれたが、それがまさしく目的を貫いたということだった。(同11)

     これらを一瞥しただけでも、まさしく臨機応変の天才の面貌が思い浮かべられる。モーツアルトは、孤独・無邪気、その音楽の新鮮さ・透明さ、さらに「目的地なぞ定めない。歩き方が目的地を作り出した」のであった。

https://m.youtube.com/watch?v=hEFu9iV0Zxw

http://gunnkei.sakura.ne.jp/99_blank074.html

 
 
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