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呼びかけても応答がない

 投稿者:管理人iPad -9370  投稿日:2020年 9月19日(土)17時06分9秒
返信・引用 編集済
   こちらからいいなと思う人に雑誌への参画、合評会へのご参加など呼びかけているのですが、ご返信・応答がない方もいらっしゃいますねえ。逆に、執筆者の方などは意気盛んで、バッチリ気構えてご参加なさるようですが。
 これは年齢にも関係しますか、年上の友人からの応答がないと、どうしているかな、と思います。

 健康・長寿の三要素として、栄養・運動・コミュニケーション、と言われますが、三番目の人との交流、伝達こそは、一番の大事な要素だと、最近の研究では言われています。実際、当方などは、一日置きに通院、医療者の多くと接触・会話、さらにこうしたSNSで人々とのコミュニケーションを図っていて、透析37年にもなるのに、元気いっぱい、とても七〇歳に見えない、と言われます。
 実際、同人誌に関わっている人は実に長い年月を閲している方が多く、やはり気合が入っているので、いつまでも元気なのでしょう。

 ま、当方は文学一途ではなく、いろいろなことに関心があります。宇宙について、都市空間について、動物や子供への関心、音楽への関心、そして社会や政治、歴史への関心。
 そういう話題で人と話が出来れば嬉しいです。
 長く教鞭を取っていたので、生徒たちとの付き合いもあり(パーティーにも来てくれていた)、また同人執筆者の中には、予備校の同僚だった方もいます。
 
 

癒しの動画

 投稿者:管理人iPad -9335  投稿日:2020年 9月17日(木)07時15分28秒
返信・引用 編集済
   こちらの板、投稿がないので、ひとつ癒しの絵、でも。

 https://youtu.be/HeQPNYttEbo

 https://youtu.be/1nEWXbduEak

 もう一つ

 https://youtu.be/uqOaoQhCiRw

 https://youtu.be/HZxpiuE4R78

 愛子(まなご)をイヌとかネコといっしょに育てるのはステキですが、汚れたり感染なんてないのでしょうか。
 でも、視聴者の反応に「かわいい」が連発されていて、やはり癒しの図ではありましょう。
 

タイトルと背景色の変更

 投稿者:管理人iPad -9221  投稿日:2020年 9月 8日(火)08時48分37秒
返信・引用 編集済
   突然のご報告で恐縮です。

 当掲示板は、冒頭の説明にもあるように、2010年に設置されました(「群系」永野悟)。長く「関東文芸同人誌交流会の掲示板」のタイトルでしたが、各誌からのご投稿がないので、この際「関東」の語句を割愛、このようにさせていただきました。また、各同人誌の交流の場に戻せたらと思いますが、苫小牧の根保孝栄氏の「全国文芸誌交流会掲示板」が立てられて(2017年 8月 8日)、以来旺盛な管理人の執筆投稿で、読者はそちらにいっていると思われます。一時アクセス数が激減して、板の閉鎖も考えたのですが、せっかくあるので、またの機会まで管理人がいろいろ投稿しています。ナガノ 拝

 過去ログから
 https://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs?page=5&
 

故人のブログはどうなるか

 投稿者:管理人iPad -9180  投稿日:2020年 9月 5日(土)19時34分40秒
返信・引用 編集済
   こうした掲示板(SNS)や個人のブログは、その設立者が物故した後はどうなるのだろう。
 もと「群系」誌の同人でもあった安宅夏夫(1934-2020)氏の場合はそのいい例であろう。下のリンクの「安宅夏夫のBLOG」は生前からそれほど知られていたものではないが、氏の没後も廃棄されることなく、存続している。これ以外に安宅夏夫のホームページもあったが、これは生前にこれ以上継続できなかった故か、削除されている。
   安宅氏自身がこうしたブログを設置したのではなく、誰か若い人に作ってもらったようだ。でも、同人誌主宰者ならともかく、一人の書き手が苦手なインターネットのツールまで使って、自分を顕示したかったのはある意味、すさまじいことだ。でも書き換え、更新などを、身内の方(奥様など)にも言い伝えておかずに逝ったのは遺恨が残ろう。

 さてこれらの始末であるが、設置者以外に善処出来るのであろうか。ちなみに、群系のホームページなどは取り持ちプロバイダのさくらインターネットさんに、月々の費用が払われなくなるので、自然消滅だろう(設置者のパソコンにはそのHPの元は残っているが)。だが、このteacupの掲示板やYou tubeなどは無料なので、設置者が廃棄しないといつまでも残るのだろうか。
 ※ 最近、以前勤めていた日本音楽高校から電話があって、当方がYou tubeにあげた同校のPRビデオを削除してくれませんか、という依頼があった。自分も知っている教え子の姿もあった以前のものだったのでアップしたのだが、個人情報にあたるので、ということであった。アップは毎度やっているが削除は初めて。でもID、パスワードなど入れて本人確認をすれば、削除は簡単だった(でも、この動画がいいという人が6人もいたのに、残念ではあった)。

 https://blog.goo.ne.jp/ataka720/arcv
 

『源氏物語』と近代文学

 投稿者:管理人iPad 8975  投稿日:2020年 8月23日(日)11時26分23秒
返信・引用 編集済
   ちょっと一休みで(そんなに同人誌紹介作業、果たしてませんが)、前に投稿した古典に関する拙文、再度アップさせていただきますね。「古典を読む会」立ち上げに資する一つとして(誤字など、訂正を入れました)。
 (「読む会」は、まだまだ個人的な提案にすぎません)。

           ◯

『源氏物語』と近代文学、似てるところ  投稿者:管理人 投稿日:2009年 5月 5日(火)14時04分

 『源氏物語』の巻き巻き、あるいは登場人物をみていると、ふっと、近代文学のそれに似ているなあ、と感じることがある。もちろん、『源氏』の方がはるか先にできているのだから、〝真似〟や影響は、近代作品の方に決まっているのだが。


 最初にふっとそんなことを思ったのは、30巻での「藤袴」の巻で、あんなに美しかった玉鬘が、夕霧など相応の男性の言い寄りものけて、また宮中への入内をも断って、いちばんありえない髭黒の大将と結婚してしまったことだ。玉鬘も当初は好きでなかったというのに。
 玉鬘といえば、源氏の友人頭の中将の遺児、それもあの不幸な死に方をした夕顔と間の遺児であった。なぜ、北九州の方ですごしていたんだか、理由・委細は忘れたが、いずれにしても多少の不幸な境遇は否めない。しかしこの玉鬘の美貌は多くの人を魅了するほどであった。父探しに都に来たのであったが、ある日行列なんかで見た実際の父親は、養い親の光源氏にだいぶ劣ってみえたのでがっかりしたこともあった。またあろうことか、彼女の美貌はその養いの父親になっていた光源氏も、彼女に一方ならぬ想いを寄せることにもなった(有名なのは「蛍」の巻で、たくさんの蛍が舞う中で玉鬘の顔が一入、美しく照らし出されたシーンであろう)。
 でこの女主人公、とそれをめぐる人物の顛末が、当方には堀辰雄の『菜穂子』に似ている感じがする。不幸なおいたちゆえか、母との確執から逃れるせいか、一番その結婚相手とふさわしい都築明とでは、なく東京のずっと年上の資産家と結婚してしまう(この顛末に、初めて読んだときに、ああこういう道行が近代小説なのだ、なと妙に合点したことがある)。ファザーコンプレックス、と一言では言い切れない、結婚という一段落をめぐる不思議な結末である。

 次に思うのは、結婚どころか、異性にたいして臆するところのある男性の話で、これは《宇治十帖》の薫がそれにあたる。友人の匂宮の行動的なのに対して、マジメな勉強家であるとともに、どこか生存の影をしょっている(ま、自らの出生の秘密も抱えていたのであるが、それはともかく仏道で敬慕していた宇治の八の宮の處についに相談しに行く)。宇治の八の宮は、桐壺帝の八番目の宮で(源氏の実弟でもある)、由緒正しいのに皇統から離れ、仏道にいそしんでいたその姿が、求道の薫にぴったりだったのだろう。出生の秘密とは、源氏の実子とされるがそうではなく、光源氏の後妻・女三の宮と柏木との密通によって生れた宿命の子である。光源氏自身もそのことを知って、若い時代の藤壺との過ちを想起し、叱るどころか、苦悩している(ま、そのうぶな薫が、八の宮の娘たちを見初めて、劇を織り成しているところに、また『宇治十帖』のおもしろさはあるのであるが)。
 過去のあやまちを思い、悩んでいる主人公がでてくる近代作品ですぐ思いつくのは漱石『彼岸過ぎ迄』であろう。そこに出てくる須永市蔵がぴったりである。97年のセンター試験にも出題された作品だが、須永にはまず出生をめぐって、子供心に陰をさすところがある。父の死ぬ直前、「市蔵、おれが死んでも、お母さんを困らせるんじゃないぞ」といわれたが、もっと不審な気持ちをそそる言葉は葬式の時の母の言葉だ。「ね、お父さんがいなくなったって、今までどおりお母さんが良くしてあげますからね」。こんな、わざわざいわないくてよいことをいわれたために、却って、少年時代から、「僕は自分の親にたいする疑念が生れた」という須永市蔵。実際に、暗くなるべく生い育つ市蔵は異性との付き合いにも躊躇があった。親戚(いとこ筋)にあたる格好のフィアンセになりうる千代子を前にしても、愛しているのにそのことをいえない。のみならず、とてもじゃない独白(告白ではない)をするのだ。「僕は、物事に恐れを知っている。そんなんでことにあたって、どんなに二の足を踏んできたか。が、千代子はそういうことを知らない。屈託のないお嬢さんだ。僕の苦労を彼女にかけてあげたくはない」(具体的な会話内容は当方の思い出し・作成なので、関心の或る方は原文(=青空文庫)で確認されたい。
 要するに、薫も市蔵も、人生の裏面に敏感すぎる男である。だがその陰影が漱石先品にどんなに知的な奥行きを与えたか、『源氏物語』がただの〝栄華物語〟に終わってないか、を証左するものである。

 こういうことを書いていくときりが無いが、この薫の形象、あるいはかれが後の面倒をみる柏木(恋心の不義の罪障で死んでしまう)、このふたりの暗い人物に対して、健康的で好男子で、かつ思慮深い常識家であるのが、夕霧であろう。かれは柏木の死んだ後、その後始末をし、未亡人(落葉の宮)を弔問している。また、紫の上の一周忌を迎え、いまだに悲嘆にくれる父・光源氏をも慰めても居る(41巻「幻」の巻)。 もちろん、夕霧も普通の人情を持った男、父の後妻・紫の上をひと目見ただけで、魅了され、玉鬘が好きになり、友人の未亡人の落葉の宮を慕うようになっていく(そのことで、恋人の雲居の雁はたいへん立腹、里へ帰るなどしている)。でも、社会人として、人情のあるまっとうな青年として、夕霧の行動・心理はごくまっとうなのではないか。常に、周囲を冷静な目でみているし。
 この夕霧に相当するのは、漱石『行人』に出てくる、主人公長野一郎の弟・二郎ではないか。兄さんの大学教授は物事にすべて懐疑的で、実は妻の愛情をも疑って居る幸薄い男だ。なんでも自分の思うようにいかないとすまない癇癪持ちの彼は、時に妻をなぐる。しかし、「弱い子羊を打つ自分の卑怯さ」も知っている。作品は、ジレンマにはさまれた知識人のありのままを描いた傑作といえよう。
 貞操を疑われた奥さんと〝探偵〟を仰せつかった、弟・二郎は或る暴風雨の夜、和歌山の温泉の寝間で、彼女(兄嫁)に告白されてしまうのである(「私はかまわなくってよ」)-。嵐の晩の一夜のこのせりふほど、夫婦の隔絶と義弟への救恤(求愛)をしめした處はないであろう(漱石嫌いで、有名な正宗白鳥も、このシーンを「女の描けない漱石が始めて描けた」といっているそうだ。

 この夕霧が義母である紫の上を始めてみてあこがれるシーンは、場合によっては大岡昇平『武蔵野夫人』の戦争からの帰還兵・勉に擬せられるし、あのおとなしい美貌の夫人・道子を紫の上になぞらえていいのかもしれない。
 また、柏木(36巻)・横笛(37巻)・鈴虫(38巻)・夕霧(39巻)あたりの、柏木の道ならぬ恋、それを見る夕霧の構図は、少し違うが、漱石「それから」の代助が相応しようか。人妻である三千代を想うあまりに、なんども人の家のあたり(これはむろん三千代の夫である平岡の家)をへめぐる場面に似ている。このシーンはまさしく〝恋〟だ、と読んだ時思ったものだが、気になる人のことは寝てもさめても想い募るもので、明治のあの〝姦通罪〟のあった時代に、代助はついに、彼女を〝奪婚〟する。そして、この自然の情をとおしたばかりに、二人は世間からのバツとして、次の作品(「門」)で宗助とお米は〝崖下〟の家に住み、奪婚された友人の影に怯えて暮らすのである(柏木の場合、は、いわば中宮にあたるような女性を、たまたま横顔を見ただけで重症の恋の病に陥り、世話になった源氏様にすまない、すまないとして、なんと死んでしまいます)。ま、物語の展開上、そうしなくてはならないかったにせよ、ちょっと強引?

 さらに、以下はほんの印象ですが、源氏が5巻「若紫」の巻きで、わらわやみに病んで北山の大徳に診てもらういわば、入院の後半、かわいらしい少女にあいますね。祖母らしき人と一緒に、雀の子をともだちが逃がしたと行って、泣いているシーン。教科書にもよく載っていた可憐なシーンですが、これは、〝垣間見(かいまみ)という、垣根から家の中、庭などを見る場面ですが、これと似た近代の小説では、室生犀星の『性に目覚める頃』、その〝お賽銭泥棒〟のシーンに、似ていますね。両方とも、今日では軽犯罪法違反ですが(無粋な名だこと)、美しいものをのぞこうとするのは、『古事記』や、民話「鶴の恩返し」にしろ、普遍的な物語の行いです。
 あと、源氏が須磨で配流されて暴風雨に遭ったときあがありましたね、そのとき父王(亡き桐壺院)の亡霊が出て道案内して、無事、明石の土地に漂着しましたね。あの導きも、「ハムレット」にある父王の導きのシーンにそっくりですね。
 また、前後しますが、柏木が自分の実の妹と知らず、玉鬘を慕うところは、三浦綾子『氷点』に少し設定が似ていますね(あっちは、ほんとの兄妹ではないのだから、恋愛はできるはずなのだけれど)。
 また、薫の出生の秘密ということだけでいえば、志賀直哉『暗夜行路』にもモチーフが似てないこともない。


 ま、『源氏物語』の直接の影響は、あの頃の、源氏亜流物語群や、中世王朝物語などに、むしろ色濃い影響はあるのですが、断続しているはずの、近代・現代にも通じるところをエッセイしてみました。(^^;)(>_<)(^o^)^^;<(_ _)>(-_-;)

 初出  https://8614.teacup.com/snagano/bbs?page=492&
 

各地の同人誌の紹介

 投稿者:管理人iPad 8905  投稿日:2020年 8月20日(木)07時34分42秒
返信・引用 編集済
   この関東同人誌交流の掲示板で、当方「群系」の会宛てに来ている各地文芸同人誌、詩誌などを紹介すべきですが、なんせ表紙をPCにスキャンし、パソコンから目次などを書くとなると、管理人の体力からしてなかなか難しいので、それをやるに至っていません。苫小牧の根保さんのように、作品評までやるとなると、雑誌主宰者で、同人会員に募集要項や投稿を塩梅したり、また何より次号特集の平成文学を読んでいく身、なかなか出来ないのであります(当方、他にもいろいろ興味がありまして)。
 前にはこの板も、多くの各地の同人誌の方々の投稿などありましたが、ほとんど休刊(休板)の状況となって長く、一時は閉鎖した方がいいとまでも言われてました。一日に数件の閲覧しかない現況ではそういう意見も出ましょうし、そうした各地の同人誌の紹介なら、一日に100~200のアクセスがある群系掲示板に掲出したほうがいいかな、と思います。
 また小説ばかりの同人誌はタイトルだけの紹介なら人の興味もあまり引かないでしょうし、掲出紹介するなら、批評・評論中心の『構想』(長野県東御市・崎村裕氏)や、『人物研究』(千葉県松戸市・田中徳雄氏)などになりましょうか。さらに前世紀に刊行していた雑誌(『みとす』)の後継である『陸(ろく)』(足立区・吉田憲恵さん)や、詩誌でもある『木偶(でく)』誌(相模原市・仁科理氏)などくらいですかね。
 最近大和田茂さんから贈られた『星灯』(調布市)なども重要な論考もあって推薦したいですね。

             ◯

 やはり、目次だけでも紹介しておきますね。

『構想』(長野県東御市・崎村裕氏)    2020年7月  第68号
  エッセイ  大石内蔵助の「虚実皮膜」           陽羅義光
  小説    夢ちゃん海                  嶋田貴美子
  連載    中期の幸徳秋水(10)                                                    崎村 裕
  連載    帝国主義ー支配と抵抗  ー西欧精神史7                 雨宮湘介
  藤田愛子さんを悼む                    崎村 裕

※ 前から、この雑誌の孤高・傑出を「群系掲示板」で述べてきましたが(検索)、後記によると今号で休刊となるそうです。1984年創刊、以来三十六年間、そのあいだに同人の老齢化・物故が続き、主宰の崎村氏も不調だとのこと。しかし、氏の「幸徳秋水」論(今回は、大逆事件の二年前の「赤旗事件」を扱う)はたいへん貴重な資料・論考であり、これこそ取り上げるべき同人誌と思います。
 https://8614.teacup.com/snagano/bbs/11945

 https://8614.teacup.com/snagano/bbs/smartphone/index/detail/comm_id/7499/?



『星灯』(調布市)           no8.           2020.6
  小説    ココロ                    渥美二郎
  小説    ボクノラネコン                野川 環
  詩     風が通りぬける                山口あさひ
  批評・エッセイ
  弁天開帳ー志賀直哉「襖」の向う側             島村 輝
  一九一八年米騒動と戦後小説(下)
    ー堀田善衛『夜の森』と城山三郎『鼠』をめぐって    大和田茂
  三・一独立運動100年の韓国への旅            金野文彦
  津田青楓と河上肇ー夢やぶれて山河あり           佐藤三郎
  山小舎の文学散歩ー池波正太郎、井上ひさし、藤沢周平    本庄 豊
  「健全なセックスワーク」はあり得るのか          紙屋高雪
  『日本文学史序説』をめぐってー加藤周一論ノート(7)                北村隆志


 寄贈いただいた大和田茂氏の論考はたいへん興味深く、タイトル通り、1918年の米騒動(この頃スペイン風邪猖獗)とロシア革命の干渉であるシベリア出兵と、戦後作家の関係性が書かれている。
 冒頭の切り出しからして、興味深く、検索がてら読んだ。

  〉堀田善衛『夜の森』(1955年3月刊)は、松尾勝造の『シベリア出兵日記』(1978年刊)を素材としている。

 この「埋もれた日記」を世に出す役割を果たしたのは作家の高橋治、とあって、早速検索したが、直木賞の大衆作家の幅広い活躍と同時に、シベリア出兵(戦後のシベリア抑留とは別個)のことにも関心を持った。この出兵に関しては、当時黒島伝治(1898ー1943)がいて、シベリア出兵を日記に松尾以外唯一残した兵であるとし論の中で松尾のと比較している。(『渦巻ける烏の群』(昭和3年)は、近代戦争文学の先駆とされた作品)。
 堀田善衛『夜の森』の巣山はこの松尾兵をモデルとしているが、シベリアに来て、徐々に出兵(戦争)の本質、実態を肌で感じはじねていく。巣山は堀田が作り上げた造型であるが、シベリア出兵の深くて「暗い森」を見つめている。ー

 戦後に書かれた米騒動を扱った代表作品として、城山三郎の、『鼠ー鈴木商店焼打ち事件ー』(1966年4月刊)があるとして、紹介する。鈴木商店は神戸に本社を置く総合商社であったが、当時いわゆる成金、の典型とされたが、作者城山はそこに疑問を付しながら書いているようだ。米価の高騰に対して富山の女房たちが騒動を起こし、価格吊り上げの元凶として新聞が鈴木商店を実名報道し、結果神戸の本社が焼打ちにあった。だが時の寺内正毅内閣は内政をおいて、戦利を目指してシベリア出兵を行ったとかいうようだ。
 時代とまた地域をまたがった論で、視点からして良かった。



※ ついでに、根保さんへの反論を書いた、“純文学”論の、投稿(小生の)がありました。2013年の当板です。
 https://8614.teacup.com/snagano/bbs/5830


 

どこのドイツ

 投稿者:ガーゴイル  投稿日:2020年 8月16日(日)16時19分47秒
返信・引用
  ヤルタ会談とされる写真はルーズベルトとスターリンとエゴロフである。エゴロフはスターリンにとって重要な人物である。チャーチルはアメリカ合衆国の人物であるが、ネビルチャーチルであって、ネビルの写真が本物の写真。  

古典を読む会

 投稿者:管理人iPad 8800  投稿日:2020年 8月13日(木)18時15分46秒
返信・引用 編集済
   前に図書館で「源氏物語を読む」という講座があったのですが、一回聞いたきり、そのあとは参加者大勢で申し込み〆切で、その後参加出来ませんでした。予備校で教えていた頃は、授業で古典文を読めてそういう機会があったのですが、そこをやめてからは(五〇歳で事実上定年)、あと採点講師で読む機会はあったものの、やはり教えていた時の充実感?はありませんでした。

 のちに問題集や古文単語の参考書なども著作したのですが、自分自身が受験生で学んでいた古典参考書のそれぞれの古典例文を忘れません。万葉集から始まって、中古、中世、近世へと続くそれらに接して、まあ国文科志望を強くしたというものでしょうか。
 古事記や万葉の一節を暗唱すること、それが歓びでした(実際、入試には上代文は出ませんが)。半世紀経った今も、それらを覚えています。源氏や更級の一節や、平家、太平記の一節も覚えていました。古典文は音頭朗々、暗唱に相応しく、それがそういう世界に馴染み、入っていく一番の道だと思います。
 当方は、学燈社刊行の『全国入試問題詳解』という電話帳みたいな本の解答者を終刊に至るまで、二〇年以上やってましたが(解答者は二十人くらい)、古文を読む力はそういうところでも培っていったのでしょう(一般大学の解答と訳出は出来ましたが、たまに早大の問題が回ってくると、これは解答に慎重になります。早稲田はやはり難しい出題で、選択肢といえども正解にならない誤答をしてはまずい、インターネットの普及していない当時、わざわざ代々木まで行って某ゼミの解答速報を見に行ったものでした)。


 古典文は、英語でいう、SVCのS、つまり主語が省略されるので、そこではV、すなわち述語で判断することが多いです。すなわち敬語のありなしで、Sつまり主体を判断するのです。~給ふ、と尊敬の補助動詞がつけば、高貴な人、~せ給ふ、~させ給ふ、とあれば最高敬語で、主語は主上など、最高貴人(「せ」「させ」は、尊敬の助動詞)。
 受験生や初学者などはなかなか古典の文章は読めない、馴染めないものですが、そこは慣れ。幾つもの文章を読んでいけば、場の様子、人物のありようがわかってきて、むしろ読解するのが面白くなります。
 小生も中小の予備校を経て、そのうち駿台予備校に講師試験をパスして、古文科講師になりました(定期的に、教授会!、というのがあって、数十人の講師が前後期の初めにお茶の水に集まっていました)。駿台のブランチはたくさんあって、当方もお茶の水以外、四ツ谷、池袋、八王子、大宮、千葉と各校へ行きましたが、医学部のセンター対策の市ヶ谷校舎が多かったかな。ペイも良かったので、いわゆる予備校講師の収入でした。
 でも今世紀になってからは、高校講師や、入試問題や模試問題の作成などやっていました(小さな私大、短大などは、民間のそういう事務所に問題作成を依頼するのですね。でもペイは安くなりました)。のちには旺文社でセンター模試作成もやりましたが、こういうのはツテ紹介で、公募は今もしていないでしょう。

 ちょっと経歴を書きましたが、あえてそうしたのは、「古典を読む会」を始められないか、ということでした。僭越ですが、古典文の読み方、単語の意味、文学史的な背景も、それぞれ参考書をかきましたので、その程度なら披露出来るかも。(参考書は、いずれも学燈社刊で、『文学史ダイジェスト』『古文単語ダイジェスト』というのがあります。まいずれも三〇年近くまえのことですが)。

 で、もしやるなら、三ヶ月に一度の例会、場所は手前のちかくだと、東大島文化センターなど。
 手掛けるものは、平安五日記だと、「蜻蛉日記」「和泉式部日記」「紫式部日記」「更級日記」「讃岐内侍日記」がありますが、蜻蛉日記と紫式部は内省的で難しく、やはり「更級日記」が手頃か、と。『源氏物語』は五十四巻で、とても読みきれません。適当な巻を選んでトビトビに読むか、いっそ、宇治十帖から読むか、ですね。また万葉集の長歌鑑賞もイイです。小生、犬養孝先生(阪大名誉教授)の万葉集カセットを持っています。この先生の朗々とした歌唱がいいです(がレコーダーはいまはないか)。
 テキストは、小学館版の、『日本古典文学全集』が原文の下に口語訳もあるのですが大きく重いです。やはりお勧めは『新潮古典集成』ですね。原文の右横に、赤字で必要箇所に口語が所々あります。やはり原文を直接読むので、手応えがありますね。

 とりあえず近く、『群系』44号の合評会もあるので、この提案が実現するのは後々のことでしょうが。とりあえず書いてみました。
 ※ 関心のある方はメール下さい。  →  uf2gmpzkmt@i.softbank.jp
 

「更級日記」のことなど  再掲出

 投稿者:管理人iPad 8655  投稿日:2020年 8月 3日(月)22時29分18秒
返信・引用 編集済
  「更級日記」のことなど
投稿者:管理人  投稿日:2009年 1月 9日(金)16時59分  群系掲示板

 きょうはひさしぶりに雪が降って、寒さがいちだんと厳しい。ちょうど締切の仕事があって家に閉じこもってやらねばならないから、出かける気持ちが抑えられてよい。仕事がなくて天気がいい日など、気持ちがうきうき(あるいはうずうずして)外へ行かないではすまないときがある。こんな気持ちは人皆に普遍的なようであって、「死の家の記録」の〝囚人〟たちでも、天気の悪い日は却って外界への憧れを持たずにすんだようだと作者ドストエフスキーはその気持ちをいっている(捕囚の人ほど、外への、自由への憧れは強かろう)。囚人たちは、風呂へはいっているとき、〝娑婆〟のことをいろいろ云々していたようだ(こんなシベリアの流刑地に、風呂なんてあったのかな。読後の記憶としてあのシーンは印象的だった)。

 我が古典でも、晴れの日は時にお出掛けがあったようだ。「女車」に乗って、平安の女房たちも郊外へピクニックへ出かけたようである。牛車に木漏れ陽のする木の枝がかかる様をみずみずしく清少納言も書いていた。逆に風雨や雪に降り込められた塞いだ気分の女房たちのようすも「枕草子」にはあったようだ。宮中で、同僚たちも相応にいたなかで、そうした自然界の〝大荒れ〟はいかにもさびしく、またこわいような気持ちであったろう(特に雷がおどろおどろしく鳴り響くときなど、気が気でなかったろう)。

 近代ならともかく、まだ迷信や未知がたくさんあった頃、人々はどんなに心淋しい、そら怖ろしいときを送ったことだろう。「枕」や「源氏」はむろん、「更級日記」なども、人事もないあわせでそうした気持ちを叙していて、現代の文章など以上に、その心象は印象けざやかである。たった原稿用紙百枚にも足らないこの「押し花の匂いのする」(堀辰雄)日記には、かの時代のそんなに身分は高くはない(受領階級)に生い育ったからこその様々な感慨があって、気持ちをそそる。都へ向かう旅日記で目にしたものは少女時代の思い出を追想したからこそもあって(また筆を持った晩年の今の悲愁の気持ちもあわさって)なんともいえない、人生の万華鏡ともいえる。

 十歳ちょっとで上総のこの土地を去ろうとする時に、手作りの木彫りの丈六の仏を見捨てていく気持ちのいじらしさ、この土地の何もかも目にとどめたいとする気持ちなどは、通信・交通の発達した今日では感じえぬ、心の髄まで染みとおった感慨であったろう。途中松里(松戸)で長年面倒を看てくれた乳母との別れ、一面の茅の生えた武蔵野を行く茫々の感覚(竹芝の昔語りを挿入しないではいられぬ茫漠なさまーそれが今日の東京である)、あるいは丹沢の山の暗がり、そこで野宿するのもそら恐ろしいものだったろう(少女の身では、またとんでもない原初的体験の日々であった)。そんな中、暗がりから現れた遊女たち、その澄んだ声に、少女ら一行はなんともいえぬ癒しを覚えた(少女だからこそそうした歌舞を演ずる人への目の覚めるほどの感慨もあったろう)。旅の一行も命がけだったろうが、当時の遊女たちも、それこそ命がけで、その生業を生きていたであろう。情報のあまりない当時という地平は、それこそ毎日毎日が「生きる」そのものであったと思われる。

 やっと都の邸宅へ着いたが、都といっても、木々がうっそうと茂り、夜中でもあったでもあったし、少女の落胆は相応なものであった(物語のある都はどんなに華やかなものだったろうという幻想もあった)。その都での生活もまた、少女の夢と幻想を少しずつ破っていく現実ばかりであった。でもそうした中でもささやか日々の暮らしを点綴するその筆致にも、もはや懐かしい、とも言表できるような日常があった。

 姉との生活は今日にも通じるある纏綿とした情緒を、読む者の気持ちにひたさないではいられない。ある晩、夜空にながれ星をみる二人。ふっと、姉は「ねえ、いま急に私がいなくなったらどう思う」。妹は(何を言うの)となま恐ろしい気持ちになる。「冗談よ」と紛らわしげに姉はいうが、それを受け止める妹(作者)の気持ちは真にいかばかりか。姉の「急にいなくなったら」という言葉は現代でもありそうだ。そしてこの言葉は姉妹の、特に姉に特有の属性かもしれない。妹をかばい、保護してきた、特に母親が常時身近にいるわけではない家族関係にあっては、姉は我が身を犠牲にする母性の象徴でもあったかもしれない。
 その姉妹の会話の中に現れたのが、なんと一匹の子猫であった。「かわいらしい。ね、この猫を飼いましょう」。どちらの提案かこの猫を飼うという話が、この日記、特に姉妹の生活にあるけざやかな印象を与えることになる(ちなみ、平安の当時、猫は今日ほど多くはなく、もの珍しかったそうである)。すなわち、姉が病気になって、猫が姉妹から遠ざけられて、従者たちの居所に置かれていた頃、姉の夢にその猫が現れたというのである。「猫はどこ?」がばっと起きた姉は言う。実は夢に、その猫が現れて言うには「私は侍従の大納言の娘の生まれ変わりです。久しぶりにご姉妹の近辺にいられて嬉しかったのですが、近頃は遠ざけられて、あやしの者たちの近辺にいるのが憂わしいのです」。
 この「侍従の大納言の娘」というのは、姉妹が(特に妹が)、〝手〟を習っていた方だったのだ。昔は文字はそれこそ手習いであって、身近に手をとって教えてもらった。だが、「侍従の大納言の娘」はあるときはかなくなって、死んでしまった。その辞世の歌に「私がいなくなってしまったら、鳥部山に立つ煙を私だと思ってほしい」というものだった。当時の仏教的な無常観ならでは(いや、今日にも通じる)死生のむなしさがつたわる歌である(煙となる、は「なくなる」という言表になんともぴったりだ)。

 「更級日記」はその後、その大切な姉の死、宮仕えのこと、それから帰って老残の父へのなんとも切ない思い、そして残った姉の遺児を川の字のように添い寝すること、一家の大黒柱になっていかなえばならない、夢から覚めた現実へ回帰せざるを得ないいきさつが主人公の思い(それは歴史上の多くの女たちの思いであったろう)とともにつづられる。そして、やっと三十歳をかなり経て結婚するが(当時としては破格の晩婚)、けっして悪い夫ではなかったのに、幸福は得られず、夫の任地にくだる際にみた流れ星の不吉な予感が的中して、彼女はやもめとなる。老残の孤独な身の上を吐露してなげく一巻の末に、さらにかきくどいた(告白相手の)尼は、「あなたはまだましですよ。訪れてくれる甥ごさんがいるではないですか、私はもっと孤独ですよ」、という話を最後につづって日記は終わる。
 だがけっして〝ハッピーエンド〟ではないこの日記には、不幸一辺倒とはいえないあるメッセージがわれわれには伝わるのある。すなわち、あなたは幸せばかりではなかったが、そうしたさまざまな人生の断片を思いのたけ吸い込んだではないか、精一杯生きて哀しみ、歓び、切なさを生きた、ではないか。人生のタペストリー(織り込み)を十二分に味わった、その意味では、それを味わえないでその日その日をゲームなどで興じて(楽しい)とした現代の子供たちよりも、何倍か、その人生を味わえたのではないかー。


 古典には(特に日本古典には)、人間の持つそうしたさまざまな哀歓がみられる。最後に最近、目にした「うなゐ松」のある一節を紹介しておきたい(むろん仕事で古文テキストを作成する時に〝発見〟したのであるが)。
 これは近世初期、歌人木下長嘯子の歌文集『挙白集』にある章段なのだが、「うなゐ」とは 「髫/髫髪」と書いて「髪をうなじのあたりで切りそろえ、垂らしておく小児の髪形」をさすが、いっぺんの内容は、我が娘子の死期にあった際を書いたものである。十歳くらいの我が子が、春の桜を待たずに死ぬ運命なのを、健気に、父親が手折ってきた梅の小枝をみながら、後世のことを頼むいじらしさの描写は、「源氏物語」〈御法)の紫の上の逝去の場面に比するほどの筆舌の一節であった(文芸作品の味わいは、単にストーリーの有為転変、だけでなく、ある印象的な場面にこそある、とわが恩師大野茂男先生が仰せであった)。
 確かに、「死」こそすべてを打ち切る重大事であるが、逆にそれこそ、その描写こそ、残ったものにどんなに感銘を与えるか、である。近代作品では、漱石「彼岸過ぎ」までに、小さな者の死(まだ一歳になったかいなかの〝雛子〟の突然死)で看ることが出来るし、有島武郎(「小さき者」)の、その母親(有島の妻)の死に、看ることが出来る。いかなる〝不幸〟が君たち残った小さき者たちにふりかかるものか、愛情に満ちたその父(有島)の筆致は、近代日本散文の最も「美しい文」に数えられるだろう(そして、彼自身の心中と、その発見の悲劇的顛末は、あわれを誘わずにいられない)。

 こんな文章を書いているヒマはなかったのであるが、興にのって長く書きました。興味のある方はぜひお読みください(「うなゐ松」の一片は、実はセンター試験2006年に出題本文であります)。
 

青春の一時期の詩(思い)

 投稿者:管理人iPad 8630  投稿日:2020年 8月 2日(日)18時43分33秒
返信・引用 編集済
   夢

                  ナガノ サトル

夢を見た
いとこや おばが おおぜい来ていて
何か皆、せわしなさそうだった
母が どうかしたのかしらん
父は どこへ行ったのだろう
でも 僕の気持ちは 一つの場所に注がれていた
好きだった、もう会えないと思っていた女(ひと)が
台所仕事をしていた
僕は 心うきうき、どう挨拶しようか
考えていた
おばが さっきから 呼んでいる
(いま 行きます)
でも 僕はぐずぐずしていた
あの人のいる暗い台所が 気がかりだった
だがそこはいま、きらめく眩しい空間だった
透明で端正な、まるで水晶があるかのようだった
犯しがたく それでいて なにか魅する所
だった

ああ かくまでも ぼくの意識を宰領するもの
それは いったい何なのか
永遠ー
心の中でつぶやいて
目を覚ました
 

「風の道」誌 大森盛和氏

 投稿者:管理人PC 168597  投稿日:2020年 8月 1日(土)11時21分28秒
返信・引用 編集済
   「図書新聞」8月1日号の《同人誌時評》に、大森盛和氏の作品が取り上げらています。
「群系」同人から、抜き刷りが送られてきたので、公開するものです。

 (「群系掲示板」より、こちらの板に掲出の方がいい、と別の同人の言でしたので)

 ま、久しぶりの投稿ではあります。

http://

 

“月の舟” 久保訓子 / 『徳島文學』 3号

 投稿者:荻野央  投稿日:2020年 5月19日(火)11時36分10秒
返信・引用 編集済
  主人公は二人、というよりは二つの意識主体が、それぞれ「パパの娘」と自認しており向かい合いながら、死ぬ間際の父親の病室にいる場面から小説ははじまる。一つの意識「私」は、もう一つの意識であるところの「あたし」のことを妹ではない、と疑っている。知らない女が父親の遺産金を目当てに現れたのではないか、と。二つ、と書いた理由は、中盤「*」から「あたし」がヒロインとして語りはじめるところにある。「あたし」は「私」のことをあの子と呼び、ここから「二人」が姉妹ではないらしいことが想像される。「二人」で一緒に穴を掘ったり、看護婦の杉田さんから、お父さまが話があるそうです、と声をかけられて「二人」は病院内を歩いていくうちに、片方が行方不明になる。その刻限、真っ暗になった「陶器のような」(久保)空に浮かぶ三日月が浮んでいて、まるで鎌のようにキラキラしているのを見上げている「あたし」。不穏な雰囲気になり「このままじゃパパが死ぬ」と「あたし」は思っていると月から何者かが落下していくように見えるというところで小説は閉じられるが、でもこの梗概は私の特別なものなのかもしれない。
どうして私は意識主体などという妙な言葉を工夫してしまったのか。肉体感が感じられない主人公(たち)が、お互いに見つめ合うだけで、接触とか痛みやらの実感性の無い所から考えてしまったからである。父親はいまや死に瀕している動きに比べていかにも薄い。ここらへんは作者の意図的なところからくるのか。これでは看護婦の杉田さんも含めて三人は、とうに死んでしまっているように思えるのだ。

看護婦の発言から、忌の際の父親からの遺言の言葉が告げられようとしているらしいのだが、二つの意識にはそのことがわからないままだ。どうしてわからないのだろうだろう、と読者は不思議に思っているうちに「私」は消えてしまい、「あたし」は月から落ちてゆく何者かを見つめている。落下してゆくのは父親なのではないかと怖れる最終面で、ますます一つに合わさったように思った。その前までは争う気配のあった二つの意識は、主体として一つになるといった具合―「私」が「あたし」の中に収斂されたような合一的な方法。これはとても不思議な方法で、作者の際立った文体によるものだ。複数の語り部―「私」と「あたし」―が合わさった一つの主体が、父親の死や、隣接する老人ホームの様子、そして土を掘るという動作の描写の周辺を叙述する小説の形式は―しかもそれぞれが対立しているのだから、もしも「*」マークがなければ、表現は困難な方向に行ったかもわからない。そのような危険性を含みながら、でも、ありきたりの現代文学(同人誌文学)の停滞に見られない特異なモデルがある。
作者は方法意識を絶えず革新的に動かしながら考える作家だ。次の作品ではどのような変容が小説を産みだすのか。おおいに期待したいと思う。

【発行所】
「徳島文學協会」(事務局) 〒771-3201 徳島県名西郡神山町阿野字方子103
 

人間の反射神経、すごいっ!

 投稿者:管理人iPad 7940  投稿日:2020年 5月16日(土)21時27分43秒
返信・引用 編集済
   個人的なことですが、ちょっと認識したことがあります。人間って、意識してなくても本能というか、反射神経というものが意外とあって、例えば物が落ちてくるのを咄嗟によけるということがありますね。いや身近なことでいえば、このいま書き込みをしているタブレット、当方のこのiPadは寝ながら操作が出来るというのが、ノートパソコンではあり得ないピカイチの特徴ですが、でもそれが逆に危ないことを招来します。
 というのは、こういう書き込みですら、左手でiPadを持ちながら右手で画面に出てきているキーボードに打ち込むのですが、ちょっと手を緩めると、タブレットを落としてしまいます。まだ打ち込みの時は、意識がしかとしていますが(もちろん横に置くときもあり)、動画を見ていたりで一定の時間そのままの態勢でいると、ある時その瞬間がくるのです。危ないっ、!と思った瞬間、しかし無意識に身体をよじって難を避(よ)けています。顔に当たらないよう、本能的に動くのですね。これはもう、小生のように一日八時間もiPadを操作している人間にとっては、もう自分のからだの一部になっているというか、どうなっていくか、意識ではなく、身体自体がわかっているのですね。
 危機が去ったあと、つくづくよくよけられたなあ、と毎度感心します。もう自分も七十歳、気は若いつもりでも、歩行一つとっても疲れやすい、とろいなど、ひと昔前にはなかった身体感覚を日頃感じています。
 でもしかし、このタブレット操作時の緊急避難は、すごいものと、自分でもつくづく感心します。
 考えてみると、でも初めから本能だけの反射ではないと思いました。まず、本人が何よりも落下の危険を十分意識して、その際は避ける、ということを何度も意識、実践している・してきた、のですね。ですから、意外と意識していない、画面に夢中になっていた時でも、いざその危難が来た時、自然、本能的に反射的にそれを避けているのですね。
 まあこんな年がいっていてもこうした反射神経は生きている、いやむしろ発達してきているんだ、と感じたものです。ましかし、iPad一日八時間、というの、実はiPad自体から、「あなたの今日のiPad操作時間は、八時間二十分でした」と伝えられるのですから、どちらが主人で、どちらが従者なのかわかりません(笑)。
 しかし自己弁護のために言い添えると、原稿を書くのも、平成文学年表や、アンケート回答、投稿原稿の整理なども、デスクトップpc以上にiPadに世話になっています。メールのやりとり(原稿受信)も今はiPadがメインで、そのまま版元に転送します(ちなみに、デスクトップに来たメールも現代はタブレットでも見られるのです。One Driveという機能ですね)。小生は今ので3台目のiPadですが、性能も格段と向上して、わからない語句や物事はすぐ検索、もはやからだの一部になっています。長く生きてよかったと思えるのは、こうした先端機器の進歩を身近に感じられることが一つでしょう。

 ついでにからだのことで感心することは、朝起きのことです。透析を午前にしてから半年以上になりますが、朝5時半に起きる(目覚める)のは日常のことになりました。むろん用心のためにiPadの目覚まし(というのもあるのです)をセットしておくのですが、それが鳴るより前に必ず5時半には目覚めるのです。それが透析日ではない、今日土曜や明日の日曜日でも、目覚めた時、いま何時かとiPadを点けてみると、必ず5時半なのです。それも朝方夢を見てて、あ寝過ごした、と思ってもiPadの時刻を見ると必ず5時半で、6時であったことも今までありません。
 この目覚めの規則性って何なのか、と思います。ま夜は12時すぎには寝るようにしていますが、睡眠時間も5時間くらいで、もう自分のからだはどうなっているのだろう、と不思議な感じです。

 でも最近は透析行くのは嫌ではなく、今日は何しよう、と課題(タスク)をきめていきます。4時間の透析時間のうち、3時間はiPad操作・読書に当てられています(ま、体調がいいのでしょう)。二週間に一度の血液検査の結果もよく、ヘマトクリットもアルブミン値も満足のいくもので、普段食事でもタンパク質を摂るよう心がけている結果かな、と思っています。

 https://youtu.be/6-wkpfQjJ0Q
 ↑  上の投稿とは関係ありませんが、群系誌の合評会の様子です。
 

「ああ、ここに私がいる」ー文学との出逢い

 投稿者:管理人iPad 7275  投稿日:2020年 3月21日(土)10時27分54秒
返信・引用 編集済
   「ああ、ここに私がいる。梶井基次郎の「檸檬」を読んだとき、そう思った。」ー

 『季刊文科』80号に掲載の同人・間島康子さんの「梶井基次郎ー瑞々しく光るもの」の冒頭部分である。中学時代にちょっとした入院生活を送った経験から、心に異物を感じるようになった、という。以降に次のようにある。「高校生になり、私は「檸檬」に出遭った。それは私を静かに昂らせた。内面の鬱屈を確かな言葉で表出している梶井基次郎は私にとって大切な作家になった」ー。

 文学との出逢い。これは美術や音楽のように素敵な時間とは必ずしも言えないだろう。青春の彷徨、社会への不信、自己への幻滅、様々あって、出遭った本。これは人間ならではの貴重な経験であろう。(むろん、音楽や絵画への出会いの契機には必ずしもいい気持ちの時ともいえないことがあるかもしれない)。

 こういう出逢いがあってこそ、小説や詩歌、あるいは批評に関わることになったのであろう。小生の場合、中学生時代か、母が息子たち二人のために(自分のためにも)定期購入してくれた『日本の文学』(中央公論社版・全八〇巻)があったおかげであろう(いまも自分の書棚にある)。これで、漱石や芥川、藤村などに触れたが、一番共感したのは堀辰雄であった。以来軽井沢にも行き、辰雄ばりの小品も書いてみたりした。
 こうした「私がここにいる」という経験、その感受性こそ、文学文芸の原基ではないだろうか。


 間島さんは、同人誌『風の道』誌にも、「雨女ー一葉の恋 その三」を書いておられて、「毎回楽しみにしている力作の一葉伝記小説である。桃水と一葉の恋愛感情が細やかに掘り下げられて、一葉の女性心理に分け入るところが見せ場になっている注目の作品」とある板にも評価があった。
 梶井と樋口一葉、こういう作家に魅入られた、というのはもはや羨ましい、というしかない。

 https://www.choeisha.com/pub/books/58005.html
 

幼少時の思い出

 投稿者:管理人iPad 7247  投稿日:2020年 3月19日(木)16時53分24秒
返信・引用 編集済
   「永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた」ー。

 三島由紀夫の「仮面の告白」の冒頭であるが、誰しも「生まれた時」そのものではないが、「幼少時」の記憶を案外永い間保持しているものではないか。むろん個人の思い出は実際の事実とはいろいろ違ってもいようが、本人のその思い出は絶対であり、まさしく個人を特定するものとしてあろう。「私は誰?」と二十歳を越えてからそのアイデンティティー、自己の見定めにくさを感じることはあろうが、記憶・思い出こそは、「私」、つまり自己を特定するものとしてある。

 小生の場合、小中高大の学校時代の思い出は、年が前ほどむしろ鮮明である。だから小学校中学のクラスメイト、あるいはいじめっ子(小生自身はそれほどいじめられなかったが)の顔や振る舞いはしっかり覚えている。たまたま八幡小三、四年生の時の担任(金井先生、結婚して松戸先生)がカメラ好きで、いくつかスナップを撮ってくれていたので、今や小生の宝ものである(それにしても児童皆にあげたのなら大変なこと、感謝である)。
 写真にはドッジボールをしているスナップがあるが、それらの級友の名前も大抵は覚えている。また何人かが集まって、ふざけ合いながらおさまっているショットもあります。
(実はそれらの写真をこの際、アップしようと思ったのですが、PCにあるものなので、iPadからの掲示板へは転送できないようでした。ご存知の人もおられるかと思いますが、今やiPadで自身のPCの中身をのぞくことが出来るようになっているのですが。ついでがあればPCからの掲示板投稿を試みたいと思ってます)。
 もはや現地を訪れても、市川市の八幡小学校も、越境通学していた浅草橋駅前にあった台東区立の福井中学校も、付近の風景などもすっかり変わってしまった。それでも前世紀まではなんとか思い出のところがそのままあって、時折訪れていたのですが。

http://

 

医療者との雑談は楽しい

 投稿者:管理人iPad 7160  投稿日:2020年 3月13日(金)14時58分18秒
返信・引用 編集済
   この頃、楽しいのは技師の子がよく話に来ることだ。最初の穿刺、終わりの返血回収ごとに透析の技師さんが来てくれるのだが、男性と女性の比は3:1くらいなのに、比較的当方へは女性が来てくれる。でもくだんの子はまだ新人なので穿刺は出来ない。回収もちょうど昼過ぎは午前午後の患者の交代時なので、来る来る、と言いながら他の患者(お年寄りなど)の方へ行ってしまう。その言い訳ではないが、この頃はまだ透析中なのに雑談に来てくれるのだ。これはいい年した当方には素直にうれしい。
 先日はその子が当方の透析終了の時間を見計らって今度こそといって回収に来てくれた。腰に、出身地千葉のぴーにゃっつ(検索)のバッジを付けていた(ピーナッツがネコになっているの・下に写真)。このブローチの説明もしてくれたが、まだそれだけ若い(幼い?)のだ。
 世間話は、どの方とも比較的する方ではあるが、いろいろよくしてくれるのは患者にとっては和みで、この病院のいいところである。
 

透析の名人

 投稿者:管理人iPad 7130  投稿日:2020年 3月11日(水)14時11分13秒
返信・引用 編集済
   透析を初めて37年になる。もうなかなかのベテランだ。透析は確立した医療と言われるが、自分より長い人はだんだん少なくなってきている。透析の年数が増えるということは、年齢もそれだけ重ねるということで、この数ヶ月で自分のベッドの前の年寄り三人が居なくなった(ま、物故したというより入院中だったり、女子医大病院まで通院出来なくなって、自宅近くのクリニックの転院したからというそうだが)。

 小生は透析とうまく付き合っている方と言えようか。他の患者のように、ずっと寝ているなどはなく(四時間もよく寝られる!)、本を読んだりiPadでメールや板へのかきこみ、調べ物などしている。

 また月水金の通院も苦になっていない。朝8時の穿刺であるから5時半には起き、6時半には家を出る。もちろんラッシュであるから普通は座れない。まそれでも適度な混み具合で、通院自体がいい運動になっているといえようか。もちろん患者には食事制限などもあるが、ベテランの当方は食品の栄養価も知悉、どのたべものにはカリウムやリンはどれだけ含まれるか、逆にタンパク質はどれほどあるか、考えて摂っている。
 あまり蕎麦やうどん、スパゲティなどは食しない。タンパクが少ないからだ。患者のみならず高齢者はタンパクが必須である。ビールは飲むが(ほとんど毎日)、度を越すことはない。尿が出ないのだから苦しむのは自分だとわかっているからだ。

 千葉のクリニックで透析導入してから、この三〇年は女子医大病院の透析室である。日本一の施設にお世話になっていることで、心身ともに満足している。
 小生は、透析通院が嫌ではない。むしろ女子医大が好きであり、乗り換えて九段下から乗る都バスの途中の風景にもいつも見入っている(皇居のお堀、靖国神社、市ヶ谷堀、防衛省を毎度飽きずに窓から見ている)。

 女子医大の外来棟、透析室のある第一病棟、そして珈琲店のある中庭など、いつ来ても飽きない場所、トポスである(例えば女性がデパートに何度来ても飽きないように)。こうした、患者に愛される建物、その配置はつくづく設計者の先見を思う。

 クリニックと違って、女子医大の透析室はスタッフの数が多い。一般のクリニックの三~四倍はいようか。そして、彼ら透析技師や看護師、そして医師が皆いいのである。患者への気遣いも、穿刺の技術もすごい(めったに失敗しない)。女性の技師さんは1/3くらいだが、当方のところには穿刺も終わりの回収もよく女性が来てくれる。美人や可愛い子(もう皆娘どころか孫の年齢)がいろいろやってくれるのは、なごみである。

 若い時から腎臓が悪いとなっていた。大学を出た就職試験のとき、健康診断でタンパク尿と高血圧を指摘された。せっかくの内定も(朝日新聞社・業務)、健診で落とされて悔しかったので、大学の病院に行ったら直ちに入院だった(数ヶ月も)。それで人生が決まった。翌年の都立高校教員も受かったが、健診でやはり落とされた(腎臓病は企業や組織は嫌うのである)。で、二、三十代は、塾や高校の非常勤講師を続けた。案の定、ある雨の日の通勤が厳しいと思ったら、透析導入となった。
 しかし、いろいろな制限があった腎臓病の状態より腎不全、すなわち透析になった方が実は身体はいろいろ動かすことが出来た。透析をきちんと受けていれば中日は案外自由になれたのである。
 以来、予備校は草創期の東進ハイスクール、そして駿台予備校まで行けて、入試解説や模試作成(旺文社他)、赤本執筆などいろいろやった。身分がないだけに、こういう仕事をやっていったぞが自信になったのか。
 透析は運命かもしれないが天命でもある。ここで人間関係も出来たし、同人誌の庶務のみならず、原稿も書いてきたのである。

 ※ 透析患者の寿命
 https://jinentai.com/doctor_qas/27
 

銭湯の風景

 投稿者:管理人iPad 7070  投稿日:2020年 3月 5日(木)17時29分22秒
返信・引用 編集済
   この板はほとんど投稿がないので、設置者の個人的見解・感想を書かせていただいています。

 いま夕食をとっていますが、先ほどまで入っていた銭湯についての感想を書きますね。案外、銭湯には行かない人も多いでしょうし、実態をご存じない人もおられると思うので。
 そもそも三時過ぎに開業の銭湯、この時間では年寄りばかりだ(若い人は七~八時頃になる)。前から思っていることだが、銭湯にくる老人は実に禿頭が多い。ある日は客の七人が全てハゲだった。次は髪のある人が来るかと期待?していても、やはり禿頭だった。街で見かけるより、銭湯のハゲ率は高い(なぜか)。そして、この人たちも洗髪はするのである。ないのに洗うか。なかには、ハゲに剃刀をあてて丁寧に剃っている。これらは皆清潔の観点で見ると納得ではある。
 風呂上りに、髪を乾かすためにドライヤーをかける人も多い。これは音が大きく迷惑なのだが、それでも髪のある人の理由はわかる。だが髪がないのにドライヤーを点けて音を出すハゲ老人の気持ちは何か。
 また困るのは扇風機を点ける御仁である。夏ならともかく、この寒いのに扇風機をつけるヤツ。他人が寒がっていることなんか発想もないのだろう。またさらに変なのは、いきなり体操をし出すご老体。気持ちはわかるがここは公共の場所だよ。
 さらに嫌なのは全身刺青の人が入って来ることだ。これは老人ではないが、見事な刺青ではあるが、やはりその筋の人かと多少気遣いはする。銭湯の湯船は熱いので小生が水を入れていると、怒るオヤジが時折いるのだ。これが刺青男だと何をされるか(幸い、そういう人からの文句はない。さすが彼らは素人さんには手を出さないのだろう)。
 老人は総じて熱い湯が好きである。あんなに熱い湯にそのまま入って結構長い時間浸かっている。小生など必ずカランを回して水をさすのだが、老人で水を入れる人は見たことがない。ま、退職後の楽しみな時間はこの湯に浸かることなのだろう。
【追記】3月7日
 先ほどテレビを見ていたら、老人の熱い湯好きは、実は皮膚の感受性が落ちているせいだとお医者が解説していた。まあ何であんな熱い湯に入れるのか、謎が解けた。その点熱いと感じる小生はそれほど年老いていないのかな。

 江東区は銭湯が多い。先日はこのiPadの地図を出して「銭湯」で検索してみると、案外近在にあるではないか(今日は最近発券した、亀戸に近いお風呂屋さんでした)。
 

切ないほどの低年金

 投稿者:管理人iPad 6830  投稿日:2020年 2月 2日(日)10時39分0秒
返信・引用 編集済
     半年前にアップしたものの、再度アップです。年金問題はわれわれ同人にも直接関係するものゆえ、当方もいつも関心を持ってきました。しかしこんな低年金では暮らせるのでしょうかー「低年金問題」で検索。



 ネットニュースのコピペですが、今さらながら、こんな低年金でお年寄りを暮らさせるのか。悲しくて、切なくて、怒りもむらむら。子どもと年寄りを大事にしないのは、先進国ではない。

                            ◯

年金月4万5千円「死ぬのを待つだけなのか」 食事は半額セール ひざの痛みも我慢
7/15(月) 6:10配信 沖縄タイムス
低年金で困窮した生活を涙ながらに語る高齢女性たち=12日、那覇市内

 「お金がなくて、毎日、明日生きられるかと考える。低年金者は死ぬのを待つだけなのか」

 那覇市に住む女性(75)は目に涙をためながら逼迫(ひっぱく)した生活をぽつりぽつりと語った。2カ月に1度、手にする国民年金は9万円。貯金はなく、月4万5千円が生活費の全て。大半が市営住宅の家賃と光熱・通信費に消える。残る食費は1万7千円で、1日に使える金は平均約560円。

 食料は自宅から徒歩で片道約20分のスーパーで半額セールになった総菜を購入する。1人暮らしの自宅は必要最低限の家具のみそろえ、日中は電気代を節約するためクーラーを控える。ひざが痛くても受診を我慢している。

 日本復帰後、県内の飲食店で勤務した。低賃金と事業所側の厚生年金未加入が負担となり、国民年金の納付は後回しになった。

 約10年前に夫が他界。納付条件を満たさず遺族年金はない。4人の子どもは自宅近くに暮らすが、「迷惑を掛けたくない」と頼れないという。

 老後に夫婦で2千万円必要とした金融庁報告書を巡るニュースを目にするたび、不満とストレス、怒りが込み上げる。「今、生きている高齢者に目が向けられていない」

 厚生労働省年金局によると2017年度、沖縄の月平均年金受給額は国民年金が5万2134円と全国最低。厚生年金は12万5338円で全国平均と比べて1万9565円低い。65歳以上で年金を受給していない人は16年度で約1万8千人に上る。
 

誕生日はめでたくもない

 投稿者:管理人iPad 6570  投稿日:2020年 1月11日(土)14時51分58秒
返信・引用 編集済
   言いたくもないが、今日は管理人・永野悟の誕生日。1950年1月11日生まれなので、70歳になる。同人のOさんも同じく今日がご生誕の日とか(彼は年下だから、まだ古希ではないようですが)。
 ちょっと前に着いたサプリの箱を開けると、「お誕生日、おめでとうございます」とかあった。なんでサントリーが当方の誕生日を知っているのかと思ったが、当然数年前に申し込んだ時に個人情報を書き込んだのだろう。しかし、今更「お誕生日、おめでとうございます」と言われて面白くないのは、健康サプリの会社だから重々わかっているだろうに、箱にはカレンダーだの、健康のためのアドバイスがくだくだ書いてある。
 しいて自分に多少うれしいことを書くと、皆さん、「七十歳には見えない」「お年より若いですよ」とは言ってくれる。当方も、この年で髪も相応にあるし、体重をコントロールしているのでお腹が膨らんだり、顔のたるみもないようだ。銭湯など行くと同世代だろう爺さんが禿げていたり、お腹が膨らんでいたり、いかにも動作ののろいのと比較すると、マシかなとは思う。
 ま、透析も今年で37年にもなるし、いろいろふつうの人より食事などは気をつけている(タバコは吸わないが、ビールは好きで毎日飲んでいる。オシッコが出ないのに、ビールの水分は別腹なのか)。
 月に二回血液をとって検査にあげている。これらのデータを元に、食事や運動(身体を動かす)には気をつけている。呑気な性格なのでストレスはあまり感じない。
 透析者の中には四〇年以上の人もいるし、透析が保険で出来るようになったのは田中角栄内閣のときからだから、もうすぐ半世紀を迎える(角栄には感謝)。透析者がどこまで生きるか、現在継続中で、いわば人類史上の実験である。当方は女子医大という最高の医療施設で、何かがあれば入院治療させられる(していただける)から、巷間思われているより長生きするのではないか。でもほとんど福祉のおかげでもあるから、個人の出来る範囲で恩返し、というか感謝の日々を送りたい。アーメン、いやナンマイダー、いやシェシェ。
 

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