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文学の危機

 投稿者:管理人 iPad 994  投稿日:2018年 2月28日(水)20時40分16秒
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  「季刊文科」の依頼原稿を済ませて、以下は余滴として書くものである。寄稿文には書かなかったことだが、一つのデータとしても開陳の意味はあろうものなので。

         〇

 ここで批評とは何か、を問い直すことは、日本の近代文学にとって、いや現代文学にとっても、大事なことではないかと訴えたい。つまり、作品の評価、作家との関係、などは小説を読んだ後に(あるいは最中でも)気にかかることではないか。それが少なくとも自己や社会などを問う、いわゆる「純文学」的なものである以上は、「批評」は、小説などの創作と裏腹にあるものとして重要なものではないか。
 ところが、巷間、いろいろ書かれている文芸同人誌や、いわゆる商業誌の新人賞の応募状況を見ても、小説の多数に比べれば、批評というジャンルの数の少なさが例証される。例として、「群像」の新人賞の応募状況をあげてみよう。
 この文芸月刊誌はいわゆる、「五大文芸雑誌」の一角を占めるものだが、中でも「群像」は新人賞に、「小説部門」と「評論部門」を双璧として掲げてきた雑誌であった。その雑誌の直近の両部門の応募状況をあげてみたい。

 例えば、平成26年度・第57回は、「小説部門」の応募総数が1746篇であったのに対し、「評論部門」は132篇、平成25年度・第56回は、「小説部門」が1851篇、「評論部門」が153篇、平成24年度・第55回は、「小説部門」が1618篇、「評論部門」が116篇、平成23年度・第54回は、「小説部門」が1721篇、「評論部門」が129篇、平成22年度・第53回は、「小説部門」が1884篇、「評論部門」が152篇であった。要するに、批評・評論は、小説の一割にも満たない応募状況なのだ。
 そして、こうした「評論部門」の応募数の少なさからか、「群像」新人賞は、平成27年度・第58回以降は、小説部門だけになってしまった(この年の応募総数は1762篇、翌年・第59回は1864篇、翌々年・第60回は2016篇、であった。入賞やその候補のタイトルからみて、すべて小説であって、評論はないとみられる)。

 文学の危機、はこのことではないか。

 巷間、創作はそれなりに作られている。SFやミステリー、をはじめ、エンタテインメント、はひきもきらない。また携帯小説などという分野もある。これらは今や大きな芸術ジャンルになったアニメ、同様、21世紀の大きな分野ではあろう。だが、これらに比べ、人間の生の意味を問う、昔ながらの小説、あるいはそうした文学や社会・時代を論ずる文芸批評は少なくなっている。

 評論家、というと、テレビに出ている評論家はいろいろいるではないか、という声が聞こえそうだが、これらの人は文芸評論家ではない。多くは国際政治学者とか、社会学者とか、あるいはタレントだとか、である。夏目漱石だとか、森鴎外、小林秀雄の名前をあげようとは到底思われない。太宰治の名前も出ようか。
 いや、お門違い、だとの意見もきこえようが、小生らが知りたいのは、そうした作家の作品についてなのである。やはりテレビはお門違いなので、せめてiPadに向かうのである。

http://prizesworld.com/prizes/novel/gznw.htm

 
 
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