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弦100号批評お礼

 投稿者:市川 しのぶ  投稿日:2017年 4月23日(日)10時44分0秒
返信・引用
  弦100号掲載作品『ぎんなん』『鬼夜叉』2作をご批評頂きまして有難うございました。
記念の100号でしたので、力を込め、心を込めて、書き上げた作品ですので、とてもうれしく思います。今後とも『弦』を宜しくお願い致します。
 
 

「海」第二期17号(太宰府市)② 貧しい時代の姉弟の情愛を描いた秀作は高岡啓次郎の「斎場」、有森信二「水際」は夫婦の男女の機微を描こうとした意図はわかるが・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月22日(土)16時15分42秒
返信・引用 編集済
  ・北九州地方は、名古屋地方と共に文学活動が盛んな地方として知られている。東京文化に対抗しているわけではないだろうが、菅原道真時代からの流刑地における独立した文化人の気概を感じるがごとしで優れた人材が土着して、政治、経済、文化の特異な成熟をなしとげているようだ。この「海」の書き手も水準が高く全国平均から突出しているようだ。雑誌を受け取って作品を読み終えてはいたものの雑事にかまけて時が経ってしまったが、残る秀作について感想を述べたい。

・高岡啓次郎「斎場の雨音」は、第十一回銀河文学賞佳作を受賞した作品に若干手を加えた作品だというが、きめ細かな描写が持ち味の作品。戦後の貧しい時代の日本で母子家庭で育った主人公高志を中心に肩を寄せ合って生きて来た一族の去就をリアルに描写した作品として評価されるもので、この作者の持ち味をいかんなく発揮した作品群の中でも、代表作と目される作品であろうか。北海道で板金業を営んでいる高志は六十に手が届く年齢になっていながら、第一線の現場に立って仕事をしている。妻の良子との間に子供も居ず後継者もいない。姉の夫である70歳になる和菓子職人の義兄が亡くなり、千葉の流山で葬儀が行われることになって、仕事の後始末の段取りをつけ夫婦で出席することになった・・・。この葬儀に出席する道々に姉の結婚にいたる複雑な家庭事情が回想されるところが、優れた小説になっているのである。残る兄弟の身を案じながら意に添わぬ結婚に踏み切り、残る家族のために爪に火をともす思いで貯めていた貯金をそっくり家族のために残していった姉・・というような場面は、涙なしには読めない優れた描写である。

・有森信二「水際」は、学生結婚した祐介と理乃。祐介は不動産販売会社に就職、主婦生活をしていた理乃は特殊な浄水器の効果に魅せられて販売の講師になり働き蜂の女性となる。祐介は移動で離ればなれの生活になる。理乃は仕事にのめりこんで多忙らしい。たまにあってベッドを共にするが、祐介は理乃の体が会うごとに瑞々しくなっているように感じ、これも浄水器の効用と思う。ところが・・という夫婦の男と女の関係の微妙を描こうとしているようなのだが、90枚の力作枚数の割には読後感が今いち薄いのは、夫婦の微妙な男女関係の機微を描こうとしながら独自の解釈で描き切れていないためか。この作者の力量であれば、このテーマで半分の50枚ほどで引き締まったまとめとすることもできたであろう。新機軸に挑戦したのは分かるが、水準作とは言え、夫婦の機微を描く筆筋がややパターン通りの通俗に終りがちだったのは残念であった。
 

「弦」100号記念号 長沼宏之「ぎんなん」のサラリーマン世界の巧みな人間模様の描写、市川しのぶ「鬼夜叉」の戦慄すべき戦争への怨嗟と怨念

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月22日(土)03時20分58秒
返信・引用 編集済
  ・書き残した佳作について触れたい。名古屋の同人誌の雄の一誌「弦」の100号記念号である。

・長沼宏之「ぎんなん」は、人事異動が四月が恒例というのに、半端な九月に人事異動が行われ、勝野潤一郎は営業の係長から異例の総務課長として昇格赴任となった。特別仕事が切れるというわけでもないと自分では思っていたのに、三十七歳の若さで課長職は、二、三年早いもので自分でも意外な気がした・・・。そんな潤一郎からサラリーマン世界の人間関係を描く作品なのだが、人物の個性が浮き彫りに描けているところが読みどころだろう。なかなか巧みな筆筋である。

・市川しのぶ「鬼夜叉」は、終戦後の混乱期、両親は名古屋で働き、幼い小夜は田舎の祖父母に預けられて大きくなった。実家は母の末の弟が継ぎ、さらにその弟の息子の代になっていた。その子が隣の土地に新しい家を建てたので、旧家を解体することになり、残った遺品を片付けるために実家にやってきた小夜。小夜は、片付けものをしながら実家にまつわる人々の過去を回想する・・。五人兄弟のうち、三人の兄を戦争で失い、たった一人の姉まで、間接的に戦争中死なせてしまったオトは、どんなに戦争を憎んだろう」と小夜は回想する。学徒出陣となったのに、戦地に向かう途中で行方不明になった男がいた・・・。彼は故郷に辿り着き、屋根裏に身を隠していた・・・。自分で隠れたのか、父親が隠したのか・・そんなことが残っていた記録から薄々分かって来る。そして、山に隠れた男は、伝説の夜叉となって村の子供たちの童歌に歌われるようになった・・・。この小説には、戦争の怨念を引きずる世代の詩情が籠っていて胸が震えた。この作者はいつも秀作、佳作を読ませてくれるベテランとして名があり、この作品も読者の期待を裏切らない秀作であった。

  郵便ー463-0013 名古屋市守山区小幡中3丁目4-27  中村賢三方 「弦の会」

           電話・ファクス 052-794-3430
 

「相模文芸」33号(相模原市) 竹内魚乱「カタ屋さん」はしみじみした哀感あふれる小品

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月21日(金)23時34分15秒
返信・引用 編集済
  ・竹内魚乱「カタ屋さん」は、二十数枚の小品だがしみじみとした哀感のある作品であった。傷痍軍人のおじさんは片手がないのに、子供たちに素焼きの型枠を売って生活している。賢治は、色を塗るときれいに仕上がる型枠に魅せられて、カタと色と刷毛を十円で買い、作品作りに挑戦する。並べてあるカタは、鉄腕アトム、鞍馬天狗から羽子板、ネコやネズミ、また風景ものもあった。立派にできると点数がもらえて、他の型枠と交換できる仕組みだ。そんなおじさんに一番可愛がられたのが賢治だったが、ある日、おじさんは入院することになり、何月何日にはここでまた店を開くから、来なさいと言って去って行った。ところが、約束の日が過ぎてもおじさんは現れず、かわりに賢司と同じくらいの少女がやってきて、おじさんが亡くなったことを賢治に告げた。そして、賢治が一番欲しかった金閣寺の型枠をおじさんの形見だといって渡された・・・。起承転結の書き方も心得た作家で、冗漫さや無駄な描写のないところが買える作家だ。

・えびな銀子「時代下り」は、八十を過ぎた私は、夢の中でよく出てくる高校時代一緒だった佐知子の行方を捜していると、佐知子の息子と名乗る人物から電話があった。心臓を患って病院にいるが、何とか元気だというのである。会いに行くと・・という十数枚の小品であるが、これも起承転結まとまった余情ある作品。

・外狩雅巳「工場と時計と細胞」は、夜学に通いながら働く青年を主人公にしたドキュメント的体験小説構成で80枚を超える力作。構成にやや難がある作品であるが、主人公の体験の重さは読者に伝わる。

・野口英次「加藤武雄の文学について」②、木内是壽「新時代を迎えた文芸同人誌」のエッセイは小論ながら、的を外さないベテランの筆筋。また、野田栄二、横山絹子の連載小説も好調。

  ・相模原市中央区富士見3-13-3 竹内健方

     電話ー090-8460-2098
 

ロシア映画も変わった・・・ロシア文学も?

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月21日(金)04時45分44秒
返信・引用
  ・yahoo映画で最近のロシア映画「ミッション・イン・モスクワ」というロシアの活劇映画を観たが、ロシア映画も、フランス映画、アメリカ映画の影響からか、テロを阻止する警察・・という内容にかかわらず、ずいぶんと楽しいギャグ交じりの科白もあって、楽しくなっているのを確認した。ロシア文学も今後大きく変貌することだろう。  

「法螺」74号(交野市)  問題作は、高橋惇「合理化の裏で」、達者な小説作りの西向聡「花束」「海鳥」の短編の佳作

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月15日(土)23時46分52秒
返信・引用 編集済
  ・この雑誌、数年前に、昨年文芸評論同人誌「群系」が受賞した四国の三好市主催の富士正晴文芸大賞を受賞している。年二回発刊で数人のレベルの高い書き手だけで運営している同人誌だが、主宰の西向聡氏はなかなかの人物で、枚方文学の会をまとめているのは敬服に値する。

・曽根登美子「家庭の事情」は、息子の洋一夫婦が離婚したと事後報告を受けた淑子は、納得できない。孫の運動会に老夫婦そろって応援に行ってから二か月も経ってないのだ。こんな大切なことを自分たち両親にも相談せずに決めた息子たちに淑子は不満なのだ・・。そんな話から始まる短編は、現代の世相を見事に切り取っている。

・高橋惇「合理化の裏で」は、八十にもなると、勤めた会社のOB会に出席するのも億劫になる。それでも働き盛りの頃務めた会社の同僚は懐かしい。OB会で「課長、お久しぶりです」と声をかけてきたのは、特別の思い出のある北川だった。それは、人員削減問題にかかわったときの気の重たい思い出とかかわる男が北川だった。その昔の出来事とは・・という話であるが、組織と人間の板挟みで苦渋の決断をせざるを得なかった人間模様は、企業内小説という範疇から抜け出た人間の条件にも迫る問題作。

・高山順子「風立つ日々ーマリオ・②」は、マリオという子供の成長と生活を地道に描いた連作もの。二世の子供が肌の色が違うために何かといじめを受ける・・・だが、それを克服して得意のスポーツを生かして成長する少年・・・という異色の物語。

・井藤藍「赤いコート」は、中学生のとき貴志が病気になり、空気の良い田舎に一家で引っ越してきたのだが、父が亡くなり、母は弁当屋で働き始めた。短大を卒業した姉に比べ、朱実は定時制高校を卒業してやっと宅配会社に就職、プログラマーになることを夢見る弟の貴志は・・・そんな一家の貧しいが懸命に幸福を求める姿を描く。

・西向聡「花束」は、フェリーで夫人が甲板から散骨をする様子を目撃した話を嶋田という旅行者の目線から描写する作品であるが、全国を自転車で旅行している作者が、旅行先の風土をヒントにすかさず上出来の作品に仕上げる勘の良さが光った。
・西向聡のもう一作「海鳥」は、海で遭難死した井上と離島の中学校で同級生で、共に水産高校に進学、別れ別れに就職した二人は偶然、海峡の町の居酒屋で再会した・・・。その井上が亡くなり、井上の妻から手紙をもらったのが五年前、一度訪ねようと思いながら日は過ぎていた・・その井上にまつわる話は、人生の機微に触れる佳作に仕上がっている。

 

「法螺」72号(交野市) 高橋惇「見えない瑕疵」の製薬会社の組織をベースにした特異な作品、西向聡の詐欺グループの出し子青年の裏表に見るアクチュアルな作品

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月15日(土)00時37分50秒
返信・引用 編集済
  ・「法螺」の主宰者である西向聡氏は二年前に自転車で全国を旅する壮図の途上、苫小牧市に立ち寄り、ホテルで歓談したが、70過ぎての大旅行とは呆れ驚いたものであった。

・高橋惇「見えない瑕疵」は、警察の刑事課から、会社の薬剤製品に酷似したラベル表示の錠剤入りコンスリーを本物かどうか鑑定してほしいと持ち込まれた。麻酔・沈静作用のあるその薬が、ある事件に悪用されたというのである。試験三課の広瀬は、上司の命令もあって内密に試験室で分析を始める。そんな職場の人間関係などがからむ話なのだが、製薬会社の組織などリアルに描写されているところが特異な作品で、目に止まった。

・曽根登美子「水位計」は、四国のお遍路の旅を団体でしている<わたし>の同行者の点描なのだが、起承転結がしっかりしている構成。

・井藤藍「青い風」は、五年生になった女の子の由美の目線から母親や出入りする母の会社の男性などのことを描写する内容。亡くなった父の思い出や学校生活、という内容ながら、女の子の周囲を見る細やかな視線が書けている。

・西向聡「虚飾の虹」は、主人公が詐欺グループの下っ端である「出し子」の若者が主人公という珍しい小説。周囲には派遣社員と誤魔化してアパートで一人住まいしているが、収入はすごい。その若者が出し子になるまでの過去や、出し子としてやばい仕事をするようになった経緯などが、要領よく語られるベテランらしい小説作りのテクニックは、さすがだ。

・高山順子「八十路の童女」は、東京に住んで私立の高校の教師をやっている賢司が、京都の実家の母に会いに行くときは、いつも夜行バスを利用する。父母ともに教職にあったが、今は年金生活の上に父は病に倒れ亡くなる、母は認知症に。そんな家族の話なのだが、ベテランの書き手だけに無駄のない、読者を納得させる筆筋で読める作品。

・村川良子「薔薇一輪」は、五十にもなる娘の圭子が、度重なる夫の暴力に耐えかねて、実家に帰りたいと電話してきた。母親の節子は娘を迎えに行き、実家近くの警察に被害届をだしたのだが・・圭子はその後、うつ病が高じて支離滅裂になって行く・・という怖い話。

・西向聡「灯台のある岬へーチャリンコ漕いでときどき俳句」は、全国を自転車で旅する作者の紀行文なのだが、100枚もの枚数があるのに、文章の組み立て、情景描写など読者を飽きさせない練達の文才披露はさすがである。また、作者は抜け目なく、旅行中のエピソードから短編小説を着想して発表するなど、旺盛な才筆ぶりを発揮していることは、同人雑誌仲間間では有名である。

    ・郵便ー576-0062  交野市神宮寺1-26-6 西向 聡方
 

「星灯」4号(東京都)② 島村輝、佐藤三郎、北村隆志の新鮮で繊細な力作文芸評論に感銘

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月14日(金)03時53分59秒
返信・引用 編集済
  ・かなり間をおいての批評書き込みになったが、どうしても触れたい作品があった。それは、島村輝、佐藤三郎、北村隆志の各文芸評論の力作についてである。

・島村輝「若き神々の黄昏ー(オリンポスの果実)とその時代」は、1932年のロス五輪に競艇選手として出場した田中英光の代表作「オリンポスの果実」を主題に、作者と作品の時代的背景を探査した文芸評論で、着眼が新鮮。小説の主人公坂本は、ロス五輪の競艇チームの一員で、陸上女子選手に恋心を抱くという青春小説。英光の兄が共産党のシンパであったことから影響され、「幼いマルキスト」の傾向がある青年なのだが、この作品は、こうした作者の体験も加味した主人公として設定され、オリンピック参加の責任感に乏しい若者として描かれている内容。評者の島村は、この小説が書かれた1940年時代の党生活者の揺れる心情なども作品の中から冷静に分析しているところが注目される論考である。田中英光が20歳の時同人雑誌に発表した作品を読んだ太宰治が、「君の手紙を読んで泣いた男がいる」と田中に手紙を書いた話は、あまりにも有名だが、党を巡って揺らいでいた当時の太宰と田中の心情的共通項などの微妙なところにもメスが入っている論考ではあった。

・佐藤三郎「一場の春夢-伊藤ふじ子と(党生活者)」は、27歳の小林多喜二と20歳の女優の伊藤ふじ子との出会いから説き起こし、二人の交流の足取りを丹念に拾って行く。そして、多喜二の作品に表われたふじ子像を多喜二の作品から丹念に拾いとる。多喜二とふじ子の同棲の心の葛藤を作品の描写の中から細やかに抽出し、ふじ子像を微細に際立たせているところがユニークである。また、ふじ子は多喜二の妻田口タキと対比して論じられていて、多喜二が私生活と党生活者とを使い分ける苦しみに直面していたリアルな現実も解析しているところが、新しい見方であろう。小林多喜二文学の脇役の女性・伊藤ふじ子の存在から、小林多喜二文学と党生活者としての苦渋を浮き彫りにした着眼と細密な分析は刺激的だ。

・北村隆志「加藤周一ノート③ー西洋見物と雑種文化論」は、大学で医学部に居ながらフランス文学に大きな関心を寄せていた加藤周一の戦後間もなくのフランス留学を経済面で支えていた西日本新聞の功績に触れているほか、加藤周一のフランス語の学習方法なども紹介、日本の文化を<雑居文化>と言った加藤周一の卓見の裏面を詳しく解析しており、北村の加藤周一に対する並々ならぬ傾倒ぶりが情熱的に描かれている論考。そして、加藤周一を日本の第一級の文化人・文学者としている北村のその理由と見解を鮮やかに論理立てて解析、説明している筆筋は、最近にない鋭い観方であった。読んでいて実に面白く感銘深いものであった。日本の知性を代表した加藤周一という文学者の偉大さを、改めて再認識できる卓越した論考である。今後、どのような展開を見せるか、その筆筋の行方に興味津々である。

・小説は三編。未だ書き始めと見えて、初々しい筆筋。初めての書き手の登壇もあって、特別に紹介したい。

・三浦協子「サルと闘ったはなし」エッセイ的題名で、実際、小説というよりも体験記的筆筋。勤めていた労働組合を解雇され、夫と言い合いになった末に離婚した<わたし>は組織のごたごた騒ぎに疲れて、下北半島の猿を見に行こうと思い立ち、現地に入ったのだが・・という話なのだが、猿の群れのボスと睨み合って撃退する体験をする結論。職場の失敗、離婚の出来事と猿を見に行く動機を、もう少し巧く結びつけてオチをつくる小説作りを知ると良い作品になりそう。身近な人に意見を求めて、何度も書き直す根気が大事である。

・野川環「オリ」は、70過ぎて住宅取り壊し現場の警備の仕事をしている勝子は、かつて息子夫婦と孫の四人暮らしだったが、育児放棄し、家事もしない嫁がいて、孫の世話、家事一切を手がけていたが、ついに嫁に追い出される羽目になり、今は侘しい一人暮らしをしている。しかし、孫のことが心配だ。そんな老いた一人暮らしの女の心境を描いているのだが、文才がありそうなので、今後期待できそう。

・渥美二郎は「町屋のイエス」「24の一文小説」の二編だが、読書会などの人間模様を丁寧に描こうとした「町屋のイエス」は、もう少し粘ると小説の形になりそうな素材だ。








 

ありがとうございます

 投稿者:kaikyoha  投稿日:2017年 4月11日(火)22時50分38秒
返信・引用
  根保様、高岡様
「海峡派」の若窪です。メールでお付き合いさせていただいていますが、ここでもご挨拶させてください。根保さんにはいつも「海峡派」を読んでいただき、丁寧な批評をいただいていて感謝していますし、しっかり受け止め次作へ向けて気を引き締めています。また、批評は「海峡派」のブログに抜粋させてもらっています。
高岡さんには「北九州文学協会文学賞」の授賞式でお会いし(「無口な女」が小説部門で大賞受賞)、根保さんとお知り合いということをうかがいました。文学を通じて繋がっているんだなあと、とてもうれしく思いました。高岡さんには、「海峡派」の木村さんの本『輝けブラス』を批評してくださり、ありがとうございました。
どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。
 

「輝けブラス」最終考

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2017年 4月 8日(土)12時55分30秒
返信・引用
   前回ふれた周囲に溶けこまない少年のかかえた闇がエンデイングが近づくに連れて明らかになっていく。少年は人間が存在することそのものが罪なのだとつぶやくが、ずっと自死を考えていたのだった。周囲の仲間たちが楽しそうに音楽にのめりこんでいくのを、どこか冷ややかな態度で達観しているふうだった。奏でるトランペットの音色はどこか周囲と違う。その超然とした様子に、ときに教師は苛立ちを感じるが、ある日、少年の心に宿る深い悲しみの理由を知って謝罪したいと望み学校から連れ出そうとする。
 どこに行きたいかと聞くと、小石海岸に行きたいと答える。絶えず死を意識している少年に教師は死ぬなとはいえない。ただひとこと、もういちどだけ全員で演奏してみないかという。少年は暗い海岸にたたずみながら首を縦にふる。何が演奏したいかと教師が質問すると、チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレがいいと答える。
 やがて演奏会があり、結果として少年は自死を思いとどまる。ずっと後年になってから大人になった少年は。あのとき先生が小石海岸に連れて行ってくれて、もう一回だけ一緒に演奏しようと言ってくれなければ自分は死んでいたと思うと打ち明ける。少年はやがて小石に住む同級生の女性と親しくなり結婚し、街で鍼灸師として治療院を作る。
 「輝けブラス」という表題は、ある意味で人間すべてに向けられた普遍的な言葉である。障害を背負った人たちへの激励であり、不条理な時代に生きている我々すべてに向けられたメッセージなのだ。この本には哲学的な要素も随所にちりばめられており、視覚を遮断された人たちの思考がいやおうなく深くなっていく謎にも迫っている。この本を入手したい人は下記に申し込むことができる。


リーダーズノート出版。 東京都北区田端6-4-18 電話 03-5815-5428 
 

「輝けブラス」の続き

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2017年 4月 5日(水)06時57分7秒
返信・引用 編集済
  私がこの本を褒めるのは他にも理由がある。以下に一部を記す。


 彼の表情を見ているのが私だけだということが、彼と私が二人だけで対決しているようなき重さになって私を捉えていた。

 体育の先生がムッとくる炎熱の匂いを撒き散らしながら入ってきた。

 彼の音は、彼の体臭のように周囲に従えている空気そのものであった。その音は凍りついていた。硬くて重く傲慢でさえあった。
 それが攻撃的ならばまだ若さがあったが、彼はけっして自分からことを起こそうとはしなかった。四角や三角の組み合わさったその音は長調では格言のように、短調では靴に石を入れた歩行のように辛く痛かった。
 それは私に頑固な老人を思い出させた。
 これだったんだな、私はつぶやいた。

 この文章を見ていて分かると思うが、周囲に溶け込まない少年が楽器に向き合っていく様子が描かれ、それを主人公である教師が不思議そうに、扉の中をのぞくように描写している。
木村さんの許可を得てこの本の入手方法を近々みなさんに知らせたいと私は思った。
 

輝けブラスは映画になり得る

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2017年 4月 3日(月)08時11分30秒
返信・引用
   木村さんの作品を読んですぐに感じたことは、私が映像の世界に生きる人間なら、ためらわずに映画にしたいということだ。この種の成功物語には「フラガール」があり、いま封切り中の「チアダン」があるが、この小説ははるかに精神性をともなった深い映画になりえるのではないかと思う。工学部を出た物理の教師が盲学校に赴任するいきさつや、正義感に満ちた青年教師が、今まで気付かなかったことに目覚め、新しい世界で子どもたちと一緒に成長していく過程が実に面白い。文体は平易にして会話も軽妙。九州にはずいぶん優れた書き手がおられるのだなあと改めて感心させられた。この本についてはもういちどふれてみたい。  

輝けブラス

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時09分0秒
返信・引用
  海峡派の同人である木村和彦さんから上記の題の本をいただいた。以下はその内容を紹介した西日本新聞の数年前の記事である。

盲学校に赴任した23歳、新米の物理教師の悪戦苦闘。

「死ぬ前に、もう一度だけ演奏しないか?」

昭和33年に、初めて盲学校にブラスバンドができた、NHKラジオで全国放送の、あの感動シーンが蘇る。
1956年から7年間勤めた八幡東区の北九州盲学校(現・北九州視覚支援学校)で、全国でも珍しいブラスバンド部を創設した元教員木村和彦さん(82)=門司区花月園=が、当時の体験を基にした小説『輝けブラス』を出版した。視覚障害で楽譜を読めない生徒たちと苦楽をともにしたドラマがつづられる。木村さんは「私の体験を通じて、一般的なイメージとは違う視覚障害者の姿や彼らが考えていることをぜひ知ってほしい」と話す。専門は物理で、音楽の知識が全くない中でブラスバンド部を創設。目が不自由な約20人の部員に代わって楽器を調律することから始まり、部員たちとレコードを聴いて、時には面識がない芸大生に頭を下げて指導を請い、演奏技術に磨きをかけていった。
練習風景を見学しに来た人たちに対し、見せ物見学に訪れたように感じて時に怒りがこみ上げ、部活動に入れ揚げるあまりにほかの教員と対立するなど、血気盛んな20代の木村さんの姿も描かれる。一方、視力が徐々に失われて完全な失明が近づくことに悩む部員を海岸に連れだして励ますなど、盲学校であるがゆえの出来事にも見舞われる。
教職の傍らで同和問題を取り上げる作品を手はじめに小説を書き続け、退職後も同人誌を20年、主宰した木村さん。これまで手掛けた小説は多数あり、今回出版した『輝けブラス』は、かつて第1回蓮如賞の最終候補作に残った作品「アイウルラ」に、失明した部員のその後の生活などを加筆した。
80歳を超えた今もワープロを使って創作活動を続け、たった1行を書くために2?3日考え抜くこともあるという。それでも「小説を書くという好奇心が大事。それがエネルギーになっている」。
その後、ブラスバンド部員たちは卒業して各地で鍼灸師(しんきゅうし)になるなどし、木村さんも北九州市内の高校に転校したが、その後も連絡を取り合っている。木村さんは「一般の人はもちろん、出版した本を音訳したり点字にしたりして、かつての部員たちにもぜひ読んでほしい」と話している。

近々、この本を読んだ私の感想を載せたい。
 

ロッシュ村幻影

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2017年 3月30日(木)10時55分25秒
返信・引用 編集済
   この表題の本には「仮設 アルチュール・ランボー」という副題がある。著者は井本元義氏。「海」や「季刊午前」、その他の数誌に作品を発表している作家である。私はつい10日ほど前に彼と博多で会った。そのときいただいたのが「ロッシュ村幻影」である。
 私は驚いた。まず、この作品にみなぎっている青年期の苦悩や葛藤がランボーの姿を借りて実によく表現されていることだった。作者は詩人の足跡をたどり、部屋やカフェに行き、路地を歩く。ランボーの声を聞き、吐息を感じ、その表情の微妙な陰影に迫ろうとする。ここで生きた若き詩人の目線に立ち、その内面に入り込もうとする。
 文脈から伝わってくるものはランボーの姿を借りて作者の内面が映し出されていることだ。そこに出てくる青年の姿は人間存在の不条理の中で翻弄される我々の分身でもある。私がこの作品でもっとも完成度が高いと思ったのはエピローグである。とりわけハラルでの何人かとの邂逅や、ランボーの幻影を彷彿させる老人の死の場面が実に秀逸だ。
 井本氏は若い頃に文学の道を歩み、しばらく実業家としての人生を送ったあと再び文学の世界に戻ってきた人だ。この「ロッシュ村幻影」がもう少し知られていたら、その年の芥川賞候補になっていたとしてもおかしくはない。つまり同人誌の世界にも隠れた実力者が何人も存在しているということだ。私が思うに、彼は気力も体力も若々しく、文体も、取り上げる素材も清新な感じがするから、これからうんと長く書いてもらって優れた作品を送り出してほしいと切に願っている。こうした人と知り合えたことを私は幸運なことだと思う。
 

「遠近」62号(川崎市) 示唆的な勝又浩「歌と日本語補遺」、五十嵐勉「何に拠って書くかー戦後文学ヒエラルキーの崩壊」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月21日(火)21時33分56秒
返信・引用 編集済
  ・「遠近」62号は20周年記念号。この雑誌は、創刊以来読んできたので私には特別の感慨がある。この雑誌を指導する勝又浩氏は「歌と日本語補遺」を寄稿しているが、この中で角田忠信の近作「日本語人の脳」を紹介し、日本人の言語脳と欧米人の言語脳はまるで違うことを説明しているところが面白かった。また、神社は手続きを踏めば誰でも作ることができるので、「同人雑誌神社」を作ったらどうか、とユニークな提言を行っているのところが印象に残った。日露戦争の英雄である東郷平八郎の神社や乃木希典の神社にも触れているが、蛇足を加えると、東郷平八郎は病死、乃木希典は自殺なので靖国神社に祀ることができなかったので、別に神社を作った経緯がある。靖国神社は戦死でなくては祀られなかったからである。

・内外の同人雑誌関係者の寄稿文にも、それぞれ示唆的あるいは含蓄ある文章が目についた。豊田一郎、五十嵐勉、藤田愛子など心に残る文章を記して記念号を飾っている。特に、「文芸思潮」を主宰する五十嵐勉は「何に拠って書くかー戦後文学ヒエラルキーの崩壊」として、商業文芸誌の儲け主義の編集方針を痛烈に批判し、同人雑誌の一層の奮起を促す文章。同人雑誌の書き手に勇気を与えるものであった。

・小説は7編。
・藤元「戦禍と悪夢」は連載二回目で戦時中の空襲と生活。
・花島真樹子「夏の夜の唄」は入院中の奇妙な経験。
・河村陽子「倒れた理由」は、父が倒れたと電話を受けた桃子が駆けつけてみると・・という話。父がS氏の伝記を書くことを引き受けたときから、これは命取りになると予感した桃子だった、という話。
・難波田節子「寒桜」は、中学二年になった麻里子が倒れたと職場に母から電話がかかってきた。公立高校の教師をしていた夫が心筋梗塞で倒れ、葬式の直後に父が危篤になる不運が続いた次第を背景に、主人公祐子の身辺を細やかに描いた作品。
・藤民央「紙の卒塔婆」は、連載二回目。昭和十七年の米英打倒を叫ぶ時代、当時の出版事情が描かれるところ、それから空襲、食糧難時代が描かれ、若い世代には参考になろう。
・浅利勝照「顔」は、専任講師として大学に勤め始めの私が、暑い夜、通夜に参列する人の道案内をしていた。五十を過ぎた身の私が、新任ゆえに三十代、四十代の教員が沢山いるのに、惨めな葬儀の案内役を下命されたのである。知人を介して紹介され、大学の理事に土下座までして得た職場なので、文句も言えない身だ・・そんなところを描いた作品で着眼は面白いところなのだが、大学という職場を突っ込んで書くと良い作品になりそうだ。このままでは中途半端の誹りはまぬがれない。

  ・郵便215-0003 川崎市麻生区高石5-3-3  永井靖方

        電話ー044ー966-2320



 

読者の側の純文学論②「群系」37号における「純文学論」 名和哲夫氏の分かりやすい論考

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月20日(月)07時00分35秒
返信・引用 編集済
  ・「群系」37号で「私小説論」の特集をしていたのを読んだ。

・私的なことを俗っぽく言えば、私にとって、「私小説論」とは、「純文学論」と同じ意味合いを持つ。私にとって、私小説とは、極端に言えば「文壇小説」であり、「文壇暴露物語」であり、文壇の諸先生の日常行動を週刊誌的興味で観ている特定読者向けの「会報小説」である。つまり、文壇を構成する会員同士の近況報告に過ぎない、というひねた考え方がある。一般人が「私小説」を書いても一般読者に魅力がないのは、小説として拙いためばかりではなく、作者の身辺に関心がないためだろう。お笑いの世界の有名芸人がお笑いの世界を描いて芥川賞を取り、久しぶりに大売れしたのは、芥川賞作品だから売れたのではなく、有名芸人が芸人の世界を描いたからであったろう。

・安倍晋三総理が私小説を書いたとしたら、作品の出来は別にして、大いに売れること間違いなしだろう。なぜなら、安倍総理は一般に良く知られた人物だから、その身辺に関心を寄せるのは当然だろう。安倍総理が私小説を書いたなら、普段小説を読まない官僚や政治家までが特別の関心を持って読むことになろう。私小説とか心境小説とか、さもそれらしいレッテルはりをしたところで、身辺暴露の体裁をとった報告雑記に過ぎないことは明らかで、<私小説><心境小説>とさもそれらしいレッテルを貼ったところで、世界文学の視界からすると、メイド・イン・ジャパン特有の箱庭的な雑記に過ぎないものだ、ということも言えるだろう。

・このような私的な見方は脇に置いて、「群系」37号の名和哲夫の「私小説を考えること」の論考は、私小説の性格や曖昧さを前提に置いて、「私小説論」の歴史的経緯を要約して説明、私小説の性格を細密に論じて、結論をこう結んでいる。「私小説とは、私小説というものを考えさせることによって日本文学研究を深める装置なのである」としているのは、けだし名言であった。
 

読者の側の「純文学」論、現代文学でどのように観ればいいのか?①

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月18日(土)09時40分58秒
返信・引用 編集済
  ・「群系」という文芸評論中心の同人雑誌に名和哲夫が「私小説を考えること」とした約二十枚の私小説についての論考があったが、その場で名和氏は私小説について、過去どのような見方がされて来たかの経緯を要領よく解説、<私小説>の実態とは何かを読み説いていた。これに触れる前に、文芸評論の専門的な見解を離れて、一般読者の私小説に対する俗っぽい印象の核心について述べてみたい。

・昭和の時代の戦前、戦後の日本における近代文学・現代文学を論ずるとき、かつて「純文学」か「大衆文学」か「通俗文学」かというような評価基準の物差しを当てはめて論ずる言い方がなされてきた。ところが、平成の時代に入って、改めて「純文学」つまり、本当の感動を読者にもたらす文学作品とは何か、を自他に問いかける論議が単発的になされるようになった。しかしながら、総合的、本質的に深く論ずる論考はほとんどなく、わずかに「純文学の変質」が芥川賞、直木賞の審査作品について触れられる程度であった。

・最近、芥川賞作品を読んでも、感動を覚えない・・と慨嘆する文学愛好家が増えている。この現象を分析してみると、<感動>とは何かということに突き当たる。人によって感動の在り方は違っているだろうし、また体験の違いや生い育った環境の違いや世代の違い、また男女差によっても<感動>の在り方が違ってくるだろう。そのように考えると、感動を覚える作品を<純文学作品>と捉えたとしても、数学の公式のように<純文学作品>を規定することは出来ないことになる。

・大まかには、純文学作品と通俗的な作品との区別は誰しもが判別出来るにしても、細部に渡る作品の点検によっては、純文学作品と通俗作品の境界が曖昧なものが数多く存在することは、文学愛好者の間では日常論議されているところだ。例えば、世界で圧倒的な人気作家である村上春樹の作品を、日本の文芸評論家、または文学研究者の多くは「村上文学は通俗文学であって、純文学ではない」と堂々と否定的な見方をする現実がある。その論拠の最大のものは「村上作品は、男女の仲をリアルに書き過ぎたり、SF的な時空ものめいたファンタジーに彩られ過ぎて、真面目に現実の人間存在と向かい合っていない」というようなものである。

・「非現実的な村上春樹文学は、真面目に人生と向かい合うものではなく、さもさも若者が好みそうな興味本位の仕掛けに彩られていて、どう考えても日本の純文学の範疇を逸脱したものとしか見えない」というような日本の文芸評論家が多いのは、村上春樹作品が、従来の日本の近代文学の中で培われて来た<純文学>の方程式を逸脱したものであるためだ、とする観方がある。

・純文学とは何か、を問い直す前に、作品における<感動>とは、どのようなもののことを言うのかを、整理してみたい。感動は人によって違う、という受け止める側の初歩的な問題から考えてみたい。まず、感動とは何かを嚙み砕いて解明してみたい。先に、第一義的な<感動>は人によっても違うと私は考える。人情的な話には誰しもが心を動かすが、この人情的感動のほかに、知的な話に第一義的に感動する者もいるし、理の勝った話を一番の感動に位置つける者もいるだろう。また、政治的な正義を重んずる話を一番の感動とする者もいるだろう。あるいは、悪の根源を問う作品を感動の第一に位置付ける者もいるだろう。

・また、男女の愛に悩む若者たちには、その悩みを書いた作品を第一の感動と捉えるだろうし、夫婦の間の軋轢に悩む作品、親子の愛憎を描いた作品を第一義的な感動作品と位置付ける者もいるだろう。このように、感動の在り方は、読者によって微妙に優劣が出るものだろう。

・しかし、話の筋書きの感動だけが作品の評価を定めるものではないことは、誰しも承知していることだ。同じ話でも、表現方法次第で読者に訴える比重が違ってくるのは自明のことだ。「巧みに書かれているにしても本質に筆が届いていない」「表現は素朴だが感動が迫ってくる」「もっと主人公の内面に迫れなかったか」「書けているにしても表現がありきたりだ」「感動的な話だが、良くある話で独自性がない」「三十年前なら芥川賞まちがいなしだが、文体が古すぎる」など、表現の在り方の問題が出てくるのが文学作品というものである。
 

Re: 「星灯」4号(東京都)① 英訳「日本プロレタリア文学全集」出版のシカゴ大学の研究者の仕事の意義 訳者まつきたかこ氏の労作に感銘受ける

 投稿者:北村隆志  投稿日:2017年 3月17日(金)09時07分27秒
返信・引用 編集済
  > No.1868[元記事へ]

星灯の北村です。熱のこもった感想をいただき、ありがとうございます。
この紹介を読んだ方から、星灯の注文がありました。うれしい反響です。
今後もよろしくお願いします。
 

「雲」(東京都)鯉渕昭平「続・荒野に満る声」力作だが構成に一考を、間島康子「むこうのひとと」和服を着せたような地味な文体の魅力

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月16日(木)21時11分41秒
返信・引用 編集済
  ・故葉山修平の指導のもとに210号で昨年末終刊した同人雑誌。葉山さんの作品は、昭和30年代に文芸誌で二、三読んだ記憶がある。私よりも八歳年上の1930年生まれ、千葉大国文科に学び、室生犀星に師事し、室生犀星学会の会長も歴任している。文学的な出発は1963年「文学界」の新人賞佳作となり、同誌に転載された作品を読んだことで同氏の名を知った私であった。「雲」の終刊号を読んでみる。

・間島康子「むこうのひとと」は、「夜の夢のなかで義母に会った」で始まる十数枚の小品なのだが、文体が和服を着せたような昭和の香りがするしっとりした色合いの持ち味がいい。

・荻野央「ジンを飲んで」は、五十歳近くなる夜警をしている英治の仲間との付き合いのこもごも。七十歳になる夜警仲間の長老とのエピソードや、主人公の英治の勤務状態、新宿の街の雰囲気などをリアルに描写したところに味のある三十枚。

・鯉淵昭平「続・荒野に満る声」は、前作の続きのようだが、戦前の日本の満州統治時代から内モンゴルと外モンゴルの民族独立の悲願の挫折などを背景にした歴史的うねりに翻弄された人々の必死の生き方を大河ドラマ風に描写した意欲作を狙った作品。惜しいのは、時代背景と人物の動きがうまくかみ合っていないところ。加えて会話をする人物の表情が見えないところ。時代背景に囚われすぎたせいか、シナリオの書割のように人物の動きや心理的な微妙を描写する記述が極端にカットしている構成の弱さが惜しまれた。小説は、登場人物の心理の微妙や会話のやり取りの動作を印象つけないと読者を惹きつけないもの。重いテーマと取り組んだ壮図は評価されるが、小説の組み立てを細密に検討されていないように見えるところが惜しまれる100枚の力作であった。重いテーマだけに独自の文体構築を工夫すれば、画期的な作品になりそうだ。このままでは惜しいので、もう一度構成し直す価値のある作品である。


   郵便ー102-おお72 東京都千代田区飯田橋2-16-3 青木邦夫方

    tel・fax 03-3288-4570

 

夜昼逆転の生活・・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月13日(月)13時57分7秒
返信・引用
  ・旅から帰って、溜まっている雑事にかまけていると、ついつい夜昼逆転の生活になっていた。おかげで、相撲も世界野球も見ることなく、夜中の十二時ころ目覚めて、昼の午後床につく生活。夜中から朝方にかけて開いている居酒屋も結構あって、時に暖簾をくぐるのだが、私みたいな真夜中族がけっこう居ることを最近知った。  

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