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掲示板に書く人、書かない人

 投稿者:管理人iPad 3270  投稿日:2019年 6月23日(日)07時53分11秒
返信・引用 編集済
     掲示板というインターネットを通じた情報ツールはたいへん便利。SNSと呼ばれるが、他にもTwitterやFacebookなどもあって、閲覧者も多くなっている。小生宅にも後者二つはメールでよく寄せられてくる。特徴的なことは書き込みや写真アップなどする人は常連が多いということ、ですね。
   ただ後者二つの有効性はいま一つ疑問。ツイッターなどツイートすると上司に見つかったらどうしよう、という一般的懸念があるし、フェイスブックもいろいろな掲出があるけど、どこへ行った、何を見た、などの報告で、いまいち関心をよばないのも多い。(ま、ツイッターはトランプなど最高指導者がその時の気分を書き込むのは、政策決定の過程を知る点で、マスコミ・国民にとっても有益といえるかな)。
   ま一般にとっては、上記の二つより掲示板の方が、意見・感想を詳しく書き込める、そして読むことが出来る便利なツールではないか。特に文学愛好者にとって、作品の感想や好きな作家・詩人を思いのたけ書き込める点、またその即時性、費用のない点、たいへん優れたツールといえる。
  ただ、問題というか課題なのが、書き込む人が少ない点(常連者ばかりの毎度の書き込み)。逆に言えば、新規に書き込もうという人が少ない点が残念。同人誌など印刷媒体ではたいへん優れたことを書いているのに、ネットにはまったく、という人も多い。
   先年逝去された葉山修平大先輩などはあれだけしゃべること、書くことが多かった人なのに、掲示板に書き込むということはなかったのかな。昭和五年生という世代的なこともあって、インターネットにあまり馴染んでいなかったのかな。葉山さんにこそ、文学とは何か、犀星のどこがいいか、書き込んでもらいたかった。
   いま、こうした掲示板によくかきこむのは、カプリチオの板での草原君と大堀君であろう。お二人の論争?は、理路と情理も備わって、知識的にも啓発される。時宜にかなった話題もだして、まさにインターネットならでは、である。
https://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs
   他に、渡辺勉さんによる、Ben氏の部屋というブログもあったが、たいへん中味のあるいいものだったのに、最近そのサイトが見つからない。

    ネットでは、広くいろいろな人がブログやホームページ、SNSを展開している。文学に関しても、作家名を検索しているとそういう専門家肌のかたのサイトに逢着する。ご著を読む前にそういうサイトを読ませていただくことがままある。
(例としては、伊東静雄、島尾敏雄、尾崎寿一郎、あるいは松岡正剛の千夜千冊、のサイトが挙げられる)
  https://1000ya.isis.ne.jp/top/

   願わくは、この板でも、群系掲示板でも、多くの人にご意見、資料提供などの書き込みをいただきたいことだ。
 
 

詩と思想、あるいは文学と政治

 投稿者:管理人iPad 3182  投稿日:2019年 6月19日(水)21時51分4秒
返信・引用 編集済
     伊東静雄を発見してその詩歌論を展開したかったが、今回は特集の《8・15の青い空  戦争と文学》の方にかまけて詩歌論までいかず周辺の人物論のエッセイで終わった(「群系」42号・6月下旬刊行)。だが、詩人的資質では萩原朔太郎に次いでその詩質(ポエチカ)に感動共感したのであり、それが自身の身の内の何によるのか考えたく思っている。

   この数年、自分の中で詩的なものと思想的なものが混雑してきて、パトスなのかロゴスに由来するのか截然としなくなってきた。詩的なものとは文学といいかえ、思想的なものとは政治といいかえてもいいかもしれない。実に戦前においてはその二つは截然と分け難くあって、ある文学者たちは政治思想家、あるいは政治行動者といってもいいように思えた。それは具体的には保田與重郎と蓮田善明を典型的に指しているのだが、彼らにあっては、文学と政治が、もっと言えば詩と思想が融合化していた。いな一つのものだったと言えよう。

   当方は長く、文学と政治は二つの異なった内容・志向を持つものと思料してきた。政治は物質生活に直結する権力的な営為、文学は精神生活に限った内面的な営為、いわゆる戦後文学はそうしたきっ線をつたいつつ言語の営みをしてきたものと思っていた。それゆえ文学者は、政治的発言はあっても、極力自己の言語表現の中で、つまり自分の文学の中で現表するものだと思っていた。

   だが、保田や蓮見の文学・行動を瞥見すると、詩も思想も同じ、同根の人間情熱だと思うようになってきた。いわば、万葉集や古今集、新古今集に感ずること、平家や楠木父子の死を受容することは、それらに共感すること、古典など伝統を背にすることで、いま現在の生き方まで規定出来ているのだ。
   従前なら、これは復古論・国粋主義だ、身に寄せるべきでない、という自身の反撥力があったのだが、この数年そうした自身のそういう〈思想〉がやや弱くなってきて、そういう戦前の考え方(生き方)を十分に斥け得なくなっている自分を発見する。

   「自由と民主主義」ー。そうした概念の抽象性を感じてきたものか。文学史的に言えば、あれだけ我が身に寄せて思ってきた「近代文学」誌のありようが、いま今日ではその有効性が信じにくくなってきたのである。
   これは21世紀になった今日になってまで、戦後直後あるいはその後二〇年ほどは有効だった「戦後的思惟」がそれ以降、だんだんその効力を失ってきたということかもしれない。実際、「近代文学」が昭和38年に休刊されて以来、その意義への疑問も同人内部から出ていた(佐々木基一の内部批判)。実際その後、いわゆる戦後民主主義は右派からの批判よりも、内部の一派からの瓦解が始まりつつあった。学生闘争の盛り上がりとその混迷・自壊がその大きな例である。
   以降、世界的な非思想傾向、資本・技術優先、もあったゆえか、この国でも前世紀末頃から、戦後民主主義、平和思想は、軟弱とされてきたのである。

   当方自身、以前は保守思想の権化、と敵対視していた江藤淳を今世紀以降(江藤死後)、たいへん文学的(生命的)に豊かな文学者と感じるようになってきている。その江藤が実は生前、伊東静雄を詩人中でも非常に高く評価していたのを発見して、わが「文学」の正しさを実感している今日此の頃なのである。

   先月(5月)、加藤典洋氏が亡くなった。江藤淳をよく読み込みながらそれを乗り越え、戦後的思想の有効性を考え続けた批評家である。いわゆる政治思想家、歴史家なら、「戦後思想」は論じ安かったと言えるかもしれない。丸山真男や色川大吉、鶴見俊輔なら論じ得る立場であったろう。しかし文学者はいかがか。ほとんどが保守思想の立場の中、加藤典洋氏は頑張った。しかし、その「敗戦後論」は評判が芳しくなかった。議論がいろいろ、視点・論理で難渋と評されたのだった。実際当時、自分も敗戦後論を論じようとしつつ解説で終わった苦い思い出がある。

    いま、自身の内部にわだかまりつある、文学と政治、の問題。これを自身に納得のいくよう考えていくには加藤氏の著書を読んで考えていくしかないか、と思っている。

  https://blockquotemaker.com/?p=10956

   加藤氏の死を多くの人は、「ただ悲しい」という表現で受け止めている。これは文芸評論家・思想家の死に対してはきわめて別格の扱いである。そこには彼への愛しさがうかがわれる。当方も、悲しい。ー
 

政治家が文学作品に親しんでいたなら

 投稿者:管理人iPad 3082  投稿日:2019年 6月16日(日)07時44分23秒
返信・引用 編集済
     よく、「文科系なので」、と不得意をさりげなく糊塗する言い訳をしますね。素人なので、と同様です。でも自分の健康について医者ではないので、と糖尿も高血圧も放置しておいたらどうでしょう。喫煙も、暴飲暴食も医療関係者ではないから、と誰も注意しなければ、命の保証はないのではないでしょうか。
   たとえは極端でしたが、文学をはじめ芸術に関心のない人は、どういうものでしょう。せっかくの人生、娯楽ばかりでない、深遠なものがあると分かって、人生ってをしみじみ味わうことができるのではないでしょうか。

   こんな話をするのは、政治家(や官僚)が文学作品に親しんでいるのかな、と思ったからです。むろん総理や閣僚の答弁に、歴史知識は不可欠です。中国や朝鮮半島、アジア、ロシア(旧ソ連)など。外交のためにも、何より真の国際親善のためにも。でも、それが官僚から教示された書類的知識だけではなく、戦争文学の作品を閣僚が読んでいたらどうでしょう、答弁も話も説得力が出ていたでしょう。
   日本の侵略についても、石川達三「生きてゐる兵隊」を引用して、南京虐殺について言えば、中国習近平も納得ではないかしら。あるいは、「麦と兵隊」など三部作を書いた火野葦平については、晩年の「戦友に愬ふ」を読めば、兵について、愛国というものについて、複眼的な見方が出来るのでは。さらになんといっても、つぎの二人の作品を読むことが、日本人の指導者の方には大切なことではないでしょうか。
   それは、ー
   吉田満著「戦艦大和ノ最期」、と石原吉郎「望郷と海」、です。

   政治家に、過去の戦争を、文学作品で知っていたなら、その話も重みが出るものと思料します。
 

芸術至上の会

 投稿者:管理人iPad 3082  投稿日:2019年 6月16日(日)06時45分11秒
返信・引用 編集済
    今日、16日(日曜)は、芸術至上の総会があるようだ。でも、役員ではないので、総会の後の講演会の時間から行くかな。テーマは芥川龍之介だそうだが、今さら何を話すのかしら。

   でも、人に会うのも目的だから、行こうかな。

http://www.geijutsusijoushugibungei.com/custom1.html
 

「群系」42号、六月下旬刊行

 投稿者:管理人iPad 3046  投稿日:2019年 6月14日(金)08時19分24秒
返信・引用 編集済
  「群系」誌の最新号(42号)が、今月の26日(水曜)にも出来上がり、発送することとなりました。ページ数はいつも通りかやや少ないのですが(246ページ)、テーマと内容については、編集部も自信をもっておススメします。いつも受信されている方には、発信されることと思いますが、確認を取りたい方は、以下のホームページの下にある編集部のメールアドレスに一度お問い合わせ下さい。

   http://gunnkei2.sakura.ne.jp/index.html
 

駐輪場は焦眉の政治課題

 投稿者:管理人iPad 2929  投稿日:2019年 6月 9日(日)11時42分30秒
返信・引用 編集済
     編集同人の校正作業の後、例のように飲み会では談論風発、お互いの作品を言い合ったりで二、三時間がすぐに過ぎます。まよく飲む人たちですが、やはりいろいろな知識、感受をうかがい、為になります。そのうち音楽・美術、さらに各地のいいところを知りたいですね(出来れば、行きたい)。

   閑話休題。
   世相の関心を書いてきましたが、これは文学の板、ですね。でも書くのも読むのも無料なので、人への個人批判、以外ならいいのでは、と管理人は思いまして、ちょっと日頃の感想をまた綴ります。同人誌本体では戦争や政治社会、文学者の動向など書きましたが、こうしたSNSではもっと、日常的、身近なこと、ですね。
(と言っても、女の子のインスタグラムではないので、今から食べるご馳走をアップしたりはしませんが)。

   やはり、社会的に気になっていることですね。ふだん通勤通学(通院)している電車が相変わらず、ラッシュで混雑しているのはこれはしょうがないことで今更ですが、解決出来るのに、そうしようとしていないことにはずっと腹立てています。簡潔に、自転車の駐輪場の問題です。
   小生居住の江東区は、このところマンションが多く建って(いまも建設中が、数件はある)、特にこの都営新宿線はアクセスがよく人気なようで朝もラッシュなのだが、まず駅まで通うのに自転車がこの数年目に見えて増えました。小生、女子医大に午後通院の時は駐輪する場所がなく難儀したものでしたが、二、三年前から午前透析にしてもらって、朝六時半過ぎに駅に行くとさすがこの時間では場所がいくつか空いているのでした。でも帰りの午後は、通路にもいっぱいで今度は出すのもたいへん。
    でも、あえて区役所担当に言いたいのは、所用で江東区役所大島支所というところにいろいろな手続きがあって行くのですが、ここは図書館・児童館もあって、いつも駐輪場がいっぱい。ママチャリも子供用もあって、いつも出し入れがタイヘン。係りの人が手伝ってくれるのですが、先日、「ここ広げればいいですのにね」といったら、「それ、上に言って。私らにはどうにもならない」ー。そりゃそうでしょうね。
   実際、植栽がだいぶあってすこしそこを削るだけでも、もう二、三十台止められるのに。またこの区役所支所は通路も案外広くあるのに、あえてパイロンや柵を置いて自転車を止められないようにしている。通路確保のためだろうが、人はもっと狭くても通れるの、って言いたい(余程のデブでも、片側駐輪しても通れる広さ)。一度、こうした文句はパソコンで打ったことがあるけれど、区役所の人には渡していない(先だっての区議選で、共産党の集いに行ってそこで渡したけれど、候補が落選してしまった)。
    アタマにくるのは、亀戸駅の高架橋の下の自動駐輪場だ。ここは夕方行っても。まず空いているところがない。総武線複々線の下だから相当数の駐輪機があるのだが、おそらく通勤客のものだろう、夕方遅くならないと空きが出ない。道路の反対側は、というと駐輪機がなく、逆にパイロンや柵があって、駐輪禁止とある。全くお役所仕事、区民の利便を考えていない。ここに駐輪するのに誰に気兼ねがいるか、高架下で、店ないのだ。
   夕食などでたまに亀戸駅には来るのだが、今回銀行に用があってきたが、だいぶ前から三井住友の大島支店はなくなってここまで来なくてはならない。だがさすがここは江東区、この駅前支店前の通路は狭くて、自転車も止められない(もう少し外れにいくしかない)。

   いまちょっと駅から離れた人にとっては、チャリは不可欠だ。ふだんからクルマという区役所の人にはそういうことが実感できないのかな。

  カラーコーン パイロン
  https://www.askul.co.jp/usf/000365903/
 

感じのいい人

 投稿者:管理人iPad 2821  投稿日:2019年 6月 5日(水)13時51分6秒
返信・引用 編集済
      いまNHKの「ここナマ」というオビのワイド番組を見ていたら、安藤玉惠という若い女優が出ていた。たいへん個性的で、話も面白かったので、初めてだったが覚えておこうと思った、
   この番組のMCは船越英一郎と美保純で、この二人も好感。阿部渉というアナウンサーもいい。

    だいたい人というのは、特に対面商売の場合、感じがいい人がいい。ファミレスなどもいい対応だといい時間が過ごせますね。小生の場合、通院しているので、その環境の影響は大きい。患者の無愛想はしかたないが、医療者には和められる。看護婦もそうだが、技師は透析前後で十分ほど、操作してもらうので、いい対応をしてくれると心休まる。昨日はかわいい女の技師さんが回収で良かったのだが、月一回の検査血液を取るのを忘れ、別途挿し直しになって、たいへん恐縮していた。

   話題戻ると、小生の女優やタレントで好きな人に三人います。先の美保純に、井森美幸、風吹ジュン、です。なぜって説明しにくいのですが、若すぎない、年が近い、昔のドラマに出ていたからなどですかね。彼女らが、テレビに出ていると、ま干されてないな、と安心です(とりあえず美保純が、NHKの昼のオビにずっと出ていますネ)。

   あ、こんなこと書いている場合でない、龍書房様から、ゲラが来たようです。(^ ^)
 

内面を見つめる、ということ

 投稿者:管理人iPad 2737  投稿日:2019年 6月 4日(火)21時37分55秒
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     子供がかわいい、遊んでいるのを見かけると心が和む、と書きました。こういう感性、例の事件を起こした人たちはあまりないのでしょうか。ま、小学校からの音がうるさい、「ぶっ殺してやる」という気組みでは、ほとんど関心もないのでしょうか。
   よ思うのですが、人はなぜ人を愛するのか。人だけでなくイヌやネコなど動物も。いや植物を愛でる人もいれば、風景全体を翫賞したいという人もいますね。旅行の魅力はそんなところにもありましょう。文学や絵画、音楽を翫賞する人も当然でてくる。(当方は万葉集や源氏、更級日記などが好きなので、大和や京都には強い憧れがあります)。
   よく仕事がいそがしくて、遊んでなんかいられないよ、というひともいますが、そういう人は仕事が熱中できるものだったでしょう。

   今回の事件では、社会への恨み、報復の念が強かったと言われますが、この辺、小生でも若い時、自分が何者でもない、という劣等感、焦りはありましたが、社会への怨念、というのはなかったですねえ。

   今回の彼らの心中を思った時、社会の外れ者という意識を思ったとき、当方が思ったのは詩人・萩原朔太郎でした。意外と思われるかもしれませんが、彼ほど社会から疎外されている、と思っていた人は少ないでしょう。そのかんかくは彼の詩作品に現れています。「公園のベンチに腰掛けて、復讐という文字をナイフで刻みつけた」などはそれがよく現れているでしょう(記憶のまま書いたので多少、違うでしょうが)。
   むろん、朔太郎のような天性の凛質はおれにはない、というでしょうが、本人内面では、非常につらいものであったのです。問題はそうした内面を見つめる、対象化することでしょうか。先の二人にはそういう操作がなかった。悪いのは他者である、として怒り、激情をそのままぶつけていたのでしょうね。
   彼等に、本をよむ、という習慣、あるいはそのきっかけがあれば、その人生はだいぶ変わったもになったことでしょう。
 

子供が遊ぶのを見るのが好き

 投稿者:管理人iPad 2737  投稿日:2019年 6月 3日(月)16時25分10秒
返信・引用 編集済
     つらいことばかり書いてきました。今回は心和むことを書きます。
   小生は、女の子が好きです。ま女子高生あたりも好きですが(嫌いではないですが)、女児が好きなのです。小生の高層団地からは近くの公園が二つ見えます。そこで子供達の声が聞こえると、年も忘れて気持ちがほぐれます。ま、ここ大島は年寄りと若いお母さんと子供が多いです。小生は外出は、通院時も買い物も銭湯の時も自転車ですが、よく目の前を杖ついた(あるいは車椅子の)お年寄りや自転車の母子に出逢います。とぼとぼ歩くお年寄りは同情もしますが、ああはなりたくはないですね。自転車のママはまあ運転が上手、ですが、ヒヤッとすることもあります。小生同様、日々の生活にチャリは不可欠なのですね。
   近くの銭湯の目の前も公園になっていて、時計塔があって、五時だかにチャイムがなります。その頃によく小生もお風呂屋に行くのですが、まあその時間は年寄りがいっぱい(それも禿頭の爺さんばっか)。小生同様ヒマなのでしょうか、ね。(八時頃行くと若者が来ていたりする)。
   たまに公園の中にチャリを止めて周囲を見ていることがあります(といっても半年に一回か二回かな)。子供達の遊ぶ姿を見ているのですね。あるいは、近くのダイエーで買い物をする時も子供がいますね。ファミレスにいる子供達。もう楽しくてしようがないのか、周囲を駆け巡りますね。中には何がお気に召さなかったのか、わあ、って泣いてしまう子もいますね。
   小生は教師をやっていましたが、20代の時はいわゆる塾で、小学生も教えていました。ま、中にはしょうもない悪ガキもいますが、きほん、可愛かったです。

   「土佐日記」の最後に、せっかく京都まで帰ってきたのに、一緒に帰れなかった女児、のことを思うシーンがありますが、ま現地で亡くなってしまったのですね。松の根の窪み、そこに小松が生えてきているのを見て、わが子への思いが募るですが、昔から子供(小松)は宝、だったのですね。

   そんな子供を殺してしまうなんて。子が可愛い、という気持ちはなかったのでしょうか。
 

とんでもない悲劇的人生

 投稿者:管理人iPad 2700  投稿日:2019年 6月 2日(日)16時34分18秒
返信・引用 編集済
     川崎の殺傷犯、岩崎隆一を考えると、こんな悲劇的人生があるのかと思えてきた。職も持たず、友もおらず、もちろん結婚はおろか異性との付き合いもなかったのだろう。こんなのあり?というほど凄絶な人生だ。

   伯父伯母とも正月以来、会っていないという。遺体確認のため現場に出かけてもあまり会っていないため本人確認が出来なかったという。えー、と耳を疑う話だ。社会生活を絶つ、ーこうしたことにどのようにしてなったか。
    よく職場を変える人は、職場の人間関係がうまくいかなかったといわれる。しかしふつうなら生活のため、いやでも次の職場を探すし、希望のところでなくてもそこで職につかねばなるまい。小職など、いろいろな学校・予備校の面接を何度受けたことか。実家から離れていたから絶対生活費は稼がなければならなかった。その点、岩崎容疑者は、伯父伯母というていのいい保護者にかいぐるみになった。なんだこれ、これだけで小職は同情出来ない。甘ったれるな、である。
   だが彼の不幸は、こういういい親族がいたことに始まるのだろう。追い出せばよかったのである。ホームレスにでもなって、現実の厳しさを知ればよかった。冬は暖房があり、夏はたぶん冷房もあったろう。食事は伯母が時たま用意していたという。80歳代の老人にである。そして礼もいわない。
   まったく社会意識を欠いている。アリ以下だ。今度のじけん、そして結末も理路当然の結果ともいえよう。しいていえば、容疑者は自分の立場が不本意だということだけはかんじていたようだ。ならどうしたら打開できる?彼にはその知性がなかった。またひとを傷つけることの意味も、その傷みをかんずる感受性もなかった。要するに、人でなかったのである。
   自分身近にこんなやつがいたら、自分はどう対応するだろう。思いつくのは、こいつこそが透析の患者になればよかったということだ。自らの宿命を感ずるだろうし、人の恩も、社会というものも初めて感じるだろうからである。
 

pc・スマホを持たない生き方

 投稿者:管理人iPad 2651  投稿日:2019年 5月31日(金)14時49分0秒
返信・引用 編集済
      川崎の連続殺傷事件についてこちらでも書いてみます。おおよその受け止めについては群系掲示板に書いたのですが、容疑者の岩崎隆一の自宅にはパソコン、スマホともなかった、ということは当方にはなるほどと思えました。今の時勢で、この二つのどちらも所有していないというのは、大変少数派に属しましょう。80歳代以上の高齢者ならともかく、51歳で所有していないということは、端的に容疑者の非社会性、人とのコミュニケーションの決定的な欠如がうかがわれます。いま現在、ガラ系も含めて携帯電話の所有率は9割を超えていたと記憶します。iPadなどのタブレットは2割程度かな(今は3~4割になるのでは。推測)。それだけ、これらはコミュニケーションツールとして、いや情報ツール、娯楽機器として、現代人の持ち物になっています(人によってはテレビ以上の媒体となっていることでしょう)。中高生など、スマホがなければ日々を送れない、というほどです。
   それをどちらも持っていなかった。これは岩崎容疑者の原始人性(言葉は悪いが)を表していると思います。すなわちこれは端的に現代社会にコミットしていないことを表しています。ふつうの勤め人なら会社や学校にパソコンがあって、仕事上、その端末に触れることは日常的なことでしょう。デスクワークでない、いわゆる肉体労働の方でも仕事の段取りで仲間と相談、打ち合わせのために携帯は必須、だと思います、今時は。
   当方などは学校勤務の際、中間期末試験の際、パソコンルームに入るのは普通のことでしたし、ちょっとしたプリントも(当時は)ワープロでしたが、そうした機器は必須でした。IT時代になって、パソコンをもっていない人は、人間関係があまりない人なのかな、とも思うようになりました。すなわち人間関係が出来ていればメールのやり取りはするし、パソコンの購入やセッティングも友人同士お互い助け合うと思うからです。この社会で生活していく以上情報は必須だし、仲間同士の連絡・消息も必須のことだからです。だから、パソコンも携帯もどっちもないで済ませている人は、現代社会と隔絶して生きているひとと思えます(それでも、パチンコや競馬などはやめられない、ということで社会と接点を持っている人もいますがね(笑)。
   むろん、いわゆる読書人で、PCなどデジタル機器に疎いという人はいます。同人の故野口氏がそうでした。国会図書館での検索がデジタル化されて使いづらくなりました、と不満を漏らされていたこともあります。こうしたきちんとした読書人などで、あえて周囲もパソコンなど勧めず、その人の生き方を尊重しているケースもあるでしょう。でもこんなのは希少中の希少例でしょう。
   昭和末平成以降生まれで、こうしたデジタル機器を使わないという人はほとんどいないでしょう。が岩崎容疑者のように1968年前後の生まれだと、まれまれそうした機器に出会うことなく人生を送った人もいるのでしょうか。しかし(当方は詳しくはないが)、マジンガーZ、だとか宇宙戦艦ヤマトだとか、仮面ライダーとかそういうアニメで育ったとすれば、いわゆるゲームに興じたはずだし、PCともすぐ近在にいたはずだと思料します。忖度するに、岩崎容疑者は友達とそうしたゲームにも興じたことがなかったのかな。
    実に実に珍しい人格と思えます。よく本に夢中で友達作りもしなかったという秀才は聞きますが、格別本も勉強も好きでなく、友人と遊びもしないとしたら、日々何をして過ごしていたのか。何か没頭する趣味があったのか。そういうのがなくて、ただただ何かしらの妄念、復讐の念を日々蓄積していたとしたらー。

   問題の核心ー。
   彼のような、非社会的な人間、人との交通ができない人間、だから逆に社会に怨恨を持つに至る人間の問題にはどう対処していったらいいのか。一つは社会防衛のために(いとしい子供を守るために)、今一つは彼自身のために、彼が納得のいく人生を送ることが出来るために。こういう“不幸な”人生を送らないで済むように。これは、今日の情報社会が当面する大きな問題でありましょう。
(容疑者がパソコン・スマホを持って、自分の意見をこうしたSNSに発信出来ていたら、事情はだいぶ違ったかもしれませんね)。
 

その器の俳優

 投稿者:管理人iPad 162443  投稿日:2019年 5月24日(金)17時32分39秒
返信・引用 編集済
     ご投稿が少ないので、話題の一つもあげますね。

   さきほど、「白い巨塔」を見てしまいました。夜放送分の再放送でしたが、何度もリメイクされているこの山崎豊子のドラマ。やはり惹きつけられる魅力はあるなと思いました。ドラマの骨格、筋立てもそうですが、キャストの俳優に魅力があるのだな、と思いました。主役の財前五郎は例によって岡田准一。それの上司の東教授に寺尾聰。もう一人の教授に松重豊、そして財前の義父役に小林薫、という一級役者ばかりです。ただ財前の同級のライバル・里見医師は松山ケンイチで、少し役不足かなと思いました(昔、田宮二郎の時は山本學でピッタリだった)。【追記】翌日続編を見ましたが、松山の里見医師、思ったよりはまっていました!
    それにしても岡田准一は主役にピッタリだな、とまたも思いました。大柄でないし、年齢も38歳と飛び抜けて若いのに、老成した演技。小柄でも主役を張れるのは水谷豊もいますし、ドラマの主役は高身長でなくてもいいのだとおもいました。
   器、だとかその器でないという言い方がありますが、恐れ多くも今上陛下も大柄ではないのに天皇としてご立派な姿でした(弟君よりも天皇にふさわしい)。国の指導者も小柄でも指導力あるという感じはプーチンなんかその例でしょう。
   逆にデカイだけでロクでないのは習近平やトランプ、安倍ですかね。中国は毛沢東以来、ろくな指導者がいなかったですが、唯一毛に逆らった鄧小平が今日の経済的豊かな中国の土台を築いた指導者でしょう。

    ついでにお笑いについても言及すると、いわゆるビッグスリーといわれる、タモリ、たけしは相応の存在という感じがするが明石家さんまはまったくいいとおもわない。笑いながら台を叩くあの芸はなんだ。またマツコデラックスという大柄な芸人も存在がいやだ。
   ナインティナインの岡村隆史や爆笑問題の田中裕二は面白いし、相方よりもちいさいけれど存在感がある(ナイティナインの相方は全くつまらない)。田中は太田を支えてきたが最近は彼の方がコンビの主役だ(特にバラエティの司会では。太田がくだらん冗談を言うと、「なんでだよ」と田中が半畳を入れるのは絶妙)。
 

関東同人誌掲示板の在り処

 投稿者:梨の木人間  投稿日:2019年 5月20日(月)10時31分26秒
返信・引用
  アジア文化社という出版社が責任者です。
住所は〒158-0083 東京都世田谷区奥沢7-15-13
責任者は、五十嵐勉さん。
メールアドレスは asiawave@qk9.so-net.ne.jp
 

“パジャマ・ラバーズ” 濱口佳子 / 『徳島文學』 第二号

 投稿者:荻野央  投稿日:2019年 5月17日(金)14時24分55秒
返信・引用 編集済
  ◆「心疾患を持って生まれたため、幼少期から病院で過ごすことが生活の多くを占めた。そのせいか、世間にとって病院が異質な場所であることを知らずに育ったのだろう。」

編集後記を拝見すると徳島文學協会の発起人として力を尽くされ、三十歳の若さで亡くなられたとある。作者の心境や「生きる」ことについての思いが語られているが、後記では、このエッセイは作者の掲載意思によるものでなく、ご家族の了承のもとに編集部が掲載したという。
我々は或る若い女性が病と闘いながら、ほぼ人生の大半を病院内で過ごしながらも地元徳島で文学の強い光を放射したということを知る。もとより私がご本人を知る由もない。<私>が圧倒的な死の予感下で「生」を見つめ続けた烈しい思いを受け取り、<私>が夢同然の希望を持ち続けている人であることに驚いてしまう。これは烈しい意識だ。

◆「そんな私にもささやかな夢がある。デートをしてみたいのだ。」
◆「ある日、外来の待合廊下から雰囲気のある音楽が聞こえてきた。「今日は休診日のはずなのに?」と訝しみながら、一組の男女が膝枕をして長椅子に寛いでいた。音楽は二人で持ってきたらしきラジカセから流れているものだった。人目を離れ、二人だけの時間を過ごしにきたのだろう。中庭から入る日差しが、横たわる女性の青い病衣を照らしていた。それは絵本でもなく、テレビドラマでもない。私は時間を忘れてその場に立ち尽くした。」(これがタイトルにかぶさる)

作品の中で最も美しい場面。横たわる病衣の女性の没我の瞬間は「私」の夢の瞬間であり、柔らかな太陽の光はその瞬間を際立たせる。この描写の後に作者の死生観が綴られ、その思考の過程はここでは記せないが、次の文章に集約されているように思う。

◆「多くの人は「死」を身近なものとした時、自分の「生」に気付くのかも知れない。」

そして作者は死と生が意識として重ねられるときに、自分の中に「命の鼓動」を確かめられると結語した。この生命についての形而上学が何と自然に結晶していることか。
また、「デートをしてみたい」。つまり恋をしたいという夢のような希望は、私でも「いい詩を書いておきたい」という、夢のような「ではない」実践可能な文学活動と質的なレベルは同じではないだろうか。作者の夢想のうちの「デート」なり「恋」への淡い願望は、彼女の"拠点"の厳しさ(死への不安)において、同人誌活動に力を尽くしている人々の願望と同じレベルではないだろうか。と言うのも「淡い」という形容は「したたかに」という形容に通じていると思うからだ。

作家は自身の”拠点”を、つねに確実に厳しく意識しておかなければならない(と私はいつもそう思っている)。猫族のように歩くときはいつも爪を立てなければならない「地面」が、あるいは、にこやかに職場で和むカフカが、実家という独居房において、ひっかく「壁」のように。(カフカの場合、「書く」を「ひっかく」と呼んだ) 猫族はサファリの世界に生き生きと動きまわり、カフカは現実と主観の合い間に、自身の文学に苦しみながらも飛翔している。まさにカフカ(鳥)のように飛ぶ。
爪を立て、飛び立とうとした濱口氏の”拠点”はどこにあったのか。このエッセイを読むことでは、大切なポイントはここにある。

命をかけて文学の光りを放つ人。そういう人に私は会いたいと思う。
 

関東の住所が 分からない

 投稿者:t金田百合  投稿日:2019年 5月15日(水)05時52分14秒
返信・引用
  ゆり ハッセー(ペンネーム)です。
 お送りしたいのですが、関東の住所がどこに書いてあるのか 分かりません。急ぎませんので、教えていただければ 送らせていただきます。
 よろしく お願い致します

http://www.jp1poro

 

“むじな”久保訓子 / 『徳島文學』 第二号

 投稿者:荻野央  投稿日:2019年 5月14日(火)15時23分42秒
返信・引用 編集済
  我々は眼の前の風景を(現実)、愛する人の思い出を(記憶)、そして希望と失望(観念)を言葉に”変換する”とき、たいていは直截的表現になる。たとえ表現者がサラリーマンであっても詩人であっても同じだ。それはそれである、それはそれ以外の何ものでもない。それら対象は、ただ一面しか持たぬという厳然たる事実だが、ところで、強い個有の思考と視線の”うねり”によって、とんでもなく意外なその対象の別の現れを知ることもある。「厳然たる事実」は真実ではないらしいのだ。作家の個性は千差万別だけれども、強く輝く作家が強く輝かしい文章で対象の新たな一面を構成することになるという当たり前のことに気づくとき、読者はびっくりする。強く輝く個有の”うねり”を覚えさせる作家。例えば『日記』のカフカ。例えば『チャンドス卿の手紙』のホフマンスタール。例えば・・・。
久保訓子氏はその稀なる作家の一人であると私は思った。

主人公の<わたし>は、晴耕雨読の暮らしを望み新薬製造の仕事に嫌気をさして退職した主人に連れられ、彼の生家で暮らすことになったが夫はあっけなく悪性の癌で死んでしまい、<わたし>は義父とふたりで深い山の中の集落で生活することになった。
山の遠くから鹿が啼くのが聞こえ、庭先で猿どもが柿の木を揺さぶって悪さをする。少し恍惚気味の義父は焼酎を飲みながら「わしは幾つになったのか?」と<わたし>に何度も質問してそのうち寝てしまい、気になって様子を見にいくと<わたし>は義父が安らいで寝ていて、蒲団の上に蒼ざめた狛犬が座っているのを認め義父がうなされているのを見た。ここから<わたし>の少しく不可解で異常な視線がモノを捉えていく展開となる。
<わたし>の顔に毛が生えているので毎日毛抜きで抜いている場面から小説が始まる。

◆「ひえきった焼酎を一杯/しずかに飲んでワラの枕に頭をのせたら
どんな夢が見られる?/夏のパリから絵はがきが飛んできて
美しいマドモアゼルはたくさんいたって/老婆になるとヒゲだらけになるだけ」
(『電機冷蔵庫には』、田村隆一)
女性にヒゲ?? 古きヨーロッパでは髭だらけの女が不通に生活していたという記録が残されているが、<わたし>の毛は髭ではない。どうやら<わたし>はあたかも猿のような、穴熊(むじな)のような顔面に変容しているらしい。それは<わたし>の錯覚なのだろうか。しかし「事実」として毛は生えて<わたし>は抜かなければならない。さてこの「事実」も不可解なものであるようだ。小説は<わたし>の視界に映るモノの気配を感じ、それについて行動していくことで構成される。
寝ている義父の上に座る狛犬を、隣室で眠る<わたし>の耳に畳の上をさらさら足裏を擦って歩く「そいつ」の気配が、近所の仲良しの、みうさんの眼が黒色から灰色へふたたび黒色への変化が、みうさんの家へ余った大根の菜っ葉を届けていくとみうさんの義母が貉に見えることが描かれる。

◆「お義父さんの上には、昼の光で半透明になった狛犬が見えました。そんな光景が見えなくなる所まで早く行きたいと、杖に力を込めていました。(主人公は股関節を痛めている―評者) 空を黒い鳥が舞っていてずいぶん高いところに居るのに、ぴーろろろと耳の奥で声が聞こえました。黒い鉄のような冷たい嘴がわたしの耳朶に押し付けられています。ちょっと首を傾げてみました。鳥のものらしい目ん玉がごろんとわたしの眼窩に転がりこむのを感じました。じきに婆の姿が見えました。婆に見えたのですが穴熊、いや、むじなです。

この一連の描写をどう受けとめるか。或る場面から次の場面へ移行する時の、不可解な<変換>が強力に意味連関を超越して文章の構成を連続させている印象が鮮やかだ。散文詩に見えてきちんとした散文である。「むじなのよう」ではない「むじなです」と言いきれる断定の強さ。幻視ではないのだ。みうさんの婆やんはむじなで「ある」。グレゴール・ザムザは変身を無前提として這いずり回って生き、チャンドス卿は平凡な品々に神による美の秘密に感動する。同質である。このようなスタイルの描写の前に、私の批評的な感想はときどき立ち往生してしまうが、このスタイルの本質を論及するにはまた別項として論じたくなってしまう喜びもある。批評動機の楽しみである。

それから・・・義父は死んだ弟たちと会ったと<わたし>に言ったり、<わたし>の顔面には毛がびっしりと生えてしまうことになったり、相変わらず何ものかが歩き回っているのを察したり、鹿の啼き声が聞こえたり、集落の葬儀の流儀にさからって夫の亡骸を葬ったことを回想したりする。そして最後は、ふたたびあの黒い鳥が空高く旋回して、目を閉じると黒い鳥は大きくなって<わたし>の中へ転がり落ちて来て、<わたし>はそこにむじなを見た。(むじなの爪は<わたし>の毛を剃る道具にそっくりである。)

この作品にはストーリーは無いけれども、幻譚ではなく事実譚でもない。我々読者は作者が操る<わたし>の視界における対象の不可解な<変換>の威力を楽しむことができる。色々な寓意の探求もいいが、作者の連ねるこれら文章の(流れるような)不可解さという美意識を探求するのもいい。
生きている毎日、忘れ去られようとしている過去、見えそうな未来―それらの混合は、この威力の前に鮮やかに蠢動することをまざまざと実感した。

●「徳島文學協会」(事務局) 〒771-3201 徳島県名西郡神山町阿野字方子103
 

評論家たち

 投稿者:管理人iPad 162065  投稿日:2019年 5月12日(日)06時29分1秒
返信・引用 編集済
      批評家といえば思い出すのは磯田光一や前田愛だ。磯田の「思想としての東京」や、前田の「都市空間の文学」でもって近代文学の時空間を知った。東京に住む自分らにとって既往の作家詩人、批評家が身近に思えた。「モダン都市東京」の海野弘、「感覚の変容」「青の時代」の川本三郎もその外延にいよう。逆に時代に焦点をあてたのは「昭和精神史」の桶谷秀昭、「北一輝」論の松本健一、あるいは「『愚者』の文学」(私小説作家論)の松原新一、などであろうか。また「メランコリーの水脈」「青春の終焉」の三浦雅士もいる。
   若手では内村鑑三論や信時潔(「海ゆかば」の作曲者)論の新保祐司か。また、「アメリカの影」「敗北の文学」の加藤典洋、『異郷の昭和文学―「満州」と近代日本』の川村湊、中上健次・村上春樹論の高澤秀次、むろん「物語論/破局論」から最近著の「蓮田善明」の井口時男もいる。
   さらに個別の作家論で影響されたのは堀辰雄論の小川和佑(伊東静雄論も)、大岡昇平論でデビューの樋口覺、梶井基次郎の鈴木貞美、小林秀雄論他の高橋英夫(「疾走するモーツアルト」)、同じく秋山駿(「内部の人間」)、芥川龍之介論では、同人(群系)だった野口存彌氏に影響を与えた平岡敏夫、関口安義(近著に「評伝 矢内原忠雄」)などがいる。「内向の世代」論の古屋健三、ノンフィクション作家の小関智弘などは丁寧なお手紙も頂いた。
  「群系」誌周辺では太宰治に親炙しその評論がある菊田義孝、詩人の安宅夏夫、父雨情研究はじめ、近代詩、漱石鴎外芥川太宰研究、そして大著「沖野岩三郎」の、先に言及の野口存彌がいる。周辺の研究者には堀辰雄研究の竹内清己がいる。さらに古典研究者としては万葉集の水島義治、太平記の兵藤裕己など、個人的に親炙した。
    ついでに夭折した女流研究者として、「メタフィジカルパンチー形而上学から愛をこめて」の池田晶子、『パンとペンー堺利彦と「売文社」の闘い』の黒岩比佐子は惜しまれる。

   もはや研究対象となった批評家としては小林秀雄、平野謙、本多秋五、荒正人、小田切秀雄、吉本隆明、加藤周一、江藤淳などであろうか。圧倒的に影響されたがいまはおく。本多秋五『物語戦後文学史』や加藤周一『日本文学史』はかけがえのないものだろう。そういえば最近物故された川西政明の『昭和文学史』(上中下巻)も貴重だ。

                                    ◯

  「群系」誌では、批評・評伝の連載がつづいている。島尾敏雄(石井洋詩)、藤枝静男(名和哲夫)、村上春樹(星野光徳)、野口雨情(東道人)、石原吉郎(荻野央)、中野重治・泉鏡花(小林弘子)、大岡昇平(関塚誠)、伊藤桂一(野寄勉)などだ(野寄は集英社版『戦争×文学』についてこれまで12回に渡って解説をつづけている)。その他色々な作家詩人批評家を幅広く論じている土倉ヒロ子、市原礼子、間島康子、近藤加津、井上二葉などの女性陣は視点もいい。最近では和辻哲郎論連載の大堀敏靖、保田與重郎論の草原克芳などはポレミークな同人だ。島崎藤村を論じた澤田繁晴、童謡論・小林秀雄論の永野悟は創刊以来の編集部。有力新人として、山中千春や坂井瑞穂がいる。やはり、依り代となる雑誌があってこそ、好きな作家詩人批評家への研究も続けることができよう。
   批評・研究系の文芸同人誌として歴史・実力があり、一昨年には富士正晴全国同人雑誌大賞を受賞、昨年には創刊三〇周年を迎えました(京王プラザホテルで記念の会)。どうぞ関心のある方はコンタクト下さい。

http://gunnkei2.sakura.ne.jp/index.html

 

批評の衰退、について

 投稿者:管理人iPad 162034  投稿日:2019年 5月 9日(木)20時37分58秒
返信・引用 編集済
     同人誌や、文学の研究会というのはいま、どうなっているのだろうか。前世紀にわれわれがやっていた戦争文学研究会のようなもの、いま若い人の間で行われているのはあるのだろうか。むろん大学や学会がらみの研究会はあるだろうが、任意の、自主的な文学研究会はどれだけあるのだろうか。
   むろん、『文藝年鑑』を繰ってみると、まだ相応に全国には文芸同人誌なるものはある。むろん短歌や俳句関係のものが圧倒的であるが、小説・評論の部や、詩誌などもまだ相当数あるようだ。一つ一つの同人の人数は問わない。二、三人でやっていても立派な雑誌はあるだろう。しかし、問題にしたいのは同人の年齢・世代だ。はっきり思えてしまうのは、20~30代の文芸誌は本当に少ないだろう(マンガ同人誌になってしまおう)。ましてや、われわれの「群系」誌のような批評・研究をメインにするのはどれだけあるのか。
  http://gunnkei2.sakura.ne.jp/99_blank011.html#label4

    じつは文芸批評は、戦前戦後、文芸界に大きな足跡を残してきている。文芸評論家という存在が、十分存在価値があったのである(だからこそ、われわれもその後衛を引いているのである)。しかし現在はそれが続いていっていないのか。これはひとり文学のみでなく、政治や社会全体にたいする批評が減っていることではないか。何か意見を言うと、ウザいやつとみなされる風潮があるのではないか。これが懸念に過ぎないとすればいいのだがー。

    そういえば、「朝まで生テレビ」、最近は見ないがどうなっているのだろう。三十年前、平成になって誕生したこの番組は実に新時代であったのに。野坂昭如や大島渚、小田実、浜田幸一、さらに石原慎太郎、西部邁など、キャラクターが揃っていた。新元号を迎えたいま、どうなっているんだろう
 

大日本愛国党総裁

 投稿者:管理人iPad 161809  投稿日:2019年 4月20日(土)23時37分19秒
返信・引用
    いま思えば、数寄屋橋駅頭で声をからげて演説していた姿はむしろ大事な発言だったのではないか。この選挙のための収録でも言うべきことを言っている。壮士というのか、人間的立場で愛国を主張しているのでは。

https://m.youtube.com/watch?v=8xkXeltyYvU
 

スターリンの大粛清

 投稿者:管理人 iPad 1660  投稿日:2019年 4月 8日(月)11時38分11秒
返信・引用 編集済
     今更であるが、大戦前後、あのソビエト社会主義連邦で行われたスターリン政治のとんでもない所業は、いま改めて資料に接すると戦慄を覚えないではいられない。以下はWikipediaの「大粛清」からの引用だが、粛清された幹部の名前とともに、当時の処断の凄まじさがうかがえる。ー


大粛清
〉ソビエト連邦共産党内における幹部政治家の粛清に留まらず、一般党員や民衆にまで及んだ大規模な政治的抑圧として悪名高い出来事である。

   ロシア連邦国立文書館にある統計資料によれば、最盛期であった1937年から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた[6]。

   ただし、この人数は反革命罪で裁かれた者に限る。ソ連共産党は大きな打撃を受け、旧指導層はごく一部を除いて絶滅させられた。特に、地区委員会、州委員会、共和国委員会は、丸ごと消滅した。

   1934年の第17回党大会の1966人の代議員中、1108人が逮捕され、その大半が銃殺刑となった。1934年の中央委員会メンバー(候補含む)139人のうち、110人が処刑されるか、あるいは自殺に追い込まれた。1940年にトロツキーがメキシコで殺害された後は、レーニン時代の高級指導部で生存しているのは、スターリンを除けばカリーニンだけだった。また大粛清以前の最後の党大会(1934年)の代議員中わずか3%が次の大会(1939年)に出席しただけであった。1939年の党の正式メンバーのうち、70パーセントは1929年以降の入党――つまりスターリン期の入党――であり、1917年以前からの党員は3%に過ぎなかった。党の討論機関たる大会と中央委員会は――終には政治局さえも――1939年以後、スターリンが1953年3月5日に死去するまでめったに開会されなくなった[7]。

  党指導者を目指してスターリンに対抗していた者は全て公開裁判(モスクワ裁判)で嘲笑の対象にされ死刑の宣告を受けた。ジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリン、トムスキー、ルイコフ、ピャタコフ、ラデックは非共産圏のイギリス、ドイツ、フランス、アメリカ、ポーランド、日本のスパイもしくは反政府主義者、あるいは破壊活動家という理由で、さらし者にされた上で殺された[8]。


同じく、「スターリン」の箇所から。
〉人民の敵
   キーロフが暗殺されると、スターリンは、トロツキー、カーメネフ、ジノヴィエフを含めた自身の反対勢力者たちを、陰謀に巻き込むための構想を抱いた[38]。調査と裁判は拡大していった[39]。1934年1月の第17回党議会においては過半数の代議員が彼の言いなりであった[35]。見せしめの裁判あるいはトロツキーやレニングラードの政治局員セルゲイ・キーロフの暗殺のあとに法律を改定する[35]。
   この党大会で選出された党中央委員会の委員および中央委員候補139人のうち、98人が逮捕・銃殺された。党大会の党員1,956人のうちの1,108人が、「人民の敵」(ロシア語враг народа, "vrag narodaヴラグ ナロ-ダ")(en:Enemy of the people) という烙印を貼られ、秘密裁判で死刑判決を受けると直ちに処刑された。スターリンは、裁判所に対して「人民の敵」と判断した者には死刑判決を下すこと、そして直ちに死刑を執行するよう命令していた。取り調べの際には「肉体的圧迫」、すなわち拷問を用いることを認め、罪を認めない者には拷問によって力ずくで「罪」を認めさせた。


   こうした歴史の事実を目の当たりにすると、ブレジンスキー(米国・元国家安全保障問題担当大統領補佐官)が言ったとかいうように、「共産主義は人類が経験した最大の狂気である」というのも納得である。「平等」の観念に取り憑かれて、旧社会の人々を排除・惨殺しないではいられなかった。これは毛沢東の中国も同じである。
   スターリンのソ連の問題は、日本人にとっても大戦後のいわゆるシベリア抑留という人類史上の犯罪となって現れた。

                                       ◯

    数十万人処刑などというのは、戦時中の我が国ではあり得なかったことである。ソ連、そして中国など、大陸の国家の非道・非人道がうかがわれる。
   以前からは、ソ連・ロシアというのはむしろ憧れの国であった。いうまでもなく、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフという大文豪が生まれ、チャイコフスキーという音楽家を生んだ国であった。しかし文豪が書いたように、元から農奴制を下地にしたツアーによるロシア帝国という苛烈な社会であった。先に書いたように、終戦間際のソビエト兵によるレイプ・惨殺はこの国の連中の非人間性も明らかになったということである(欧州における例もある。「カチンの森」事件など)。


 

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