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柿本人麻呂:泣血哀慟の歌(万葉集を読む)

 投稿者:管理人 iPad 374  投稿日:2018年 1月28日(日)11時26分17秒
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     文学のこころとは、人を思う心だと言っても過言ではなかろう。その意味では近代・現代のみならず、むしろ往昔にこそ、その心はいやましであろう。万葉集、柿本人麿の歌こそはそうした心を最大限に詠んだものであった。当職は学生時代から、彼の歌に親しんでその長歌を暗誦・愛唱してきた。以下はその一つ、その頂点のものである。ネットにある資料を抄出させていただきながら、近代文学の掲示板であるが、あえてあげさせていただきます。

                                ◯

    万葉集巻二挽歌の部に、「柿本朝臣人麻呂妻死し後泣血哀慟して作る歌二首」が収められている。その最初の歌は、人麻呂が若い頃に、通い妻として通った女人の死を悼んだものとされている。この歌には、愛する人を失った悲しみが、飾り気なく歌われており、その悲しみの情は、21世紀に生きる我々日本人にも、ひしひしと伝わってくる。
    彼が宮廷歌人として作った儀礼的挽歌とは、まったく異なった感情の世界が、そこにはある。
    まず、歌そのものを読んでいただきたい。一人の男が一人の女に寄せる、切なくも濃密な愛を読み取っていただけると思う。

       柿本朝臣人麿妻の死にし後、泣血哀慟してよめる歌二首、また短歌
  天飛ぶや 輕の路は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば
  ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み
  数多(まね)く行かば 人知りぬべみ 狭根葛(さねかづら)   後も逢はむと
  大船の 思ひ頼みて かぎろひの 磐垣淵(いはがきふち)の
  隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに
  渡る日の 暮れゆくがごと 照る月の 雲隠るごと
  沖つ藻の 靡きし妹は もみち葉の 過ぎて去(い)にしと
     玉梓(たまづさ)の 使の言へば 梓弓 音のみ聞きて
  言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば
  吾が恋ふる 千重の一重も 慰むる 心もありやと
  我妹子が 止まず出で見し 輕の市に 吾が立ち聞けば
  玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず
  玉ほこの 道行く人も 一人だに 似てし行かねば
  すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる
短歌二首
     秋山の黄葉を茂み惑はせる妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも
    もちみ葉の散りぬるなべに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ

■大意
 軽の路は吾妹子の里であるから、よくよく見たいと思うけれど、いつも行ったら、人目が多いので人目につくし、しばしば行ったらきっと人が知るだろうからうるさいし、まあまあ後になってでも逢おうと、大船のように頼みにして、心の中でのみ恋しく思いつづけていたのに、空を渡る日が暮れて行くように、照る月が雲隠れてしまうように、靡き寄った妹は、亡くなってしまったと、使いの者が来て言うので、それを聞いて何と言ってよいやら、どうしてよいやら分らず、報せだけを聞いてじっとしてはいられないので、自分の恋しく思う心の千分の一でも、なぐさめられるだろうかと、吾妹子がいつも出て見ていた軽の市に、たたずんで耳をすましてみると、なつかしい人の声も聞こえず、道行く人も、一人も似た人が通らないので、何とも仕方がなく、妹の名を呼んで、袖を振ったことである。

短歌二首
秋の山の黄葉があまりに茂っているので、迷い入ってしまった恋しい妹を探し求める山道が分らないことだ。

黄葉の散って行くとともに使の者の来るのを見ると、ああこのようにして、懐しい便りが来たのだと、妹に逢った日が思い出される。(209)


「輕の路は 我妹子が 里にしあれば」とあるところから、この女人は大和の軽の里に住んでいたのであろう。その女人を、人麻呂は人目を偲んで通っていた。「ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み 数多く行かば 人知りぬべみ」とあるところから、そのように推察されるのである。
     何故、人麻呂が人目を忍ばなければならなかったか、それはわからない。この当時の結婚の形態は、通い婚が一般的であった。男は女と同居することなく、女の家に通うのである。男の中には複数の女のもとに通う者もあっただろう。逆に、複数の男に通われた女もあったことだろう。
    人麻呂がこの女のもとに通うのに人目を偲ばなければならなかったのは、この結婚が祝福されるものではなかったことを物語っているのかもしれない。もしかしたら、女には別に、正式の夫がいたのかもしれない。
   そんな推測は脇へおいて、この歌を虚心に詠むと、一人の男としての人麻呂が、最愛の女を失った悲しみが、ひしひしと伝わってくる。人麻呂は、女の面影を求めて、かつて女が足を運んだ軽の市を訪ねる。「吾が恋ふる 千重の一重も 慰むる 心もありやと 我妹子が 止まず出で見し 輕の市に 吾が立ち聞けば」と、人麻呂は、ただただ亡き人の面影を求めてさすらい歩くのである。
    誰しも思い当たることであろう。失った者の面影を求めて、その人の匂いのする所をさ迷い歩くのは、我々現代人も同じである。
    だが、そこには亡き人の面影を呼び覚ますものはなかった。かくて人麻呂は、「玉ほこの 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる」と絶叫する。
    女に先立たれた一人の男としての人麻呂の、痛ましいような、情けないような、何とも不思議な魂の叫びが伝わってくる。

http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/56.htm

http://www5e.biglobe.ne.jp/~narara/newpage%202-207.html

http://manyo.hix05.com/hitomaro/hitomaro.aido.html
 
 
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