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群系43号《特集》昭和20~30年代の文学 資料

 投稿者:管理人iPad 4815  投稿日:2019年 9月 4日(水)09時34分9秒
返信・引用 編集済
  「群系」43号 《特集》昭和20~30年代の文学 のための参考資料

 どんな作家・作品があったか、.wikipediaから資料としてコピペして、提出しておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の近現代文学史現代文学(戦後の文学)より
    A~Kは編集部が内容別に便宜的に付けたもの。

戦後派作家と第三の新人の登場
A 敗戦後の文学は、太宰治、坂口安吾、石川淳など無頼派(新戯作派)の活躍から始まった。特に、太宰治の『斜陽』(1947年)と坂口安吾の『堕落論』(1946年)は戦後の人々の心をつかんだ。
B   プロレタリア文学の流れをくんだ中野重治や宮本百合子は、新日本文学会を創立して、民主主義文学運動をおこし、労働者の文学の力を発掘した。この流れは、新日本文学会が解散したが、日本民主主義文学会(創立当初は文学同盟)に拠る小説家たちに受け継がれている。
C 雑誌「近代文学」の周辺から武田泰淳、埴谷雄高、野間宏、加藤周一らが現れたほか、大岡昇平、三島由紀夫、安部公房、井上靖らが旺盛な活動を見せた。大岡昇平の『俘虜記』(1949年)、『野火』(1952年)、三島由紀夫の『仮面の告白』(1949年)、『金閣寺』(1956年)、安部公房の『壁』(1951年)などが注目を集めた。また、文壇の中心となった川端康成は『千羽鶴』(1949年)、『山の音』(1954年)を発表した。
D 戦後派のうち島尾敏雄や梅崎春生の傾向は、「第三の新人」と呼ばれる安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作、小島信夫、庄野潤三、阿川弘之らに受け継がれた。第一次戦後派作家、第二次戦後派作家の次に現れたため、「第三次戦後派作家」という意味の「第三の新人」と呼ばれる。
E 第三の新人以降、1956年に石原慎太郎が『太陽の季節』(1955年)で「戦後の最初の宣言」として文壇に華々しく登場し、芥川賞の存在が一躍有名になった。その後、大江健三郎、開高健、江藤淳、北杜夫などの有力な新人が登場する。
F  戦後になると女性小説家の活躍も目立つようになり、野上弥生子、宇野千代、林芙美子、佐多稲子、幸田文、円地文子、平林たい子、瀬戸内晴美、田辺聖子、有吉佐和子、山崎豊子らが筆を揮った。また、日本に在住する朝鮮語を母語とする人たちが日本語で創作する在日朝鮮人文学の流れが生まれた。金達寿が先駆的な存在であり、その後金石範、李恢成と続いた。

高度経済成長期の文学
G 文壇の長老となった谷崎潤一郎が『鍵』(1956年)、『瘋癲老人日記』(1962年)を、川端康成は『眠れる美女』(1961年)、『古都』(1962年)を、井伏鱒二は『黒い雨』(1966年)を発表し存在感を示した。
H 現代文学の枢軸を担う安部公房は『砂の女』(1962年)、『他人の顔』(1964年)、『燃えつきた地図』(1967年)を、大江健三郎は『個人的な体験』(1964年)、『万延元年のフットボール』(1967年)、『洪水はわが魂に及び』(1973年)など代表作を発表した。また、井上靖は『敦煌』(1959年)、『おろしや国酔夢譚』(1968年)など物語性豊かな作品を発表した。1968年、川端康成がノーベル文学賞を受賞。その2年後の1970年には、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地において割腹自殺した。四部作『豊饒の海』最終回の原稿には、この日の日付(昭和45年11月25日)が記されていた。
I 1967年、散逸した近代文学関係の資料を収集・保存するため、文壇・学界・マスコミ関係の有志によって、東京目黒・駒場公園内に「日本近代文学館」が財団法人の運営で開館した(初代理事長:高見順)。戦後派の小説家たちが長編に本領を発揮し始め、島尾敏雄『死の棘』(1960年)、梅崎春生『幻化』(1965年)、椎名麟三『懲役人の告発』(1969年)、武田泰淳『富士』(1971年)、大岡昇平『レイテ戦記』(1971年)、福永武彦『死の島』(1971年)、中村真一郎『頼山陽とその時代』(1971年)、野間宏『青年の環』(1971年)、堀田善衛『方丈記私記』(1971年)、加藤周一『日本文学史序説』(1975年)などの作品が生まれた。
J 1970年前後には三島由紀夫と川端康成のほかに、広津和郎、伊藤整、志賀直哉、高橋和巳らが死去した。そして、彼らに入れ替わるように「内向の世代」と呼ばれる、心理描写の深さを追求する小説家たちが現れた。古井由吉、後藤明生、黒井千次、日野啓三らがその代表である。また、1970年に水俣病を告発した『苦界浄土』で石牟礼道子が、1975年には原爆を主題とする『祭りの場』で林京子が登場し、以後静かに深刻な問題を作品化していった。1972年、文芸評論家の小林秀雄は大作『本居宣長』を完成させた。翌年、江藤淳が辻邦生、加賀乙彦、小川国夫、丸谷才一らを「フォニイ」(贋物・通俗という意味)と呼んで論争になった(「フォニイ論争」)。
K 大衆文学では源氏鶏太の『三等重役』(1952年)や城山三郎の『総会屋錦城』(1959年)、山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)など後の経済小説へと繫がっていくサラリーマン小説の分野が現れた。時代小説・歴史小説の分野では胡桃沢耕史、司馬遼太郎、山崎豊子、平岩弓枝、池波正太郎、杉本苑子、永井路子、陳舜臣、早乙女貢、豊田穣、笹沢左保、吉村昭、伊藤桂一らがこの時期に登場した。五木寛之は1967年に『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞し、『青春の門』(1969年)などの群像小説や随筆を発表する。推理小説では高木彬光や都筑道夫、結城昌治、松本清張、黒岩重吾、水上勉、鮎川哲也、多岐川恭、西村京太郎、森村誠一らが登場する。SF御三家と呼ばれる、星新一、小松左京、筒井康隆もこの頃に活躍を始める。後に『復讐するは我にあり』(1973年)で直木賞を受賞するノンフィクション作家の佐木隆三もこの頃から作家活動を始める。

団塊の世代の台頭
(中上健次・津島佑子・村上龍・村上春樹・宮本輝ら)
以下略


戦後文学-186207(『知恵蔵』の解説より)
埴谷雄高、椎名麟三、武田泰淳、野間宏、梅崎春生、大岡昇平など、1909(明治42)年から15(大正4)年にかけて生まれた「戦前派」である、第1次戦後派文学者たちの多くは、戦前に社会主義思想の洗礼を受け、戦争を体験した。そうした負の体験を踏まえて、戦後は、独自の形而上学、キリスト教的世界観、仏教的世界観、全体小説(個人の内なる世界、それを包み込む社会の双方を総合的に描く)の理念などをそれぞれに掲げて、戦争体験、戦後世界の現実に、想像力をもって対峙していった。これに対して、15年から24年にかけて生まれた小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三、吉行淳之介など、時にその無思想性を揶揄して「第三の新人」と呼ばれた「戦中派」の作家たちは、そうした自己の外から来る思想には一切の信を置かず、感性と言語を武器に、狭いけれども確かな、自己の世界を開拓していった。「第三の新人」たちは、小島信夫を除けばあとはほぼ20年代前半の生まれである。ちょうど一回り(12年)下の、30年代初めから半ばにかけて生まれた世代は、古井由吉、後藤明生、黒井千次など、自我と個人の状況にのみ真実を探らんとする、いわゆる「内向の世代」と、開高健、石原慎太郎、江藤淳、大江健三郎、倉橋由美子など、状況参加、行動というテーマにそれぞれの方法で改めて取り組んだ作家のグループからなる。そのほぼ一回り下が、中上健次、村上春樹、村上龍などの全共闘世代ということになる。(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
https://kotobank.jp/word/

情報世界大百科事典 第2版の解説
【戦後文学】 太平洋戦争後の日本文学を指し,広義では戦後に書かれた文学の総称,狭義では〈戦後派〉の文学運動を通じて実現した文学をさす。1945年の日本の敗戦の結果,連合軍の占領下におかれたとはいえ表現の自由は戦中よりも著しく増大し,まず既成作家の復活が正宗白鳥,永井荷風,川端康成らの作品発表としてあらわれ,それより下の世代では昭和10年代作家の活動が坂口安吾,太宰治ら〈無頼(ぶらい)派〉の作品および高見順,伊藤整らの内省にみちた再出発としてあらわれた。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版
 
 

会を退会される方

 投稿者:管理人iPad 4275  投稿日:2019年 8月 5日(月)10時03分13秒
返信・引用 編集済
     会費お振込みのお願いメールとともに、この際ご退会されますか、という文言も入れてしまったせいか、退会したいという連絡がいまも入りました。育児と仕事でたいへん、とか、人それぞれでご事情があるからしかたないですが、中には引き留めたく思う方もいました。


    まあ、同人誌なんか、「書きたい」という一部の強い志の人以外、人間関係でしょう。今回お辞めになる方々(いまもう一人で四人)、その点でこちらのフォローが足りなかったかな、と思っています。
    やはり今まであまりお話になれなかった人たちばかりですが、ぜひもう少しいろいろお伺いしたかった方々でした。

   どうぞ、飲み会もあります。合評会おいでください。(9月22日)。
 

何が最も大事か。

 投稿者:管理人iPad 4238  投稿日:2019年 8月 4日(日)13時51分48秒
返信・引用
     国際政治についてのNHK の討論番組を視聴して今更ながら、政治・外交のバカらしさに感じ入った。現下の短距離ミサイル、核所持の問題などをめぐる外交の稚拙は、例えば核廃絶という人類の高邁な理想に恬として触れ得ていないし、政治当局者は感じ入ってもいない。現下、米国、中国、ロシア、それに全く対抗出来るレベルでない北朝鮮まで、今だに冷戦期と同じような核開発競争だ。各国政治当局者は歴史を学んでいないのか。軍備があれば、偶発事態も起こり得る。ましてや核なれば、たいへん壮大な被害が起こり得るということは子供にもわかる明快事だ。それなのに、なぜ軍拡をやめない、核開発を辞めない、のか。
    主権の問題だ、と軍拡を主張する中国当局者は言う。なるほど、独立国なら主権は大事だ。しかし、それは軍備でないと守れないのか。核がないと、独立を維持できないのか。これはとんでもない迷妄だと思う。核開発にかかるとんでもない費用を民生に使う方がどんなに人類のために、主権国家の人民にためになるか、金正恩のような若造には全くわからないことである。
    体制の保証、そんなことを核保持の理由とするが、そこにもう自分たちの国家体制の胡散臭さが露呈している。自分らの国が独裁国家で、多くの人民を処刑・獄中監禁している、全く非人道な、国といえない世界だと示している。しかし、そんな国家であることは、アメリカをはじめ、先進国は周知のことだ。なのに、彼の国のミサイル、短距離ミサイルなら許容出来る、ICBMならダメだが。トランプはそんなレベルの認識しかしない。要するにヤツにあるのは来年の米大統領選再選しか目にないのだ。北とうまくやり得た大統領、そんな目前の利しかない。人類の、あるいは北の人民のためにも、核開発がいかに無意味かという至高の理想で言っているのではないのだ。
   自らの利益。世界の指導者にはそんなレベルの認識しかない。世界平和、という発想が恬としてないのだ。彼らはヒロシマナガサキの映像を観たこともないだろう。もちろん自ら兵役に就いた過去もなかろう。軍拡競争、その維持こそが、体制の維持、とともに自らの政権維持には必須と、頭から考えている。そこには、世界政治、という根本がない。

   当方は、だいぶ前から政治家の非理性、ということを思ってきた。彼らが文学古典や、まして哲学を読んできた、なんてきいたことがない。所詮、政治党派内での権力闘争に勝ち抜くことしかない頭にないのである。人間というもの、その内部の思考、それらが生きる社会、その合理的なありよう、そんな誰でも考える基本的なことよりも、身近な人間関係でいきてきた連中。これが各国の指導者、の実情だろう。むろん、我が国、自民党はその典型例である。

   政治は最高善の実行である、とある先哲が言ったと記憶するが、全く逆で、最低行動の実践、それがいまの軍拡に邁進する各国の現実である。彼らには、第一次大戦、第二次大戦はなかった、すなわち歴史はなかったのだ。
 

消費税全廃こそ、経済復活の一歩

 投稿者:管理人iPad 4096  投稿日:2019年 7月27日(土)23時18分37秒
返信・引用 編集済
     山本太郎の主張は、現下の貧困問題や、差別の問題、雇用の問題等、あらゆるフェーズにおいて、有効であると思われる。今日の、平成不況の延長下にある現代社会において、人々が貧困で食うに困る、病気になっても医者に行けない、という先進国ではあり得ない状況を突破するには、山本が言うように、例えば、「消費税の撤廃」は有効なのではないか。これは他の野党が言うように、「増税反対」「凍結」という、生ぬるい対策ではなく、撤廃という文字通りの根幹策なのであり、昭和以前に戻すのである。夢物語、と思って皆、そこまでは考えなかった。が山本が言うように、財源の目当てはあるのである。大企業やこれまで優遇されてきた組織、領域など。税は取れないところから取るのではなく、取れるところから取る。これが一番理にかなった道ではないか。すれば、国民はその分食べたいものを食べ、健康にも注意が払える。政治が一部のもののためにあるのではなく、広く国民のものになる。その一歩である。
    今回の参院選は始まりの一歩である。次の総選挙などで、この国は真の国民のための改革に踏み出せるのではないか。消費税全廃は、その方策の第一歩と思う。
 

生きててくれよ!と叫んだ山本太郎氏

 投稿者:管理人iPad 4007  投稿日:2019年 7月23日(火)21時55分42秒
返信・引用 編集済
     参院選はやはり面白くも何ともないものでした。立憲民主が多少議席を増やしたからといって、与党の過半数の前には沙汰無し、ですね。野党統一というけれど、国民民主や社民、など似たような政党が別々に党活動をしているのですから、国民から見ると、何で一つの政党・会派にならないの、と興ざめです。安倍一強が力を証明しているのは、若い世代からの支持でしょう。安倍さんでいいんでないの、という声に、多くの野党は力が出せません。しかし、現状のこの国は、厳しい現実、国民の貧困がひしひし迫っているのです。
   こんな中、一つの会派、一人の議員の訴えがたいへん目を引きました。前回同様、ネットの記事からの引用、コピペですが、ぜひこの訴えを見てやって下さい。

〉まずはこの文章を読んでください。

《1年間で2万人くらい、ひと死んでるんですよね。自殺で。異常ですよ。戦争も紛争も起こってないのに。

なんでこんな状況にされなアカンの? 生活安定していたらこんなことになる? 働き方にもっと余裕あったとしたら、こんなことになる? 自分がいていいんだ、自分が存在していいんだっていう世界になってたら、こんなことになる?

自信を奪われてるだけですよ。自分は生きてていいのかって。生きててくれよ! 死にたくなるような世の中やめたいんですよ!》

これは、山本太郎氏がゴールデンウィークに神戸・三宮で行った2時間以上にわたる街頭演説の抜粋です。

山本氏は4月にひとりで政治団体「れいわ新選組」を立ち上げました。支持母体はなく、活動資金は広く市民からの寄付でまかなう。集まった寄付額に応じて参院選の候補者擁立数を決めるという、異例の選挙活動を始めました。この三宮演説も、支持を広げるための全国行脚のひとつでした。

この演説に対しては、「幼稚なことを言うな」、「政治になにができるんだ」などの受けとめもありました。「私は死にたくないです」と、全く心に響かない人もいるでしょう。

しかし、山本氏のこの言葉が、現状に不満や生きづらさを抱える人びとの心をつかんだのは事実です。山本氏の街頭演説はインターネットの動画サイトで数万回再生されているものもあります。

私はこの「生きててくれよ!」が、れいわ新選組の人気の最大の要因だと感じました。「消費税廃止」や「反緊縮」などの政策も話題を集めましたが、それ以前の問題として、多くの人が「生きづらさ」をかかえる世の中で、誰もが生きる権利、幸せになる権利を持っていること、そんな当たり前のことをストレートな言葉で呼びかけたことが、人びとの心をひきつけたのだと考えます。

https://m.youtube.com/watch?v=LyC9W8jQH8M

 

ほんとに切ない、低年金

 投稿者:管理人iPad 3791  投稿日:2019年 7月15日(月)14時54分49秒
返信・引用
    ネットニュースのコピペですが、今さらながら、こんな低年金でお年寄りを暮らさせるのか。悲しくて、切なくて、怒りもむらむら。子どもと年寄りを大事にしないのは、先進国ではない。

                            ◯

年金月4万5千円「死ぬのを待つだけなのか」 食事は半額セール ひざの痛みも我慢
7/15(月) 6:10配信 沖縄タイムス
低年金で困窮した生活を涙ながらに語る高齢女性たち=12日、那覇市内

 「お金がなくて、毎日、明日生きられるかと考える。低年金者は死ぬのを待つだけなのか」

 那覇市に住む女性(75)は目に涙をためながら逼迫(ひっぱく)した生活をぽつりぽつりと語った。2カ月に1度、手にする国民年金は9万円。貯金はなく、月4万5千円が生活費の全て。大半が市営住宅の家賃と光熱・通信費に消える。残る食費は1万7千円で、1日に使える金は平均約560円。

 食料は自宅から徒歩で片道約20分のスーパーで半額セールになった総菜を購入する。1人暮らしの自宅は必要最低限の家具のみそろえ、日中は電気代を節約するためクーラーを控える。ひざが痛くても受診を我慢している。

 日本復帰後、県内の飲食店で勤務した。低賃金と事業所側の厚生年金未加入が負担となり、国民年金の納付は後回しになった。

 約10年前に夫が他界。納付条件を満たさず遺族年金はない。4人の子どもは自宅近くに暮らすが、「迷惑を掛けたくない」と頼れないという。

 老後に夫婦で2千万円必要とした金融庁報告書を巡るニュースを目にするたび、不満とストレス、怒りが込み上げる。「今、生きている高齢者に目が向けられていない」

 厚生労働省年金局によると2017年度、沖縄の月平均年金受給額は国民年金が5万2134円と全国最低。厚生年金は12万5338円で全国平均と比べて1万9565円低い。65歳以上で年金を受給していない人は16年度で約1万8千人に上る。
 

個人的なこと(続)

 投稿者:管理人iPad 3690  投稿日:2019年 7月 9日(火)22時28分25秒
返信・引用 編集済
     この土日に通夜・葬儀を終えました。20年ぶりに会う従兄弟たちもいました。
   じつは親族の葬儀は1999年7月の母の時以来、ちょうど20年です。これで親の世代は(義理の叔父を除いて)皆、行ってしまったことになりますね。この歳になるとあまり物事に強く感動することはないのですが、この叔母の場合は、悲しみというのか、内側から感ずるものがありました。ま、個人的なことですので、ここまでに(今更個人的とことわるのも変ですが)。
 

個人的なこと。

 投稿者:管理人iPad 3540  投稿日:2019年 7月 3日(水)19時45分31秒
返信・引用 編集済
      夕方、叔父から電話があって、「妻が今朝亡くなった」と告げられた。通夜や葬儀の日程を聞いて、詳しいことは明日faxで連絡する、という。
    叔母は亡き父の末の妹である。二男三女のきょうだいで、大正11年生の長男の父に対して叔母は昭和8年生で、一回り近く年下だ。父が昭和の末に60代で死んだのに比べ、86歳まで生きたのはしっかり者の妹だったからであろう。兄妹四人が比較的早くに亡くなったのに比べ、わが家系では長生きの方だ(でも、今日日、もっと長生きするものだ)。母が前世紀1999年の7月9日に亡くなったので、ちょうど二〇年だ。個人的な思い出はつきない。幼少時、よく面倒をみてくれた。
   ちょうど、群系ホームページに文学同人誌の主宰者の一周忌の動画などをアップして思い出に浸っていた感じなので、しみじみ感慨深い。天気予報によると、三日後の通夜・葬儀の日も雨のようだ。九州では大変な状況のようで、このくらいのことで困ってはいられない。
    弟家族にメールしたのに、二時間近く経つのに、応答がない。ま、皆働いているので、すぐには返信できまい。
 

日々の安らぎ

 投稿者:管理人iPad 3423  投稿日:2019年 6月28日(金)22時21分47秒
返信・引用 編集済
     日々毎日、何が楽しみで生きているのだろうか。
   ふと誰でもがそんなことを思うだろう。
   まだ仕事をしていた時、すなわち現役の時は日々やることがあって、冒頭に書いたような思いをかこつこともなかった。ま、仕事を退いた今でも同人誌をやっている、その編集もしている間は、そんなに嗟嘆することもなかった。編集も終わり、刊行されて送付作業も終わって、多少嘆息することがあるのだ(嗟嘆ではないが)。

   自分は外出の際はほとんど自転車である。通院の朝はただ前を向いて走らせているが、中日に銭湯へ行ったり、買い物に行ったりの午後から夕方にかけては、近くの公園で子供たちの遊んでいる姿に出会うことが多い。そこではつくづく目が休まる。銭湯では年寄りばかりだったのが、乳幼児たちを見ると何か癒される。
   自分が男だからか、女児が遊んでいるのはつくづく和む。公園でいろいろな遊具に飛びついて行っているのは、このくらいの年齢ならではだろう。カバやキリンを模したすべり台などに喜んでいる。彼らには何もかもが新鮮なのだろう、一度は触って乗ってすべってみないと気がすまないのだ。
    しかし、子供ってどうしてすぐに走るのだろう。われわれだとそんな労を要することは極力避けるのに。彼らは疲れるということはないのか。いや疲れるだろうという気遣い、思いがないのかな。

   年がいくと若い頃、特に子供の頃の思い出がよく浮かぶ。独り者の当方は、立場上、よくそういう思い出をかこつ時がある(といっても当方は孤独老人ではない。雑誌の編集者として多くの人との接触・交信があるし、実際会う機会も多い)。
    でもこういう思いをかこつのは異常ではないどころか健康的なことでもあろう。いつ死ぬかいつくたばるか、そんな思いをかこつよりはるかによかろう。
    思うに、自分の精神のバランスは一つは文学でいろいろなことを考えること、もう一つは実際の自分の生を幼少と今を往還して様々たゆたうことだ。
   でも、多くの高齢者もそれぞれの日々の過ごし方を持っているのではないかな。
 

掲示板に書く人、書かない人

 投稿者:管理人iPad 3270  投稿日:2019年 6月23日(日)07時53分11秒
返信・引用 編集済
     掲示板というインターネットを通じた情報ツールはたいへん便利。SNSと呼ばれるが、他にもTwitterやFacebookなどもあって、閲覧者も多くなっている。小生宅にも後者二つはメールでよく寄せられてくる。特徴的なことは書き込みや写真アップなどする人は常連が多いということ、ですね。
   ただ後者二つの有効性はいま一つ疑問。ツイッターなどツイートすると上司に見つかったらどうしよう、という一般的懸念があるし、フェイスブックもいろいろな掲出があるけど、どこへ行った、何を見た、などの報告で、いまいち関心をよばないのも多い。(ま、ツイッターはトランプなど最高指導者がその時の気分を書き込むのは、政策決定の過程を知る点で、マスコミ・国民にとっても有益といえるかな)。
   ま一般にとっては、上記の二つより掲示板の方が、意見・感想を詳しく書き込める、そして読むことが出来る便利なツールではないか。特に文学愛好者にとって、作品の感想や好きな作家・詩人を思いのたけ書き込める点、またその即時性、費用のない点、たいへん優れたツールといえる。
  ただ、問題というか課題なのが、書き込む人が少ない点(常連者ばかりの毎度の書き込み)。逆に言えば、新規に書き込もうという人が少ない点が残念。同人誌など印刷媒体ではたいへん優れたことを書いているのに、ネットにはまったく、という人も多い。
   先年逝去された葉山修平大先輩などはあれだけしゃべること、書くことが多かった人なのに、掲示板に書き込むということはなかったのかな。昭和五年生という世代的なこともあって、インターネットにあまり馴染んでいなかったのかな。葉山さんにこそ、文学とは何か、犀星のどこがいいか、書き込んでもらいたかった。
   いま、こうした掲示板によくかきこむのは、カプリチオの板での草原君と大堀君であろう。お二人の論争?は、理路と情理も備わって、知識的にも啓発される。時宜にかなった話題もだして、まさにインターネットならでは、である。
https://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs
   他に、渡辺勉さんによる、Ben氏の部屋というブログもあったが、たいへん中味のあるいいものだったのに、最近そのサイトが見つからない。

    ネットでは、広くいろいろな人がブログやホームページ、SNSを展開している。文学に関しても、作家名を検索しているとそういう専門家肌のかたのサイトに逢着する。ご著を読む前にそういうサイトを読ませていただくことがままある。
(例としては、伊東静雄、島尾敏雄、尾崎寿一郎、あるいは松岡正剛の千夜千冊、のサイトが挙げられる)
  https://1000ya.isis.ne.jp/top/

   願わくは、この板でも、群系掲示板でも、多くの人にご意見、資料提供などの書き込みをいただきたいことだ。
 

詩と思想、あるいは文学と政治

 投稿者:管理人iPad 3182  投稿日:2019年 6月19日(水)21時51分4秒
返信・引用 編集済
     伊東静雄を発見してその詩歌論を展開したかったが、今回は特集の《8・15の青い空  戦争と文学》の方にかまけて詩歌論までいかず周辺の人物論のエッセイで終わった(「群系」42号・6月下旬刊行)。だが、詩人的資質では萩原朔太郎に次いでその詩質(ポエチカ)に感動共感したのであり、それが自身の身の内の何によるのか考えたく思っている。

   この数年、自分の中で詩的なものと思想的なものが混雑してきて、パトスなのかロゴスに由来するのか截然としなくなってきた。詩的なものとは文学といいかえ、思想的なものとは政治といいかえてもいいかもしれない。実に戦前においてはその二つは截然と分け難くあって、ある文学者たちは政治思想家、あるいは政治行動者といってもいいように思えた。それは具体的には保田與重郎と蓮田善明を典型的に指しているのだが、彼らにあっては、文学と政治が、もっと言えば詩と思想が融合化していた。いな一つのものだったと言えよう。

   当方は長く、文学と政治は二つの異なった内容・志向を持つものと思料してきた。政治は物質生活に直結する権力的な営為、文学は精神生活に限った内面的な営為、いわゆる戦後文学はそうしたきっ線をつたいつつ言語の営みをしてきたものと思っていた。それゆえ文学者は、政治的発言はあっても、極力自己の言語表現の中で、つまり自分の文学の中で現表するものだと思っていた。

   だが、保田や蓮見の文学・行動を瞥見すると、詩も思想も同じ、同根の人間情熱だと思うようになってきた。いわば、万葉集や古今集、新古今集に感ずること、平家や楠木父子の死を受容することは、それらに共感すること、古典など伝統を背にすることで、いま現在の生き方まで規定出来ているのだ。
   従前なら、これは復古論・国粋主義だ、身に寄せるべきでない、という自身の反撥力があったのだが、この数年そうした自身のそういう〈思想〉がやや弱くなってきて、そういう戦前の考え方(生き方)を十分に斥け得なくなっている自分を発見する。

   「自由と民主主義」ー。そうした概念の抽象性を感じてきたものか。文学史的に言えば、あれだけ我が身に寄せて思ってきた「近代文学」誌のありようが、いま今日ではその有効性が信じにくくなってきたのである。
   これは21世紀になった今日になってまで、戦後直後あるいはその後二〇年ほどは有効だった「戦後的思惟」がそれ以降、だんだんその効力を失ってきたということかもしれない。実際、「近代文学」が昭和38年に休刊されて以来、その意義への疑問も同人内部から出ていた(佐々木基一の内部批判)。実際その後、いわゆる戦後民主主義は右派からの批判よりも、内部の一派からの瓦解が始まりつつあった。学生闘争の盛り上がりとその混迷・自壊がその大きな例である。
   以降、世界的な非思想傾向、資本・技術優先、もあったゆえか、この国でも前世紀末頃から、戦後民主主義、平和思想は、軟弱とされてきたのである。

   当方自身、以前は保守思想の権化、と敵対視していた江藤淳を今世紀以降(江藤死後)、たいへん文学的(生命的)に豊かな文学者と感じるようになってきている。その江藤が実は生前、伊東静雄を詩人中でも非常に高く評価していたのを発見して、わが「文学」の正しさを実感している今日此の頃なのである。

   先月(5月)、加藤典洋氏が亡くなった。江藤淳をよく読み込みながらそれを乗り越え、戦後的思想の有効性を考え続けた批評家である。いわゆる政治思想家、歴史家なら、「戦後思想」は論じ安かったと言えるかもしれない。丸山真男や色川大吉、鶴見俊輔なら論じ得る立場であったろう。しかし文学者はいかがか。ほとんどが保守思想の立場の中、加藤典洋氏は頑張った。しかし、その「敗戦後論」は評判が芳しくなかった。議論がいろいろ、視点・論理で難渋と評されたのだった。実際当時、自分も敗戦後論を論じようとしつつ解説で終わった苦い思い出がある。

    いま、自身の内部にわだかまりつある、文学と政治、の問題。これを自身に納得のいくよう考えていくには加藤氏の著書を読んで考えていくしかないか、と思っている。

  https://blockquotemaker.com/?p=10956

   加藤氏の死を多くの人は、「ただ悲しい」という表現で受け止めている。これは文芸評論家・思想家の死に対してはきわめて別格の扱いである。そこには彼への愛しさがうかがわれる。当方も、悲しい。ー
 

政治家が文学作品に親しんでいたなら

 投稿者:管理人iPad 3082  投稿日:2019年 6月16日(日)07時44分23秒
返信・引用 編集済
     よく、「文科系なので」、と不得意をさりげなく糊塗する言い訳をしますね。素人なので、と同様です。でも自分の健康について医者ではないので、と糖尿も高血圧も放置しておいたらどうでしょう。喫煙も、暴飲暴食も医療関係者ではないから、と誰も注意しなければ、命の保証はないのではないでしょうか。
   たとえは極端でしたが、文学をはじめ芸術に関心のない人は、どういうものでしょう。せっかくの人生、娯楽ばかりでない、深遠なものがあると分かって、人生ってをしみじみ味わうことができるのではないでしょうか。

   こんな話をするのは、政治家(や官僚)が文学作品に親しんでいるのかな、と思ったからです。むろん総理や閣僚の答弁に、歴史知識は不可欠です。中国や朝鮮半島、アジア、ロシア(旧ソ連)など。外交のためにも、何より真の国際親善のためにも。でも、それが官僚から教示された書類的知識だけではなく、戦争文学の作品を閣僚が読んでいたらどうでしょう、答弁も話も説得力が出ていたでしょう。
   日本の侵略についても、石川達三「生きてゐる兵隊」を引用して、南京虐殺について言えば、中国習近平も納得ではないかしら。あるいは、「麦と兵隊」など三部作を書いた火野葦平については、晩年の「戦友に愬ふ」を読めば、兵について、愛国というものについて、複眼的な見方が出来るのでは。さらになんといっても、つぎの二人の作品を読むことが、日本人の指導者の方には大切なことではないでしょうか。
   それは、ー
   吉田満著「戦艦大和ノ最期」、と石原吉郎「望郷と海」、です。

   政治家に、過去の戦争を、文学作品で知っていたなら、その話も重みが出るものと思料します。
 

芸術至上の会

 投稿者:管理人iPad 3082  投稿日:2019年 6月16日(日)06時45分11秒
返信・引用 編集済
    今日、16日(日曜)は、芸術至上の総会があるようだ。でも、役員ではないので、総会の後の講演会の時間から行くかな。テーマは芥川龍之介だそうだが、今さら何を話すのかしら。

   でも、人に会うのも目的だから、行こうかな。

http://www.geijutsusijoushugibungei.com/custom1.html
 

「群系」42号、六月下旬刊行

 投稿者:管理人iPad 3046  投稿日:2019年 6月14日(金)08時19分24秒
返信・引用 編集済
  「群系」誌の最新号(42号)が、今月の26日(水曜)にも出来上がり、発送することとなりました。ページ数はいつも通りかやや少ないのですが(246ページ)、テーマと内容については、編集部も自信をもっておススメします。いつも受信されている方には、発信されることと思いますが、確認を取りたい方は、以下のホームページの下にある編集部のメールアドレスに一度お問い合わせ下さい。

   http://gunnkei2.sakura.ne.jp/index.html
 

駐輪場は焦眉の政治課題

 投稿者:管理人iPad 2929  投稿日:2019年 6月 9日(日)11時42分30秒
返信・引用 編集済
     編集同人の校正作業の後、例のように飲み会では談論風発、お互いの作品を言い合ったりで二、三時間がすぐに過ぎます。まよく飲む人たちですが、やはりいろいろな知識、感受をうかがい、為になります。そのうち音楽・美術、さらに各地のいいところを知りたいですね(出来れば、行きたい)。

   閑話休題。
   世相の関心を書いてきましたが、これは文学の板、ですね。でも書くのも読むのも無料なので、人への個人批判、以外ならいいのでは、と管理人は思いまして、ちょっと日頃の感想をまた綴ります。同人誌本体では戦争や政治社会、文学者の動向など書きましたが、こうしたSNSではもっと、日常的、身近なこと、ですね。
(と言っても、女の子のインスタグラムではないので、今から食べるご馳走をアップしたりはしませんが)。

   やはり、社会的に気になっていることですね。ふだん通勤通学(通院)している電車が相変わらず、ラッシュで混雑しているのはこれはしょうがないことで今更ですが、解決出来るのに、そうしようとしていないことにはずっと腹立てています。簡潔に、自転車の駐輪場の問題です。
   小生居住の江東区は、このところマンションが多く建って(いまも建設中が、数件はある)、特にこの都営新宿線はアクセスがよく人気なようで朝もラッシュなのだが、まず駅まで通うのに自転車がこの数年目に見えて増えました。小生、女子医大に午後通院の時は駐輪する場所がなく難儀したものでしたが、二、三年前から午前透析にしてもらって、朝六時半過ぎに駅に行くとさすがこの時間では場所がいくつか空いているのでした。でも帰りの午後は、通路にもいっぱいで今度は出すのもたいへん。
    でも、あえて区役所担当に言いたいのは、所用で江東区役所大島支所というところにいろいろな手続きがあって行くのですが、ここは図書館・児童館もあって、いつも駐輪場がいっぱい。ママチャリも子供用もあって、いつも出し入れがタイヘン。係りの人が手伝ってくれるのですが、先日、「ここ広げればいいですのにね」といったら、「それ、上に言って。私らにはどうにもならない」ー。そりゃそうでしょうね。
   実際、植栽がだいぶあってすこしそこを削るだけでも、もう二、三十台止められるのに。またこの区役所支所は通路も案外広くあるのに、あえてパイロンや柵を置いて自転車を止められないようにしている。通路確保のためだろうが、人はもっと狭くても通れるの、って言いたい(余程のデブでも、片側駐輪しても通れる広さ)。一度、こうした文句はパソコンで打ったことがあるけれど、区役所の人には渡していない(先だっての区議選で、共産党の集いに行ってそこで渡したけれど、候補が落選してしまった)。
    アタマにくるのは、亀戸駅の高架橋の下の自動駐輪場だ。ここは夕方行っても。まず空いているところがない。総武線複々線の下だから相当数の駐輪機があるのだが、おそらく通勤客のものだろう、夕方遅くならないと空きが出ない。道路の反対側は、というと駐輪機がなく、逆にパイロンや柵があって、駐輪禁止とある。全くお役所仕事、区民の利便を考えていない。ここに駐輪するのに誰に気兼ねがいるか、高架下で、店ないのだ。
   夕食などでたまに亀戸駅には来るのだが、今回銀行に用があってきたが、だいぶ前から三井住友の大島支店はなくなってここまで来なくてはならない。だがさすがここは江東区、この駅前支店前の通路は狭くて、自転車も止められない(もう少し外れにいくしかない)。

   いまちょっと駅から離れた人にとっては、チャリは不可欠だ。ふだんからクルマという区役所の人にはそういうことが実感できないのかな。

  カラーコーン パイロン
  https://www.askul.co.jp/usf/000365903/
 

感じのいい人

 投稿者:管理人iPad 2821  投稿日:2019年 6月 5日(水)13時51分6秒
返信・引用 編集済
      いまNHKの「ここナマ」というオビのワイド番組を見ていたら、安藤玉惠という若い女優が出ていた。たいへん個性的で、話も面白かったので、初めてだったが覚えておこうと思った、
   この番組のMCは船越英一郎と美保純で、この二人も好感。阿部渉というアナウンサーもいい。

    だいたい人というのは、特に対面商売の場合、感じがいい人がいい。ファミレスなどもいい対応だといい時間が過ごせますね。小生の場合、通院しているので、その環境の影響は大きい。患者の無愛想はしかたないが、医療者には和められる。看護婦もそうだが、技師は透析前後で十分ほど、操作してもらうので、いい対応をしてくれると心休まる。昨日はかわいい女の技師さんが回収で良かったのだが、月一回の検査血液を取るのを忘れ、別途挿し直しになって、たいへん恐縮していた。

   話題戻ると、小生の女優やタレントで好きな人に三人います。先の美保純に、井森美幸、風吹ジュン、です。なぜって説明しにくいのですが、若すぎない、年が近い、昔のドラマに出ていたからなどですかね。彼女らが、テレビに出ていると、ま干されてないな、と安心です(とりあえず美保純が、NHKの昼のオビにずっと出ていますネ)。

   あ、こんなこと書いている場合でない、龍書房様から、ゲラが来たようです。(^ ^)
 

内面を見つめる、ということ

 投稿者:管理人iPad 2737  投稿日:2019年 6月 4日(火)21時37分55秒
返信・引用
     子供がかわいい、遊んでいるのを見かけると心が和む、と書きました。こういう感性、例の事件を起こした人たちはあまりないのでしょうか。ま、小学校からの音がうるさい、「ぶっ殺してやる」という気組みでは、ほとんど関心もないのでしょうか。
   よ思うのですが、人はなぜ人を愛するのか。人だけでなくイヌやネコなど動物も。いや植物を愛でる人もいれば、風景全体を翫賞したいという人もいますね。旅行の魅力はそんなところにもありましょう。文学や絵画、音楽を翫賞する人も当然でてくる。(当方は万葉集や源氏、更級日記などが好きなので、大和や京都には強い憧れがあります)。
   よく仕事がいそがしくて、遊んでなんかいられないよ、というひともいますが、そういう人は仕事が熱中できるものだったでしょう。

   今回の事件では、社会への恨み、報復の念が強かったと言われますが、この辺、小生でも若い時、自分が何者でもない、という劣等感、焦りはありましたが、社会への怨念、というのはなかったですねえ。

   今回の彼らの心中を思った時、社会の外れ者という意識を思ったとき、当方が思ったのは詩人・萩原朔太郎でした。意外と思われるかもしれませんが、彼ほど社会から疎外されている、と思っていた人は少ないでしょう。そのかんかくは彼の詩作品に現れています。「公園のベンチに腰掛けて、復讐という文字をナイフで刻みつけた」などはそれがよく現れているでしょう(記憶のまま書いたので多少、違うでしょうが)。
   むろん、朔太郎のような天性の凛質はおれにはない、というでしょうが、本人内面では、非常につらいものであったのです。問題はそうした内面を見つめる、対象化することでしょうか。先の二人にはそういう操作がなかった。悪いのは他者である、として怒り、激情をそのままぶつけていたのでしょうね。
   彼等に、本をよむ、という習慣、あるいはそのきっかけがあれば、その人生はだいぶ変わったもになったことでしょう。
 

子供が遊ぶのを見るのが好き

 投稿者:管理人iPad 2737  投稿日:2019年 6月 3日(月)16時25分10秒
返信・引用 編集済
     つらいことばかり書いてきました。今回は心和むことを書きます。
   小生は、女の子が好きです。ま女子高生あたりも好きですが(嫌いではないですが)、女児が好きなのです。小生の高層団地からは近くの公園が二つ見えます。そこで子供達の声が聞こえると、年も忘れて気持ちがほぐれます。ま、ここ大島は年寄りと若いお母さんと子供が多いです。小生は外出は、通院時も買い物も銭湯の時も自転車ですが、よく目の前を杖ついた(あるいは車椅子の)お年寄りや自転車の母子に出逢います。とぼとぼ歩くお年寄りは同情もしますが、ああはなりたくはないですね。自転車のママはまあ運転が上手、ですが、ヒヤッとすることもあります。小生同様、日々の生活にチャリは不可欠なのですね。
   近くの銭湯の目の前も公園になっていて、時計塔があって、五時だかにチャイムがなります。その頃によく小生もお風呂屋に行くのですが、まあその時間は年寄りがいっぱい(それも禿頭の爺さんばっか)。小生同様ヒマなのでしょうか、ね。(八時頃行くと若者が来ていたりする)。
   たまに公園の中にチャリを止めて周囲を見ていることがあります(といっても半年に一回か二回かな)。子供達の遊ぶ姿を見ているのですね。あるいは、近くのダイエーで買い物をする時も子供がいますね。ファミレスにいる子供達。もう楽しくてしようがないのか、周囲を駆け巡りますね。中には何がお気に召さなかったのか、わあ、って泣いてしまう子もいますね。
   小生は教師をやっていましたが、20代の時はいわゆる塾で、小学生も教えていました。ま、中にはしょうもない悪ガキもいますが、きほん、可愛かったです。

   「土佐日記」の最後に、せっかく京都まで帰ってきたのに、一緒に帰れなかった女児、のことを思うシーンがありますが、ま現地で亡くなってしまったのですね。松の根の窪み、そこに小松が生えてきているのを見て、わが子への思いが募るですが、昔から子供(小松)は宝、だったのですね。

   そんな子供を殺してしまうなんて。子が可愛い、という気持ちはなかったのでしょうか。
 

とんでもない悲劇的人生

 投稿者:管理人iPad 2700  投稿日:2019年 6月 2日(日)16時34分18秒
返信・引用 編集済
     川崎の殺傷犯、岩崎隆一を考えると、こんな悲劇的人生があるのかと思えてきた。職も持たず、友もおらず、もちろん結婚はおろか異性との付き合いもなかったのだろう。こんなのあり?というほど凄絶な人生だ。

   伯父伯母とも正月以来、会っていないという。遺体確認のため現場に出かけてもあまり会っていないため本人確認が出来なかったという。えー、と耳を疑う話だ。社会生活を絶つ、ーこうしたことにどのようにしてなったか。
    よく職場を変える人は、職場の人間関係がうまくいかなかったといわれる。しかしふつうなら生活のため、いやでも次の職場を探すし、希望のところでなくてもそこで職につかねばなるまい。小職など、いろいろな学校・予備校の面接を何度受けたことか。実家から離れていたから絶対生活費は稼がなければならなかった。その点、岩崎容疑者は、伯父伯母というていのいい保護者にかいぐるみになった。なんだこれ、これだけで小職は同情出来ない。甘ったれるな、である。
   だが彼の不幸は、こういういい親族がいたことに始まるのだろう。追い出せばよかったのである。ホームレスにでもなって、現実の厳しさを知ればよかった。冬は暖房があり、夏はたぶん冷房もあったろう。食事は伯母が時たま用意していたという。80歳代の老人にである。そして礼もいわない。
   まったく社会意識を欠いている。アリ以下だ。今度のじけん、そして結末も理路当然の結果ともいえよう。しいていえば、容疑者は自分の立場が不本意だということだけはかんじていたようだ。ならどうしたら打開できる?彼にはその知性がなかった。またひとを傷つけることの意味も、その傷みをかんずる感受性もなかった。要するに、人でなかったのである。
   自分身近にこんなやつがいたら、自分はどう対応するだろう。思いつくのは、こいつこそが透析の患者になればよかったということだ。自らの宿命を感ずるだろうし、人の恩も、社会というものも初めて感じるだろうからである。
 

pc・スマホを持たない生き方

 投稿者:管理人iPad 2651  投稿日:2019年 5月31日(金)14時49分0秒
返信・引用 編集済
      川崎の連続殺傷事件についてこちらでも書いてみます。おおよその受け止めについては群系掲示板に書いたのですが、容疑者の岩崎隆一の自宅にはパソコン、スマホともなかった、ということは当方にはなるほどと思えました。今の時勢で、この二つのどちらも所有していないというのは、大変少数派に属しましょう。80歳代以上の高齢者ならともかく、51歳で所有していないということは、端的に容疑者の非社会性、人とのコミュニケーションの決定的な欠如がうかがわれます。いま現在、ガラ系も含めて携帯電話の所有率は9割を超えていたと記憶します。iPadなどのタブレットは2割程度かな(今は3~4割になるのでは。推測)。それだけ、これらはコミュニケーションツールとして、いや情報ツール、娯楽機器として、現代人の持ち物になっています(人によってはテレビ以上の媒体となっていることでしょう)。中高生など、スマホがなければ日々を送れない、というほどです。
   それをどちらも持っていなかった。これは岩崎容疑者の原始人性(言葉は悪いが)を表していると思います。すなわちこれは端的に現代社会にコミットしていないことを表しています。ふつうの勤め人なら会社や学校にパソコンがあって、仕事上、その端末に触れることは日常的なことでしょう。デスクワークでない、いわゆる肉体労働の方でも仕事の段取りで仲間と相談、打ち合わせのために携帯は必須、だと思います、今時は。
   当方などは学校勤務の際、中間期末試験の際、パソコンルームに入るのは普通のことでしたし、ちょっとしたプリントも(当時は)ワープロでしたが、そうした機器は必須でした。IT時代になって、パソコンをもっていない人は、人間関係があまりない人なのかな、とも思うようになりました。すなわち人間関係が出来ていればメールのやり取りはするし、パソコンの購入やセッティングも友人同士お互い助け合うと思うからです。この社会で生活していく以上情報は必須だし、仲間同士の連絡・消息も必須のことだからです。だから、パソコンも携帯もどっちもないで済ませている人は、現代社会と隔絶して生きているひとと思えます(それでも、パチンコや競馬などはやめられない、ということで社会と接点を持っている人もいますがね(笑)。
   むろん、いわゆる読書人で、PCなどデジタル機器に疎いという人はいます。同人の故野口氏がそうでした。国会図書館での検索がデジタル化されて使いづらくなりました、と不満を漏らされていたこともあります。こうしたきちんとした読書人などで、あえて周囲もパソコンなど勧めず、その人の生き方を尊重しているケースもあるでしょう。でもこんなのは希少中の希少例でしょう。
   昭和末平成以降生まれで、こうしたデジタル機器を使わないという人はほとんどいないでしょう。が岩崎容疑者のように1968年前後の生まれだと、まれまれそうした機器に出会うことなく人生を送った人もいるのでしょうか。しかし(当方は詳しくはないが)、マジンガーZ、だとか宇宙戦艦ヤマトだとか、仮面ライダーとかそういうアニメで育ったとすれば、いわゆるゲームに興じたはずだし、PCともすぐ近在にいたはずだと思料します。忖度するに、岩崎容疑者は友達とそうしたゲームにも興じたことがなかったのかな。
    実に実に珍しい人格と思えます。よく本に夢中で友達作りもしなかったという秀才は聞きますが、格別本も勉強も好きでなく、友人と遊びもしないとしたら、日々何をして過ごしていたのか。何か没頭する趣味があったのか。そういうのがなくて、ただただ何かしらの妄念、復讐の念を日々蓄積していたとしたらー。

   問題の核心ー。
   彼のような、非社会的な人間、人との交通ができない人間、だから逆に社会に怨恨を持つに至る人間の問題にはどう対処していったらいいのか。一つは社会防衛のために(いとしい子供を守るために)、今一つは彼自身のために、彼が納得のいく人生を送ることが出来るために。こういう“不幸な”人生を送らないで済むように。これは、今日の情報社会が当面する大きな問題でありましょう。
(容疑者がパソコン・スマホを持って、自分の意見をこうしたSNSに発信出来ていたら、事情はだいぶ違ったかもしれませんね)。
 

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