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貧血の身に寒さはしんどい

 投稿者:管理人iPad-170,836  投稿日:2021年 1月25日(月)21時34分51秒
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   昨年から今年にかけて、一ヶ月余りの入院を挟んで、実に辛い日々であった。左腕のシャントが詰まり、右腕の利き手の方に新しくシャントを作ったこと、これはやはりいま現在の透析においてだいぶ不自由で、透析の四時間がかつてないほどしんどくなってきた。多くの患者のように寝てしまうことができない身にとって、iPadを操作したり、本を読むことが出来ないのはこの上なく辛い。
 コロナの蔓延も困るがそれ以上に、この冬の寒さはこたえる。自分はいま心身ともに厳しい状態にある。貧血が寒さをより辛く感じさせていると同時に、自分のいまの心身の不調の一つに、手根管症候群というのがあって、左手の指がかなり痺れているのである。これは透析が長い人によく現れる症候群だが、実はこのことで、明日整形外科に診てもらう予定である。
 透析の技師さんの中には、自分の今回の入院をいろいろ心配してくれる人もいる。実にありがたいが、実際長い透析歴に加えて、実際年齢も相当にいってきた。
 毎朝六時半に居宅を出て、電車とバスに乗るのは、入院以前は辛くなかったが、最近はしんどさがある。朝の駅のコンコースを歩くのがしんどい。一般の通勤客は自分よりだいぶ若いし、体格もいい。自分はもうすべての面で厳しいのである。ま、今日から造血ホルモンが入ることになった。これで貧血がすこしでもよくなれば、と心底思う。
 
 

秋刀魚の味

 投稿者:管理人iPad-170,180  投稿日:2020年11月21日(土)16時28分7秒
返信・引用 編集済
   秋刀魚の季節である。でも小職この秋、サンマを食していない。思えば子供の頃からサンマは好きだった。特に血味という部分が好きだった。アジなんかより、好きだった。さっき、テレビでサンマの身を見事寄り分けていたのをやっていたが、いわばサンマの解体であるが、美味しそうだった。
 そこで、また小職流の考えが浮かんだのだが、サンマはいわば、人間に食されるためにこの世に生まれて来たのだろうか。秋刀魚と書くように秋の味覚として。だがサンマにもそれぞれ青春の志があったことだろう。じぶんは何のために生まれたか。父や母親を大事にし、このサンマ一族の繁栄と幸福のために頑張るぞ、と思ったことなんか、ないか。
 しかし、大方の生き物は弱肉強食、食物連鎖のなかにいきている。そのことに気づき、覚醒し、この連鎖から見事抜け出す、立派なサンマはいないものか。もしいれば、文字通り、秋刀魚、すなわち秋の刀を所持した、立派な魚となるであろうに(何のこっちゃ)。

 でも人間は残酷ですなあ。親子丼なんて、いかにも親子の情を表しているような名前だが、要は鶏と卵を一緒に調理しただけ。これは勘違いしないように正しく鶏卵丼と言い換えるべきではないか。たい焼きなんて言い方も、鯛を模している点、それを焼くのだから発想が同様に残酷。これもせめて鯛模様焼きくらいに直す。牛乳ってのも、名前のとおり牛さまのお乳を勝手に頂いているわけだ。もちろん卵も、鶏さんの生んだものを横取りしている訳ではないか。これらも謝意を表して、お牛様恵み乳、鶏様恵み御卵、などとしてはどうか。若鶏の唐揚げも謝意を表して、せめて若鶏様の唐揚げ、などとする。
 ニンゲンは、食べ物にもっと感謝と敬意を表すべきであろう。(何のこっちゃ)
 

子供の頃の思い出

 投稿者:管理人iPad-170,097  投稿日:2020年11月15日(日)11時16分38秒
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   子供の頃の思い出とは、昭和の思い出。テレビや映画、昆虫採集や植物観賞、遠足や遊園地、デパート巡り、いろいろあるが、あの頃の思い出の第一はマンガだろう。アニメも鉄腕アトムやエイトマン、サザエさんなどあるが、その元となったマンガ雑誌こそわれわれの思い出の核であった。自分はもうアトムや鉄人28号が連載されていた月刊誌「少年」が大好きだった(この頃は週刊誌の「少年サンデー」「少年マガジン」が創刊される前後で、まだ月刊誌が中心だった)。あの頃の月刊少年誌には、付録の小冊子が何冊か付いていて、本誌のトップにあった「鉄人」や「アトム」さらには「ストップ!にいちゃん」などのカラーのマンガの続きが付録の小冊子にあったのだ。子供心には、こうした仕組みも嬉しかったのだろう。
 今回、ネットでみつけたのは、「きいちのぬりえ」と「ロボット三等兵」。きいちの方は、少女マンガ誌にあったのか、「きいち」って何?、という疑問があった。後年、作者・蔦谷喜一の名だとわかった。「ロボット三等兵」はどこで見たのか、兵隊の裏話だから、年配の読者用とも思われたが、当方はこのマンガが面白くて、ロボットなのに人間同様の感覚を持っていて、「嫌なこと、いうね」などのセリフにまいっていた(この三等兵:口元に一本の皺があって若くはない感じだった)。前谷惟光という作者だった。

 少女たちが夢中になった蔦谷喜一の「きいちのぬりえ」、と小生が夢中になった「ロボット三等兵」です。
 (ネットでは、このタイトルで検索すると、画像がたくさん出てきます)。

 
 

熱い湯ぶねに長くつかる

 投稿者:管理人iPad-170,072  投稿日:2020年11月12日(木)20時00分54秒
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   日々の出来事ですが、ちょっとうれしかったこと。
 きょう夕方銭湯に行ったのですが、そとは寒かったので早く湯につかりたい気持ちでした。いつものように通りいっぺんカラダを洗った後、湯ぶねに漬かるのですが、この春乃湯さんの湯ぶねはいつも熱く(温度計見ると43度)、当方はカランをあけて水をまわすのです。文句言う人いないか周囲に注意しながら水をまわすのですが、幸いこの頃は文句を言う爺さんはいなくなりました。
 本題のうれしかったことですが、それは湯ぶねに長く漬かっていられるようになったことです。以前は熱くて十数秒で出てしまうことが多かった。それで、少しでも長く浸かろうと、せめて自分の年齢までは、と頭の中で数えていたものでした。無事七〇まで漬かっていられるとよかったよかったと思うのです。でもその時、カラダは悲鳴をあげている感じで、ああいい湯だなと満喫する感じにはとてもなりません。
 ところがきょうは、というよりこの数日間はキツい、熱いという感じよりも、いやあ気持ちいいなあと思えるようになった。以前のように、辛抱だ、という感覚ではなくなった。これはどうしてだろう。ヘマトクリットが上がって、血が濃くなったのかしらん、と考えるのですが、はっきりした理由はわからない。気のもちようかな。でもカラダの方からいい湯だな、ははんと思えるのは嬉しいことでした、
 周囲のじいさんたちは、毎度お風呂を楽しんでいるのだろうな、と思いました。それに並んだのかと思うと多少の嬉しかったです。

 

面白かった夢

 投稿者:管理人iPad-170,018  投稿日:2020年11月 7日(土)09時26分23秒
返信・引用 編集済
   夢をみた。今までで一番面白かったので、書いてみる(再現してみる)。加山雄三やお笑い芸人も出てきた。ザキヤマ、いわゆる山﨑というのが当方の好みでもないのに先導して出てきた。
 実は初めは汽車に乗っていたのが、どういうわけか降りてそこから山登りすることになった、当方が、というよりザキヤマが先導してみんなを連れて登る。でも山ではなく、都会の建物を登っていくのである。最初はまず広場みたいのがあって、子供が遊ぶカバさんやキリンさんにまたがっていたのが、少し高めの台に登ることになり、台の上にさらに高めの台があって、そのうちわれわれ(ザキヤマたち)は這いつくばるようになって台を登っていく。その台はそのうち建築物、ビルになっていく。屋上に登りきると(これはそう高くない)、その隣りにもビルがありザキヤマ(当方)は、その少し高くなったビルに移る。見ると向こうにずっとビルが並び、かなたに東京スカイツリーのようなものがある。要するにそこを目指しているようなのだ。後ろに続くのは、人間たちのみならず、いろいろな動物とかも混じっている(夢だから)。這いつくばって次の高いビルに次々乗り移るのだが、そのうち後続するものが一つ(一匹)ビルの谷間に落ちた。ヤバいと思って見ると、落ちたのは子猫で、谷間の広場に落ちたがぺしゃんこにもならないどころか、そのまま歩いた。さすがネコだなと思っているうちに、後続する者の中から加山雄三がいた(夢だから)。
 急に場面が変わって、旅館か公共施設の部屋になった。その部屋には人が詰めていて、われわれの話、仕出しをいまか今かと待っている。こっちは山登り(山崎)ならぬ、建物を這いつくばって移ってきた疲れも残っているので、オーディエンスを満足させられるか不安だったのだが、ふとこちらには加山雄三さんがいる。彼がいるからにはバッチリだ、と思っていると彼、加山雄三の顔がイメージされた、がそのところで、目が覚めた。でも彼方にスカイツリーが見える、そこに続くまるで参道(階段)のようなビルの連なりもヨコにうっすら見えていた。変な夢。でも面白かった。
 

梨を剥いて、世界を知る

 投稿者:管理人iPad-9930  投稿日:2020年10月31日(土)10時54分52秒
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   梨を食べている。今が旬の柿に比べ梨は値が張るのだが、実が実に大きい。一昨日買って昨日も食べ、今日も食している。果物ナイフで皮を何度も剥いていた時思ったのだが、この堅固な皮で中の水蜜のような甘い実は守られているのか、さらに、彼(梨)はこうして人(あるいは動物)に食されるためにのみ、この世に生まれてきたのか。
 唐突な話で滑稽でもあろうが、何かに対面している時(向き合っている時)、物事の存在、世界のありようを考える時がある(大袈裟!)。

 果物や野菜は(植物は)他に食されても痛み・苦痛はないだろうから(むしろ食べられて、果実の芯にある種も露出して世代を継げる)いいが、豚や牛、鶏のような動物類は痛み苦しみがあるから、たいへんだ。そう思うのはわれわれ人間には、他に対して思う、思いやる感覚があるからで、かわいそうとか哀れという気持ちを抱くのである(牛豚、鶏はその感覚はあろうか)。アフリカなどで草食獣を追いかける肉食獣の姿はハラハラするが、どちらも必死だ。かわいそうなんて言ってられないだろう。かわいそうは人間特有と言っていいかもしれない。
 それをわれわれニンゲンは、その感覚を無化するごとく屠殺場などを配して(それこそ機械化システム化して)、食肉を製造している。私などは鶏肉の唐揚げをよく食べるが、これがあのコッココッコとかいってクビを振って歩いていたニワトリさんなのか、と南無の気持ちでいただく(それはウソ、ただうめえの感覚)。

 でも、何かの対面は、最初の何だこれ、という感覚が、だんだん、そうだな、そうなっているんだな、と変に納得、社会の、世界の理屈、ありようが理解されてくる(でも、なんでそうなっているの、とまたまた不思議感覚が出来して、ああここから宗教が生まれるのか、と思ったりした)。
 

街の人の観察

 投稿者:管理人iPad -9,900  投稿日:2020年10月29日(木)17時56分10秒
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   銭湯行ってその帰り、「家系最高」という名の中華店で、生ビールと餃子を喫するのは実に幸福感を感じますな~(そんなんでかよ)。西大島のこのお店は、夕方というのにあまり客もおらず(いま一人来た)、ここでこんな書き込みをしているのです(この変な名前の店はチェーン店なのか市ヶ谷駅前にもある)。
 客はたいていカウンター席に座る。当方は必ず四人掛けのテーブルに一人腰かけるのだが(こっちのが楽)、若い客はカウンターを好むようだ(孤独を好むのかと思いきや、二、三先客がいてもカウンターである)。でも当方も勤め人も、夕刻のひと時、こうして自分の時間を楽しむのである。
 しかしこういうお店や喫茶店、そして銭湯などは何より人間観察の場でもある。当方は、朝7時25分発のバス待ちのあいだ、九段下駅のバスストップ前のカフェデクリエで280円のホットを飲むのが日課だが、客も常連が多いが、中に毎朝化粧に励むご婦人が目に留まる。毎度鏡に向かって、アイラインを施しているのだが、電車の中でよりマシだが、ムダなことはやめた方がいい、と何度忠告したかったことか(でも口に出したらアウト)。
 そして銭湯。ここは漱石『猫』でも絶好の観察の場であったように、文字通りはだかの人間が見られる。前は禿頭の爺さんが多かったのだが、今日は若者が多く、どういうわけか筋肉質のカッコいいお兄さんが多かった(中に、入れ墨を入れたおっさんも。何で墨を入れるのと聞きたいが、絶対禁句であろう)。
 しかし街中や電車内での人々を見ていると、年代によるある特徴がある。まず街中を歩く年寄り(大島は高齢者が多い)。最近面白い共通点を見出したのだが、爺さんは帽子が多いということ。キャップというのかほとんど被っている。朝の電車内ではキャップを被っている人はまずいない。高齢者がいないせいか。でもどうして被るのだろう、必ずしも禿頭だからというのでもない。洗っていないのか汚いのに被る。これは単に習慣か。
 またお婆さんは腰が曲がってさらに下を向いて歩く。当方は自転車なので、よけるのにたいへん。ま、だから中の橋商店街などは通らないようにしている。でも彼らはいくつくらいなのだろうか。七〇台ではなく、八〇歳以上かな。
 空いた車内の若い女性はまずスマホである。男性も同様。小生は画面が大きいiPadなどタブレットになるが、若者は目がいいから小さい画面でもいいのか、タブレットがまずいないのは不思議(でも当方は車内ではふつうiPadは使わない。よほど気になったことが思い浮かんで検索する時だけ)。
 また子供についても面白い発見がある。当方は通院の帰り三時頃、団地に着くのだがその頃子供たちを多く見かける。その特徴の第一は、「駆ける」ことである。歩く方が余計なエネルギーを使わないで済むのに、というのは中高年の発想で、子供はエネルギーの発散をするのであろう。最近見かけるのは、片足で駆ける乗り物だ(何というのか)。自転車よりも流行りなのか、特に女の子に多い。でもこれも危ない。彼女らはただ一方通行で走っているのだから(でも面白そう。婆さんの手押し車よりいい。当然か)。
 ましかし、こうした人々は、他人に迷惑になるような人はまずいない。大声を出したり喚いたり、ましてやケンカみたいな言葉を発しているのは、とんと見ない。これはさすが日本人らしさなのか。これが中国や韓国なら喚く人はふつうにいるということだ。銭湯でも、湯船に水を廻している当方に文句を言う人はいなくなった(こっちも気がねしながらカランを回している)。
 しかし、最後に言いたいのは透析室である。患者はみーんな寝ている。どうして寝られるのだろう。当方は寝られないのでiPadをいじるか本を読むか、ボーッと周囲の観察である。でも、これもいい加減つらい。眠られたらどんなにいいか。
 
 

「永遠の出口」

 投稿者:管理人iPad 169,800  投稿日:2020年10月22日(木)11時15分19秒
返信・引用 編集済
   森絵都のこのやや厚めの文庫本、だいぶ前から書棚にあって、このタイトルの意味は何だろうと思っていた。ところが今回、同人誌の特集でこの文庫も手にすることになった。と、このタイトルの意味とともに、実に抱腹絶倒、思春期の子の一瞬一瞬の気持ちが手に取るようにわかって、350ページを読んだのだった。
 で、全九章とエピーローグがあるうち、のっけの第一章に「永遠の出口」があるのであって、そこに本のタイトルの深~い意味も了解されたのであった。
 冒頭から引くー

〉わたしは、〈永遠〉という響きにめっぽう弱い子供だった。
 たとえば、ある休日、家族四人でくりだしたデパートで、母に手を引かれた私がおもちゃ売り場に釘付けになっている隙に、父と姉が二人で家具売場をぶらついてきたとする。
「あーあ、紀ちゃん、かわいそう」
「紀ちゃんがいないあいだあたしたち、すっごく素敵なランプを見たのに。かわいいお人形がついてるフランス製のランプ。紀子ちゃんはあれ、もう永遠に見ることがないんだね」
 永遠にー。
 この一言をきくなり、私は息苦しいほどの焦りに駆られて、そのランプのはどこだ、店員はどこだ、父にすがりついた。ーこの広大な建物のどこかに眠る素敵なランプ。今、みなければ、私は永遠にそれを見ることができない。ー
 両親も気づかずにいたこの弱点〈永遠に~できない〉を見抜いたのは、後にも先にも三つ年上姉だけだった。彼女はそれをあますところなく活用し、様々なバージョンで執拗に私に仕掛けたきた。
「あたし今日、友達んちですっごく貴重な切手を見せてもらったの。すっごくめずらしいやつ。紀ちゃんは、でもあれを永遠に見ることがないんだね」
「紀ちゃん、昨日、なんであんなに早く寝ちゃったの?『水戸黄門』最高だったのに。偽物が登場して、ほんとにそっくりだったのに。紀ちゃんは永遠にあのそっくりさんを見れないんだ」

 永遠に。
 一生。
 死ぬまで。

 年を経るにつれて、私はこの世が取り返しのつかないものやこぼれおちたものばかりであふれていることを知った。自分の目で見、手で触れ、心に残せるものなどごく限られた一部に過ぎないのだ。
〈永遠に~できない〉ものの多さに私があきれはてて、くたびれて観念し、ついには姉に何を言われても動じなくなったのは、いつの頃だろう。
 いろいろなものをあきらめた末、ようやくたどりついた永遠の出口ー。

 ーそうだったのか、本のタイトルはそういうことね。それから主人公の人生も、「出口」をいくつもさがすことになります。
 

千葉三越閉店 の歌

 投稿者:管理人iPad -9728  投稿日:2020年10月17日(土)08時21分40秒
返信・引用 編集済
   各地でデパートが閉店になっていますね。千葉県内でも船橋の西武、松戸の伊勢丹、柏のそごうなど。千葉市内ではパルコに続いて、千葉三越が2017 年閉店になりました。戦前からつづいていた地元の老舗百貨店奈良屋が、進出してきたそごう(千葉そごう)に対抗してその隣りにニューナラヤとして新しい店舗を建て、その後さらに店名を提携先の三越に変えたのでしたが、今世紀になってからは客足は多くなくなっていたようです。もはやデパートの時代ではなくなったのでしょうか(でもそごうは客は減らず、一人勝ちとのこと)。
 デパートは街のシンボル。家族にとって、特に子供にとっては思い出そのものでしょう。このことを歌に歌った動画がありました。屋上からの千葉市の風景も映っていて、なかなかよかったので紹介しておきます。

  https://www.youtube.com/watch?v=NGEUOTREVcU
 

ふたりの永野

 投稿者:管理人iPad -9710  投稿日:2020年10月15日(木)18時15分50秒
返信・引用 編集済
   管理人の永野という名前は、今まで半世紀以上生きていて有名人には出会わせなかったのですが(だいぶ以前に永野重雄富士製鐵社長というのがいた-かなり前やな)、最近二人もこの名前の人がテレビやネットに出ています。きょう、iPadの動画でこの二人を見ましたが、結構面白かったので、ご紹介。
 一人はお笑い芸人の永野。孤高の芸人と言われるそうだが、ゲイになってないかなと思いつつなんとなく憎めない(これも芸のうちか)。もう一人は若手の女優の永野芽郁。こちらはNHKの連続ドラマ「半分、青い」に出た子。まだ二十歳ちょいのようだ。

永野芽郁「天の川は、空に川があるってこと?」
 https://www.youtube.com/watch?v=x6GKQjh8sqo
永野芽郁が会いたかった男Kとついに対面…大号泣!
 https://www.youtube.com/watch?v=M5tPFPID4gU&t=330s

永野 しくじり先生
 https://www.youtube.com/watch?v=7ZK2rJJZH4Y&t=140s
 

都市の風景

 投稿者:管理人iPad -9680  投稿日:2020年10月13日(火)07時49分10秒
返信・引用 編集済
   実は個人的趣味として都市巡りというのがあります。道路を行きながら、向こうのビルや建造物がいろいろに見えてくる。空と地面、そのあいだのものものがいろいろ見えてくるのは、子どもではありませんが、何か新鮮な今というときを生きているという感じ。いまも通院の都バスの九段下から女子医大の靖国通り、その途中の皇居、向こうの九段会館(長い間改修工事だった)、反対の靖国神社、市ヶ谷駅から外濠を下るときの両側の風景(特にここは東京でも最高の場所と思う)、右には法政大学のボアソナードタワーと大日本印刷などの高層ビル、左も最近完成した四ツ谷駅前の高層ビルが、周囲の緑と空の青さに映えて美しい。そして右に防衛省の建物と、その上の大きな鉄塔アンテナが見えてきて、ああこれが北からのミサイルを感知するのか、と時折思う。途中女子高生などの乗車が多く、女子医大前では勤務の医療者も多く下車する(またこの女子医大病院の構内の配置、また病院棟の内部も建物として、特に患者の気持ちを配慮したコンソールタイプといつも思う)。

 昔から建築中のビルがある道路を見るのが好きだった。中学生時代、浅草駅から都電に乗って、浅草橋駅までそこにあった中学校に通っていました(埼玉県草加からいわゆる越境通学)。この都電からの風景が絶品でした。行きもいいけど帰りが似た風景のある二つの行先があって、三ノ輪行きに乗ると浅草駅へは行かない。ぜひとも南千住とある電車に乗らねばなりません。
 地図で見るとわかるように、当時国電の浅草橋駅の高架下の都電停留所から、江戸通りを北上するのですが、途中Yの字形の分岐点があって、浅草へ行かず途中から三ノ輪の方へ行ってしまいます。いま思うと、南千住も三ノ輪も、労働者(あぶれ者も)の街として、下町のドヤ街でしたが、当時の中学生はそんなことより、都電が走る前景が楽しみでした。何かそのYの字の分岐点の風景が自分が降りる浅草駅(松屋)の風景と非常に似ていたのでした。

 そして何より、この浅草駅、東武線の起点たるこの駅と、それがある松屋デパートの建物がすごく好きでした。なんでも昭和六年竣工で(野口存彌さんの生年)、いまに至るも立派に役割を果たしています。Google Earthで俯瞰すると、その直方体でブラウンのビルがいかにも昭和で、あの戦争の戦禍にもよく遭わず、と感慨です。当方が通学していた頃、業平橋駅から浅草駅へ電車が進入するのが素敵でした。何せ隅田川を渡河するのですし、手前の左岸には隅田公園の桜が、向こう岸には今から入っていく松屋デパートの浅草駅があるのですから(その手前には雪印のビルが印象的でした)。特に帰宅時は、3車線あるプラットフォームの端まで行って、当時の日光行きロマンスカーや両毛号を見つめたものでした。

 草加から浅草駅まで行って、そこから都電でしたが、中二の時かな、地下鉄日比谷線が出来て、秋葉原まで直通で行けるようになりました。その年から行き方が変更になって、秋葉原駅から総武線下り方向に一駅歩いて通学することになりました。たまに遅れそうだと、国電ひと区間乗ってました(10円だった)。今度は秋葉原が帰りの寄り道のテリトリーになりました(御徒町や上野まで歩いたことも)。もう懐かしいそれらの土地、Google Earthでよく見ています(年齢はいったけど、科学技術の進歩で、往時に飛んで行ける)。
 

時代をも映す文芸同人誌へ

 投稿者:管理人iPad -9480  投稿日:2020年 9月26日(土)12時42分12秒
返信・引用 編集済
   20日の合評会が終わって一週間になろうとしている。先だっての日曜はなんとか天気が予想に反してもったが、このところやはりずっと雨もよい。あんな残暑の後はぐつつく雨。人事(コロナ)も、自然もなんかうっとしい年である。

 だが、こちらの人事、すなわち文芸誌の刊行は順調だ。十月末〆切に、もう常連の長めの論稿が三本入稿している。書くべき人はこちらがああだこうだといわなくとも、ご自分の仕事をされている。当方は創刊時から原稿集めを気にし、いろいろ呼びかけてきたが、もはや雑誌自体の自動運動(定期刊行)にまかせればいいのではないか、という感じにもなってきた。

 まあそうはいっても、他に見せていく雑誌でもあるから、相応のレベル、水準というのは、編集部でキチッとみておく方がいいか。どうも習作レベルで投稿されて後々いろいろな議論が出てきてしまったのもあったから(特に創作は、小誌の批評系の文芸誌と似合うものがいいと思う。SFとか推理小説などはよほどの問題作でなければ、掲出する意味がないように思われる)。

 自由論考は執筆者それぞれのテーマがあって、引き続きそれを展開されたいが、問題は特集である。よく練れた、しっかりした展望のある特集なのか、議論が分かれるところだろう。それこそ、次号も《平成文学》とするなら、どういう意味を加えたりするのか明確な定義なども、そろそろ出すべきであろう。
 

(無題)

 投稿者:    投稿日:2020年 9月26日(土)08時21分52秒
返信・引用
  件名 新型コロナウイルスを増殖させてるのは、クソダニ米国のAI

拡散文書

【創価の魔の正体は米国のAI(人工知能)】

創価を日本統治に利用してる組織がCIA(米国スパイ、政府)

学会員は頻繁に病気や事故に遭うんですけど、信者は皆、魔(仏罰、現証)にやられてると思ってます

災難が続くと、信者は仏にすがって学会活動や選挙活動に励むので、定期的に米国のAlが軍事技術で災いを与えます

財務(お布施)に関しても、学会活動に励んだら病状が良くなるので、数百万、何千万円ものお布施をする信者がたくさんいます

Alが作った病気をAlが弱めて、あたかも病状が良くなったかのように見せかけ、莫大なお布施をさせる

10年前の創価の財務が年間2,500億円(無税)、1日あたり6億8,500万円

資産が10兆円超え、かつて世界1位の企業だったトヨタ以上の資産額

詐欺国の米国が、軍事技術でイカサマして集めたお金です

頭痛、腹痛、腰痛等の痛み全般、ワキガ等の悪臭、うつ病、認知症、統合失調症、自殺、殺人、事故、火災、暴風、豪雨、地震等、この世のほぼ全ての災いを、米国がAIを使った軍事技術で、秘密裏に作り出してます

北朝鮮を操ってミサイルを打たせたり、蚊を操って刺させたり等、第三者を介した攻撃や

雑菌を増殖させて耐え難い臭いにしたり、蚊、コバエ等の害虫を増殖させた嫌がらせもします

同じ手法で、新型コロナウイルスを増殖させてるのも米国

AIを用いたレジ不要のコンビニ

このコンビニは、人の動き、音声、商品棚の重さ等をAIが調べて、お客が商品を持って出ると、スマホで自動精算されるので、レジが不要

この仕組みからわかる事は、AIは多くの人の言動を見逃さずに、1度に管理出来る

このAIの技術を米国が悪用し、人工衛星を使い、地球上の全ての人を24時間365日体制で監視して、学会員や悪さした人を病気にしたり、事故らせたりして災いを与えます

こんなに大規模な犯罪なのに、世間に浸透してないのは、AIが遠隔から各個人の生活を監視して、生活に沿った病気や痛みを与えて来たから

重い物を持ったら腕に痛みを与えたり、ツラい事があったら鬱にしたり等

スパイの犯行なので、相手に覚られず、私生活に便乗して、違和感を持たせずにやる

【この犯罪の主犯は米国防総省、米国スパイのゴミども】

ピンポイント攻撃するGPSは、米国防総省が軍事目的で開発、管理運用もここがしてます

地球上の全ての人を管理してるAlを使ってスパイ活動するNSA(政府)も、米国防総省の管轄なので、この犯罪は米国による国家犯罪

騒音攻撃に至っては、救急車のサイレンで嫌がらせする為に、AIが遠隔から痛みを与えて病人を作り出しますし、パトカーが付きまといをする集団ストーカーは、Alが警官を操って、いかにも警察が嫌がらせしてるように工作

「救急車、ノイズキャンペーン」「パトカー、集スト」等で検索すると出て来ます

行く所行く所で周りの人が咳払いしたり、くしゃみをしたりする集ストは、AIが被害者の周りの人に周波を当てて、咳払いやくしゃみをさせてるだけです

いかにも集団でストーカーしてると思わせて、心理的な痛手を負わせる

咳をした時の周波数と同じ周波を当てると、人為的に咳を出させる事が出来ます

TBSラジオ90.5MHz、ニッポン放送93.0MHzに周波数を合わせると、これらのラジオを聴けます

これと同じように、周波数を変える事で、意識操作や精神疾患を作り出す

蛍光灯に虫が集まるのは、ある決まった周波数の紫外線に、吸い寄せられてるからです

虫ですら周波で操作が可能

家の中に害虫を呼び込んだり、カラスを屋根の上に集めて暴れさせたり鳴かせたり、犬を吠えさせる嫌がらせ等も、AIが軍事技術を用いてやります

27~38Hzで不眠に、48~55Hzで喘息に、88Hzで片頭痛が引き起こされます

それぞれの病気が、それぞれ決まった周波数を持つ

これらの周波数と同じ周波を当てれば、どんな病気でも作り出せます

周波(波動)は目に見えないので証拠が残りません、だからやりたい放題やる

国が関わって、周波が見えるメガネやアプリを開発したり、周波を見えるようにして、AIでこいつらの動きを監視すれば、この犯罪は激減します

この犯罪を終わらせる鍵は、宗教法人への課税と周波の見える化

https://shinkamigo.wordpress.com
 

呼びかけても応答がない

 投稿者:管理人iPad -9370  投稿日:2020年 9月19日(土)17時06分9秒
返信・引用 編集済
   こちらからいいなと思う人に雑誌への参画、合評会へのご参加など呼びかけているのですが、ご返信・応答がない方もいらっしゃいますねえ。逆に、執筆者の方などは意気盛んで、バッチリ気構えてご参加なさるようですが。
 これは年齢にも関係しますか、年上の友人からの応答がないと、どうしているかな、と思います。

 健康・長寿の三要素として、栄養・運動・コミュニケーション、と言われますが、三番目の人との交流、伝達こそは、一番の大事な要素だと、最近の研究では言われています。実際、当方などは、一日置きに通院、医療者の多くと接触・会話、さらにこうしたSNSで人々とのコミュニケーションを図っていて、透析37年にもなるのに、元気いっぱい、とても七〇歳に見えない、と言われます。
 実際、同人誌に関わっている人は実に長い年月を閲している方が多く、やはり気合が入っているので、いつまでも元気なのでしょう。

 ま、当方は文学一途ではなく、いろいろなことに関心があります。宇宙について、都市空間について、動物や子供への関心、音楽への関心、そして社会や政治、歴史への関心。
 そういう話題で人と話が出来れば嬉しいです。
 長く教鞭を取っていたので、生徒たちとの付き合いもあり(パーティーにも来てくれていた)、また同人執筆者の中には、予備校の同僚だった方もいます。
 

根保孝栄さま、こちらまでご覧なのですね。。

 投稿者:管理人iPad -9370  投稿日:2020年 9月19日(土)05時56分33秒
返信・引用 編集済
   あ、このサイトをご覧になっているのですね。
 小生の文章などよりも皆さんのご投稿、アクセスをお待ちしております。


 根保さま
  ついに、合評会、明日(20日)に迫りました。横浜の澤田繁晴さんに続いて、金沢の小林弘子さんもご出席です。お二人とも昭和十年代のお生まれ、ぜひここに根保先生がおいでになって、一発文学論、人生論を垂れて下さい。今回が絶好の機会と思います。

 管理人の連絡先です。
 03-3685-3981、070-5593-8062、snaganofy@siren.ocn.ne.jp、uf2gmpzkmt@i.softbank.jp

 些少ながら、あとの懇親会はご招待します。   群系編集部
 

文芸批評、感想をやれば、文章力です

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2020年 9月19日(土)03時36分54秒
返信・引用 編集済
  ・この場は、文芸批評、感想を書かないと、誰も読まないですよ。永野さんも、書くなら文芸批評関係の文章を書かないと。日常茶飯事の雑文では、誰も読まないでしょう。短いセンテンスで、起承転結のある名文を書けば、読者はついてきます。

・だらだら書かないで、起承転結のある名文を書けば、読む者が出てくるでしょう。要するに文章力ですよ。全国の私の掲示板は、私1人で、ほとんど書いてます。関東だって、永野さんお一人で書いていても、内容があるなら、皆さん読むでしょう。内容がなくつまらないから読まないのです。内容あるコメントでしたら、皆さん読むようになるでしょうね。

http://6928.teacup.com/377612377612/bbs

 

癒しの動画

 投稿者:管理人iPad -9335  投稿日:2020年 9月17日(木)07時15分28秒
返信・引用 編集済
   こちらの板、投稿がないので、ひとつ癒しの絵、でも。

 https://youtu.be/HeQPNYttEbo

 https://youtu.be/1nEWXbduEak

 もう一つ

 https://youtu.be/uqOaoQhCiRw

 https://youtu.be/HZxpiuE4R78

 愛子(まなご)をイヌとかネコといっしょに育てるのはステキですが、汚れたり感染なんてないのでしょうか。
 でも、視聴者の反応に「かわいい」が連発されていて、やはり癒しの図ではありましょう。
 

タイトルと背景色の変更

 投稿者:管理人iPad -9221  投稿日:2020年 9月 8日(火)08時48分37秒
返信・引用 編集済
   突然のご報告で恐縮です。

 当掲示板は、冒頭の説明にもあるように、2010年に設置されました(「群系」永野悟)。長く「関東文芸同人誌交流会の掲示板」のタイトルでしたが、各誌からのご投稿がないので、この際「関東」の語句を割愛、このようにさせていただきました。また、各同人誌の交流の場に戻せたらと思いますが、苫小牧の根保孝栄氏の「全国文芸誌交流会掲示板」が立てられて(2017年 8月 8日)、以来旺盛な管理人の執筆投稿で、読者はそちらにいっていると思われます。一時アクセス数が激減して、板の閉鎖も考えたのですが、せっかくあるので、またの機会まで管理人がいろいろ投稿しています。ナガノ 拝

 過去ログから
 https://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs?page=5&
 

故人のブログはどうなるか

 投稿者:管理人iPad -9180  投稿日:2020年 9月 5日(土)19時34分40秒
返信・引用 編集済
   こうした掲示板(SNS)や個人のブログは、その設立者が物故した後はどうなるのだろう。
 もと「群系」誌の同人でもあった安宅夏夫(1934-2020)氏の場合はそのいい例であろう。下のリンクの「安宅夏夫のBLOG」は生前からそれほど知られていたものではないが、氏の没後も廃棄されることなく、存続している。これ以外に安宅夏夫のホームページもあったが、これは生前にこれ以上継続できなかった故か、削除されている。
   安宅氏自身がこうしたブログを設置したのではなく、誰か若い人に作ってもらったようだ。でも、同人誌主宰者ならともかく、一人の書き手が苦手なインターネットのツールまで使って、自分を顕示したかったのはある意味、すさまじいことだ。でも書き換え、更新などを、身内の方(奥様など)にも言い伝えておかずに逝ったのは遺恨が残ろう。

 さてこれらの始末であるが、設置者以外に善処出来るのであろうか。ちなみに、群系のホームページなどは取り持ちプロバイダのさくらインターネットさんに、月々の費用が払われなくなるので、自然消滅だろう(設置者のパソコンにはそのHPの元は残っているが)。だが、このteacupの掲示板やYou tubeなどは無料なので、設置者が廃棄しないといつまでも残るのだろうか。
 ※ 最近、以前勤めていた日本音楽高校から電話があって、当方がYou tubeにあげた同校のPRビデオを削除してくれませんか、という依頼があった。自分も知っている教え子の姿もあった以前のものだったのでアップしたのだが、個人情報にあたるので、ということであった。アップは毎度やっているが削除は初めて。でもID、パスワードなど入れて本人確認をすれば、削除は簡単だった(でも、この動画がいいという人が6人もいたのに、残念ではあった)。

 https://blog.goo.ne.jp/ataka720/arcv
 

『源氏物語』と近代文学

 投稿者:管理人iPad 8975  投稿日:2020年 8月23日(日)11時26分23秒
返信・引用 編集済
   ちょっと一休みで(そんなに同人誌紹介作業、果たしてませんが)、前に投稿した古典に関する拙文、再度アップさせていただきますね。「古典を読む会」立ち上げに資する一つとして(誤字など、訂正を入れました)。
 (「読む会」は、まだまだ個人的な提案にすぎません)。

           ◯

『源氏物語』と近代文学、似てるところ  投稿者:管理人 投稿日:2009年 5月 5日(火)14時04分

 『源氏物語』の巻き巻き、あるいは登場人物をみていると、ふっと、近代文学のそれに似ているなあ、と感じることがある。もちろん、『源氏』の方がはるか先にできているのだから、〝真似〟や影響は、近代作品の方に決まっているのだが。


 最初にふっとそんなことを思ったのは、30巻での「藤袴」の巻で、あんなに美しかった玉鬘が、夕霧など相応の男性の言い寄りものけて、また宮中への入内をも断って、いちばんありえない髭黒の大将と結婚してしまったことだ。玉鬘も当初は好きでなかったというのに。
 玉鬘といえば、源氏の友人頭の中将の遺児、それもあの不幸な死に方をした夕顔と間の遺児であった。なぜ、北九州の方ですごしていたんだか、理由・委細は忘れたが、いずれにしても多少の不幸な境遇は否めない。しかしこの玉鬘の美貌は多くの人を魅了するほどであった。父探しに都に来たのであったが、ある日行列なんかで見た実際の父親は、養い親の光源氏にだいぶ劣ってみえたのでがっかりしたこともあった。またあろうことか、彼女の美貌はその養いの父親になっていた光源氏も、彼女に一方ならぬ想いを寄せることにもなった(有名なのは「蛍」の巻で、たくさんの蛍が舞う中で玉鬘の顔が一入、美しく照らし出されたシーンであろう)。
 でこの女主人公、とそれをめぐる人物の顛末が、当方には堀辰雄の『菜穂子』に似ている感じがする。不幸なおいたちゆえか、母との確執から逃れるせいか、一番その結婚相手とふさわしい都築明とでは、なく東京のずっと年上の資産家と結婚してしまう(この顛末に、初めて読んだときに、ああこういう道行が近代小説なのだ、なと妙に合点したことがある)。ファザーコンプレックス、と一言では言い切れない、結婚という一段落をめぐる不思議な結末である。

 次に思うのは、結婚どころか、異性にたいして臆するところのある男性の話で、これは《宇治十帖》の薫がそれにあたる。友人の匂宮の行動的なのに対して、マジメな勉強家であるとともに、どこか生存の影をしょっている(ま、自らの出生の秘密も抱えていたのであるが、それはともかく仏道で敬慕していた宇治の八の宮の處についに相談しに行く)。宇治の八の宮は、桐壺帝の八番目の宮で(源氏の実弟でもある)、由緒正しいのに皇統から離れ、仏道にいそしんでいたその姿が、求道の薫にぴったりだったのだろう。出生の秘密とは、源氏の実子とされるがそうではなく、光源氏の後妻・女三の宮と柏木との密通によって生れた宿命の子である。光源氏自身もそのことを知って、若い時代の藤壺との過ちを想起し、叱るどころか、苦悩している(ま、そのうぶな薫が、八の宮の娘たちを見初めて、劇を織り成しているところに、また『宇治十帖』のおもしろさはあるのであるが)。
 過去のあやまちを思い、悩んでいる主人公がでてくる近代作品ですぐ思いつくのは漱石『彼岸過ぎ迄』であろう。そこに出てくる須永市蔵がぴったりである。97年のセンター試験にも出題された作品だが、須永にはまず出生をめぐって、子供心に陰をさすところがある。父の死ぬ直前、「市蔵、おれが死んでも、お母さんを困らせるんじゃないぞ」といわれたが、もっと不審な気持ちをそそる言葉は葬式の時の母の言葉だ。「ね、お父さんがいなくなったって、今までどおりお母さんが良くしてあげますからね」。こんな、わざわざいわないくてよいことをいわれたために、却って、少年時代から、「僕は自分の親にたいする疑念が生れた」という須永市蔵。実際に、暗くなるべく生い育つ市蔵は異性との付き合いにも躊躇があった。親戚(いとこ筋)にあたる格好のフィアンセになりうる千代子を前にしても、愛しているのにそのことをいえない。のみならず、とてもじゃない独白(告白ではない)をするのだ。「僕は、物事に恐れを知っている。そんなんでことにあたって、どんなに二の足を踏んできたか。が、千代子はそういうことを知らない。屈託のないお嬢さんだ。僕の苦労を彼女にかけてあげたくはない」(具体的な会話内容は当方の思い出し・作成なので、関心の或る方は原文(=青空文庫)で確認されたい。
 要するに、薫も市蔵も、人生の裏面に敏感すぎる男である。だがその陰影が漱石先品にどんなに知的な奥行きを与えたか、『源氏物語』がただの〝栄華物語〟に終わってないか、を証左するものである。

 こういうことを書いていくときりが無いが、この薫の形象、あるいはかれが後の面倒をみる柏木(恋心の不義の罪障で死んでしまう)、このふたりの暗い人物に対して、健康的で好男子で、かつ思慮深い常識家であるのが、夕霧であろう。かれは柏木の死んだ後、その後始末をし、未亡人(落葉の宮)を弔問している。また、紫の上の一周忌を迎え、いまだに悲嘆にくれる父・光源氏をも慰めても居る(41巻「幻」の巻)。 もちろん、夕霧も普通の人情を持った男、父の後妻・紫の上をひと目見ただけで、魅了され、玉鬘が好きになり、友人の未亡人の落葉の宮を慕うようになっていく(そのことで、恋人の雲居の雁はたいへん立腹、里へ帰るなどしている)。でも、社会人として、人情のあるまっとうな青年として、夕霧の行動・心理はごくまっとうなのではないか。常に、周囲を冷静な目でみているし。
 この夕霧に相当するのは、漱石『行人』に出てくる、主人公長野一郎の弟・二郎ではないか。兄さんの大学教授は物事にすべて懐疑的で、実は妻の愛情をも疑って居る幸薄い男だ。なんでも自分の思うようにいかないとすまない癇癪持ちの彼は、時に妻をなぐる。しかし、「弱い子羊を打つ自分の卑怯さ」も知っている。作品は、ジレンマにはさまれた知識人のありのままを描いた傑作といえよう。
 貞操を疑われた奥さんと〝探偵〟を仰せつかった、弟・二郎は或る暴風雨の夜、和歌山の温泉の寝間で、彼女(兄嫁)に告白されてしまうのである(「私はかまわなくってよ」)-。嵐の晩の一夜のこのせりふほど、夫婦の隔絶と義弟への救恤(求愛)をしめした處はないであろう(漱石嫌いで、有名な正宗白鳥も、このシーンを「女の描けない漱石が始めて描けた」といっているそうだ。

 この夕霧が義母である紫の上を始めてみてあこがれるシーンは、場合によっては大岡昇平『武蔵野夫人』の戦争からの帰還兵・勉に擬せられるし、あのおとなしい美貌の夫人・道子を紫の上になぞらえていいのかもしれない。
 また、柏木(36巻)・横笛(37巻)・鈴虫(38巻)・夕霧(39巻)あたりの、柏木の道ならぬ恋、それを見る夕霧の構図は、少し違うが、漱石「それから」の代助が相応しようか。人妻である三千代を想うあまりに、なんども人の家のあたり(これはむろん三千代の夫である平岡の家)をへめぐる場面に似ている。このシーンはまさしく〝恋〟だ、と読んだ時思ったものだが、気になる人のことは寝てもさめても想い募るもので、明治のあの〝姦通罪〟のあった時代に、代助はついに、彼女を〝奪婚〟する。そして、この自然の情をとおしたばかりに、二人は世間からのバツとして、次の作品(「門」)で宗助とお米は〝崖下〟の家に住み、奪婚された友人の影に怯えて暮らすのである(柏木の場合、は、いわば中宮にあたるような女性を、たまたま横顔を見ただけで重症の恋の病に陥り、世話になった源氏様にすまない、すまないとして、なんと死んでしまいます)。ま、物語の展開上、そうしなくてはならないかったにせよ、ちょっと強引?

 さらに、以下はほんの印象ですが、源氏が5巻「若紫」の巻きで、わらわやみに病んで北山の大徳に診てもらういわば、入院の後半、かわいらしい少女にあいますね。祖母らしき人と一緒に、雀の子をともだちが逃がしたと行って、泣いているシーン。教科書にもよく載っていた可憐なシーンですが、これは、〝垣間見(かいまみ)という、垣根から家の中、庭などを見る場面ですが、これと似た近代の小説では、室生犀星の『性に目覚める頃』、その〝お賽銭泥棒〟のシーンに、似ていますね。両方とも、今日では軽犯罪法違反ですが(無粋な名だこと)、美しいものをのぞこうとするのは、『古事記』や、民話「鶴の恩返し」にしろ、普遍的な物語の行いです。
 あと、源氏が須磨で配流されて暴風雨に遭ったときあがありましたね、そのとき父王(亡き桐壺院)の亡霊が出て道案内して、無事、明石の土地に漂着しましたね。あの導きも、「ハムレット」にある父王の導きのシーンにそっくりですね。
 また、前後しますが、柏木が自分の実の妹と知らず、玉鬘を慕うところは、三浦綾子『氷点』に少し設定が似ていますね(あっちは、ほんとの兄妹ではないのだから、恋愛はできるはずなのだけれど)。
 また、薫の出生の秘密ということだけでいえば、志賀直哉『暗夜行路』にもモチーフが似てないこともない。


 ま、『源氏物語』の直接の影響は、あの頃の、源氏亜流物語群や、中世王朝物語などに、むしろ色濃い影響はあるのですが、断続しているはずの、近代・現代にも通じるところをエッセイしてみました。(^^;)(>_<)(^o^)^^;<(_ _)>(-_-;)

 初出  https://8614.teacup.com/snagano/bbs?page=492&
 

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