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透析室のスタッフ

 投稿者:管理人iPad 6680  投稿日:2020年 1月18日(土)21時04分37秒
返信・引用 編集済
   個人的なことですが、当方は週三日午前中、女子医大の透析に通っています。透析室には看護師さんの他、多くの臨床技師さんという方々がいます。彼(女)らは、透析器(ダイアライザー)と回路を運転の機器に設置したり、穿刺や回収という透析の前後にいろいろやってくれています。
 透析室には通院派と、入院患者とにベッドがあります。われわれ通院派は午前八時に穿刺(針刺し)があるのですが(四時間後の正午過ぎに回収)、入院患者は少し遅れて九時、あるいは十時に穿刺となります。いっぺんに両方をやるとたいへんなので、入院患者は少しずらすのですね(でもそのベッドは午後の患者が使えない)。午後の通院患者は午後一時穿刺で五時回収、夜間の通院患者は午後六時穿刺で十時に回収ということで、三つのサイクルがあるのです。
 他の透析クリニックもだいたいこの三つのサイクル交代でやって、特に昼間働いている患者さんの便宜のため、夜間透析は多いです(腎不全患者は余病がない限り透析さえしていれば健常者と同じになれます)。透析はもはや確立した医療で、三〇年、四〇年と継続している人も多いです(治療のおかげもありますが、患者自身も病態を認識し適切な食事、日常生活を送るようにしているからでしょう。さらに定期的な検査があるので、病気が出来しても適切な健診・治療を受けられます)。
 透析室は物理的な治療はもちろんですが、全体の雰囲気、人間関係も患者の調子に影響を与えるように思います。小生は透析のし始めの一年ほどは千葉県の透析クリニックでしたが、そこはスタッフの人数も少なかったのですが、女子医大に移ってからは医師も含めてスタッフが多いので、何か用があれば呼び止めることが出来ます。
 多くの患者は透析中寝ているようですが、当方は眠ることが出来ないので、iPadを見ていたり、本を読んだり、スタッフたちが入院患者たちの穿刺やその介助にあたっているのを見ていたりします(隔離の入院用ルームもあるのですが、通院患者と同じ空間で入院さんたちもやります)。スタッフたちの立ち働いている姿を見るのが好きなのですね(興味があるのですね)。
 スタッフは皆いい人で、看護師も技士もこういう医療現場を選んで来ているので、人に奉仕するのが向いている人たちなのでしょう。特にいまの若い人たちは年配者・患者に優しい。小生は話をするのが好きなので、透析の前後でやってくれている彼(女)らと雑談をよくします。この頃、穿刺も回収も感じのいい女の子たちが来てくれてうれしいです(“ピーニャッツ”というピーナッツがネコの顔になったブローチをしていた千葉県産の子がいました)。
 透析室の空間が感じいいかそうでないかは、体調にも関係しましょう。

 ※ 女子医大は、日本の腎不全治療のメッカであり、腎移植・透析治療ともに本邦の先駆けのところです。なぜこんな恵まれたところに来られたかというと、八〇年代半ば、今まで住んでいた船橋市から都内(杉並区)に引っ越すことになり、いい透析クリニックを紹介してもらおうと、この女子医大の透析科に相談に伺ったのでした。すると診察の医師が、夜間でよければうちでも出来ますよ、と言ってくれたのでした。当時予備校講師として昼間働くようになった当方としては渡りに船、でお世話になるようになったのでした(その医師こそは、この女子医大腎臓病センター透析室の室長であられた方でした)。クリニックでもいい透析は受けられますが、いざ大きな疾病にかかるとなると、大船が頼もしいですね(実際、大きな手術も受けさせていただきました)。
 場所も東京の真ん中、通院も楽しいのでした(午後はどこへ行こうかな)。
 
 

誕生日はめでたくもない

 投稿者:管理人iPad 6570  投稿日:2020年 1月11日(土)14時51分58秒
返信・引用 編集済
   言いたくもないが、今日は管理人・永野悟の誕生日。1950年1月11日生まれなので、70歳になる。同人のOさんも同じく今日がご生誕の日とか(彼は年下だから、まだ古希ではないようですが)。
 ちょっと前に着いたサプリの箱を開けると、「お誕生日、おめでとうございます」とかあった。なんでサントリーが当方の誕生日を知っているのかと思ったが、当然数年前に申し込んだ時に個人情報を書き込んだのだろう。しかし、今更「お誕生日、おめでとうございます」と言われて面白くないのは、健康サプリの会社だから重々わかっているだろうに、箱にはカレンダーだの、健康のためのアドバイスがくだくだ書いてある。
 しいて自分に多少うれしいことを書くと、皆さん、「七十歳には見えない」「お年より若いですよ」とは言ってくれる。当方も、この年で髪も相応にあるし、体重をコントロールしているのでお腹が膨らんだり、顔のたるみもないようだ。銭湯など行くと同世代だろう爺さんが禿げていたり、お腹が膨らんでいたり、いかにも動作ののろいのと比較すると、マシかなとは思う。
 ま、透析も今年で37年にもなるし、いろいろふつうの人より食事などは気をつけている(タバコは吸わないが、ビールは好きで毎日飲んでいる。オシッコが出ないのに、ビールの水分は別腹なのか)。
 月に二回血液をとって検査にあげている。これらのデータを元に、食事や運動(身体を動かす)には気をつけている。呑気な性格なのでストレスはあまり感じない。
 透析者の中には四〇年以上の人もいるし、透析が保険で出来るようになったのは田中角栄内閣のときからだから、もうすぐ半世紀を迎える(角栄には感謝)。透析者がどこまで生きるか、現在継続中で、いわば人類史上の実験である。当方は女子医大という最高の医療施設で、何かがあれば入院治療させられる(していただける)から、巷間思われているより長生きするのではないか。でもほとんど福祉のおかげでもあるから、個人の出来る範囲で恩返し、というか感謝の日々を送りたい。アーメン、いやナンマイダー、いやシェシェ。
 

七五三、奈良公園の鹿遊び

 投稿者:管理人iPad 6216  投稿日:2019年12月24日(火)10時01分29秒
返信・引用 編集済
   心和む動画、いくつか紹介。

 Shichi-go-san, Japanese traditional event for children, Lily's piano Lif...
 七五三でお参りする女の子。いちいちの所作が可愛いが、後半すごいピアノの演奏を披露!
 https://youtu.be/lsb-7bPzd2c

 Takayama, Japan. Shichi-Go-San ?3-5-7? holiday; Exhibition of Festival F...
  幼児フリークのロシアのおばさん(赤い服)の幸せなひととき
 https://youtu.be/5IalA264ufg

 京都 平安神宮 三歳 七五三 祇園 花見小路
 https://youtu.be/wP65mGs9i6o
  平安神宮なんて、場所も最高!

 双子 twins 七五三 アリス①
  https://youtu.be/WbIQjddAYSk
 双子 twins 七五三 アリス②
  https://www.youtube.com/watch?v=KvwxjiQ1ILE
 双子 twins 七五三 sensouji②
  https://www.youtube.com/watch?   v=usTbWBmwp3A
 双子 twins 七五三 sensouji③
 https://youtu.be/nfMazgsJlnY
 双子 twins 七五三 sensouji④
 https://youtu.be/b4Zb7RQ-l7g

 奈良公園。鹿に遊んでもらっている中国の美人。(鹿になり切る!)
  https://youtu.be/tcAMXjYcO_s

 Nara Japan - Deer Park, Temples, Hotel by station
 同じく、鹿に感動して嬉しくて満面の笑みの白人姉妹の妹
 https://youtu.be/Vi8-bUp5u8I

 一転して
 【ADHDがわかるまで】発達の遅れを指摘された3歳から4歳までの成長記録と症状
 https://youtu.be/xC40rs55pdY

 【追加】会場騒然、鴨川シャチのショーでのできごと
    はた迷惑なのに、喜ぶ人々 (1千万回以上、再生!)
 https://youtu.be/HLhwZ1a91sU
 
 

韓国について

 投稿者:管理人iPad 6060  投稿日:2019年12月11日(水)15時07分51秒
返信・引用 編集済
   小職も多くのネットユーザー同様、どうしようもない、とんでもない国だと考えていた。徴用工問題にしろ、ホワイト国からの除外に対する反応にしろ、慰安婦の問題にしろ、すべて理不尽に思われた。何しろ日本を憎むあまり、日の丸を燃やす連中である(国旗を灰燼に帰す行為がいかなるものかわかっているのか)。あげく旭日旗についても廃棄しろ、という、ほとんど内政干渉である。
 たしかに、韓国という国家、そこで棲息する韓国民の立場に立てば、わからないことではない。併合の屈辱、日本臣民としてさまざま使役されたこともあろう。独立国家でなかった由来、歴史をいろいろ慮れば、かの国のかたわ的な来し方が思われる。
 だが、歴史の捏造と日本をいうが、自分たちこそ自らの国史を歪め、捏造しているのではないか。現在あるさまざまなことを何でも自分たちの出自だ、韓国が先に作ったのだ、という弁明は見苦しい。特に四大文明ならぬ、五大文明を言うに至っては笑止(コリアン文明という半島のみならず、大陸にも渡る文明があったのだと)。
 彼の国の歴史教科書のいい加減もあげたいが、当職が知る程度の歴史も実に彼の国に倦厭を思うに十分である。李氏朝鮮とは何であったか。それは両班・中人・常人・賎人の四つに分かたれたとんでもない身分制度の搾取国家である。両班(ヤンバン)といわれる支配階級を頂点に牢固とした身分制度。労働を軽蔑し、儒学を学ぶのが高徳とする両班。人々は少しでも自分が上の階級と見做されたいがために、高級な名を僭称する。よって誰も彼処も「金」と名乗る(「銀」や「銅」はないのかと)。それ以上に悲惨なのは、賎人の身分である。特に最下級とされた白丁(ペクチョン)という身分。人の風上にたってもいけないとされた、この賎民は、日本では考えられない。ところが、現代の韓国(民)はそれに矜恃を持つのか、韓国ドラマの宮廷ドラマはよく作られる(しかし歴史の捏造、インチキを絵に描いたこれをNHKはなぜそのまま放映しているのか)。

 自分たちの国、その歴史を否定する契機はないのか(日本では、戦後の学生運動その他で、来し方の国家主義をだいぶ否定したものだった)。確かに植民地化されたという負の歴史は、逆に怒りと自らを励ます愛国主義にはつながろう。しかし伊藤博文を暗殺した安重根を国家的なヒーローに祀りあげるのはいかがなものか。韓国併合は時の半島政権がむしろ日本に頼みこんで、自立出来ない自らを救恤してもらうためだったのではなかったか(伊藤はむしろ併合に反対だった)。
 小職がこの国の救いようのなさをしみじみ感じたのは、Wikipediaや動画で知った、戦後の国民殺戮の酷さである。1948年の済州島四・三事件、麗水・順天事件 、さらに1950年、朝鮮戦争下での保導連盟事件。いずれも政府軍、警察が自国民を大量虐殺した事件である(その数、万から何十万である)。当職はその事実を初めて知った時、開いた口が塞がらなかった。写真もあったがこれだけ人民を陵辱して恥じない政府・軍(李承晩)とは何なのだろう、と。

 慰安婦問題は、吉田清治の捏造を朝日新聞が書き立てたことで問題化した。自虐的な国民性が現れたこの吉田の虚構は、以降右派・国粋主義派のいい材料になった。この真偽はわからないが、問題に思うのは、韓国(民)が、日本攻撃のために、国内のみならず米国にまでいわゆる慰安婦像をすえたことだ。この神経がわれわれからすればわからない。相当な遺恨があったからにせよ、慰安婦像を据えるなどは、デリカシーに欠けるのではないか。子供にどういう言い訳をするのか。
 

学歴は人を作るか

 投稿者:管理人iPad 6000  投稿日:2019年12月 8日(日)09時16分18秒
返信・引用 編集済
   ちょっと異論かもしれませんが(偏見かな)、学歴論を書きます。いくら予備校講師をやっていたからと言って、大学で人間を差別するのは、皮相的、それこそ、非文学的と言われそうだが、アクチュアルに現代社会を生きていると、その現象とその事実に納得せざるを得ないから、書いてみるのである。

 関わっている同人誌にも窺われるが、実に早慶の大学出身が多い。いま世間で言われているように、両大学出身者の活躍がめざましいのだ。それに比し、東大をはじめ一橋や横国など国立大学派があまり見受けられない。予備校講師だったときにも、東大はさすが何人か見受けたが、一橋出身者は、学生の時の仕分けのデスク作業で一人あっただけで(いい人でした)、この数十年の生涯でもお見受けしない(まもとより人数が少ない、文学部がない、などありますが)。でもいわゆるエリート、世の中をしっかり見ているだろう方々にいま意見・感想を聞きたいと思ったのである(まOBとして石原慎太郎がいるが、彼がその代表だとは同窓の方々も思われたくないだろう)。文芸批評家としては大岡昇平研究の樋口覚、詩人の平出隆などはいますが。

 さて一橋のことは枕であって、主題ではない。むしろここでは私大出身者、早慶や立教明治中央法政大学の出身者に目につく人が多いので語ってみたいのだ。実は早稲田や明治大卒の人は多く見かけるし、その受ける印象は大方の予見とそう変わらない。エネルギッシュだし、いろいろな分野で頑張っている。立教出はあまり見ないけど、法政出身は多い。特に思想関係(リベラル派が多い)と、文学研究者ではこの大学出身者は多く見かける。バスで市ヶ谷界隈を通る時、あの高い建物、ボアソナードタワーがお濠端に見える。この大学に行っていたらば、大学院まで行って、文学研究者になれたのでは、とおもうこともある。

 実は意外と思われるのは慶応である。前からボンボンが行く学校、金持ちの大学、とまあ世間ズレしたしょうもない先見がずっと脳裏を支配していた。自分の高校の親友が慶応へ行ったとき、四年の時だったが誘われて三田のキャンパスへ行ったことがある。「オレの高校の時の。千葉大の」と学友に紹介された時、そいつは挨拶もそこそこに電話をしていた。「慶応経済の何々ですが」。すなわち就職の面接の打ち合わせの電話をしていたようで、同じ塾生のその友人なんかには全く関心がないようだった。ま、ケイオーはそんなやつらなんだ、と固定観念が出来た。
 だが、世の中へ出ていろいろな場で、この三田出身の人間に出会うことが多くなった。一つは、予備校の講師仲間、一つは文学の同人誌仲間、そうしてもう一つはテレビに出てくるジャーナリストや司会者、タレントの人たちである。一言、三田出身の人たちはいい人が多い。普通の人間的な思いやりができる人、友だちになれる人がいた(駿台では二、三人、恩義まで感じた)。文学の研究会、同人誌でも、普通に話が出来る、かつ自分を持っている、人が多い。
 【追伸】恩義まで感じていた駿台古文科講師の白鳥永興さんが昨夏亡くなられたことを知った。慶応卒の本当の紳士、ダンディで正義感のある、優しい人だった。

 やはりここではテレビやネットに出て来る人たち、有名人たちだから名前を挙げてしまうと、以下の人たちは、小職の好きな、まいいなと思っている人たちである。
 池上彰、宮本隆治、大下容子、弘中綾香、青木理、望月衣塑子、手嶋龍一、小沢一郎、人見豊、古屋健三、原民喜、江藤淳、室井光広、若林英輔、冨田勲、池田晶子、黒岩比佐子ー
 ま、玉石混交といわれるかもしれないが、何か感じるものはあろう。
 慶応出の人間は、人間的なものを感ずるとともに、個性的、である。国立出にはないもので、これは三田の雰囲気などが醸成するものであろうか。慶応大学は嫌いだけど、慶応出はいいと思う。
 

年寄りがいっぱい!

 投稿者:管理人 iPad 5760  投稿日:2019年11月17日(日)18時45分32秒
返信・引用 編集済
   年寄りが多い!
 いま銭湯へ行ってきたが、日曜日のこの時間は人でいっぱい。それも多くは年寄り、高齢者である。ここ、大島はただでさえ、道路に高齢者が多く、自転車の当方は注意が必要。特に商店街へ入ったら、例の台車を押しているお婆ちゃんでいっぱい(この台車はお爺さんには少ない。なぜか)。透析室も高齢者が多い。それも四時間ほとんど寝ている!寝られない小生としてはやっかみかもしれんが、よく寝られるなあ、と嘆息。
 年寄りは図書館も占拠。よく行って重宝している江戸川区立中央図書館も老人ばっか!ま、パチンコなどにうつつを抜かしているジジイよりもいいか。そうだ、思い出したが、当方がそこへ行く時乗る都バスの船堀駅からは、何と江戸川のボートレース場行きというのがあって(新発見!)、先日その都バスの発車を見たが、乗客でいっぱいだった。ギャンブルをしない当方にとって、あの乗客たちのエネルギーは何だろう、と思ったことだった。

※ 今日行った銭湯では、何と全身に入れ墨を入れたヤツがいた。背中に入れるのは見たことがあるが、背中から臀部、足まで、文字通り全身である。どうしてそんな彫り物をして身体を傷つけるのか、当方には全く理解し難いが、そいつは全く悪びれることもなく、振舞っていた。こういう時、江東区だなあ、と思う。
 ちなみに銭湯の高齢者には禿頭が多い。街中の年寄りよりも多いのだ。ハゲというのは、何か興味を掻き立てられる。毛でもって装飾されるはずの部位、顔の上までそれがないというのは妙なものだ。中には照り光りしているのもあって、上からの照明がそのまま反射して、照り映えしている。
 

アクセス数、一千回越えの動画

 投稿者:管理人 iPad 5730  投稿日:2019年11月16日(土)14時26分0秒
返信・引用 編集済
   シャチの水かけ動画、なんとアクセス、一千万回越えです。

 https://www.youtube.com/watch?v=HLhwZ1a91sU&t=74s

 百万回越えは目にしたことがしたことがありますが、10,000,000回は、さすが小生も見たことがありません。動画は十万回越えはよくあるのですが。
 

奈良公園の鹿と戯れる

 投稿者:管理人 iPad 5680  投稿日:2019年11月14日(木)10時10分20秒
返信・引用 編集済
   まあ、人間というのは人間ばかりの所にずっといるとストレスが溜まりますね。だからたまに自然に帰って、樹々の中に行ったり、海を見たり、温泉に浸かったりして身体を癒すのでしょう。でも小職からしたら、アタマの癒しには動物と戯れるのが一番です。
 奈良公園の鹿はその点、もってこいの場所です。外国人も鹿の餌やりでだいぶ癒され、いい思い出となるでしょう。
(でも、鹿は鹿センベイばかり食ってて飽きないのかな。栄養が偏らない?)


https://www.youtube.com/watch?v=KMn2Ti-6ehU&t=268s
 

日本の映画女優

 投稿者:管理人 iPad 5640  投稿日:2019年11月11日(月)19時39分50秒
返信・引用
   前に群系掲示板に掲出したものですが、備忘録のために今一度、こちらにもアップします。八千草薫さんの没年を書かねばならなかったのは残念ですが。

日本の女優さん  投稿者:管理人 iPad 218  投稿日:2018年 1月25日(木)01時18分38秒 編集済
  ステキな映画女優さんの紹介動画です。
   寒かった今日一日の締めくくりに、全部の女優さんをあげてみます。
下の動画、鮫島有美子の歌をバックに、いい時代を演出していますね。

    東山千栄子   1890-1980
    飯田蝶子       1897-1972  追加
    浦辺粂子       1902-1989  追加
    岡田嘉子       1902-1992  追加
    高橋とよ       1903-1981  追加
    笠  智衆         1904-1993  追加
    杉村春子       1906-1997
    浪花千栄子    1907-1973
    武智豊子       1908-1985   追加
    長岡輝子       1908-2010   追加
    沢村貞子       1908-1996
    田中絹代       1909-1977
    夏川静江       1909-1999
    三益愛子       1910-1982
    北林谷栄       1911-2010    追加
    入江たか子   1911-1995
    清川虹子       1912-2002
    水の江瀧子    1915-2009   追加
    桑野通子       1915-1946   追加
    三宅邦子       1916-1992
    谷よしの       1917-2006   追加
    轟夕起子       1917-1967
    望月優子       1917-1977
    山田五十鈴    1917-2012
    木暮実千代    1918-1990
    高峰三枝子    1918-1990
    水戸光子       1919-1981
    不忍鏡子       1919              追加
    原  節子         1920-2015
    山口淑子       1920-2014
    賀原夏子       1921-1991   追加
    山根寿子       1921-1990
    桜むつ子       1921-2005  追加
    久慈あさみ   1922-1996
    千石規子       1922-2012
    月丘夢路       1922-2017
    淡島千景       1924-2012
    赤木春恵       1924-2018  追加
    乙羽信子       1924-1994
    京マチ子       1924-2019
    越路吹雪       1924-1980
    高峰秀子       1924-2010
    津島恵子       1926-2012
    杉山とく子   1926- 2014   追加
    菅井きん       1926- 2018   追加
    山岡久乃       1926-1999
    三條美紀       1928-2015
    杉   葉子        1928-2019
    楠トシエ        1928・1・11  追加
    奈良岡朋子    1929-
    若山セツ子    1929-1985
    桜  京美         1930-1988  追加
    新珠三千代    1930-2001
    岸田今日子    1930-2006
    左   幸子        1930-2001
    香川京子       1931-
    久我美子       1931-
    島崎雪子       1931-
    八千草薫       1931-2019
    山本富士子    1931-
    有馬稲子       1932-
    岸    恵子       1932-
    久保菜穂子   1932-
    高千穂ひずる 1932-2016
    淡路恵子       1933-2014
    池内淳子       1933-2010
    扇   千景       1933-
    岡田茉莉子   1933-
    北原三枝      1933-
    草笛光子      1933-
    南田洋子      1933-2009
    若尾文子      1933-
    司   葉子       1934-
    団  令子        1935-2003
    青山京子      1935-
    芦川いずみ   1935-
    丘さとみ      1935-
    小山明子      1935-
    嵯峨美智子   1935- 1992
    浜木綿子      1935-
    吉行和子      1935-
    白川由美      1936-2016
    中原ひとみ   1936-
    野添ひとみ   1937-1995
   水野久美        1937-
    佐久間良子   1939-
    中村玉緒      1939-
    藤村志保      1939-
    水谷八重子   1939-
    浅丘ルリ子   1940-
    岩下志麻      1941-
    倍賞千恵子   1941-
    江波杏子      1942-
    十朱幸代      1942-
    桑野みゆき  1942-  追加
    光本幸子      1943-2013
    星由里子      1943-2018
    香山美子      1944-
    藤   純子      1945-
    松原智恵子  1945-
    宮本信子     1945-
    吉永小百合  1945-
    鰐淵晴子     1945-
    大原麗子     1946-2009

※  追加、とあるのは、1月27日に、管理人の追加です。参考までに。
「昔の女優さん」だなんて、今も現役の人もいますよね。
   しかし、こう上げてみると、銀幕の女性に愛慕の情を持っていたのかな。
   特に1931年生まれ、すなわち昭和6年生まれの方々がいまも存命で嬉しい。野口存彌さんと同い年ですね。
https://m.youtube.com/watch?v=kVj5EYdQhQk
 

昭和の時代・子供で時代を綴ります 

 投稿者:管理人 iPad 5600  投稿日:2019年11月 9日(土)12時38分2秒
返信・引用
   この掲示板の魅力は単に意見・感想を述べるためだけでなく、いいと思ったサイト、特に動画を紹介できることですね。特に、われわれ世代の昔の映像は懐かしいという感覚以上のものがあります。次は「戦争を知らない子供たち」という当時の流行の歌に合わせて、あの時をフラッシュバックさせています。
 参考に右の画面にも、昔の(明治大正の)映像もあります。ぜひついでにご覧下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=Q4TIIK9Oyu8&t=180s&app=desktop

http://kkう

 

女の子はお姫様が好き

 投稿者:管理人 iPad 5577  投稿日:2019年11月 8日(金)10時40分39秒
返信・引用 編集済
   小倉優子がお姫様の出で立ちで、ある少女(幼児)のもとを訪れる。この女の子が可愛かったので、URL を引いておきますね。

 https://www.youtube.com/watch?v=Fj80nJOh5kg&list=RDFj80nJOh5kg&index=1

 小倉優子は「こりん星から、イチゴの馬車に乗ってやって来た」ということだが、この話は女の子の根に響くお話しだろう(お人形を抱く遊びもそのことに通じよう。)。
※ ちなみに今回気づいたのだが、「こりん星」というのは、「ゆうこりん」という自分の愛称から来ているのですね。こりん星って何だろうと思ってましたが、簡単なことでした。

http://kkう

 

群系43号《特集》昭和20~30年代の文学 資料

 投稿者:管理人iPad 4815  投稿日:2019年 9月 4日(水)09時34分9秒
返信・引用 編集済
  「群系」43号 《特集》昭和20~30年代の文学 のための参考資料

 どんな作家・作品があったか、.wikipediaから資料としてコピペして、提出しておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の近現代文学史現代文学(戦後の文学)より
    A~Kは編集部が内容別に便宜的に付けたもの。

戦後派作家と第三の新人の登場
A 敗戦後の文学は、太宰治、坂口安吾、石川淳など無頼派(新戯作派)の活躍から始まった。特に、太宰治の『斜陽』(1947年)と坂口安吾の『堕落論』(1946年)は戦後の人々の心をつかんだ。
B   プロレタリア文学の流れをくんだ中野重治や宮本百合子は、新日本文学会を創立して、民主主義文学運動をおこし、労働者の文学の力を発掘した。この流れは、新日本文学会が解散したが、日本民主主義文学会(創立当初は文学同盟)に拠る小説家たちに受け継がれている。
C 雑誌「近代文学」の周辺から武田泰淳、埴谷雄高、野間宏、加藤周一らが現れたほか、大岡昇平、三島由紀夫、安部公房、井上靖らが旺盛な活動を見せた。大岡昇平の『俘虜記』(1949年)、『野火』(1952年)、三島由紀夫の『仮面の告白』(1949年)、『金閣寺』(1956年)、安部公房の『壁』(1951年)などが注目を集めた。また、文壇の中心となった川端康成は『千羽鶴』(1949年)、『山の音』(1954年)を発表した。
D 戦後派のうち島尾敏雄や梅崎春生の傾向は、「第三の新人」と呼ばれる安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作、小島信夫、庄野潤三、阿川弘之らに受け継がれた。第一次戦後派作家、第二次戦後派作家の次に現れたため、「第三次戦後派作家」という意味の「第三の新人」と呼ばれる。
E 第三の新人以降、1956年に石原慎太郎が『太陽の季節』(1955年)で「戦後の最初の宣言」として文壇に華々しく登場し、芥川賞の存在が一躍有名になった。その後、大江健三郎、開高健、江藤淳、北杜夫などの有力な新人が登場する。
F  戦後になると女性小説家の活躍も目立つようになり、野上弥生子、宇野千代、林芙美子、佐多稲子、幸田文、円地文子、平林たい子、瀬戸内晴美、田辺聖子、有吉佐和子、山崎豊子らが筆を揮った。また、日本に在住する朝鮮語を母語とする人たちが日本語で創作する在日朝鮮人文学の流れが生まれた。金達寿が先駆的な存在であり、その後金石範、李恢成と続いた。

高度経済成長期の文学
G 文壇の長老となった谷崎潤一郎が『鍵』(1956年)、『瘋癲老人日記』(1962年)を、川端康成は『眠れる美女』(1961年)、『古都』(1962年)を、井伏鱒二は『黒い雨』(1966年)を発表し存在感を示した。
H 現代文学の枢軸を担う安部公房は『砂の女』(1962年)、『他人の顔』(1964年)、『燃えつきた地図』(1967年)を、大江健三郎は『個人的な体験』(1964年)、『万延元年のフットボール』(1967年)、『洪水はわが魂に及び』(1973年)など代表作を発表した。また、井上靖は『敦煌』(1959年)、『おろしや国酔夢譚』(1968年)など物語性豊かな作品を発表した。1968年、川端康成がノーベル文学賞を受賞。その2年後の1970年には、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地において割腹自殺した。四部作『豊饒の海』最終回の原稿には、この日の日付(昭和45年11月25日)が記されていた。
I 1967年、散逸した近代文学関係の資料を収集・保存するため、文壇・学界・マスコミ関係の有志によって、東京目黒・駒場公園内に「日本近代文学館」が財団法人の運営で開館した(初代理事長:高見順)。戦後派の小説家たちが長編に本領を発揮し始め、島尾敏雄『死の棘』(1960年)、梅崎春生『幻化』(1965年)、椎名麟三『懲役人の告発』(1969年)、武田泰淳『富士』(1971年)、大岡昇平『レイテ戦記』(1971年)、福永武彦『死の島』(1971年)、中村真一郎『頼山陽とその時代』(1971年)、野間宏『青年の環』(1971年)、堀田善衛『方丈記私記』(1971年)、加藤周一『日本文学史序説』(1975年)などの作品が生まれた。
J 1970年前後には三島由紀夫と川端康成のほかに、広津和郎、伊藤整、志賀直哉、高橋和巳らが死去した。そして、彼らに入れ替わるように「内向の世代」と呼ばれる、心理描写の深さを追求する小説家たちが現れた。古井由吉、後藤明生、黒井千次、日野啓三らがその代表である。また、1970年に水俣病を告発した『苦界浄土』で石牟礼道子が、1975年には原爆を主題とする『祭りの場』で林京子が登場し、以後静かに深刻な問題を作品化していった。1972年、文芸評論家の小林秀雄は大作『本居宣長』を完成させた。翌年、江藤淳が辻邦生、加賀乙彦、小川国夫、丸谷才一らを「フォニイ」(贋物・通俗という意味)と呼んで論争になった(「フォニイ論争」)。
K 大衆文学では源氏鶏太の『三等重役』(1952年)や城山三郎の『総会屋錦城』(1959年)、山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)など後の経済小説へと繫がっていくサラリーマン小説の分野が現れた。時代小説・歴史小説の分野では胡桃沢耕史、司馬遼太郎、山崎豊子、平岩弓枝、池波正太郎、杉本苑子、永井路子、陳舜臣、早乙女貢、豊田穣、笹沢左保、吉村昭、伊藤桂一らがこの時期に登場した。五木寛之は1967年に『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞し、『青春の門』(1969年)などの群像小説や随筆を発表する。推理小説では高木彬光や都筑道夫、結城昌治、松本清張、黒岩重吾、水上勉、鮎川哲也、多岐川恭、西村京太郎、森村誠一らが登場する。SF御三家と呼ばれる、星新一、小松左京、筒井康隆もこの頃に活躍を始める。後に『復讐するは我にあり』(1973年)で直木賞を受賞するノンフィクション作家の佐木隆三もこの頃から作家活動を始める。

団塊の世代の台頭
(中上健次・津島佑子・村上龍・村上春樹・宮本輝ら)
以下略


戦後文学-186207(『知恵蔵』の解説より)
埴谷雄高、椎名麟三、武田泰淳、野間宏、梅崎春生、大岡昇平など、1909(明治42)年から15(大正4)年にかけて生まれた「戦前派」である、第1次戦後派文学者たちの多くは、戦前に社会主義思想の洗礼を受け、戦争を体験した。そうした負の体験を踏まえて、戦後は、独自の形而上学、キリスト教的世界観、仏教的世界観、全体小説(個人の内なる世界、それを包み込む社会の双方を総合的に描く)の理念などをそれぞれに掲げて、戦争体験、戦後世界の現実に、想像力をもって対峙していった。これに対して、15年から24年にかけて生まれた小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三、吉行淳之介など、時にその無思想性を揶揄して「第三の新人」と呼ばれた「戦中派」の作家たちは、そうした自己の外から来る思想には一切の信を置かず、感性と言語を武器に、狭いけれども確かな、自己の世界を開拓していった。「第三の新人」たちは、小島信夫を除けばあとはほぼ20年代前半の生まれである。ちょうど一回り(12年)下の、30年代初めから半ばにかけて生まれた世代は、古井由吉、後藤明生、黒井千次など、自我と個人の状況にのみ真実を探らんとする、いわゆる「内向の世代」と、開高健、石原慎太郎、江藤淳、大江健三郎、倉橋由美子など、状況参加、行動というテーマにそれぞれの方法で改めて取り組んだ作家のグループからなる。そのほぼ一回り下が、中上健次、村上春樹、村上龍などの全共闘世代ということになる。(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
https://kotobank.jp/word/

情報世界大百科事典 第2版の解説
【戦後文学】 太平洋戦争後の日本文学を指し,広義では戦後に書かれた文学の総称,狭義では〈戦後派〉の文学運動を通じて実現した文学をさす。1945年の日本の敗戦の結果,連合軍の占領下におかれたとはいえ表現の自由は戦中よりも著しく増大し,まず既成作家の復活が正宗白鳥,永井荷風,川端康成らの作品発表としてあらわれ,それより下の世代では昭和10年代作家の活動が坂口安吾,太宰治ら〈無頼(ぶらい)派〉の作品および高見順,伊藤整らの内省にみちた再出発としてあらわれた。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版
 

会を退会される方

 投稿者:管理人iPad 4275  投稿日:2019年 8月 5日(月)10時03分13秒
返信・引用 編集済
     会費お振込みのお願いメールとともに、この際ご退会されますか、という文言も入れてしまったせいか、退会したいという連絡がいまも入りました。育児と仕事でたいへん、とか、人それぞれでご事情があるからしかたないですが、中には引き留めたく思う方もいました。


    まあ、同人誌なんか、「書きたい」という一部の強い志の人以外、人間関係でしょう。今回お辞めになる方々(いまもう一人で四人)、その点でこちらのフォローが足りなかったかな、と思っています。
    やはり今まであまりお話になれなかった人たちばかりですが、ぜひもう少しいろいろお伺いしたかった方々でした。

   どうぞ、飲み会もあります。合評会おいでください。(9月22日)。
 

何が最も大事か。

 投稿者:管理人iPad 4238  投稿日:2019年 8月 4日(日)13時51分48秒
返信・引用
     国際政治についてのNHK の討論番組を視聴して今更ながら、政治・外交のバカらしさに感じ入った。現下の短距離ミサイル、核所持の問題などをめぐる外交の稚拙は、例えば核廃絶という人類の高邁な理想に恬として触れ得ていないし、政治当局者は感じ入ってもいない。現下、米国、中国、ロシア、それに全く対抗出来るレベルでない北朝鮮まで、今だに冷戦期と同じような核開発競争だ。各国政治当局者は歴史を学んでいないのか。軍備があれば、偶発事態も起こり得る。ましてや核なれば、たいへん壮大な被害が起こり得るということは子供にもわかる明快事だ。それなのに、なぜ軍拡をやめない、核開発を辞めない、のか。
    主権の問題だ、と軍拡を主張する中国当局者は言う。なるほど、独立国なら主権は大事だ。しかし、それは軍備でないと守れないのか。核がないと、独立を維持できないのか。これはとんでもない迷妄だと思う。核開発にかかるとんでもない費用を民生に使う方がどんなに人類のために、主権国家の人民にためになるか、金正恩のような若造には全くわからないことである。
    体制の保証、そんなことを核保持の理由とするが、そこにもう自分たちの国家体制の胡散臭さが露呈している。自分らの国が独裁国家で、多くの人民を処刑・獄中監禁している、全く非人道な、国といえない世界だと示している。しかし、そんな国家であることは、アメリカをはじめ、先進国は周知のことだ。なのに、彼の国のミサイル、短距離ミサイルなら許容出来る、ICBMならダメだが。トランプはそんなレベルの認識しかしない。要するにヤツにあるのは来年の米大統領選再選しか目にないのだ。北とうまくやり得た大統領、そんな目前の利しかない。人類の、あるいは北の人民のためにも、核開発がいかに無意味かという至高の理想で言っているのではないのだ。
   自らの利益。世界の指導者にはそんなレベルの認識しかない。世界平和、という発想が恬としてないのだ。彼らはヒロシマナガサキの映像を観たこともないだろう。もちろん自ら兵役に就いた過去もなかろう。軍拡競争、その維持こそが、体制の維持、とともに自らの政権維持には必須と、頭から考えている。そこには、世界政治、という根本がない。

   当方は、だいぶ前から政治家の非理性、ということを思ってきた。彼らが文学古典や、まして哲学を読んできた、なんてきいたことがない。所詮、政治党派内での権力闘争に勝ち抜くことしかない頭にないのである。人間というもの、その内部の思考、それらが生きる社会、その合理的なありよう、そんな誰でも考える基本的なことよりも、身近な人間関係でいきてきた連中。これが各国の指導者、の実情だろう。むろん、我が国、自民党はその典型例である。

   政治は最高善の実行である、とある先哲が言ったと記憶するが、全く逆で、最低行動の実践、それがいまの軍拡に邁進する各国の現実である。彼らには、第一次大戦、第二次大戦はなかった、すなわち歴史はなかったのだ。
 

消費税全廃こそ、経済復活の一歩

 投稿者:管理人iPad 4096  投稿日:2019年 7月27日(土)23時18分37秒
返信・引用 編集済
     山本太郎の主張は、現下の貧困問題や、差別の問題、雇用の問題等、あらゆるフェーズにおいて、有効であると思われる。今日の、平成不況の延長下にある現代社会において、人々が貧困で食うに困る、病気になっても医者に行けない、という先進国ではあり得ない状況を突破するには、山本が言うように、例えば、「消費税の撤廃」は有効なのではないか。これは他の野党が言うように、「増税反対」「凍結」という、生ぬるい対策ではなく、撤廃という文字通りの根幹策なのであり、昭和以前に戻すのである。夢物語、と思って皆、そこまでは考えなかった。が山本が言うように、財源の目当てはあるのである。大企業やこれまで優遇されてきた組織、領域など。税は取れないところから取るのではなく、取れるところから取る。これが一番理にかなった道ではないか。すれば、国民はその分食べたいものを食べ、健康にも注意が払える。政治が一部のもののためにあるのではなく、広く国民のものになる。その一歩である。
    今回の参院選は始まりの一歩である。次の総選挙などで、この国は真の国民のための改革に踏み出せるのではないか。消費税全廃は、その方策の第一歩と思う。
 

生きててくれよ!と叫んだ山本太郎氏

 投稿者:管理人iPad 4007  投稿日:2019年 7月23日(火)21時55分42秒
返信・引用 編集済
     参院選はやはり面白くも何ともないものでした。立憲民主が多少議席を増やしたからといって、与党の過半数の前には沙汰無し、ですね。野党統一というけれど、国民民主や社民、など似たような政党が別々に党活動をしているのですから、国民から見ると、何で一つの政党・会派にならないの、と興ざめです。安倍一強が力を証明しているのは、若い世代からの支持でしょう。安倍さんでいいんでないの、という声に、多くの野党は力が出せません。しかし、現状のこの国は、厳しい現実、国民の貧困がひしひし迫っているのです。
   こんな中、一つの会派、一人の議員の訴えがたいへん目を引きました。前回同様、ネットの記事からの引用、コピペですが、ぜひこの訴えを見てやって下さい。

〉まずはこの文章を読んでください。

《1年間で2万人くらい、ひと死んでるんですよね。自殺で。異常ですよ。戦争も紛争も起こってないのに。

なんでこんな状況にされなアカンの? 生活安定していたらこんなことになる? 働き方にもっと余裕あったとしたら、こんなことになる? 自分がいていいんだ、自分が存在していいんだっていう世界になってたら、こんなことになる?

自信を奪われてるだけですよ。自分は生きてていいのかって。生きててくれよ! 死にたくなるような世の中やめたいんですよ!》

これは、山本太郎氏がゴールデンウィークに神戸・三宮で行った2時間以上にわたる街頭演説の抜粋です。

山本氏は4月にひとりで政治団体「れいわ新選組」を立ち上げました。支持母体はなく、活動資金は広く市民からの寄付でまかなう。集まった寄付額に応じて参院選の候補者擁立数を決めるという、異例の選挙活動を始めました。この三宮演説も、支持を広げるための全国行脚のひとつでした。

この演説に対しては、「幼稚なことを言うな」、「政治になにができるんだ」などの受けとめもありました。「私は死にたくないです」と、全く心に響かない人もいるでしょう。

しかし、山本氏のこの言葉が、現状に不満や生きづらさを抱える人びとの心をつかんだのは事実です。山本氏の街頭演説はインターネットの動画サイトで数万回再生されているものもあります。

私はこの「生きててくれよ!」が、れいわ新選組の人気の最大の要因だと感じました。「消費税廃止」や「反緊縮」などの政策も話題を集めましたが、それ以前の問題として、多くの人が「生きづらさ」をかかえる世の中で、誰もが生きる権利、幸せになる権利を持っていること、そんな当たり前のことをストレートな言葉で呼びかけたことが、人びとの心をひきつけたのだと考えます。

https://m.youtube.com/watch?v=LyC9W8jQH8M

 

ほんとに切ない、低年金

 投稿者:管理人iPad 3791  投稿日:2019年 7月15日(月)14時54分49秒
返信・引用
    ネットニュースのコピペですが、今さらながら、こんな低年金でお年寄りを暮らさせるのか。悲しくて、切なくて、怒りもむらむら。子どもと年寄りを大事にしないのは、先進国ではない。

                            ◯

年金月4万5千円「死ぬのを待つだけなのか」 食事は半額セール ひざの痛みも我慢
7/15(月) 6:10配信 沖縄タイムス
低年金で困窮した生活を涙ながらに語る高齢女性たち=12日、那覇市内

 「お金がなくて、毎日、明日生きられるかと考える。低年金者は死ぬのを待つだけなのか」

 那覇市に住む女性(75)は目に涙をためながら逼迫(ひっぱく)した生活をぽつりぽつりと語った。2カ月に1度、手にする国民年金は9万円。貯金はなく、月4万5千円が生活費の全て。大半が市営住宅の家賃と光熱・通信費に消える。残る食費は1万7千円で、1日に使える金は平均約560円。

 食料は自宅から徒歩で片道約20分のスーパーで半額セールになった総菜を購入する。1人暮らしの自宅は必要最低限の家具のみそろえ、日中は電気代を節約するためクーラーを控える。ひざが痛くても受診を我慢している。

 日本復帰後、県内の飲食店で勤務した。低賃金と事業所側の厚生年金未加入が負担となり、国民年金の納付は後回しになった。

 約10年前に夫が他界。納付条件を満たさず遺族年金はない。4人の子どもは自宅近くに暮らすが、「迷惑を掛けたくない」と頼れないという。

 老後に夫婦で2千万円必要とした金融庁報告書を巡るニュースを目にするたび、不満とストレス、怒りが込み上げる。「今、生きている高齢者に目が向けられていない」

 厚生労働省年金局によると2017年度、沖縄の月平均年金受給額は国民年金が5万2134円と全国最低。厚生年金は12万5338円で全国平均と比べて1万9565円低い。65歳以上で年金を受給していない人は16年度で約1万8千人に上る。
 

個人的なこと(続)

 投稿者:管理人iPad 3690  投稿日:2019年 7月 9日(火)22時28分25秒
返信・引用 編集済
     この土日に通夜・葬儀を終えました。20年ぶりに会う従兄弟たちもいました。
   じつは親族の葬儀は1999年7月の母の時以来、ちょうど20年です。これで親の世代は(義理の叔父を除いて)皆、行ってしまったことになりますね。この歳になるとあまり物事に強く感動することはないのですが、この叔母の場合は、悲しみというのか、内側から感ずるものがありました。ま、個人的なことですので、ここまでに(今更個人的とことわるのも変ですが)。
 

個人的なこと。

 投稿者:管理人iPad 3540  投稿日:2019年 7月 3日(水)19時45分31秒
返信・引用 編集済
      夕方、叔父から電話があって、「妻が今朝亡くなった」と告げられた。通夜や葬儀の日程を聞いて、詳しいことは明日faxで連絡する、という。
    叔母は亡き父の末の妹である。二男三女のきょうだいで、大正11年生の長男の父に対して叔母は昭和8年生で、一回り近く年下だ。父が昭和の末に60代で死んだのに比べ、86歳まで生きたのはしっかり者の妹だったからであろう。兄妹四人が比較的早くに亡くなったのに比べ、わが家系では長生きの方だ(でも、今日日、もっと長生きするものだ)。母が前世紀1999年の7月9日に亡くなったので、ちょうど二〇年だ。個人的な思い出はつきない。幼少時、よく面倒をみてくれた。
   ちょうど、群系ホームページに文学同人誌の主宰者の一周忌の動画などをアップして思い出に浸っていた感じなので、しみじみ感慨深い。天気予報によると、三日後の通夜・葬儀の日も雨のようだ。九州では大変な状況のようで、このくらいのことで困ってはいられない。
    弟家族にメールしたのに、二時間近く経つのに、応答がない。ま、皆働いているので、すぐには返信できまい。
 

日々の安らぎ

 投稿者:管理人iPad 3423  投稿日:2019年 6月28日(金)22時21分47秒
返信・引用 編集済
     日々毎日、何が楽しみで生きているのだろうか。
   ふと誰でもがそんなことを思うだろう。
   まだ仕事をしていた時、すなわち現役の時は日々やることがあって、冒頭に書いたような思いをかこつこともなかった。ま、仕事を退いた今でも同人誌をやっている、その編集もしている間は、そんなに嗟嘆することもなかった。編集も終わり、刊行されて送付作業も終わって、多少嘆息することがあるのだ(嗟嘆ではないが)。

   自分は外出の際はほとんど自転車である。通院の朝はただ前を向いて走らせているが、中日に銭湯へ行ったり、買い物に行ったりの午後から夕方にかけては、近くの公園で子供たちの遊んでいる姿に出会うことが多い。そこではつくづく目が休まる。銭湯では年寄りばかりだったのが、乳幼児たちを見ると何か癒される。
   自分が男だからか、女児が遊んでいるのはつくづく和む。公園でいろいろな遊具に飛びついて行っているのは、このくらいの年齢ならではだろう。カバやキリンを模したすべり台などに喜んでいる。彼らには何もかもが新鮮なのだろう、一度は触って乗ってすべってみないと気がすまないのだ。
    しかし、子供ってどうしてすぐに走るのだろう。われわれだとそんな労を要することは極力避けるのに。彼らは疲れるということはないのか。いや疲れるだろうという気遣い、思いがないのかな。

   年がいくと若い頃、特に子供の頃の思い出がよく浮かぶ。独り者の当方は、立場上、よくそういう思い出をかこつ時がある(といっても当方は孤独老人ではない。雑誌の編集者として多くの人との接触・交信があるし、実際会う機会も多い)。
    でもこういう思いをかこつのは異常ではないどころか健康的なことでもあろう。いつ死ぬかいつくたばるか、そんな思いをかこつよりはるかによかろう。
    思うに、自分の精神のバランスは一つは文学でいろいろなことを考えること、もう一つは実際の自分の生を幼少と今を往還して様々たゆたうことだ。
   でも、多くの高齢者もそれぞれの日々の過ごし方を持っているのではないかな。
 

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