teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


「更級日記」のことなど  再掲出

 投稿者:管理人iPad 8655  投稿日:2020年 8月 3日(月)22時29分18秒
返信・引用 編集済
  「更級日記」のことなど
投稿者:管理人  投稿日:2009年 1月 9日(金)16時59分  群系掲示板

 きょうはひさしぶりに雪が降って、寒さがいちだんと厳しい。ちょうど締切の仕事があって家に閉じこもってやらねばならないから、出かける気持ちが抑えられてよい。仕事がなくて天気がいい日など、気持ちがうきうき(あるいはうずうずして)外へ行かないではすまないときがある。こんな気持ちは人皆に普遍的なようであって、「死の家の記録」の〝囚人〟たちでも、天気の悪い日は却って外界への憧れを持たずにすんだようだと作者ドストエフスキーはその気持ちをいっている(捕囚の人ほど、外への、自由への憧れは強かろう)。囚人たちは、風呂へはいっているとき、〝娑婆〟のことをいろいろ云々していたようだ(こんなシベリアの流刑地に、風呂なんてあったのかな。読後の記憶としてあのシーンは印象的だった)。

 我が古典でも、晴れの日は時にお出掛けがあったようだ。「女車」に乗って、平安の女房たちも郊外へピクニックへ出かけたようである。牛車に木漏れ陽のする木の枝がかかる様をみずみずしく清少納言も書いていた。逆に風雨や雪に降り込められた塞いだ気分の女房たちのようすも「枕草子」にはあったようだ。宮中で、同僚たちも相応にいたなかで、そうした自然界の〝大荒れ〟はいかにもさびしく、またこわいような気持ちであったろう(特に雷がおどろおどろしく鳴り響くときなど、気が気でなかったろう)。

 近代ならともかく、まだ迷信や未知がたくさんあった頃、人々はどんなに心淋しい、そら怖ろしいときを送ったことだろう。「枕」や「源氏」はむろん、「更級日記」なども、人事もないあわせでそうした気持ちを叙していて、現代の文章など以上に、その心象は印象けざやかである。たった原稿用紙百枚にも足らないこの「押し花の匂いのする」(堀辰雄)日記には、かの時代のそんなに身分は高くはない(受領階級)に生い育ったからこその様々な感慨があって、気持ちをそそる。都へ向かう旅日記で目にしたものは少女時代の思い出を追想したからこそもあって(また筆を持った晩年の今の悲愁の気持ちもあわさって)なんともいえない、人生の万華鏡ともいえる。

 十歳ちょっとで上総のこの土地を去ろうとする時に、手作りの木彫りの丈六の仏を見捨てていく気持ちのいじらしさ、この土地の何もかも目にとどめたいとする気持ちなどは、通信・交通の発達した今日では感じえぬ、心の髄まで染みとおった感慨であったろう。途中松里(松戸)で長年面倒を看てくれた乳母との別れ、一面の茅の生えた武蔵野を行く茫々の感覚(竹芝の昔語りを挿入しないではいられぬ茫漠なさまーそれが今日の東京である)、あるいは丹沢の山の暗がり、そこで野宿するのもそら恐ろしいものだったろう(少女の身では、またとんでもない原初的体験の日々であった)。そんな中、暗がりから現れた遊女たち、その澄んだ声に、少女ら一行はなんともいえぬ癒しを覚えた(少女だからこそそうした歌舞を演ずる人への目の覚めるほどの感慨もあったろう)。旅の一行も命がけだったろうが、当時の遊女たちも、それこそ命がけで、その生業を生きていたであろう。情報のあまりない当時という地平は、それこそ毎日毎日が「生きる」そのものであったと思われる。

 やっと都の邸宅へ着いたが、都といっても、木々がうっそうと茂り、夜中でもあったでもあったし、少女の落胆は相応なものであった(物語のある都はどんなに華やかなものだったろうという幻想もあった)。その都での生活もまた、少女の夢と幻想を少しずつ破っていく現実ばかりであった。でもそうした中でもささやか日々の暮らしを点綴するその筆致にも、もはや懐かしい、とも言表できるような日常があった。

 姉との生活は今日にも通じるある纏綿とした情緒を、読む者の気持ちにひたさないではいられない。ある晩、夜空にながれ星をみる二人。ふっと、姉は「ねえ、いま急に私がいなくなったらどう思う」。妹は(何を言うの)となま恐ろしい気持ちになる。「冗談よ」と紛らわしげに姉はいうが、それを受け止める妹(作者)の気持ちは真にいかばかりか。姉の「急にいなくなったら」という言葉は現代でもありそうだ。そしてこの言葉は姉妹の、特に姉に特有の属性かもしれない。妹をかばい、保護してきた、特に母親が常時身近にいるわけではない家族関係にあっては、姉は我が身を犠牲にする母性の象徴でもあったかもしれない。
 その姉妹の会話の中に現れたのが、なんと一匹の子猫であった。「かわいらしい。ね、この猫を飼いましょう」。どちらの提案かこの猫を飼うという話が、この日記、特に姉妹の生活にあるけざやかな印象を与えることになる(ちなみ、平安の当時、猫は今日ほど多くはなく、もの珍しかったそうである)。すなわち、姉が病気になって、猫が姉妹から遠ざけられて、従者たちの居所に置かれていた頃、姉の夢にその猫が現れたというのである。「猫はどこ?」がばっと起きた姉は言う。実は夢に、その猫が現れて言うには「私は侍従の大納言の娘の生まれ変わりです。久しぶりにご姉妹の近辺にいられて嬉しかったのですが、近頃は遠ざけられて、あやしの者たちの近辺にいるのが憂わしいのです」。
 この「侍従の大納言の娘」というのは、姉妹が(特に妹が)、〝手〟を習っていた方だったのだ。昔は文字はそれこそ手習いであって、身近に手をとって教えてもらった。だが、「侍従の大納言の娘」はあるときはかなくなって、死んでしまった。その辞世の歌に「私がいなくなってしまったら、鳥部山に立つ煙を私だと思ってほしい」というものだった。当時の仏教的な無常観ならでは(いや、今日にも通じる)死生のむなしさがつたわる歌である(煙となる、は「なくなる」という言表になんともぴったりだ)。

 「更級日記」はその後、その大切な姉の死、宮仕えのこと、それから帰って老残の父へのなんとも切ない思い、そして残った姉の遺児を川の字のように添い寝すること、一家の大黒柱になっていかなえばならない、夢から覚めた現実へ回帰せざるを得ないいきさつが主人公の思い(それは歴史上の多くの女たちの思いであったろう)とともにつづられる。そして、やっと三十歳をかなり経て結婚するが(当時としては破格の晩婚)、けっして悪い夫ではなかったのに、幸福は得られず、夫の任地にくだる際にみた流れ星の不吉な予感が的中して、彼女はやもめとなる。老残の孤独な身の上を吐露してなげく一巻の末に、さらにかきくどいた(告白相手の)尼は、「あなたはまだましですよ。訪れてくれる甥ごさんがいるではないですか、私はもっと孤独ですよ」、という話を最後につづって日記は終わる。
 だがけっして〝ハッピーエンド〟ではないこの日記には、不幸一辺倒とはいえないあるメッセージがわれわれには伝わるのある。すなわち、あなたは幸せばかりではなかったが、そうしたさまざまな人生の断片を思いのたけ吸い込んだではないか、精一杯生きて哀しみ、歓び、切なさを生きた、ではないか。人生のタペストリー(織り込み)を十二分に味わった、その意味では、それを味わえないでその日その日をゲームなどで興じて(楽しい)とした現代の子供たちよりも、何倍か、その人生を味わえたのではないかー。


 古典には(特に日本古典には)、人間の持つそうしたさまざまな哀歓がみられる。最後に最近、目にした「うなゐ松」のある一節を紹介しておきたい(むろん仕事で古文テキストを作成する時に〝発見〟したのであるが)。
 これは近世初期、歌人木下長嘯子の歌文集『挙白集』にある章段なのだが、「うなゐ」とは 「髫/髫髪」と書いて「髪をうなじのあたりで切りそろえ、垂らしておく小児の髪形」をさすが、いっぺんの内容は、我が娘子の死期にあった際を書いたものである。十歳くらいの我が子が、春の桜を待たずに死ぬ運命なのを、健気に、父親が手折ってきた梅の小枝をみながら、後世のことを頼むいじらしさの描写は、「源氏物語」〈御法)の紫の上の逝去の場面に比するほどの筆舌の一節であった(文芸作品の味わいは、単にストーリーの有為転変、だけでなく、ある印象的な場面にこそある、とわが恩師大野茂男先生が仰せであった)。
 確かに、「死」こそすべてを打ち切る重大事であるが、逆にそれこそ、その描写こそ、残ったものにどんなに感銘を与えるか、である。近代作品では、漱石「彼岸過ぎ」までに、小さな者の死(まだ一歳になったかいなかの〝雛子〟の突然死)で看ることが出来るし、有島武郎(「小さき者」)の、その母親(有島の妻)の死に、看ることが出来る。いかなる〝不幸〟が君たち残った小さき者たちにふりかかるものか、愛情に満ちたその父(有島)の筆致は、近代日本散文の最も「美しい文」に数えられるだろう(そして、彼自身の心中と、その発見の悲劇的顛末は、あわれを誘わずにいられない)。

 こんな文章を書いているヒマはなかったのであるが、興にのって長く書きました。興味のある方はぜひお読みください(「うなゐ松」の一片は、実はセンター試験2006年に出題本文であります)。
 
 

青春の一時期の詩(思い)

 投稿者:管理人iPad 8630  投稿日:2020年 8月 2日(日)18時43分33秒
返信・引用 編集済
   夢

                  ナガノ サトル

夢を見た
いとこや おばが おおぜい来ていて
何か皆、せわしなさそうだった
母が どうかしたのかしらん
父は どこへ行ったのだろう
でも 僕の気持ちは 一つの場所に注がれていた
好きだった、もう会えないと思っていた女(ひと)が
台所仕事をしていた
僕は 心うきうき、どう挨拶しようか
考えていた
おばが さっきから 呼んでいる
(いま 行きます)
でも 僕はぐずぐずしていた
あの人のいる暗い台所が 気がかりだった
だがそこはいま、きらめく眩しい空間だった
透明で端正な、まるで水晶があるかのようだった
犯しがたく それでいて なにか魅する所
だった

ああ かくまでも ぼくの意識を宰領するもの
それは いったい何なのか
永遠ー
心の中でつぶやいて
目を覚ました
 

「風の道」誌 大森盛和氏

 投稿者:管理人PC 168597  投稿日:2020年 8月 1日(土)11時21分28秒
返信・引用 編集済
   「図書新聞」8月1日号の《同人誌時評》に、大森盛和氏の作品が取り上げらています。
「群系」同人から、抜き刷りが送られてきたので、公開するものです。

 (「群系掲示板」より、こちらの板に掲出の方がいい、と別の同人の言でしたので)

 ま、久しぶりの投稿ではあります。

http://

 

“月の舟” 久保訓子 / 『徳島文學』 3号

 投稿者:荻野央  投稿日:2020年 5月19日(火)11時36分10秒
返信・引用 編集済
  主人公は二人、というよりは二つの意識主体が、それぞれ「パパの娘」と自認しており向かい合いながら、死ぬ間際の父親の病室にいる場面から小説ははじまる。一つの意識「私」は、もう一つの意識であるところの「あたし」のことを妹ではない、と疑っている。知らない女が父親の遺産金を目当てに現れたのではないか、と。二つ、と書いた理由は、中盤「*」から「あたし」がヒロインとして語りはじめるところにある。「あたし」は「私」のことをあの子と呼び、ここから「二人」が姉妹ではないらしいことが想像される。「二人」で一緒に穴を掘ったり、看護婦の杉田さんから、お父さまが話があるそうです、と声をかけられて「二人」は病院内を歩いていくうちに、片方が行方不明になる。その刻限、真っ暗になった「陶器のような」(久保)空に浮かぶ三日月が浮んでいて、まるで鎌のようにキラキラしているのを見上げている「あたし」。不穏な雰囲気になり「このままじゃパパが死ぬ」と「あたし」は思っていると月から何者かが落下していくように見えるというところで小説は閉じられるが、でもこの梗概は私の特別なものなのかもしれない。
どうして私は意識主体などという妙な言葉を工夫してしまったのか。肉体感が感じられない主人公(たち)が、お互いに見つめ合うだけで、接触とか痛みやらの実感性の無い所から考えてしまったからである。父親はいまや死に瀕している動きに比べていかにも薄い。ここらへんは作者の意図的なところからくるのか。これでは看護婦の杉田さんも含めて三人は、とうに死んでしまっているように思えるのだ。

看護婦の発言から、忌の際の父親からの遺言の言葉が告げられようとしているらしいのだが、二つの意識にはそのことがわからないままだ。どうしてわからないのだろうだろう、と読者は不思議に思っているうちに「私」は消えてしまい、「あたし」は月から落ちてゆく何者かを見つめている。落下してゆくのは父親なのではないかと怖れる最終面で、ますます一つに合わさったように思った。その前までは争う気配のあった二つの意識は、主体として一つになるといった具合―「私」が「あたし」の中に収斂されたような合一的な方法。これはとても不思議な方法で、作者の際立った文体によるものだ。複数の語り部―「私」と「あたし」―が合わさった一つの主体が、父親の死や、隣接する老人ホームの様子、そして土を掘るという動作の描写の周辺を叙述する小説の形式は―しかもそれぞれが対立しているのだから、もしも「*」マークがなければ、表現は困難な方向に行ったかもわからない。そのような危険性を含みながら、でも、ありきたりの現代文学(同人誌文学)の停滞に見られない特異なモデルがある。
作者は方法意識を絶えず革新的に動かしながら考える作家だ。次の作品ではどのような変容が小説を産みだすのか。おおいに期待したいと思う。

【発行所】
「徳島文學協会」(事務局) 〒771-3201 徳島県名西郡神山町阿野字方子103
 

人間の反射神経、すごいっ!

 投稿者:管理人iPad 7940  投稿日:2020年 5月16日(土)21時27分43秒
返信・引用 編集済
   個人的なことですが、ちょっと認識したことがあります。人間って、意識してなくても本能というか、反射神経というものが意外とあって、例えば物が落ちてくるのを咄嗟によけるということがありますね。いや身近なことでいえば、このいま書き込みをしているタブレット、当方のこのiPadは寝ながら操作が出来るというのが、ノートパソコンではあり得ないピカイチの特徴ですが、でもそれが逆に危ないことを招来します。
 というのは、こういう書き込みですら、左手でiPadを持ちながら右手で画面に出てきているキーボードに打ち込むのですが、ちょっと手を緩めると、タブレットを落としてしまいます。まだ打ち込みの時は、意識がしかとしていますが(もちろん横に置くときもあり)、動画を見ていたりで一定の時間そのままの態勢でいると、ある時その瞬間がくるのです。危ないっ、!と思った瞬間、しかし無意識に身体をよじって難を避(よ)けています。顔に当たらないよう、本能的に動くのですね。これはもう、小生のように一日八時間もiPadを操作している人間にとっては、もう自分のからだの一部になっているというか、どうなっていくか、意識ではなく、身体自体がわかっているのですね。
 危機が去ったあと、つくづくよくよけられたなあ、と毎度感心します。もう自分も七十歳、気は若いつもりでも、歩行一つとっても疲れやすい、とろいなど、ひと昔前にはなかった身体感覚を日頃感じています。
 でもしかし、このタブレット操作時の緊急避難は、すごいものと、自分でもつくづく感心します。
 考えてみると、でも初めから本能だけの反射ではないと思いました。まず、本人が何よりも落下の危険を十分意識して、その際は避ける、ということを何度も意識、実践している・してきた、のですね。ですから、意外と意識していない、画面に夢中になっていた時でも、いざその危難が来た時、自然、本能的に反射的にそれを避けているのですね。
 まあこんな年がいっていてもこうした反射神経は生きている、いやむしろ発達してきているんだ、と感じたものです。ましかし、iPad一日八時間、というの、実はiPad自体から、「あなたの今日のiPad操作時間は、八時間二十分でした」と伝えられるのですから、どちらが主人で、どちらが従者なのかわかりません(笑)。
 しかし自己弁護のために言い添えると、原稿を書くのも、平成文学年表や、アンケート回答、投稿原稿の整理なども、デスクトップpc以上にiPadに世話になっています。メールのやりとり(原稿受信)も今はiPadがメインで、そのまま版元に転送します(ちなみに、デスクトップに来たメールも現代はタブレットでも見られるのです。One Driveという機能ですね)。小生は今ので3台目のiPadですが、性能も格段と向上して、わからない語句や物事はすぐ検索、もはやからだの一部になっています。長く生きてよかったと思えるのは、こうした先端機器の進歩を身近に感じられることが一つでしょう。

 ついでにからだのことで感心することは、朝起きのことです。透析を午前にしてから半年以上になりますが、朝5時半に起きる(目覚める)のは日常のことになりました。むろん用心のためにiPadの目覚まし(というのもあるのです)をセットしておくのですが、それが鳴るより前に必ず5時半には目覚めるのです。それが透析日ではない、今日土曜や明日の日曜日でも、目覚めた時、いま何時かとiPadを点けてみると、必ず5時半なのです。それも朝方夢を見てて、あ寝過ごした、と思ってもiPadの時刻を見ると必ず5時半で、6時であったことも今までありません。
 この目覚めの規則性って何なのか、と思います。ま夜は12時すぎには寝るようにしていますが、睡眠時間も5時間くらいで、もう自分のからだはどうなっているのだろう、と不思議な感じです。

 でも最近は透析行くのは嫌ではなく、今日は何しよう、と課題(タスク)をきめていきます。4時間の透析時間のうち、3時間はiPad操作・読書に当てられています(ま、体調がいいのでしょう)。二週間に一度の血液検査の結果もよく、ヘマトクリットもアルブミン値も満足のいくもので、普段食事でもタンパク質を摂るよう心がけている結果かな、と思っています。

 https://youtu.be/6-wkpfQjJ0Q
 ↑  上の投稿とは関係ありませんが、群系誌の合評会の様子です。
 

「ああ、ここに私がいる」ー文学との出逢い

 投稿者:管理人iPad 7275  投稿日:2020年 3月21日(土)10時27分54秒
返信・引用 編集済
   「ああ、ここに私がいる。梶井基次郎の「檸檬」を読んだとき、そう思った。」ー

 『季刊文科』80号に掲載の同人・間島康子さんの「梶井基次郎ー瑞々しく光るもの」の冒頭部分である。中学時代にちょっとした入院生活を送った経験から、心に異物を感じるようになった、という。以降に次のようにある。「高校生になり、私は「檸檬」に出遭った。それは私を静かに昂らせた。内面の鬱屈を確かな言葉で表出している梶井基次郎は私にとって大切な作家になった」ー。

 文学との出逢い。これは美術や音楽のように素敵な時間とは必ずしも言えないだろう。青春の彷徨、社会への不信、自己への幻滅、様々あって、出遭った本。これは人間ならではの貴重な経験であろう。(むろん、音楽や絵画への出会いの契機には必ずしもいい気持ちの時ともいえないことがあるかもしれない)。

 こういう出逢いがあってこそ、小説や詩歌、あるいは批評に関わることになったのであろう。小生の場合、中学生時代か、母が息子たち二人のために(自分のためにも)定期購入してくれた『日本の文学』(中央公論社版・全八〇巻)があったおかげであろう(いまも自分の書棚にある)。これで、漱石や芥川、藤村などに触れたが、一番共感したのは堀辰雄であった。以来軽井沢にも行き、辰雄ばりの小品も書いてみたりした。
 こうした「私がここにいる」という経験、その感受性こそ、文学文芸の原基ではないだろうか。


 間島さんは、同人誌『風の道』誌にも、「雨女ー一葉の恋 その三」を書いておられて、「毎回楽しみにしている力作の一葉伝記小説である。桃水と一葉の恋愛感情が細やかに掘り下げられて、一葉の女性心理に分け入るところが見せ場になっている注目の作品」とある板にも評価があった。
 梶井と樋口一葉、こういう作家に魅入られた、というのはもはや羨ましい、というしかない。

 https://www.choeisha.com/pub/books/58005.html
 

幼少時の思い出

 投稿者:管理人iPad 7247  投稿日:2020年 3月19日(木)16時53分24秒
返信・引用 編集済
   「永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた」ー。

 三島由紀夫の「仮面の告白」の冒頭であるが、誰しも「生まれた時」そのものではないが、「幼少時」の記憶を案外永い間保持しているものではないか。むろん個人の思い出は実際の事実とはいろいろ違ってもいようが、本人のその思い出は絶対であり、まさしく個人を特定するものとしてあろう。「私は誰?」と二十歳を越えてからそのアイデンティティー、自己の見定めにくさを感じることはあろうが、記憶・思い出こそは、「私」、つまり自己を特定するものとしてある。

 小生の場合、小中高大の学校時代の思い出は、年が前ほどむしろ鮮明である。だから小学校中学のクラスメイト、あるいはいじめっ子(小生自身はそれほどいじめられなかったが)の顔や振る舞いはしっかり覚えている。たまたま八幡小三、四年生の時の担任(金井先生、結婚して松戸先生)がカメラ好きで、いくつかスナップを撮ってくれていたので、今や小生の宝ものである(それにしても児童皆にあげたのなら大変なこと、感謝である)。
 写真にはドッジボールをしているスナップがあるが、それらの級友の名前も大抵は覚えている。また何人かが集まって、ふざけ合いながらおさまっているショットもあります。
(実はそれらの写真をこの際、アップしようと思ったのですが、PCにあるものなので、iPadからの掲示板へは転送できないようでした。ご存知の人もおられるかと思いますが、今やiPadで自身のPCの中身をのぞくことが出来るようになっているのですが。ついでがあればPCからの掲示板投稿を試みたいと思ってます)。
 もはや現地を訪れても、市川市の八幡小学校も、越境通学していた浅草橋駅前にあった台東区立の福井中学校も、付近の風景などもすっかり変わってしまった。それでも前世紀まではなんとか思い出のところがそのままあって、時折訪れていたのですが。

http://

 

医療者との雑談は楽しい

 投稿者:管理人iPad 7160  投稿日:2020年 3月13日(金)14時58分18秒
返信・引用 編集済
   この頃、楽しいのは技師の子がよく話に来ることだ。最初の穿刺、終わりの返血回収ごとに透析の技師さんが来てくれるのだが、男性と女性の比は3:1くらいなのに、比較的当方へは女性が来てくれる。でもくだんの子はまだ新人なので穿刺は出来ない。回収もちょうど昼過ぎは午前午後の患者の交代時なので、来る来る、と言いながら他の患者(お年寄りなど)の方へ行ってしまう。その言い訳ではないが、この頃はまだ透析中なのに雑談に来てくれるのだ。これはいい年した当方には素直にうれしい。
 先日はその子が当方の透析終了の時間を見計らって今度こそといって回収に来てくれた。腰に、出身地千葉のぴーにゃっつ(検索)のバッジを付けていた(ピーナッツがネコになっているの・下に写真)。このブローチの説明もしてくれたが、まだそれだけ若い(幼い?)のだ。
 世間話は、どの方とも比較的する方ではあるが、いろいろよくしてくれるのは患者にとっては和みで、この病院のいいところである。
 

透析の名人

 投稿者:管理人iPad 7130  投稿日:2020年 3月11日(水)14時11分13秒
返信・引用 編集済
   透析を初めて37年になる。もうなかなかのベテランだ。透析は確立した医療と言われるが、自分より長い人はだんだん少なくなってきている。透析の年数が増えるということは、年齢もそれだけ重ねるということで、この数ヶ月で自分のベッドの前の年寄り三人が居なくなった(ま、物故したというより入院中だったり、女子医大病院まで通院出来なくなって、自宅近くのクリニックの転院したからというそうだが)。

 小生は透析とうまく付き合っている方と言えようか。他の患者のように、ずっと寝ているなどはなく(四時間もよく寝られる!)、本を読んだりiPadでメールや板へのかきこみ、調べ物などしている。

 また月水金の通院も苦になっていない。朝8時の穿刺であるから5時半には起き、6時半には家を出る。もちろんラッシュであるから普通は座れない。まそれでも適度な混み具合で、通院自体がいい運動になっているといえようか。もちろん患者には食事制限などもあるが、ベテランの当方は食品の栄養価も知悉、どのたべものにはカリウムやリンはどれだけ含まれるか、逆にタンパク質はどれほどあるか、考えて摂っている。
 あまり蕎麦やうどん、スパゲティなどは食しない。タンパクが少ないからだ。患者のみならず高齢者はタンパクが必須である。ビールは飲むが(ほとんど毎日)、度を越すことはない。尿が出ないのだから苦しむのは自分だとわかっているからだ。

 千葉のクリニックで透析導入してから、この三〇年は女子医大病院の透析室である。日本一の施設にお世話になっていることで、心身ともに満足している。
 小生は、透析通院が嫌ではない。むしろ女子医大が好きであり、乗り換えて九段下から乗る都バスの途中の風景にもいつも見入っている(皇居のお堀、靖国神社、市ヶ谷堀、防衛省を毎度飽きずに窓から見ている)。

 女子医大の外来棟、透析室のある第一病棟、そして珈琲店のある中庭など、いつ来ても飽きない場所、トポスである(例えば女性がデパートに何度来ても飽きないように)。こうした、患者に愛される建物、その配置はつくづく設計者の先見を思う。

 クリニックと違って、女子医大の透析室はスタッフの数が多い。一般のクリニックの三~四倍はいようか。そして、彼ら透析技師や看護師、そして医師が皆いいのである。患者への気遣いも、穿刺の技術もすごい(めったに失敗しない)。女性の技師さんは1/3くらいだが、当方のところには穿刺も終わりの回収もよく女性が来てくれる。美人や可愛い子(もう皆娘どころか孫の年齢)がいろいろやってくれるのは、なごみである。

 若い時から腎臓が悪いとなっていた。大学を出た就職試験のとき、健康診断でタンパク尿と高血圧を指摘された。せっかくの内定も(朝日新聞社・業務)、健診で落とされて悔しかったので、大学の病院に行ったら直ちに入院だった(数ヶ月も)。それで人生が決まった。翌年の都立高校教員も受かったが、健診でやはり落とされた(腎臓病は企業や組織は嫌うのである)。で、二、三十代は、塾や高校の非常勤講師を続けた。案の定、ある雨の日の通勤が厳しいと思ったら、透析導入となった。
 しかし、いろいろな制限があった腎臓病の状態より腎不全、すなわち透析になった方が実は身体はいろいろ動かすことが出来た。透析をきちんと受けていれば中日は案外自由になれたのである。
 以来、予備校は草創期の東進ハイスクール、そして駿台予備校まで行けて、入試解説や模試作成(旺文社他)、赤本執筆などいろいろやった。身分がないだけに、こういう仕事をやっていったぞが自信になったのか。
 透析は運命かもしれないが天命でもある。ここで人間関係も出来たし、同人誌の庶務のみならず、原稿も書いてきたのである。

 ※ 透析患者の寿命
 https://jinentai.com/doctor_qas/27
 

銭湯の風景

 投稿者:管理人iPad 7070  投稿日:2020年 3月 5日(木)17時29分22秒
返信・引用 編集済
   この板はほとんど投稿がないので、設置者の個人的見解・感想を書かせていただいています。

 いま夕食をとっていますが、先ほどまで入っていた銭湯についての感想を書きますね。案外、銭湯には行かない人も多いでしょうし、実態をご存じない人もおられると思うので。
 そもそも三時過ぎに開業の銭湯、この時間では年寄りばかりだ(若い人は七~八時頃になる)。前から思っていることだが、銭湯にくる老人は実に禿頭が多い。ある日は客の七人が全てハゲだった。次は髪のある人が来るかと期待?していても、やはり禿頭だった。街で見かけるより、銭湯のハゲ率は高い(なぜか)。そして、この人たちも洗髪はするのである。ないのに洗うか。なかには、ハゲに剃刀をあてて丁寧に剃っている。これらは皆清潔の観点で見ると納得ではある。
 風呂上りに、髪を乾かすためにドライヤーをかける人も多い。これは音が大きく迷惑なのだが、それでも髪のある人の理由はわかる。だが髪がないのにドライヤーを点けて音を出すハゲ老人の気持ちは何か。
 また困るのは扇風機を点ける御仁である。夏ならともかく、この寒いのに扇風機をつけるヤツ。他人が寒がっていることなんか発想もないのだろう。またさらに変なのは、いきなり体操をし出すご老体。気持ちはわかるがここは公共の場所だよ。
 さらに嫌なのは全身刺青の人が入って来ることだ。これは老人ではないが、見事な刺青ではあるが、やはりその筋の人かと多少気遣いはする。銭湯の湯船は熱いので小生が水を入れていると、怒るオヤジが時折いるのだ。これが刺青男だと何をされるか(幸い、そういう人からの文句はない。さすが彼らは素人さんには手を出さないのだろう)。
 老人は総じて熱い湯が好きである。あんなに熱い湯にそのまま入って結構長い時間浸かっている。小生など必ずカランを回して水をさすのだが、老人で水を入れる人は見たことがない。ま、退職後の楽しみな時間はこの湯に浸かることなのだろう。
【追記】3月7日
 先ほどテレビを見ていたら、老人の熱い湯好きは、実は皮膚の感受性が落ちているせいだとお医者が解説していた。まあ何であんな熱い湯に入れるのか、謎が解けた。その点熱いと感じる小生はそれほど年老いていないのかな。

 江東区は銭湯が多い。先日はこのiPadの地図を出して「銭湯」で検索してみると、案外近在にあるではないか(今日は最近発券した、亀戸に近いお風呂屋さんでした)。
 

切ないほどの低年金

 投稿者:管理人iPad 6830  投稿日:2020年 2月 2日(日)10時39分0秒
返信・引用 編集済
     半年前にアップしたものの、再度アップです。年金問題はわれわれ同人にも直接関係するものゆえ、当方もいつも関心を持ってきました。しかしこんな低年金では暮らせるのでしょうかー「低年金問題」で検索。



 ネットニュースのコピペですが、今さらながら、こんな低年金でお年寄りを暮らさせるのか。悲しくて、切なくて、怒りもむらむら。子どもと年寄りを大事にしないのは、先進国ではない。

                            ◯

年金月4万5千円「死ぬのを待つだけなのか」 食事は半額セール ひざの痛みも我慢
7/15(月) 6:10配信 沖縄タイムス
低年金で困窮した生活を涙ながらに語る高齢女性たち=12日、那覇市内

 「お金がなくて、毎日、明日生きられるかと考える。低年金者は死ぬのを待つだけなのか」

 那覇市に住む女性(75)は目に涙をためながら逼迫(ひっぱく)した生活をぽつりぽつりと語った。2カ月に1度、手にする国民年金は9万円。貯金はなく、月4万5千円が生活費の全て。大半が市営住宅の家賃と光熱・通信費に消える。残る食費は1万7千円で、1日に使える金は平均約560円。

 食料は自宅から徒歩で片道約20分のスーパーで半額セールになった総菜を購入する。1人暮らしの自宅は必要最低限の家具のみそろえ、日中は電気代を節約するためクーラーを控える。ひざが痛くても受診を我慢している。

 日本復帰後、県内の飲食店で勤務した。低賃金と事業所側の厚生年金未加入が負担となり、国民年金の納付は後回しになった。

 約10年前に夫が他界。納付条件を満たさず遺族年金はない。4人の子どもは自宅近くに暮らすが、「迷惑を掛けたくない」と頼れないという。

 老後に夫婦で2千万円必要とした金融庁報告書を巡るニュースを目にするたび、不満とストレス、怒りが込み上げる。「今、生きている高齢者に目が向けられていない」

 厚生労働省年金局によると2017年度、沖縄の月平均年金受給額は国民年金が5万2134円と全国最低。厚生年金は12万5338円で全国平均と比べて1万9565円低い。65歳以上で年金を受給していない人は16年度で約1万8千人に上る。
 

誕生日はめでたくもない

 投稿者:管理人iPad 6570  投稿日:2020年 1月11日(土)14時51分58秒
返信・引用 編集済
   言いたくもないが、今日は管理人・永野悟の誕生日。1950年1月11日生まれなので、70歳になる。同人のOさんも同じく今日がご生誕の日とか(彼は年下だから、まだ古希ではないようですが)。
 ちょっと前に着いたサプリの箱を開けると、「お誕生日、おめでとうございます」とかあった。なんでサントリーが当方の誕生日を知っているのかと思ったが、当然数年前に申し込んだ時に個人情報を書き込んだのだろう。しかし、今更「お誕生日、おめでとうございます」と言われて面白くないのは、健康サプリの会社だから重々わかっているだろうに、箱にはカレンダーだの、健康のためのアドバイスがくだくだ書いてある。
 しいて自分に多少うれしいことを書くと、皆さん、「七十歳には見えない」「お年より若いですよ」とは言ってくれる。当方も、この年で髪も相応にあるし、体重をコントロールしているのでお腹が膨らんだり、顔のたるみもないようだ。銭湯など行くと同世代だろう爺さんが禿げていたり、お腹が膨らんでいたり、いかにも動作ののろいのと比較すると、マシかなとは思う。
 ま、透析も今年で37年にもなるし、いろいろふつうの人より食事などは気をつけている(タバコは吸わないが、ビールは好きで毎日飲んでいる。オシッコが出ないのに、ビールの水分は別腹なのか)。
 月に二回血液をとって検査にあげている。これらのデータを元に、食事や運動(身体を動かす)には気をつけている。呑気な性格なのでストレスはあまり感じない。
 透析者の中には四〇年以上の人もいるし、透析が保険で出来るようになったのは田中角栄内閣のときからだから、もうすぐ半世紀を迎える(角栄には感謝)。透析者がどこまで生きるか、現在継続中で、いわば人類史上の実験である。当方は女子医大という最高の医療施設で、何かがあれば入院治療させられる(していただける)から、巷間思われているより長生きするのではないか。でもほとんど福祉のおかげでもあるから、個人の出来る範囲で恩返し、というか感謝の日々を送りたい。アーメン、いやナンマイダー、いやシェシェ。
 

七五三、奈良公園の鹿遊び

 投稿者:管理人iPad 6216  投稿日:2019年12月24日(火)10時01分29秒
返信・引用 編集済
   心和む動画、いくつか紹介。

 Shichi-go-san, Japanese traditional event for children, Lily's piano Lif...
 七五三でお参りする女の子。いちいちの所作が可愛いが、後半すごいピアノの演奏を披露!
 https://youtu.be/lsb-7bPzd2c

 Takayama, Japan. Shichi-Go-San ?3-5-7? holiday; Exhibition of Festival F...
  幼児フリークのロシアのおばさん(赤い服)の幸せなひととき
 https://youtu.be/5IalA264ufg

 京都 平安神宮 三歳 七五三 祇園 花見小路
 https://youtu.be/wP65mGs9i6o
  平安神宮なんて、場所も最高!

 双子 twins 七五三 アリス①
  https://youtu.be/WbIQjddAYSk
 双子 twins 七五三 アリス②
  https://www.youtube.com/watch?v=KvwxjiQ1ILE
 双子 twins 七五三 sensouji②
  https://www.youtube.com/watch?   v=usTbWBmwp3A
 双子 twins 七五三 sensouji③
 https://youtu.be/nfMazgsJlnY
 双子 twins 七五三 sensouji④
 https://youtu.be/b4Zb7RQ-l7g

 奈良公園。鹿に遊んでもらっている中国の美人。(鹿になり切る!)
  https://youtu.be/tcAMXjYcO_s

 Nara Japan - Deer Park, Temples, Hotel by station
 同じく、鹿に感動して嬉しくて満面の笑みの白人姉妹の妹
 https://youtu.be/Vi8-bUp5u8I

 一転して
 【ADHDがわかるまで】発達の遅れを指摘された3歳から4歳までの成長記録と症状
 https://youtu.be/xC40rs55pdY

 【追加】会場騒然、鴨川シャチのショーでのできごと
    はた迷惑なのに、喜ぶ人々 (1千万回以上、再生!)
 https://youtu.be/HLhwZ1a91sU
 
 

韓国について

 投稿者:管理人iPad 6060  投稿日:2019年12月11日(水)15時07分51秒
返信・引用 編集済
   小職も多くのネットユーザー同様、どうしようもない、とんでもない国だと考えていた。徴用工問題にしろ、ホワイト国からの除外に対する反応にしろ、慰安婦の問題にしろ、すべて理不尽に思われた。何しろ日本を憎むあまり、日の丸を燃やす連中である(国旗を灰燼に帰す行為がいかなるものかわかっているのか)。あげく旭日旗についても廃棄しろ、という、ほとんど内政干渉である。
 たしかに、韓国という国家、そこで棲息する韓国民の立場に立てば、わからないことではない。併合の屈辱、日本臣民としてさまざま使役されたこともあろう。独立国家でなかった由来、歴史をいろいろ慮れば、かの国のかたわ的な来し方が思われる。
 だが、歴史の捏造と日本をいうが、自分たちこそ自らの国史を歪め、捏造しているのではないか。現在あるさまざまなことを何でも自分たちの出自だ、韓国が先に作ったのだ、という弁明は見苦しい。特に四大文明ならぬ、五大文明を言うに至っては笑止(コリアン文明という半島のみならず、大陸にも渡る文明があったのだと)。
 彼の国の歴史教科書のいい加減もあげたいが、当職が知る程度の歴史も実に彼の国に倦厭を思うに十分である。李氏朝鮮とは何であったか。それは両班・中人・常人・賎人の四つに分かたれたとんでもない身分制度の搾取国家である。両班(ヤンバン)といわれる支配階級を頂点に牢固とした身分制度。労働を軽蔑し、儒学を学ぶのが高徳とする両班。人々は少しでも自分が上の階級と見做されたいがために、高級な名を僭称する。よって誰も彼処も「金」と名乗る(「銀」や「銅」はないのかと)。それ以上に悲惨なのは、賎人の身分である。特に最下級とされた白丁(ペクチョン)という身分。人の風上にたってもいけないとされた、この賎民は、日本では考えられない。ところが、現代の韓国(民)はそれに矜恃を持つのか、韓国ドラマの宮廷ドラマはよく作られる(しかし歴史の捏造、インチキを絵に描いたこれをNHKはなぜそのまま放映しているのか)。

 自分たちの国、その歴史を否定する契機はないのか(日本では、戦後の学生運動その他で、来し方の国家主義をだいぶ否定したものだった)。確かに植民地化されたという負の歴史は、逆に怒りと自らを励ます愛国主義にはつながろう。しかし伊藤博文を暗殺した安重根を国家的なヒーローに祀りあげるのはいかがなものか。韓国併合は時の半島政権がむしろ日本に頼みこんで、自立出来ない自らを救恤してもらうためだったのではなかったか(伊藤はむしろ併合に反対だった)。
 小職がこの国の救いようのなさをしみじみ感じたのは、Wikipediaや動画で知った、戦後の国民殺戮の酷さである。1948年の済州島四・三事件、麗水・順天事件 、さらに1950年、朝鮮戦争下での保導連盟事件。いずれも政府軍、警察が自国民を大量虐殺した事件である(その数、万から何十万である)。当職はその事実を初めて知った時、開いた口が塞がらなかった。写真もあったがこれだけ人民を陵辱して恥じない政府・軍(李承晩)とは何なのだろう、と。

 慰安婦問題は、吉田清治の捏造を朝日新聞が書き立てたことで問題化した。自虐的な国民性が現れたこの吉田の虚構は、以降右派・国粋主義派のいい材料になった。この真偽はわからないが、問題に思うのは、韓国(民)が、日本攻撃のために、国内のみならず米国にまでいわゆる慰安婦像をすえたことだ。この神経がわれわれからすればわからない。相当な遺恨があったからにせよ、慰安婦像を据えるなどは、デリカシーに欠けるのではないか。子供にどういう言い訳をするのか。
 

学歴は人を作るか

 投稿者:管理人iPad 6000  投稿日:2019年12月 8日(日)09時16分18秒
返信・引用 編集済
   ちょっと異論かもしれませんが(偏見かな)、学歴論を書きます。いくら予備校講師をやっていたからと言って、大学で人間を差別するのは、皮相的、それこそ、非文学的と言われそうだが、アクチュアルに現代社会を生きていると、その現象とその事実に納得せざるを得ないから、書いてみるのである。

 関わっている同人誌にも窺われるが、実に早慶の大学出身が多い。いま世間で言われているように、両大学出身者の活躍がめざましいのだ。それに比し、東大をはじめ一橋や横国など国立大学派があまり見受けられない。予備校講師だったときにも、東大はさすが何人か見受けたが、一橋出身者は、学生の時の仕分けのデスク作業で一人あっただけで(いい人でした)、この数十年の生涯でもお見受けしない(まもとより人数が少ない、文学部がない、などありますが)。でもいわゆるエリート、世の中をしっかり見ているだろう方々にいま意見・感想を聞きたいと思ったのである(まOBとして石原慎太郎がいるが、彼がその代表だとは同窓の方々も思われたくないだろう)。文芸批評家としては大岡昇平研究の樋口覚、詩人の平出隆などはいますが。

 さて一橋のことは枕であって、主題ではない。むしろここでは私大出身者、早慶や立教明治中央法政大学の出身者に目につく人が多いので語ってみたいのだ。実は早稲田や明治大卒の人は多く見かけるし、その受ける印象は大方の予見とそう変わらない。エネルギッシュだし、いろいろな分野で頑張っている。立教出はあまり見ないけど、法政出身は多い。特に思想関係(リベラル派が多い)と、文学研究者ではこの大学出身者は多く見かける。バスで市ヶ谷界隈を通る時、あの高い建物、ボアソナードタワーがお濠端に見える。この大学に行っていたらば、大学院まで行って、文学研究者になれたのでは、とおもうこともある。

 実は意外と思われるのは慶応である。前からボンボンが行く学校、金持ちの大学、とまあ世間ズレしたしょうもない先見がずっと脳裏を支配していた。自分の高校の親友が慶応へ行ったとき、四年の時だったが誘われて三田のキャンパスへ行ったことがある。「オレの高校の時の。千葉大の」と学友に紹介された時、そいつは挨拶もそこそこに電話をしていた。「慶応経済の何々ですが」。すなわち就職の面接の打ち合わせの電話をしていたようで、同じ塾生のその友人なんかには全く関心がないようだった。ま、ケイオーはそんなやつらなんだ、と固定観念が出来た。
 だが、世の中へ出ていろいろな場で、この三田出身の人間に出会うことが多くなった。一つは、予備校の講師仲間、一つは文学の同人誌仲間、そうしてもう一つはテレビに出てくるジャーナリストや司会者、タレントの人たちである。一言、三田出身の人たちはいい人が多い。普通の人間的な思いやりができる人、友だちになれる人がいた(駿台では二、三人、恩義まで感じた)。文学の研究会、同人誌でも、普通に話が出来る、かつ自分を持っている、人が多い。
 【追伸】恩義まで感じていた駿台古文科講師の白鳥永興さんが昨夏亡くなられたことを知った。慶応卒の本当の紳士、ダンディで正義感のある、優しい人だった。

 やはりここではテレビやネットに出て来る人たち、有名人たちだから名前を挙げてしまうと、以下の人たちは、小職の好きな、まいいなと思っている人たちである。
 池上彰、宮本隆治、大下容子、弘中綾香、青木理、望月衣塑子、手嶋龍一、小沢一郎、人見豊、古屋健三、原民喜、江藤淳、室井光広、若林英輔、冨田勲、池田晶子、黒岩比佐子ー
 ま、玉石混交といわれるかもしれないが、何か感じるものはあろう。
 慶応出の人間は、人間的なものを感ずるとともに、個性的、である。国立出にはないもので、これは三田の雰囲気などが醸成するものであろうか。慶応大学は嫌いだけど、慶応出はいいと思う。
 

年寄りがいっぱい!

 投稿者:管理人 iPad 5760  投稿日:2019年11月17日(日)18時45分32秒
返信・引用 編集済
   年寄りが多い!
 いま銭湯へ行ってきたが、日曜日のこの時間は人でいっぱい。それも多くは年寄り、高齢者である。ここ、大島はただでさえ、道路に高齢者が多く、自転車の当方は注意が必要。特に商店街へ入ったら、例の台車を押しているお婆ちゃんでいっぱい(この台車はお爺さんには少ない。なぜか)。透析室も高齢者が多い。それも四時間ほとんど寝ている!寝られない小生としてはやっかみかもしれんが、よく寝られるなあ、と嘆息。
 年寄りは図書館も占拠。よく行って重宝している江戸川区立中央図書館も老人ばっか!ま、パチンコなどにうつつを抜かしているジジイよりもいいか。そうだ、思い出したが、当方がそこへ行く時乗る都バスの船堀駅からは、何と江戸川のボートレース場行きというのがあって(新発見!)、先日その都バスの発車を見たが、乗客でいっぱいだった。ギャンブルをしない当方にとって、あの乗客たちのエネルギーは何だろう、と思ったことだった。

※ 今日行った銭湯では、何と全身に入れ墨を入れたヤツがいた。背中に入れるのは見たことがあるが、背中から臀部、足まで、文字通り全身である。どうしてそんな彫り物をして身体を傷つけるのか、当方には全く理解し難いが、そいつは全く悪びれることもなく、振舞っていた。こういう時、江東区だなあ、と思う。
 ちなみに銭湯の高齢者には禿頭が多い。街中の年寄りよりも多いのだ。ハゲというのは、何か興味を掻き立てられる。毛でもって装飾されるはずの部位、顔の上までそれがないというのは妙なものだ。中には照り光りしているのもあって、上からの照明がそのまま反射して、照り映えしている。
 

アクセス数、一千回越えの動画

 投稿者:管理人 iPad 5730  投稿日:2019年11月16日(土)14時26分0秒
返信・引用 編集済
   シャチの水かけ動画、なんとアクセス、一千万回越えです。

 https://www.youtube.com/watch?v=HLhwZ1a91sU&t=74s

 百万回越えは目にしたことがしたことがありますが、10,000,000回は、さすが小生も見たことがありません。動画は十万回越えはよくあるのですが。
 

奈良公園の鹿と戯れる

 投稿者:管理人 iPad 5680  投稿日:2019年11月14日(木)10時10分20秒
返信・引用 編集済
   まあ、人間というのは人間ばかりの所にずっといるとストレスが溜まりますね。だからたまに自然に帰って、樹々の中に行ったり、海を見たり、温泉に浸かったりして身体を癒すのでしょう。でも小職からしたら、アタマの癒しには動物と戯れるのが一番です。
 奈良公園の鹿はその点、もってこいの場所です。外国人も鹿の餌やりでだいぶ癒され、いい思い出となるでしょう。
(でも、鹿は鹿センベイばかり食ってて飽きないのかな。栄養が偏らない?)


https://www.youtube.com/watch?v=KMn2Ti-6ehU&t=268s
 

日本の映画女優

 投稿者:管理人 iPad 5640  投稿日:2019年11月11日(月)19時39分50秒
返信・引用
   前に群系掲示板に掲出したものですが、備忘録のために今一度、こちらにもアップします。八千草薫さんの没年を書かねばならなかったのは残念ですが。

日本の女優さん  投稿者:管理人 iPad 218  投稿日:2018年 1月25日(木)01時18分38秒 編集済
  ステキな映画女優さんの紹介動画です。
   寒かった今日一日の締めくくりに、全部の女優さんをあげてみます。
下の動画、鮫島有美子の歌をバックに、いい時代を演出していますね。

    東山千栄子   1890-1980
    飯田蝶子       1897-1972  追加
    浦辺粂子       1902-1989  追加
    岡田嘉子       1902-1992  追加
    高橋とよ       1903-1981  追加
    笠  智衆         1904-1993  追加
    杉村春子       1906-1997
    浪花千栄子    1907-1973
    武智豊子       1908-1985   追加
    長岡輝子       1908-2010   追加
    沢村貞子       1908-1996
    田中絹代       1909-1977
    夏川静江       1909-1999
    三益愛子       1910-1982
    北林谷栄       1911-2010    追加
    入江たか子   1911-1995
    清川虹子       1912-2002
    水の江瀧子    1915-2009   追加
    桑野通子       1915-1946   追加
    三宅邦子       1916-1992
    谷よしの       1917-2006   追加
    轟夕起子       1917-1967
    望月優子       1917-1977
    山田五十鈴    1917-2012
    木暮実千代    1918-1990
    高峰三枝子    1918-1990
    水戸光子       1919-1981
    不忍鏡子       1919              追加
    原  節子         1920-2015
    山口淑子       1920-2014
    賀原夏子       1921-1991   追加
    山根寿子       1921-1990
    桜むつ子       1921-2005  追加
    久慈あさみ   1922-1996
    千石規子       1922-2012
    月丘夢路       1922-2017
    淡島千景       1924-2012
    赤木春恵       1924-2018  追加
    乙羽信子       1924-1994
    京マチ子       1924-2019
    越路吹雪       1924-1980
    高峰秀子       1924-2010
    津島恵子       1926-2012
    杉山とく子   1926- 2014   追加
    菅井きん       1926- 2018   追加
    山岡久乃       1926-1999
    三條美紀       1928-2015
    杉   葉子        1928-2019
    楠トシエ        1928・1・11  追加
    奈良岡朋子    1929-
    若山セツ子    1929-1985
    桜  京美         1930-1988  追加
    新珠三千代    1930-2001
    岸田今日子    1930-2006
    左   幸子        1930-2001
    香川京子       1931-
    久我美子       1931-
    島崎雪子       1931-
    八千草薫       1931-2019
    山本富士子    1931-
    有馬稲子       1932-
    岸    恵子       1932-
    久保菜穂子   1932-
    高千穂ひずる 1932-2016
    淡路恵子       1933-2014
    池内淳子       1933-2010
    扇   千景       1933-
    岡田茉莉子   1933-
    北原三枝      1933-
    草笛光子      1933-
    南田洋子      1933-2009
    若尾文子      1933-
    司   葉子       1934-
    団  令子        1935-2003
    青山京子      1935-
    芦川いずみ   1935-
    丘さとみ      1935-
    小山明子      1935-
    嵯峨美智子   1935- 1992
    浜木綿子      1935-
    吉行和子      1935-
    白川由美      1936-2016
    中原ひとみ   1936-
    野添ひとみ   1937-1995
   水野久美        1937-
    佐久間良子   1939-
    中村玉緒      1939-
    藤村志保      1939-
    水谷八重子   1939-
    浅丘ルリ子   1940-
    岩下志麻      1941-
    倍賞千恵子   1941-
    江波杏子      1942-
    十朱幸代      1942-
    桑野みゆき  1942-  追加
    光本幸子      1943-2013
    星由里子      1943-2018
    香山美子      1944-
    藤   純子      1945-
    松原智恵子  1945-
    宮本信子     1945-
    吉永小百合  1945-
    鰐淵晴子     1945-
    大原麗子     1946-2009

※  追加、とあるのは、1月27日に、管理人の追加です。参考までに。
「昔の女優さん」だなんて、今も現役の人もいますよね。
   しかし、こう上げてみると、銀幕の女性に愛慕の情を持っていたのかな。
   特に1931年生まれ、すなわち昭和6年生まれの方々がいまも存命で嬉しい。野口存彌さんと同い年ですね。
https://m.youtube.com/watch?v=kVj5EYdQhQk
 

昭和の時代・子供で時代を綴ります 

 投稿者:管理人 iPad 5600  投稿日:2019年11月 9日(土)12時38分2秒
返信・引用
   この掲示板の魅力は単に意見・感想を述べるためだけでなく、いいと思ったサイト、特に動画を紹介できることですね。特に、われわれ世代の昔の映像は懐かしいという感覚以上のものがあります。次は「戦争を知らない子供たち」という当時の流行の歌に合わせて、あの時をフラッシュバックさせています。
 参考に右の画面にも、昔の(明治大正の)映像もあります。ぜひついでにご覧下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=Q4TIIK9Oyu8&t=180s&app=desktop

http://kkう

 

レンタル掲示板
/87