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弦101号 批評御礼

 投稿者:市川 しのぶ  投稿日:2017年 5月26日(金)10時54分25秒
返信・引用
  100号に続き、101号作品のご批評有難うございました。
広くお読みいただけることで、同人一同何よりの力となります。
私は特に、終行に書かれているお歌を、大変楽しみに致しております。
6月には中部ペンクラブの総会・講演会・中部ペンクラブ賞表彰式・懇親会等がございますので、よろしくお願い致します。
有難うございました。今後とも『中部ペンクラブ』『弦』を宜しくお願い致します。
 
 

「弦」101号(名古屋市) ヒューマニズムに支えられた問題作は長沼宏之「普通の人々」、岡田雪雄「初夏の陰り」青春物語、山田實「茸物語」の短編の切口の持ち味

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月25日(木)16時17分32秒
返信・引用 編集済
  ・北九州、名古屋地区は独自の文学活動を行っている地区として有名だ。名古屋は「中部ペン」という名古屋地区の同人雑誌をひとつにした活動拠点を持っているし、北九州は「九州文学」という拠点を持って同人雑誌活動を支えている。要するに、手堅い地方文壇を形成して同人誌活動に刺激を与えるシステムを作っているということだろう。
今号は小説八編。

・長沼宏之「普通の人々」は、養護施設で育った浅倉由美に新聞社から連載企画をしたいので、インタビューに応じてくれと依頼があり、受けることにした。由美は家庭の事情で養護施設に育ちながら、保育士として立派に一人立ちしているが、この由美の半生を自分語りする内容。父は仕事場の人間関係でつまずき母親に毎日のように暴力をふるうようになり、母親は家出してしまう。このため由美は小学校二年生のとき施設に入って育った。五年生の時、里親に引き取られて仮親に育てられる・・。その由美が保育士になるまでの紆余曲折なのだが、ヒューマニズムに支えられた筆筋が感動を呼ぶ。問題作である。

・白井康「又右エ門」は、木下藤吉郎の妻になった「おね」の養父である又右エ門を主人公にした話は、手慣れた筆遣いの25枚。

・岡田雪雄「初夏の陰り」は、失恋した中山が萩原に相談に来たのだが、帰り際に新品の靴が盗まれてなくなっていた。戦争が終わって十年ほどしか経っていない頃のことである。二人は大学時代の英文科で一緒だった。青春物語である。

・市川しのぶ「猫・猫・猫」は、ネコにまつわる小話の掌小説10幾編を集めた40枚の構成。猫好きには作者の色々な視点が楽しめるだろう。

・山田實「茸(くさびら)物語」は、名古屋弁の一人語り風の構成で、30年ぶりに会った相手に先祖ゆかりの話を語りかける色合いが新鮮で面白い。

・木戸順子「ある日の自画像」は、ベテラン作家の日常的な話なのだが、チラシの新しいアパート風の納骨堂の写真に引かれて見に行ったエピソードから始まる内容は何となく読ませられた。

・合田盛文のエッセイ「ミンシングレーイン1ー16番地」は、銀行に勤めていた滝沢がロンドン支店長代理として赴任することになり、初めての外地勤務に奮闘する滝沢・・・という話なのだが、私小説風のドキュメントにも読めるし・・つまり、本人は小説のつもりで書いたのだろうが、編集部はエッセイと捉えて掲載した?のか・・・滝沢という主人公を設定してあるのに「エッセイ」もないだろう・・などなど読者にもジャンル不明の、それこそ<ミッシング>に受け止められる内容。文章はしっかりしているにしても、エッセイなのか私小説なのか自分史的ドキュメントなのか・・・作者にジャンル仕分けの思想がなかったのか・・・不明な40枚であるので、問題提起してみた。

・エッセイとは、小説とは、ドキュメントとは、自分史とは・・ジャンルを明確に捉えて書き出さないと、ジャンル不明の<ミッシング作品>になる。初歩から学んでほしい。文章力はある程度ある作者で細やかな描写もまあまあの作品なので、ジャンルさえ明確に把握できたなら、ある程度の佳作を書いてきそうな筆筋である。この作者、確か以前にも米国だかの銀行に赴任した作品を書いていたのではなかったか・・違うかもしれないが、そんな記憶があるが・・・どうか。数を読んでいるので、よほどの秀作とかユニークな作風でないと記憶に残らないのである。本来、取り上げる作品ではないのだが、問題点を指摘する意味で取り上げた。

   ・行く道の番地不明に戸惑ひて幾度も紙を読み返し見つ   石塚 邦男

    名古屋市守山区小幡中3丁目4-27 中村賢三方

     電話・fax  052-794-3430
 

バカバカしくて

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月24日(水)13時35分6秒
返信・引用 編集済
  ・怒ってなんかいません。
稚拙な意見に怒る気にもならないですよ。
バカバカしいだけです。
子供に対して諭したようなものです。

    ・ひと言に立ち止まりたる夕暮れに野鳩の一羽飛び立ち行けり  石塚 邦男
 

合田さんへ

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 5月24日(水)09時20分43秒
返信・引用 編集済
  「川端康成を読んでいて、プロとアマの相違を痛感する」と投稿されていますが、これはどういうことなのでしょうか。文学同人誌の小説作品はその内容と技法の高低の落差はもちろんありますが、川端と素人を比較して「だめだなあ」と慨嘆するのは内面にとどめおかれたほうが良いと思います。そういう発言は無意味なものです。

そのへんは根保さんもよく心得ているところで、プロと比較してダメと思われない「なにかしらピンとくる」ものを、その梗概からはじめて解説しながら、どの点がいいのか、どのようにいいのか、を根保さんは「批評」の原点の形式で語られています。発言するということの意義がそこなのです。

以前にも書きましたが「掲示板は公開の場」。そこで悪口やら誹謗中傷はだめですよと管理人さんも言われています。したがってそうならぬためには、根保さんと異なる視点で、その作品のどの点がどのように弱いのかを理路をたどって語られたほうが、批評される作者にとって「これからの肥やし」となるのではないでしょうか? そのためのこの掲示板だと私は思う。

 

ご立腹のこと

 投稿者:合田 盛文  投稿日:2017年 5月24日(水)07時14分32秒
返信・引用
  私の「物申す」は、貴殿の書評に対して、私の読書感をを率直に述べただけであり、悪意など微塵もありません。こんなにお怒りになるのは、私の指摘が正鵠を得ているからでありましょう。脅迫めいた、あるいは、侮辱的な言辞は、お差し控えになったほうがよいのではありませんか。  

意見は意見として

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月24日(水)02時09分19秒
返信・引用 編集済
  ・文芸時評に悪意を持ち込んでは批評にはならない。
異なる意見なら異なる意見として、
自説をきちんと組み立てて述べなくては。
それがこの道の常識だ。

単なる文句、気に入らないなら、直接私に言っていただきたい。
住所、電話番号先に書いてあるので。
公にして作者を傷つけることでもあるまい。

長沼氏の作品が「語彙も描写も文学性に乏しい」というなら、
その個所と理由を丁寧に述べなくてはなるまい。
あなたの文章は、語彙も描写も文芸時評になっていない。
ただ、匿名でないだけまだましではあるが。

是にせよ非にせよ、第三者が読んで納得するように書き込まないと、
作者にも第三者の読者にも誤解を招きます。
「私の意見はこうだ」と我田引水にせよ、
第三者が読んでも説得力ある文章で<文学的に>述べていただきたい。
でないと、単なるイチャモンでしかない。

比較するに事欠いて、康成と長沼氏の作品を比較するとは、
康成も草葉の陰でずっこけるでしょうし、
長沼氏も違った意味でずっこけるでしょう

言動は控えめにすることです。
ですが、意見は意見として受け止めておきます。
そのぐらいの度量は、私にはあります。一首献上・・・。

  ・浮世にはやり手と言はれ職を辞しなほ大物と思ふは哀れ  石塚 邦男

 

書評に物申す

 投稿者:合田 盛文  投稿日:2017年 5月23日(火)10時07分46秒
返信・引用
   弦第100号記念号の「鬼夜叉」(市川しのぶさん著)を“戦慄すべき戦争への怨嗟と怨念”とまで評するのは言い過ぎではないか。この作品の主題は、あくまでも山村に伝わる「鬼夜叉」という伝説であり、そこにほのかに厭戦の気分を漂わせているところに醍醐味がある。名作であることには同感。
 もう一つの「ぎんなん」(長沼宏之著)を評して“人間模様の巧みな描写”というが、主題は陳腐で、語彙も描写も文学性に乏しく、読んでいて、面白味もなければ、共感すら覚えない。ここのところ、川端康成の作品を読んでいるせいか、プロとアマの違いをこれほど鮮明に感じたことはない。
 

「同人雑誌・単行本出版」は下記の根保孝栄に

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月22日(月)22時52分11秒
返信・引用
  ・同人雑誌・新刊単行本は下記の根保孝栄に送付を。

  053-0011
         苫小牧市末広町1-12-1-920  根 保 孝 栄宛

     電話・ファクス 0144-33-1284

     携帯ー090ー6212ー3122
 

「苫小牧文学」21号(苫小牧市)秀作は中山真佐子「売り子」、ノンフィクション的私小説の魅力は岩崎三郎「川面に・・」、異界めいた魅力は森れいの詩「うさぎ」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月18日(木)10時06分39秒
返信・引用 編集済
  ・北海道苫小牧市は人口十八万人、ここに創作中心の同人雑誌が先に紹介した「響」のほか、この「苫小牧文学」「地平線」があり、文学活動は全国的に観てもトップクラスのレベルだろう。過去に最上典世の「文学界」「文芸」新人賞受賞者、佐土原台介の「群像」新人賞受賞など全国水準の興隆を見せたものであった。同人雑誌のまとまりは、人間関係の絆がものを言う。各誌それぞれの立場で自己主張するもので、一地域に三誌、四誌あって不思議ではないが、それにしても狭い地域に三誌、四誌とは全国的にも珍しい現象だろう。これに一般参加の官費中心の「苫小牧市民文芸」がある。つまり、文学活動全国一の特異な地域と言っていいかもしれない。

・今号は小説・ノンフィクション八編。
・中山真佐子「売り子」は地味な筋書きだが女流のプロ作家のごとき秀作で全国的に観ても一頭抜きん出た作品である。あえて言えば、売れっ子の藤堂志津子より実力は上だろう。

 作品の紹介に入る。女子大の寮で一緒だった香奈美と時折会って、互いの近況など報告しあう仲だ。そんな香奈美と久しぶりに会った私。その親友の香奈美の半生を語る内容。最後に、香奈美が勤める店に昔付き合っていた男が買い物に立ち寄り、香奈美と気つかず買い物をするくだりの女の気持ち、男の気持ちの前後の場面描写は秀逸である。

 香奈美の生家は裕福な地主。父は内科医で町の人々にも慕われていた。そんな環境で育った香奈美は、女子大を首席で卒業、老舗のホテルに就職、知性と美貌に恵まれて職場でも光る存在であった。ところが、妻子ある男と知り合って道ならぬ恋に走ってしまう。私はその頃、同棲していた男と別れたばかりで、もう男はこりごりと思っていたが、香奈美の密やかな恋愛は傍目に新鮮に見えた。そんな香奈美の母が亡くなり、診療所も閉鎖した父が一人残った故郷に帰って父の面倒を見る気になった香奈美。そのような話なのだが、細やかに織りなす筋書きの語りと女心の微妙、女の半生の過ぎ越しを織物を織るように語って行くさまは、まるで室内楽の演奏のように膨らみある音域を奏でるのである。

・岩崎三郎「川面に揺らいだ日差しの中に」は「ノンフィクション」とあるがリアリズム私小説でもあろう。昭和二十四年佐渡島で生まれ育ち六歳で北海道苫小牧市に移住した<私>が、亡くなった父母がどのような人生だったのか、それを知りたくて佐渡の寺を訪れる・・。つまり先祖のルーツ確認私小説である。苫小牧市に移住した一家。三人の弟妹は、生まれてすぐ裕福な家庭に貰われていった。貧しいので育てられないからだ。貧しい中にも子供の遊び、漁師の網引きの手伝い、畑仕事の手伝いなどの世界が詩的に描かれる。東京オリンピックの年に中学を卒業したが、高校に行けなかったのはクラスで私と女の子の二人だけだった。私は大工見習いの仕事についた。一人前の大工になり高給も取るようになったが、突然父の入水自殺に遭う。一家を支える立場になり給料はいつも封筒のまま母に渡した。八十坪の土地を買い、家を建て母を喜ばせようと思ったのに、母は棟上げ式の一週間後亡くなってしまう・・。そんな貧しい時代の回想的私小説とは言え何か心に残るのは、私の父も佐渡生まれのせいばかりではなく、とつとつと語る語り口がそのままリアリズム文学になっているからである。ノンフィクションと私小説の違いなど、この作品の合評のとき論議してもらいたい。

・乾みやこ「五十年目の麻理子」は、五十歳になった麻理子の夫は造船所の技師で一歳年上。背が高くランニングを趣味にしていてすらりとして若く見える。キッチンも新しくして幸せを絵に描いたような家庭だと思っていたのだが・・三十年ぶりに中学校の同窓会にでたところ・・早くその場を立ち去りたい気持ちになった。そのわけは、かつて平凡だった旧友が社会に出て溌溂としていた・・・さらにスカートに値札をつけたまま出席していたのだ・・。さらに、とんだ詐欺に遭って・・という女のドジ話は、鋭い社会批判の目線まで届くには一歩たりないが、巧みなストーリーテラーの資質はある。女流のきめ細かい視線や女流独特の目線を持っているので、厳しく作品を叩いて書き直す場数を踏めば、そのうち北海道文学賞か北海道新聞文学賞クラスの作品を書けそうな筆筋だ。

・吉川佑一「豪」は、子供時代に遊んだ幼馴染が防空壕にまつわる心霊現象の探検をする話という女性作家には関心ない素材に取り組んでいる男性作家の趣向が面白いところが買える。

・十月桜「早春のドア」は、六年前、大学時代から三十年共に過ごした夫に突然先立たれた由季子は、まるでだまし討ちにあったような虚ろな感覚で、時折、夫の夢を見る。掌小説的数枚の作品だが、読後なぜか心に残る。

・星まゆみ「狂った車輪」は、高校を卒業して小さな印刷所に勤め、六十五歳で現役を退いた陽一。一年前に妻のこずえに離婚を迫られた。三十歳のひとり娘の七海も納得しない突然のことだった。ある夜、突如家に車が飛び込んでくる事件が起きた。そんな折に娘の結婚話が持ち上がる・・数枚の作品は未完の素描であろう。三つのエピソードを小説に紡ぐ以前の素描であるが、もう一度書き直したい。

・加藤きみ「夢うつつ」は、六歳になったとき、絹子夫婦の養女になった珠子。その幼年時代を、絹子に会いに行く電車の中で回想する・・そして・・という話だが、掌小説としても、短編小説としても不足で、これも起承転結をつけたい作品で十数枚の未完らしき作品。

・結論を言えば、未完であっても発表すると、次が見えてくるので、それでいいと思う。何も完璧を目指す必要もない。ひとつ書けば次が見えてくるものだ。まず、年に数編発表する場がほしい。それがないと小説技術は向上しない。

・森厚「逆光の岸辺」として六、七枚の掌<小説的作品>を三篇。新しい試みでもあるのかと期待したのだが、新しさはない古い筆筋なので失望。これでは場面を破綻なくデッサンした作品でしかない。絵画でも音楽でもそうだが、新鮮な独特のものがない限り、評価はない。下手でも何でも新鮮な新しさがあるとそれだけで評価されるものだ。例えば川端康成の作品を現代に持ち込んでも、無視されるだけで、新しい境地を開拓するのが作家というもの。気合を入れてほしい。作家とは書いている存在であって、釣りをしている存在ではないということだ。まず、自分の殻を破ることである。大家ではないのだから、常に挑戦がないと新境地は開拓できない。

・詩は、星まゆみ「クラック」の暗喩が印象に残った。
  彼女の好きなダリアの花の根本から/火柱が立ったあの日/拒絶の影が住みついてしまった

・もう一遍の詩は、森れい「うさぎ」の異界めいた竹林の向こうに立った市。うさぎ、どうかね、と呼びかける老人・・というような舞台設定も一編の短編小説のようで不思議な魅力が面白かった。

  ・道行けば見えてくるもの朧ろにも霧立ちこむる海岸道路  石塚 邦男

  苫小牧市華園町3丁目ー18  苫小牧文学の会

      電話ー0144-75-6498

 

「響」23号(苫小牧市)② 味わい深い高岡啓次郎の「口紅」、土井重男の力作評論二編に注目 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月16日(火)17時20分45秒
返信・引用 編集済
  ・高岡啓次郎「口紅」は、銀行員の堅物の父と旧家のお嬢様であった母。そんな家庭に育ち、一流大学を出てエリートであった兄が子連れの水商売の女性と一緒になったのはなぜであったか、詳しいことは知らないが、相応のいざこざの末に一緒になったようだ。そんな義理の姉の大らかな人柄に親近感を抱いていた妹の私・・義理の姉の連れ子の女の子の姪を不思議な目で眺める女子高生の私。私が勤め人になって一時期兄の家から勤め先に通ったことがあって、姪の成長を見知っていた。可愛い子で美大に進学、アメリカにも語学留学するなど順調に絵画の道に進んだ姪。ところが、その女の子が義姉の店に来ていた男の子を宿し産むと言い出し、兄が困惑していると聞く。兄夫婦と姪の浮き沈みのさまを愛情持って見守り、時にはらはらと気をもむ妹の目線の微妙な心理がこの小説の中心。最後に口紅の塗り方で運が開けると言う姪。運命に健気に戦いを挑む姪の姿を妹の目線でさらりと描いたタッチがいい。味わい深い好短編。

・中井ひろし「大地に生きる」は、前号から続く連載ものであろうか。アイヌモシリ(人間の住む静かな大地)に生きる日本人一家の話なのだが、アイヌ民族の生活習慣や温情などを描いた力作で、前号に比べ文章が洗練されてかなり読みやすくなっている。年何回も発刊されない同人誌であるから、長い話を途中で切って短編構成にして発表するコツを覚えるといい。一冊にするとき、長編につないで書き直せばいいということである。長編、中編、短編の作りは、創作の技術の問題。

・赤松亜美「私の好きな市川崑の映画たち」は、日本映画の巨匠市川崑がミステリーの新境地を開拓した「犬神家の一族」を中心に市川崑の特性に迫ろうとするところや、三島由紀夫原作の「金閣寺」を映画化した「炎上」、谷崎潤一郎原作の「細雪」などの演出を取り上げて市川崑監督の独創的な映像美を解析している筆筋はダイナミックである。

・土井重男「チャシとサシの一考察」は、アイヌ語のチャシと朝鮮語のサシ、チャシなどの語源探査の貴重な比較言語の問題点を究明する貴重な評論。朝鮮式山城と日本の築城の歴史的探査や現存するアイヌの遺跡などを比較しているこだわりがいい。アイヌマタギの小説を書いている私にも参考になった箇所があった。

・土井重男「武四郎さんの人物像を考える」は、蝦夷地探検で有名な松浦武四郎の人となりと業績の関係性にスポットを当てて、残存する文献から掘り起こしているところがユニーク。この作者の着眼は本格的な探査の姿勢が見えて注目の作家である。着眼が面白い

・山内房江「自分史②ー国境を越えて」は連載二回目。縁あって中国で日本語を教える仕事に夫婦で出かけた体験。

・木戸克海「スイスという国を知る」は旅行記。作者はエンディングに「人はさまざまな理由で旅に出る。ひとつでも知識をえて、人生を納得するために」と書いている。

   ・けんけん跳びしたあと拾ふおはじきの光るを見つむ女童(めわらべ)の瞳

   ・巻き狩りに羆を追ひて行く山にアイヌマタギのかんじきの跡

   ・究めればアイヌモシリの成り立ちの諸々今や明らかになる  石塚 邦男
 

“風景” 木原能子/『駅』№110

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 5月16日(火)14時43分57秒
返信・引用 編集済
  何ということのない平凡な庭を描いた詩でありながら、ハッと気づかされる詩である。

“トカゲ

死んでいる

私の小さな庭の
うす暗がりの
黒い
土の面に
肢体を
投げ出し
息絶えている

トカゲ

トカゲとして
立派に
乾き
ちぢんで
屍の
風景を
獲得している

うつろな
うす暗がりの
寂寥に
戦き
そして。”

作者の眺めている庭に転がっているトカゲの屍が、奇妙な形で語られるとき、すなわちトカゲが自分の死の風景を獲得したという記述が輝いている。
死んでしまってどうどうと(「立派に」)死を主張して、それが見慣れた「私」の庭の一隅においてひとつの風景として「獲得している」とした文章は魅力的だ。読後に、ひと隅がつまり一片が全体の風景となりゆき、眼前に展開している死んだ当事者(トカゲ)が自分の屍と相対峙している事態になる。

わたしは、トカゲは長年「私」の庭に生息し、「私」の哀願の対象であったと想像した。とするならば、のっぴきならぬ存在の、他者の死は「私」の眼の前で死の風景と化すのは普通の感情なり直観ではないだろうか。
横たわる命の無い形姿を見るとき、のっぴきならなかった死者は愛惜とか悲しみを越えた喪失の一般性に至る。そのとき、一気に死者は石のように庭に転がっているのを「私」は見てしまう。するとその死者は「私」の固有をはみ出て一般性に至るのだ。死を獲得する、死を得るとは、そういう拡張的な意味があると思う。拡張していつもの庭の風景に紛れていってしまうことになる。

似たような表現ではE・ユンガーの代表作『鋼鐵の嵐の中で』にある表現。時は第一次世界大戦、フランスの領土内でイギリス軍と激しい攻防をしているさなかに、主人公の若いドイツ将校が弾丸の飛び交う中、退却途中で爆撃孔に飛び込み助かる場面がある。やや戦闘が収まって、僚友たちが助けに来たとき、ユンガーは彼らは「私の死体を引き取りに来た」、と表現した。英訳では to carry my body back。「死んだ私」をではなく、たんにmy badyと書かれてある。死体として認識している主人公の視線は、トカゲが死と相対峙している獲得という視線は、「戦闘死」そして「庭」と言う平凡な風景という一般性を表現する。その一般性において、詩は冷静になり混乱を鎮める。
(ユンガーは冷徹な視線を持つ作家である。)

木原氏はエッセイでも名文家であり、詩において、その巧さを背後に、読み飛ばせない詩行を連ねる詩人だな、とつくづく思う。
 

日本語の特性・・口語と文語  辞世の一句、一首くらいは残してほしい

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月15日(月)00時16分0秒
返信・引用 編集済
  ・昭和の初めまで、軍人は言うに及ばず、文士やジャーナリストたち文筆を生業にしていた者はなべて俳句のひとひねりは当然教養として身に着けていたし、万一命を落とすことがあってもいいように、覚悟を決めて俳句、短歌の辞世の一句、辞世の一首を懐にして世を渡っていたものだ。

・ところが、最近の物書きたちは、一句一首も作れない。作ったことがない。日本語を操ることを生業にしている小説家、詩人、ジャーナリストでさえ、一句一首を作れないありさまなのだから、日本語がダメになるのも仕方ないか。日本語の劣化は、こんなところにも崖の地層の断面のようにくっきり顔を出している。話し言葉の口語は、意味が伝われば目的を達するので、「おい」「何だ」という具合に、基本は問いと応えで成り立っていて、微妙な心理の綾などはなく、いわゆる散文的だ。泣き笑いの喜怒哀楽心理の綾は、対面の表情で補えばいいからだ。

・古語の文語は手紙文として発達してきたものであるから、見えない相手にこちらの喜怒哀楽の感情を伝える手段。スマホも携帯も写真もない時代。感情を相手に伝える伝達手段として発達したのは当然だったろう。

・昔の文語は余情、余韻を伝える手段としては、世界に誇れる言語であろう。しかし、現代では文語は死語に近い扱いになっていて、英語、中国語は堪能だが、日本の伝統文語は見知らぬ外国語みたいな扱いになってきているのは、ちょっぴり寂しい。

・せめて、小説家や詩人、ジャーナリスト、放送関係者くらいは日本人の証し、たしなみとして、上手、下手は別にして辞世の短歌、俳句くらいは常日頃懐にしていたいものだ。

  ・幽玄の桜吹雪を北国にまとめてくだる花の筏よ   石塚 邦男

 

「響」23号(苫小牧市)① 野沢透子「シニアハッピネス」初めて男性の目線で描いた挑戦姿勢は買えるが・・・、一読巧みに読めるが悪乗りした漫才・落語的な作風は泉玄冬「夫婦坂」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月12日(金)20時51分47秒
返信・引用 編集済
  ・会の名は「いずみ同人会」。月一回の学習会を例会として継続しているのがメインで、年一回学習会の集積として「響」を発刊している。今号は例年の二倍の200頁を超え会員の奮起があったのか。作品にも気合の入った作品も増えて、結果を怖れず挑戦する姿勢が見え、全体的には好感を持った。しかし、ありきたりに誉め言葉でしめくくるには、少々問題がある作品も見られるので、今回は問題点を多角的に指摘してみたい。ただし、この場で深掘りする作品は、ある程度の水準に達している作品であって、初歩的な作品については触れない。初歩的なありきたりの作品については会の中で討議されるものであろう。

・また、作品の感想批評では筋書きを簡単でも紹介するのが礼儀なのだが、要領のいい筋書き紹介の典型も以下にお見せしたい。要領のいい筋書き紹介も表現技術の問題なのだ。下手な評者は筋書き紹介もろくにできず、できても下手なものである。

・今号は小説(創作)六編。
・野沢透子「シニアハッピネス」は、この作者が初めて男性の主人公を設定して、その目線から物語が進行する作品に挑戦したもの。作者は長く詩を書いてきたが、十年ほど前から小説に挑戦、私小説的な作風を数編書いて小説のイロハを学んだ後の男性を主人公にした今回の作品はどうだろうか。
・長患い後に亡くなった妻の三回忌の法事をすませて、肩の荷をおろした実雄は65歳。友人が婚活の集まりに出入りし、生き生きしているのを見聞きするにつけ心が動き、紹介された「シニアハッピネスセミナー」に入会、59歳だという富沙絵と知り合う。和服姿に見惚れて付き合うようになった。何度か会っているうちに思い切って求婚したが、「時間が欲しい」と言われお預けになるうち、借金の申し入れを受けた。結婚すれば同じ釜の飯か、とついつい小刻みに貸しているうちに五百万円の額になってしまった。さすが不安になって催促すると、思いもかけず二百万円だけポンと返してくれた。疑ったのは考えすぎだったかと気を良くした実雄は彼女を自宅に誘ったところ、意外にもOKしてくれた。

 彼女は台所に立って珍しい料理を作ってくれて、二人が機嫌よくビールを飲んでいたさなか、突如彼女は苦しみだした。驚いた実雄は救急車を呼び病院へ連れて行き手当を受けさせた。書類には患者の友人と書いたものの、心細くなって長女に電話、来てもらい富沙絵の家族に連絡しようとしたが、バッグの中の健康保険を見ると名前も違い年齢は六十九歳となっている。彼女の持っていた手帳を開いてみても婚活の会員の住所がかいてあるだけ。入っていた預金通帳も見知らぬ女の名義・・これは一体どうしたわけか・・というありさまで謎の女であることが次第に明らかになり、ついに夫がいることが判明する・・・という詐欺まがいの謎の女に翻弄された結婚願望の老年男の次第・・。

 この作者が男性の目線から書いた作品は初めてで、その挑戦意欲は買えるし一読、丁寧に描いてはいるものの、内容は全国の同人雑誌によくある今はやりの話で、気合を入れて書かれた小説のメーンテーマ‐にしては新鮮味に乏しい。平凡な素材でも独自の人生観や社会批評眼で書かれているならそれはそれで秀作に仕上がるものだが、そこまでの力量を望むのは酷だとしても、せめて個性を際立たせた作品に仕上げるとなると、婚活をエサに体よく騙される男の哀れさを深掘りしなくては異色の作品にはなりきらない。
 ここはもう一歩大胆にコケテッシュにギャグめいた切れのある皮肉な筆筋で描く人間批評、時代批評的内容の色付けをしたかった。佳境にはいるまでの前半が丁寧に書き過ぎてか冗漫で退屈。ここは要領よくはっしょり、詐欺まがいの疑いあたりからの主人公の男の心理描写の揺れに力を入れる構成にすべきだったろう。

 この作品で作者が訴えたいところは何なのか、それを明確にして小説としての山場の取り方を考えたい。筋書きから言って、男の単純さ、女の狡猾さと哀れを描き切れるかどうかが、小説の成否を分けることになるか。

・泉玄冬「夫婦坂」は、いつも酒酔い運転しては捕まる常習犯の夫。酔っては家に友達を連れ込んで女房の私に愛想をつかされている夫。妻から観て単純に行動する夫の保夫に悩まされる妻。その妻の目線から小説は進行する構成を選択し、男性作家が妻の立場で描いた内容は、先の女性作家が男性の目線で書き進む手法の野沢透子の作品と真逆の視点選択の作品。男性作家は女性を書けなくては作家とは言えない・・そして、女性作家は男性を書けなければ女流とは言えないという世界への挑戦とも見える冒険か。
 夫の保夫は勤めていた会社の社長と折り合いが悪く、自動車クリーニングの会社を立ち上げ、妻も協力して何とか軌道に乗せ、会社は順調になるが、そのうち夫の保夫は会社の女の子との仲を周囲に疑われたり、妻の目線から姑のこと、子供のことをコミカルタッチで描いていて、一読、筋書きだけ読めば巧妙な作りに見えはするが、ついに夫の保夫は病気になり・・・という結末は「夫婦坂」という題名にはふさわしいものの、良くある漫才、落語的な古い筆筋と言われる誹りは免れまい。

 八さん熊さん的古い落語的、漫才的オチの連続だけでは文学にはならない。同じ漫才、落語風でも、開高健の「太った」「笑われた」などの一連の作品のギャグと笑いのごとき知的な新派の切り口の文体と構成でなくては通俗作品としても通用しないということだろう。例えば「私を丸裸にして寝室に運び、交わろうとするのです。しかし、あまりにも酔っているので、肝心のものが立ちません」とか「連れだってラブホテルに入り、いざことに及ぼうとしたとき、肝心なものが役に立たず、情熱をもてあました美由紀が狂ったように怒りだし・・」なんて描写は、事実がそうだとしても、このリアリズムは漫画にもならないありきたりの良くあるワンパターンの場面描写で、同じリアリズム描写でも書きようがもう少しあったろうと作者の文学的品格とセンスを疑いたくなる。

 色々部分的に瑕疵があっても目をつむってリアリズム文学と半ば認めたいところも、こういう通俗的描写に出合うと、うんざりしてやれやれと溜息が出てしまう。戦後のカストリ小説によくあったカビの生えたありきたりの描写みたいで、何でこのような書き方をしなくてはならないのか、作者の創作意図の理解に苦しむのである。

 面白がって書いているのは作者だけで、読む方は面白くも可笑しくもなく退屈なだけであることを肝に銘じることだろう。作品を手がける限り読者をバカにして書いてはならない。この作品は、作者が悪乗りし過ぎたゆえの結果というべきか。この作品を小説として自立させるには、全編を流れる人生の哀感のペーソスの色合いをバックミュージックのように流す構成が欲しい。この作品にはそうした立体的構成の意図が見えないただの平面描写で終わっている大きな欠点がある。

・男性作家は女を書けなければ一人前の作家ではない。また女流作家は男を書けなければ一人前の女流とは言えない・・ここに挑戦した野沢透子と泉玄冬だったが、結論を言えば、良い線は行ってはいるが、私が縷々述べて来たように小説の愛読者からは好みも交えて蛇足の注文は色々あるのは仕方ないことで、これに懲りず新境地開拓の挑戦姿勢を貫き通していただきたい。次作に期待して注目したいお二人である。

  ・残り花哀れ地に落ち散り敷けば幼な童の聴く子守歌  石塚 邦男

・053-0047 苫小牧市泉町1-3-16 榎戸克美方 「いずみ同人会」
                     電話faxー0144-35-024

 

1983年・・・反戦ルポ「青春のブラックホール」出口富美子作のベストセラーの仕掛け人だったが・・・社内の反対を押し切って連載に踏み切った結果・・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月12日(金)07時07分22秒
返信・引用 編集済
  ・再婚したため、姉の下で育った長男坊が自衛隊に入隊したと聞いて、母親の出口さんは日頃心配していた。そんな折にフランスは自国の植民地の紛争処理に自国の軍隊を使わず、世界から食うに困っているならず者を集めて訓練し、危険な紛争地帯に派遣する「外人部隊」を編成していたが、ここに日本人の青年が二、三入隊していることが噂になり、日本国内で問題になっていた頃・・・

・出口さんは、当時私より二つ下のまだ三十代半ばだったが、三歳にもならない末の子を連れて、二十代のカメラマンを自費で雇い真相究明の旅に出る・・幼い子の手を引いてフランスからアルジェリアと旅し、外人部隊の実態を取材する一月半の旅・・・この手書きの書きなぐり粗原稿を私が若干手をそえて苫小牧民報・千歳民報に金曜版一回二十枚のルポ小説三百枚に仕立て上げ「外人部隊」の題目で掲載した。連載後、これを読んだ講談社の女性編集者が注目して出版の労をとって会社も決意、後追い取材のバックアップをして完成したのが「青春のブラックホール」のルポであった。彼女の取材には、講談社、北海道新聞、読売新聞の記者たちのバックアップと助言、画家の遠藤未満の弟の子であるパリ留学中の青年画家・遠藤力君らの献身的な援助を得て、彼女はついに目的を達したのであった。今にして思えば、彼女は不思議な女性で、周りがいつしか手を貸したくなる魅力を持っていた存在であった。そんな彼女の魅力も、この取材を成功に導いた大きな要因であったろう。

・この取材旅行で彼女は当時の金で200万円ほど費やし、嫁ぎ先の老舗(映画館二館、喫茶店を含む高級クラブ五店の入居するテナントビル経営、ふとん店経営)の縁者に「悪妻」と言われて糾弾され、とうとう夫からも「出て行け」と見放されて離縁の憂き目にあっているが、彼女を狂気の行動に駆り立てたものは、若者を戦場に送ってはならないという母性本能の「反戦思想」であった。千歳・恵庭の自衛隊基地を抱える新聞の性格からいって、この作品の新聞掲載決定には、私もかなりの勇気ある決断が必要だったが、掲載決定に社内の猛反対を押し切って踏み切ったのは、彼女の母親としての情熱に感動したからだった。

・編集後記に出口さんは次のように書いている。

「ま、一生懸命やったんだ。このページはお前さんにくれてやるよ。好きなように書いてみろよ。おれは良い仕事だと思っているよ。けど、一般受けは無理だろうなあ。なあに、これを載せたからって購読部数が減ることはないだろうよ」活字にしてくれと泣きついた時、苫小牧民報社のĪ氏(根保・石塚)はそう言って笑った・・・。

・要するに、自衛隊の取材など便宜をはからった私が仕掛け人の元凶だったのだが、この「青春のブラックホール」は、十五万部のベストセラーになり、講談社も儲け、作者にも印税が入り、私も編集者として面目を保ち三十代にして部長昇格を果たしメデタシメデタシとなったのである。

  ・仕掛けたる劇画のごときフランスの外人部隊を取材す母子は   石塚 邦男
 

感謝!

 投稿者:kaikyoha  投稿日:2017年 5月10日(水)22時54分34秒
返信・引用
  根保様 「海峡派」138号、139号の丁寧な批評をありがとうございました。いつもしっかり読んで細かい部分までご指摘くださり、感謝しています。またがんばろう、と励みになります。
青江由紀夫さんと根保さんとはご学友だったのですね。それはそれは・・・ご縁を感じます。銀ちゃんがお亡くなりになったことは、「海峡派」同人にとって、とてもショックで悲しいことでした。そうです、ずっと生原稿でしたよ。銀ちゃんのいなくなった寂しさも根保さんと分かち合えてよかったです。
ありがとうございました。
 

“符号” 間島康子/『駅』№110

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 5月 9日(火)14時03分28秒
返信・引用 編集済
  “この小さき子らの
やわらかなふくらみのどこかに
わたくしがいる

まるで
こことそこの
離れた距離のように
あえかに霞んだ
認証ではあるが

父と母から渡された
あれこれの中から
娘らに継がれたものは
私らとは別の土壌で
育ち広がり

さざめきの坩堝から
違う香りと結び合い
また新たな子らを生んだ

私の血は遠く行った

祖父母と呼ばれ
孫と呼ぶ
そこには遠く行く
生き物の一片の符号が
やすやすと流れている”

記号でなく「符号」を用いた意図を思えば、記号の語の一般性という広がりを限定するということ、つまり、+と-、♭と♯など、作品全体に加えるアクセントを感じさせる。符丁と言い符合といい”符”の与えるアクセントとはなんだろう。私はそこに何かしらの「一致」を思う。
ドレミフアソラシドの音階が符号でかすかに変化して、数の絶対性が符号で揺籃するとき、人であれ人以外の生き物であれ、一貫性や不変性を目指すものではないかと思う、無意識に。初めから終わりまで変わらないということ。「私」がいてその主体は産んでくれた「親」から譲り受けたものであり、そして「子」へ伝えるものであるという一貫して変わらないこと。どう疑ってみてもそれは真実である。その三者がどのように生きて死ぬかに人生の彩と固有の重みがあるにしても、言わば、精神の遺伝子は真実として疑うことはできない。

“私の血は遠く行った”

この要の一行は、揺籃していく事態を根底から無言で支える感想である。血の流れは永遠に続けられるか、区切りをつけて回文のように再び現出するのか。どっちにしても人と人以外の生き物は、不連続(死)と連続(誕生)の繰り返しながら受け継がれていく(G・バタイユ、『エロティシズム』)のである。「遠く行く」のだ。
命とは何か、という古来から考え抜かれた命題は、この真実のほかに答えは無い。あるとすれば「私」が「孫」を見つめる愛、「親」になった「子」への愛、そして「私」の「親」を想起する愛のほかにない。この詩はその不滅を静かに訴えているように感じた。
 

「海峡派」139号(北九州市) あの世から夫に感謝する独り語りの味は若窪美恵「吹く風のように」、冥界から見下ろす労りの目線は田原明子「楠の下・・」、木村和彦の「銀次郎の日記」で有名だった青江由紀夫氏の追悼文の惜別の情

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月 4日(木)04時44分58秒
返信・引用 編集済
  ・引き続き139号の感想。編集後記で詩人の大岡信さんがなくなったことに触れている。大岡さんの息子さんの大岡玲さんは、イタリア文学の専門家で、芥川賞作家。たまたま、私が所属している苫小牧の読書会で、連休明けに大岡玲さんの小説「黄昏のストーム・シーディング」を取り上げて読後感を話し合うことにしているので、奇遇な気がする。大岡信さんは、朝日新聞で長く折々の歌を連載していたので、古い人は歌人の間でも有名だ。 三十年ほど前に、札幌の詩人の集まりにたまたま来道した大岡さんの謦咳に接する機会を得たことがあった。詩だけではなく歌にも造詣深い方であった。

・・若窪美恵「泰子、河内に吹く風のように」は、あの世に居る沼田泰子が、夫が自分のために建ててくれた五言絶句の詩を記した記念碑に対して夫の真心に感激、夫とのなれそめからその後の一生を回顧するという設定の小説。明治十九年に八幡製鉄の建設計画が浮上、地元の八幡村の土木部長だった夫の沼田が製鉄に必要な大量の水を確保するためダムを建設、河内浄水場の完成にこぎつけることに成功するのだが、住民との間で摩擦が生じて苦労した次第を、あの世の妻の立場から語るという構成になっている力作短編。

・田原明子「楠木の下を通る日に・・」は、突然の頭痛に見舞われ意識を失った老婦人の私から、枕元に集まった家族の様子を幽冥界から見下ろす・・という構成。周りの愚痴や溜息、残った者への冥界からの労り・・作品が読む者を惹きつけるのは、そんな場面がいずれ訪れることを感じている年配者であろう。

・有馬多賀子「五時の女」は、残業で遅くまで帰れないのが日常になっている職員室なのに、夕方の五時に帰る教師がいた。それは・・・というような教職現場の話。学校のこと、町内会のこと、育児のことなどをからめて、女性の職場の課題を考えさせる作品。

・都満州美「落とし穴」は、パソコン、インターネットの問題点、便利さがあるかわりに機種やセッティングの違いによって不便もある、というような今日的な課題を小説にした新しさは買える。

・若杉妙「父の贈り物」は、中心街で四十年スナックバーをやっている淳子が、八幡製鉄の社宅時代を思い出して語る・・という内容。

・詩作品は、さとうゆきの「れんじふーど・だいぶ」が、レンジフードに乗った側からの目線で童詩的に語る構成。高橋糸子「83歳nou」の諧謔時代批評詩は愉快だ。波多野保延「母よ」は、96年散々苦労してきた母が、今病床にある。その母への感謝と労りの詩。

・木村和彦「青江由紀夫同人を悼む」は、「銀次郎の日記」の連載で有名な青江由紀夫さんが亡くなり、追悼の文。この青江さんは、私の大学の学部も一緒の同級生だが、大学院で経営学の学位を取った方と記憶している。北海道の「山音文学」にも「銀次郎の日記」を十数年連載していた。函館大学の学長で定年になり、その後東京の団体役員をしてこれを辞し千葉の自宅で読書三昧を楽しんでいた人物。ネットもワープロもやらないので、原稿用紙に直接書き込むやりかたで押し通した方で、私も十年前まで「山音文学」の編集部の一員として生原稿のタイプ打ちを数年手伝ったことがあった。合掌・・・。

  ・惜別の寮歌聴きたり幻想の空に響かふ友の歌声    石塚 邦男
 

「海峡派」138号(北九州市) しみじみした読後感は都満州美「逃避行」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 5月 3日(水)23時12分34秒
返信・引用 編集済
  ・遅れましたが、読後感を。

・川下哲男「川筋少年」上の作品は、1958年、小学校三年生になった本田正吾が主人公。その目線から炭鉱町に住む一家の模様が語られる。家族は六人、三十代前半の父母と母方の祖母、幼い弟二人の合計六人が木造平屋の二軒長屋に住んでいる。酒が回ると炭坑節を歌う大人たち。線路沿いに水路があり、池がある。川上には滝がある自然に恵まれた町。学校生活、子供たちの遊び。そのような昔懐かしい日本の炭鉱町の風情を細やかに描く。

・若窪美恵「まいど。鰻屋です」は、大学で文学部を専攻した太った若者が鰻の養殖場に見習いとして勤めることになり、日々奮闘するという珍しい職場の話。

・有馬多賀子「おもちゃのヘビ」は、新しく赴任した女性教師が、難しい年頃の六年生の担任になって奮闘する話。

・都満州美「逃避行」は、佳作である。両親と暮らしていた兄は、母が世話をするので日常生活で身の回りのことを何もせず過ごしてきた男。父が亡くなり、世話係の母も亡くなって、一人っきりの生活になった兄の住む実家は荒れ放題。姉はまともな結婚をして家を離れていったのに比較して、語り部の私は一人暮らしをして今はアルバイト生活。実家に帰って兄の世話をしながらアルバイト生活をすることにした・・。実家の一室を自室として住むことになったのだが、兄の日常生活が少しずつ狂い始め、それにつれて自分もおかしくなって行くのを感じ始める。老いに向かう兄妹の共同生活は・・・という話なのだが、細やかに肉親の変わり行く姿を描写する筆筋が地味ながら読者を惹きつける。

・横山令子「艶やかに」は、夫の死後、あまり外出をせず、誰とも会話しない日が多くなった夢香は、久しぶりにコスモスを見に外出する。そして、粋な感じの老年紳士と知り合いになる・・というロマンチックな話。

・詩作品は清水啓介「あくるひ」は、団地風景の一齣をシュールに点描した着想と構成が光る。山口淑枝「ダイニングキチンで」は、ご飯の炊き具合を竈の神様めいた目線で描写した構成と着想に心魅かれた。随想では、若杉妙「私の岩下俊作像」が同人雑誌ゆかりの岩下氏にまつわる伝説めいた思い出話の披露が心に残った。

   ・老いに向く兄妹互ひに庇ひあふ地味なる話しみじみと読む  石塚 邦男

  ・北九州市八幡西区岡田町11-10-510  若窪美恵方
 

弦100号批評お礼

 投稿者:市川 しのぶ  投稿日:2017年 4月23日(日)10時44分0秒
返信・引用
  弦100号掲載作品『ぎんなん』『鬼夜叉』2作をご批評頂きまして有難うございました。
記念の100号でしたので、力を込め、心を込めて、書き上げた作品ですので、とてもうれしく思います。今後とも『弦』を宜しくお願い致します。
 

「海」第二期17号(太宰府市)② 貧しい時代の姉弟の情愛を描いた秀作は高岡啓次郎の「斎場」、有森信二「水際」は夫婦の男女の機微を描こうとした意図はわかるが・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月22日(土)16時15分42秒
返信・引用 編集済
  ・北九州地方は、名古屋地方と共に文学活動が盛んな地方として知られている。東京文化に対抗しているわけではないだろうが、菅原道真時代からの流刑地における独立した文化人の気概を感じるがごとしで優れた人材が土着して、政治、経済、文化の特異な成熟をなしとげているようだ。この「海」の書き手も水準が高く全国平均から突出しているようだ。雑誌を受け取って作品を読み終えてはいたものの雑事にかまけて時が経ってしまったが、残る秀作について感想を述べたい。

・高岡啓次郎「斎場の雨音」は、第十一回銀河文学賞佳作を受賞した作品に若干手を加えた作品だというが、きめ細かな描写が持ち味の作品。戦後の貧しい時代の日本で母子家庭で育った主人公高志を中心に肩を寄せ合って生きて来た一族の去就をリアルに描写した作品として評価されるもので、この作者の持ち味をいかんなく発揮した作品群の中でも、代表作と目される作品であろうか。北海道で板金業を営んでいる高志は六十に手が届く年齢になっていながら、第一線の現場に立って仕事をしている。妻の良子との間に子供も居ず後継者もいない。姉の夫である70歳になる和菓子職人の義兄が亡くなり、千葉の流山で葬儀が行われることになって、仕事の後始末の段取りをつけ夫婦で出席することになった・・・。この葬儀に出席する道々に姉の結婚にいたる複雑な家庭事情が回想されるところが、優れた小説になっているのである。残る兄弟の身を案じながら意に添わぬ結婚に踏み切り、残る家族のために爪に火をともす思いで貯めていた貯金をそっくり家族のために残していった姉・・というような場面は、涙なしには読めない優れた描写である。

・有森信二「水際」は、学生結婚した祐介と理乃。祐介は不動産販売会社に就職、主婦生活をしていた理乃は特殊な浄水器の効果に魅せられて販売の講師になり働き蜂の女性となる。祐介は移動で離ればなれの生活になる。理乃は仕事にのめりこんで多忙らしい。たまにあってベッドを共にするが、祐介は理乃の体が会うごとに瑞々しくなっているように感じ、これも浄水器の効用と思う。ところが・・という夫婦の男と女の関係の微妙を描こうとしているようなのだが、90枚の力作枚数の割には読後感が今いち薄いのは、夫婦の微妙な男女関係の機微を描こうとしながら独自の解釈で描き切れていないためか。この作者の力量であれば、このテーマで半分の50枚ほどで引き締まったまとめとすることもできたであろう。新機軸に挑戦したのは分かるが、水準作とは言え、夫婦の機微を描く筆筋がややパターン通りの通俗に終りがちだったのは残念であった。

  ・後ろ髪引かれつ嫁ぎし姉さんの心いかにと今も思ひつ   石塚 邦男
 

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