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「更級日記」のことなど

 投稿者:管理人 デスクトップ 315  投稿日:2018年 1月17日(水)12時39分47秒
  通報 返信・引用 編集済
   井口文学についてはまた改めて紹介したいところですが、旧PCのデータを調べていたら、きょうのように雨もよいの寒い日、同じ情緒を綴っていた投稿の元原稿がありましたので、披露しておきますね。
                             2009年 1月 9日(金)16時59分 群系掲示板

 きょうはひさしぶりに雪が降って、寒さがいちだんと厳しい。ちょうど締切の仕事があって家に閉じこもらねばならないから、出かける気持ちが抑えられてよい。仕事がなくて天気がいい日など、気持ちがうきうき(あるいはうずうずして)外へ行かないではすまないときがある。こんな気持ちは人皆に普遍的なようであって、「死の家の記録」の〝囚人〟たちでも、天気の悪い日は却って外界への憧れを持たずにすんだようだと作者ドストエフスキーはその気持ちをいっている(捕囚の人ほど、外への、自由への憧れは強かろう)。囚人たちは、風呂へはいっているとき、〝娑婆〟のことをいろいろ云々していたようだ(こんなシベリアの流刑地に、風呂なんてあったのかな。読後の記憶としてあのシーンは印象的だった)。

 我が古典でも、晴れの日は時にお出掛けがあったようだ。「女車」に乗って、平安の女房たちも郊外へピクニックへ出かけたようである。牛車に木漏れ陽のする木の枝がかかる様をみずみずしく清少納言も書いていたようだった。逆に風雨や雪に降り込められた塞いだ気分の女房たちのようすも「枕草子」にはあったようだ。宮中で、同僚たちも相応にいたなかで、そうした自然界の〝大荒れ〟はいかにもさびしく、またこわいような気持ちであったろう(特に雷がおどろおどろしく鳴り響くときなど、気が気でないようであったろう)。

 近代ならともかく、まだ迷信や未知がたくさんあった頃、人々はどんなに心淋しいときを送ったことだろう。「枕」や「源氏」はむろん、「更級日記」などは、人事もないあわせでそうした気持ちを叙していて、いまの文章など以上に、その心象は印象けざやかである。たった原稿用紙100枚も足らないこの「押し花の匂いのする」(堀辰雄)日記には、かの時代のそんなに身分は高くはない(受領階級)に生い育ったからこその様々な感慨があって、気持ちをそそる。都へ向かう旅日記で目にしたものは少女時代の思い出を追想したからこそもあって(また筆を持った晩年の今の悲愁の気持ちもあわさって)なんともいえない、人生の万華鏡ともいえる。

 十歳前後で、上総(千葉・市原)のこの土地を去ろうとする頃に、手作りの木彫りの丈六の仏を見捨てていく気持ちのいじらしさ、この土地の何もかも目にとどめたいとする気持ちなどは、通信・交通の発達し今日では感じえぬ、心の髄まで染みとおった感慨であったろう(人間の本来の原初的感情とも思える)。途中松里(今の松戸)で長年面倒を看てくれた乳母との別れ、一面の茅の生えた武蔵野を行く茫々の感覚(竹芝の昔語りを挿入しないではいられぬほどの茫漠なさまーそれが今日の東京である)、あるいは丹沢の山の暗がり、そこで野宿するのもなんともそら恐ろしいものだったろう(少女の身では、またとんでもない原初的体験の日々であった)。そんな中、暗がりから現れた遊女たち、その澄んだ声に、少女ら一行はなんともいえぬ癒しを覚えたことだろう(少女だからこその、そうした歌舞を演ずる人への目の覚めるほどの感慨は、最近でも韓国ドラマ「ファン・ジニ」NHK土曜深夜、でキーセンたちの舞いに瞠目した主人公少女の初々しい感動に見られたことだった)。旅の一行も命がけだったろうが、当時の遊女たちも、それこそ命がけで、その生業を生きていたであろう。情報のあまりない中古という地平は、それこそ毎日毎日が「生きる」そのものであったと思われる。
 やっと都の邸宅へ着いたが、都といっても、木々がうっそうと茂り、夜中でもあったでもあったし、少女の落胆は相応なものであったろう(物語のある都はどんなに華やかなものかという幻想もあった)。その都での生活もまた、少女の夢と幻想を少しずつ破っていく現実ばかりであった。でもそうした中でもささやか日々の暮らしを点綴するその筆致にも、もはや懐かしい、とも言表できるような日常があった。

 時に姉との生活は今日にも通じる、ある纏綿とした情緒を読む者の気持ちにひたさないではいられない。ある晩、夜空にながれ星をみる二人。ふっと、姉は「ねえ、いま急に私がいなくなったらどう思う」。妹は(何を言うの)となま恐ろしい気持ちになる。「冗談よ」と紛らわしげに姉はいうが、それを受け止める妹(作者)の気持ちは真にいかばかりであったろうか。姉の「急にいなくなったら」という言葉は現代でもありそうだ。そしてこの言葉は姉妹の、特に姉に特有の属性かもしれない。妹をかばい、保護してきた、特に母親が常時身近にいるわけではない家族関係にあっては、姉は我が身を犠牲にする母性の象徴でもあったかもしれない。
 その姉妹の会話の中に現れたのが一匹の子猫であった。「かわいらしい。ね、この猫を飼いましょう」。どちらの提案かこの猫を飼うという話が、この日記、特に姉妹の生活にあるけざやかな印象を与えることになる(ちなみに平安の当時、猫は今日ほど多くはなく、もの珍しかったそうである)。すなわち、姉が病気になって、猫が姉妹から遠ざけられて、従者たちの居所に置かれていた頃、姉の夢にその猫が現れたというのである。「猫はどこ?」がばっと起きた姉は言う。実は夢に、その猫が現れて言うには「私は侍従の大納言の娘の生まれ変わりです。久しぶりにご姉妹の近辺にいられて嬉しかったのですが、近頃は遠ざけられて、あやしの者たちの近辺にいるのが憂わしいのです」。この「侍従の大納言の娘」というのは、姉妹が(特に妹が)、〝手〟を習っていた方だったのだ。昔は文字はそれこそ手習いであって、身近に手をとって教えてもらった。だが、「侍従の大納言の娘」はあるときはかなくなって、死んでしまった。その辞世の歌に「私がいなくなってしまったら、鳥部山に立つ煙を私だと思ってほしい」というものだった。当時の仏教的な無常観ならでは(いや、今日にも通じる)死生のむなしさがつたわる歌である(煙となる、は「なくなる」という言表になんともぴったりだ)。

 「更級日記」はその後、その大切な姉の死、宮仕えのこと、それから帰って老残の父へのなんとも切ない思い、そして残った姉の遺児を川の字のように添い寝すること、一家の大黒柱になっていかなねばならない、夢から覚めた現実へ回帰せざるを得ないいきさつが主人公の思い(それは歴史上の多くの女たちの思いであったろう)とともにつづられる。そして、やっと三十歳をかなり経て結婚するが(当時としては破格の晩婚)、けっして悪い夫ではなかったのに、幸福は得られず、夫の任地にくだる際にみた流れ星の不吉な予感が的中して、彼女はやもめとなる。老残の孤独な身の上を吐露してなげく一巻の末に、さらにかきくどいた(告白相手の)尼は、あなたはまだましですよ。訪れてくれる甥ごさんがいるではないですか、私はもっと孤独ですよ、という話を最後につづって日記は終わる。
 だがけっして〝ハッピーエンド〟ではないこの日記には、不幸一辺倒とはいえないあるメッセージがわれわれには伝わるのである。すなわち、あなたは幸せばかりではなかったが、そうしたさまざまな人生の断片を思いのたけ吸い込んだではないか、精一杯生きて哀しみ、歓び、切なさを生きた、ではないか。人生のペストリ(織り込み)を十二分に味わった、その意味では、それを味わえないでその日その日をゲームなどで興じて(楽しい)とした現代の子供たちよりも、何倍か、その人生を味わえたのではないかー。


 古典には(特に日本古典には)、人間の持つそうしたさまざまな哀歓がみられる。最後に最近、目にした「うなゐ松」のある一節を紹介しておきたい(むろん仕事で古文テキストを作成する時に〝発見〟したのであるが)。
 これは近世初期、歌人木下長嘯子の歌文集『挙白集』にある章段なのだが、「うなゐ」とは 「髫/髫髪」と書いて「髪をうなじのあたりで切りそろえ、垂らしておく小児の髪形」をさすが、いっぺんの内容は、我が娘子の死期にあった際を書いたものである。十歳くらいの我が子が、春の桜を待たずに死ぬ運命なのを、健気に、父親が手折ってきた梅の小枝をみながら、後世のことを頼むいじらしさの描写は、「源氏物語」〈御法)の紫の上の逝去の場面に比するほどの筆舌の一節であった(文芸作品の味わいは、単にストーリーの有為転変、だけでなく、ある印象的な場面・情景にこそある、とわが恩師大野茂男先生が仰せであった)。
 確かに、「死」こそ「すべてを打ち切る重大事」(鴎外遺言)であるが、逆にそれこそ、その描写こそ、残ったものにどんなに感銘を与えるか、である。近代作品では、漱石「彼岸過ぎ」までに、小さな者の死(まだ一歳になったかいなかの〝雛子〟の突然死)で看ることが出来るし、有島武郎(「小さき者」)の、その母親(有島の妻)の死に、看ることが出来る。いかなる〝不幸〟が君たち残った小さき者たちにふりかかるものか、愛情に満ちたその父(有島)の筆致は、近代日本散文の最も「美しい文」に数えられるだろう(そして、彼自身の心中と、その発見の悲劇的顛末は、あわれを誘わずにいられない)。

 こんな文章を書いているヒマはなかったのですが、興にのって長く書きました。興味のある方はぜひお読みください(「うなゐ松」の一片は、実はセンター試験2006年に出題本文であります)。
 
 
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