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「遠近」62号(川崎市) 示唆的な勝又浩「歌と日本語補遺」、五十嵐勉「何に拠って書くかー戦後文学ヒエラルキーの崩壊」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月21日(火)21時33分56秒
返信・引用 編集済
  ・「遠近」62号は20周年記念号。この雑誌は、創刊以来読んできたので私には特別の感慨がある。この雑誌を指導する勝又浩氏は「歌と日本語補遺」を寄稿しているが、この中で角田忠信の近作「日本語人の脳」を紹介し、日本人の言語脳と欧米人の言語脳はまるで違うことを説明しているところが面白かった。また、神社は手続きを踏めば誰でも作ることができるので、「同人雑誌神社」を作ったらどうか、とユニークな提言を行っているのところが印象に残った。日露戦争の英雄である東郷平八郎の神社や乃木希典の神社にも触れているが、蛇足を加えると、東郷平八郎は病死、乃木希典は自殺なので靖国神社に祀ることができなかったので、別に神社を作った経緯がある。靖国神社は戦死でなくては祀られなかったからである。

・内外の同人雑誌関係者の寄稿文にも、それぞれ示唆的あるいは含蓄ある文章が目についた。豊田一郎、五十嵐勉、藤田愛子など心に残る文章を記して記念号を飾っている。特に、「文芸思潮」を主宰する五十嵐勉は「何に拠って書くかー戦後文学ヒエラルキーの崩壊」として、商業文芸誌の儲け主義の編集方針を痛烈に批判し、同人雑誌の一層の奮起を促す文章。同人雑誌の書き手に勇気を与えるものであった。

・小説は7編。
・藤元「戦禍と悪夢」は連載二回目で戦時中の空襲と生活。
・花島真樹子「夏の夜の唄」は入院中の奇妙な経験。
・河村陽子「倒れた理由」は、父が倒れたと電話を受けた桃子が駆けつけてみると・・という話。父がS氏の伝記を書くことを引き受けたときから、これは命取りになると予感した桃子だった、という話。
・難波田節子「寒桜」は、中学二年になった麻里子が倒れたと職場に母から電話がかかってきた。公立高校の教師をしていた夫が心筋梗塞で倒れ、葬式の直後に父が危篤になる不運が続いた次第を背景に、主人公祐子の身辺を細やかに描いた作品。
・藤民央「紙の卒塔婆」は、連載二回目。昭和十七年の米英打倒を叫ぶ時代、当時の出版事情が描かれるところ、それから空襲、食糧難時代が描かれ、若い世代には参考になろう。
・浅利勝照「顔」は、専任講師として大学に勤め始めの私が、暑い夜、通夜に参列する人の道案内をしていた。五十を過ぎた身の私が、新任ゆえに三十代、四十代の教員が沢山いるのに、惨めな葬儀の案内役を下命されたのである。知人を介して紹介され、大学の理事に土下座までして得た職場なので、文句も言えない身だ・・そんなところを描いた作品で着眼は面白いところなのだが、大学という職場を突っ込んで書くと良い作品になりそうだ。このままでは中途半端の誹りはまぬがれない。

  ・郵便215-0003 川崎市麻生区高石5-3-3  永井靖方

        電話ー044ー966-2320



 
 

読者の側の純文学論②「群系」37号における「純文学論」 名和哲夫氏の分かりやすい論考

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月20日(月)07時00分35秒
返信・引用 編集済
  ・「群系」37号で「私小説論」の特集をしていたのを読んだ。

・私的なことを俗っぽく言えば、私にとって、「私小説論」とは、「純文学論」と同じ意味合いを持つ。私にとって、私小説とは、極端に言えば「文壇小説」であり、「文壇暴露物語」であり、文壇の諸先生の日常行動を週刊誌的興味で観ている特定読者向けの「会報小説」である。つまり、文壇を構成する会員同士の近況報告に過ぎない、というひねた考え方がある。一般人が「私小説」を書いても一般読者に魅力がないのは、小説として拙いためばかりではなく、作者の身辺に関心がないためだろう。お笑いの世界の有名芸人がお笑いの世界を描いて芥川賞を取り、久しぶりに大売れしたのは、芥川賞作品だから売れたのではなく、有名芸人が芸人の世界を描いたからであったろう。

・安倍晋三総理が私小説を書いたとしたら、作品の出来は別にして、大いに売れること間違いなしだろう。なぜなら、安倍総理は一般に良く知られた人物だから、その身辺に関心を寄せるのは当然だろう。安倍総理が私小説を書いたなら、普段小説を読まない官僚や政治家までが特別の関心を持って読むことになろう。私小説とか心境小説とか、さもそれらしいレッテルはりをしたところで、身辺暴露の体裁をとった報告雑記に過ぎないことは明らかで、<私小説><心境小説>とさもそれらしいレッテルを貼ったところで、世界文学の視界からすると、メイド・イン・ジャパン特有の箱庭的な雑記に過ぎないものだ、ということも言えるだろう。

・このような私的な見方は脇に置いて、「群系」37号の名和哲夫の「私小説を考えること」の論考は、私小説の性格や曖昧さを前提に置いて、「私小説論」の歴史的経緯を要約して説明、私小説の性格を細密に論じて、結論をこう結んでいる。「私小説とは、私小説というものを考えさせることによって日本文学研究を深める装置なのである」としているのは、けだし名言であった。
 

読者の側の「純文学」論、現代文学でどのように観ればいいのか?①

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月18日(土)09時40分58秒
返信・引用 編集済
  ・「群系」という文芸評論中心の同人雑誌に名和哲夫が「私小説を考えること」とした約二十枚の私小説についての論考があったが、その場で名和氏は私小説について、過去どのような見方がされて来たかの経緯を要領よく解説、<私小説>の実態とは何かを読み説いていた。これに触れる前に、文芸評論の専門的な見解を離れて、一般読者の私小説に対する俗っぽい印象の核心について述べてみたい。

・昭和の時代の戦前、戦後の日本における近代文学・現代文学を論ずるとき、かつて「純文学」か「大衆文学」か「通俗文学」かというような評価基準の物差しを当てはめて論ずる言い方がなされてきた。ところが、平成の時代に入って、改めて「純文学」つまり、本当の感動を読者にもたらす文学作品とは何か、を自他に問いかける論議が単発的になされるようになった。しかしながら、総合的、本質的に深く論ずる論考はほとんどなく、わずかに「純文学の変質」が芥川賞、直木賞の審査作品について触れられる程度であった。

・最近、芥川賞作品を読んでも、感動を覚えない・・と慨嘆する文学愛好家が増えている。この現象を分析してみると、<感動>とは何かということに突き当たる。人によって感動の在り方は違っているだろうし、また体験の違いや生い育った環境の違いや世代の違い、また男女差によっても<感動>の在り方が違ってくるだろう。そのように考えると、感動を覚える作品を<純文学作品>と捉えたとしても、数学の公式のように<純文学作品>を規定することは出来ないことになる。

・大まかには、純文学作品と通俗的な作品との区別は誰しもが判別出来るにしても、細部に渡る作品の点検によっては、純文学作品と通俗作品の境界が曖昧なものが数多く存在することは、文学愛好者の間では日常論議されているところだ。例えば、世界で圧倒的な人気作家である村上春樹の作品を、日本の文芸評論家、または文学研究者の多くは「村上文学は通俗文学であって、純文学ではない」と堂々と否定的な見方をする現実がある。その論拠の最大のものは「村上作品は、男女の仲をリアルに書き過ぎたり、SF的な時空ものめいたファンタジーに彩られ過ぎて、真面目に現実の人間存在と向かい合っていない」というようなものである。

・「非現実的な村上春樹文学は、真面目に人生と向かい合うものではなく、さもさも若者が好みそうな興味本位の仕掛けに彩られていて、どう考えても日本の純文学の範疇を逸脱したものとしか見えない」というような日本の文芸評論家が多いのは、村上春樹作品が、従来の日本の近代文学の中で培われて来た<純文学>の方程式を逸脱したものであるためだ、とする観方がある。

・純文学とは何か、を問い直す前に、作品における<感動>とは、どのようなもののことを言うのかを、整理してみたい。感動は人によって違う、という受け止める側の初歩的な問題から考えてみたい。まず、感動とは何かを嚙み砕いて解明してみたい。先に、第一義的な<感動>は人によっても違うと私は考える。人情的な話には誰しもが心を動かすが、この人情的感動のほかに、知的な話に第一義的に感動する者もいるし、理の勝った話を一番の感動に位置つける者もいるだろう。また、政治的な正義を重んずる話を一番の感動とする者もいるだろう。あるいは、悪の根源を問う作品を感動の第一に位置付ける者もいるだろう。

・また、男女の愛に悩む若者たちには、その悩みを書いた作品を第一の感動と捉えるだろうし、夫婦の間の軋轢に悩む作品、親子の愛憎を描いた作品を第一義的な感動作品と位置付ける者もいるだろう。このように、感動の在り方は、読者によって微妙に優劣が出るものだろう。

・しかし、話の筋書きの感動だけが作品の評価を定めるものではないことは、誰しも承知していることだ。同じ話でも、表現方法次第で読者に訴える比重が違ってくるのは自明のことだ。「巧みに書かれているにしても本質に筆が届いていない」「表現は素朴だが感動が迫ってくる」「もっと主人公の内面に迫れなかったか」「書けているにしても表現がありきたりだ」「感動的な話だが、良くある話で独自性がない」「三十年前なら芥川賞まちがいなしだが、文体が古すぎる」など、表現の在り方の問題が出てくるのが文学作品というものである。
 

Re: 「星灯」4号(東京都)① 英訳「日本プロレタリア文学全集」出版のシカゴ大学の研究者の仕事の意義 訳者まつきたかこ氏の労作に感銘受ける

 投稿者:北村隆志  投稿日:2017年 3月17日(金)09時07分27秒
返信・引用 編集済
  > No.1868[元記事へ]

星灯の北村です。熱のこもった感想をいただき、ありがとうございます。
この紹介を読んだ方から、星灯の注文がありました。うれしい反響です。
今後もよろしくお願いします。
 

「雲」(東京都)鯉渕昭平「続・荒野に満る声」力作だが構成に一考を、間島康子「むこうのひとと」和服を着せたような地味な文体の魅力

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月16日(木)21時11分41秒
返信・引用 編集済
  ・故葉山修平の指導のもとに210号で昨年末終刊した同人雑誌。葉山さんの作品は、昭和30年代に文芸誌で二、三読んだ記憶がある。私よりも八歳年上の1930年生まれ、千葉大国文科に学び、室生犀星に師事し、室生犀星学会の会長も歴任している。文学的な出発は1963年「文学界」の新人賞佳作となり、同誌に転載された作品を読んだことで同氏の名を知った私であった。「雲」の終刊号を読んでみる。

・間島康子「むこうのひとと」は、「夜の夢のなかで義母に会った」で始まる十数枚の小品なのだが、文体が和服を着せたような昭和の香りがするしっとりした色合いの持ち味がいい。

・荻野央「ジンを飲んで」は、五十歳近くなる夜警をしている英治の仲間との付き合いのこもごも。七十歳になる夜警仲間の長老とのエピソードや、主人公の英治の勤務状態、新宿の街の雰囲気などをリアルに描写したところに味のある三十枚。

・鯉淵昭平「続・荒野に満る声」は、前作の続きのようだが、戦前の日本の満州統治時代から内モンゴルと外モンゴルの民族独立の悲願の挫折などを背景にした歴史的うねりに翻弄された人々の必死の生き方を大河ドラマ風に描写した意欲作を狙った作品。惜しいのは、時代背景と人物の動きがうまくかみ合っていないところ。加えて会話をする人物の表情が見えないところ。時代背景に囚われすぎたせいか、シナリオの書割のように人物の動きや心理的な微妙を描写する記述が極端にカットしている構成の弱さが惜しまれた。小説は、登場人物の心理の微妙や会話のやり取りの動作を印象つけないと読者を惹きつけないもの。重いテーマと取り組んだ壮図は評価されるが、小説の組み立てを細密に検討されていないように見えるところが惜しまれる100枚の力作であった。重いテーマだけに独自の文体構築を工夫すれば、画期的な作品になりそうだ。このままでは惜しいので、もう一度構成し直す価値のある作品である。


   郵便ー102-おお72 東京都千代田区飯田橋2-16-3 青木邦夫方

    tel・fax 03-3288-4570

 

夜昼逆転の生活・・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月13日(月)13時57分7秒
返信・引用
  ・旅から帰って、溜まっている雑事にかまけていると、ついつい夜昼逆転の生活になっていた。おかげで、相撲も世界野球も見ることなく、夜中の十二時ころ目覚めて、昼の午後床につく生活。夜中から朝方にかけて開いている居酒屋も結構あって、時に暖簾をくぐるのだが、私みたいな真夜中族がけっこう居ることを最近知った。  

「星灯」4号(東京都)① 英訳「日本プロレタリア文学全集」出版のシカゴ大学の研究者の仕事の意義 訳者まつきたかこ氏の労作に感銘受ける

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月13日(月)02時53分30秒
返信・引用 編集済
  ・特集を組んでいる。この二月、シカゴ大学の出版局刊行で、ヘザー・ボウエン、ノーマ・フィールド編集の英訳「日本プロレタリア文学選集」が出版されたその背景と内容紹介とともに、全序文の邦訳を一挙掲載。訳者は、まつきたかこ。この刊行は、日本文学の政治と文学の係り合いを理解する上で貴重な資料を世界に提示し、抵抗文学がいかなる形で日本に定着したかの特殊な日本の精神風土を解き明かす大きな遺産になりそうだ。政治的な主義、主張は別にしても、日本の近代文学に興味ある者には一読の価値が大いにあろう。

・プロレタリア政治運動をしていた戦前の日本人が、政治活動だけに努力を傾注せず、プロレタリア文学活動になぜ重きを置いていたかの謎に迫るものとして編集されている意図も興味深い。全文120枚に及ぶ序文の全訳を一挙掲載した編集方針には感嘆した。これを読んで、日本の文学関係者は、日本文学の中の抵抗文学の在り方を再認識するだろう。国内で論じている「抵抗文学」の観方とは別の視野からの照射を見出し、刺激的であった。なお、この序文の翻訳者の まつきたかこ氏は札幌市在住で、訳者の後書きで「当時の過酷な状況の中で、プロレタリア文学運動にとりくんだ人々の苦闘と遺された業績には、敬服する思いです」と語り「シカゴ大学の研究者の方々の、この徹底的な、緻密な、奥深い労作に、心から敬意を表します」としている。

  郵便ー182-0035 東京都調布市上石原3-54-3-210 北村隆志方

               星灯編集委員会
 

“一月二日” 間島康子/『鵠』№60

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 3月 8日(水)09時29分29秒
返信・引用 編集済
  老いたる人も若い人も、それぞれ難問を抱えていて(そのなかには一生つきまとうものもあるであろう)、それがどういうメカニズムかわからないが、溶解するときは至福の刻である。至福の刻を詩にするのは容易なことではないが、この作品は違う。

“三日月が浮かび
横に金星が
並ぶ夜を
歩いていた

真冬ではあったが
寒くはなかった

暮れから
何かが
思いの外
片付き収まり
心が晴れていた

空も晴れていた
夜は夜の色をして
月も星も輝き
曖昧がなかった

見上げたこと
眺めたこと





静かな遠さで
結ばれた一瞬が
幸いなしるべのごとく
こころを歩ませてゆく“

この作品の核は「夜は夜の色をして/月も星も輝き/曖昧がなかった」という三つの行にある。心に難問を抱えて思考の軸が不安なとき、誰にしろ何がどうなっているのか判っているのに、どうも判っていない気がしてならない場合のことを知っている。この「不安」というのか「不安定」というのか、態度の揺れるとき、この三行はそのことを明確な暗喩として示す。
一月二日、元旦の翌日・・・もの憂い慶賀の日が過って終わった日の夜に、ひとつふたつ、三つめの月が浮かび、あまり気にしなかった宵の明星の明るさに目が惹きつけられる。もの憂いが“いち、に、さん”と三つの数字が結ばれたとき、何かが溶解したのであろう。この作品で気になるのはその「何か」の内容よりむしろ、その溶解の事実と安定のことなのだが、ほっとした気分とこの“いち、に、さん”の連続的なリズムとその点の結ぼれが言語としてすっきりと表現を為していることだ。

不安定から安定へ。未解決から解決へ。

でも間島氏はそのままで詩を終わらせることはない。「幸せのしるべ」であるから、そうした「ほっとした」とか「安堵」にいるのではない。標とは久しぶりに聞く言葉だ。木の匂いのする方向性だ。
わたしの空想では、表示する標の香りとは幸福ではなくて幸福の予感である。その予兆は、「夜は夜としての色」、「月と星々の輝き」は、不安定な世界で輪郭が曖昧であったが、いまや曖昧のないときであることを知っていることだ。
たぶん幸福に至るであろう。でもその期待を支えるのは、間島氏という詩人の“視線の確かさ“以外に無いし、モノ見る確かさは、幸福と幸福の予感をきちんと分ける確かさに現れていると思うのだ。だからこの詩は謳歌することに終始する詩ではないことを付け加えておく。
 

井本元義第三詩集「回帰」論①

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 2月28日(火)00時15分11秒
返信・引用 編集済
  ・最初に前置きを。約一月の間、この「関東」の場で書き込みしていなかったのは、特別の仕事があったからだったが、ぼつぼつ旧に復してリズムを取り戻そうと思っている。

・手元に井本元義の第三詩集「回帰」がある。この詩集を贈呈されてから半年以上になるだろうか・・・。この作者は小説もエッセイも一流だが詩作品も一流である。特に詩集となれば、うかつな寸評で済ますわけにはいかないと思いながら、時が経ってしまったことをまずお詫びして感想に入りたい。この作者の作品は何によらず私の波長に合っていて、良否を裁定する目線以前に、個人的にもっとも好きな作者であることを告白することに躊躇はないことをまず申し述べておきたい。おそらく、あまたの同人雑誌作家のなかでは数少ない一級の作品を書いている作家のひとりであると私は思っている。井本氏は福岡市在住の詩人で作家としても第一線で活躍している方である。

・その資質を余すところなく定着した作品の一つが、この詩集の巻頭に置かれた五十行にも及ぶ力作作品「森」である。この作品には筋書きめいたドラマが付随しているのが珍しい特徴になっている。全行紹介するといいのだが、かいつまんで詩のドラマを紹介すると、<ぼく>は一面の白い花に導かれて森に入って行く。深い森の奥からなつかしいあこがれのようなものがある気がして、誘なわれて行くのだが、「子羊のように黙って導かれ/誰に看取られることもなく抹殺されることさえ/安らぎと見紛うように」という章句で第一連は終わるのだが、ここには永遠の逃亡者と運命つけられた<ぼく>の心象イメージが影絵のように章句を彩り、読者にあたかも長編推理小説のドラマめいた暗喩の厚みを提示してくるのである。

・こうした喩法の手法を重層的に取り込んで章句を紡ぐ作者は、何者かに狙われて逃亡する<ぼく>の置かれた環境、存在を次第に明らかに意識して行く方法を選択、章句が進むにつれて読者にスリラーめいたヒントをひとつずつ与えて連を重ねて行く。

・第二連で森の情景を描写し、第三連で道を失って不安に駆られる<ぼく>の逃亡者としての不安な心理を描き
第四連で、渓谷の果てに千年を隠れ住む集落の意味合いを暗示し、恐怖と共に平穏な生活の場に戻ろうと希求する<ぼく>。そして、ついに高いつり橋の上に出る・・・。

  何者かが森のどこからか ぼくを狙う銃口か

  なつかしい きらめき

  ぼくは恍惚として立ち尽くす

  さあ 撃て

・この最終章句は見事というほかない暗喩である。読み返すごとに読者に別の色合いの読みを提示する<優れた現代詩>たりえている作品であった。なお、この作品は平成二十一年7月号の「現代詩手帳」に掲載されていた作品である。

・私ごとを言うと、二十六年前、北海道詩人協会とNHkラジオの朗読詩作品として、百数十行に及ぶ長編詩を書き、放送された「眠りの伝説・あるいは悪夢への招待」と題するものをまとめたものだが、奇しくもそのテーマに類似したイメージを井本氏のこの作品が紡いでいたことに、同世代共通の時代認識を感じとったものであった。その意味でも詩語の選び方やイメージの紡ぎ方や感受性に共感を覚えるところが多いのではないか、という気がする。

・最近の現代詩が時代が進むにつれ退行している現実を慨嘆していた私にとって、井本氏の作品は、日本の現代詩が頂点を極めた時代のイメージと喩法を駆使できていることを確認して、嬉しく思ったものである。


 

「群系」37号(東京都)② 力作の島原の乱を描いた柿崎一の「士道無残」は完結、萩野央「桜の木が倒れた日」の掌編の象徴性、稲垣輝美の注目の沖縄物「戦世を超えて」は後編に期待

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月31日(火)06時22分58秒
返信・引用 編集済
  ・稲垣輝美「戦世を超えてー父と母の記」前編は、沖縄出身の作者が父母への鎮魂をこめて書き始めたらしき私小説風の作品。前にもこの作者の沖縄物を読んだ記憶があるが、沖縄戦の過酷な状況下で幼い作者が命からがら生きた作品として鮮烈な印象であったのを記憶していただけに、今回は父母の出生から説き起こす回想風の静かな船出といった書き出しである。この前編は40数枚のボリュウムで、掲載費もかなりの負担だろうが、書き残したい執念が滲む作風だけに、後編は注目される。

・荻野央「桜の木が倒れた日」は、昨年妻に先立たれた「わたし」は、慣れぬ一人暮らしに追い立てられながら、妻との思い出に押しつぶされそうな毎日を送って来た。息子は外資系の会社で海外を飛び回っていていつ孫の顔を見られるのかも分からない。一人暮らしで一気に老け込んでしまったことを自覚している「わたし」の日常・・・。そんな生活のわたしの息抜きの話し相手は、わたしのマンションの向かいに住んでいる木村老人・・・というような15枚ほどの短編なのだが、桜の木の小道具が亡き妻への哀惜とともに象徴的に描かれていて小説になっている。

・柿崎一「士道無残」下は、前号からの連載。島原の乱に焦点をしぼった歴史もので読ませる四十数枚。なかなかの作者である。行を詰めて書かずに、もうすこしゆったりした筋書きで書くと、持ち味がさらにでたろうと惜しまれた。話は余談になるが、この島原の乱以降、幕府のキリシタン弾圧は過酷をきわめ、宗徒の相当数が北海道に逃げてきて、鉱山の労務者として隠れ住む者が多かったことである。また、宗徒はアイヌの民の中に交じって住み、キリスト教をアイヌの民に広げる役割も担ったことが言い伝えられていることを申し添えておく。
 

相模文芸33号

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2017年 1月20日(金)17時59分4秒
返信・引用 編集済
  冬になってから、今まで書けなかった分を一気に書こうとして長編に取り組んでいる今日このごろです。相模文芸を送っていただいてかなりたつのですが、今日、目次に目を走らせ、印象的な題名のものから読もうと思いました。
矢来あさ子さんの「手を離したら」という掌編小説はよく書けています。文体を変えたら児童文学としても優れたものになる可能性があります。私自身が母子家庭で育ったものですから、この物語に出てくる男の子の気持は本当によくわかります。孤独とやるせなさ、生き別れた父への複雑な想いをかかえながらも、母親を愛し、慕い、守ってあげたいという気持ちを捨てない。見えざる神というものも考える。少年が自立していく過程をわかりやすい文体で書いています。登場人物をひとりかふたり加えて、母親が絡む人間関係に問題を起こさせ、少年の葛藤を描き込めばさらに優れた小説になるのはまちがいない。

外狩さんの「工場と時計と細胞」は原稿用紙になおせば70枚くらいの作品だろうか。往年のプロレタリア文学の現代版かと思って読み始めたがそうではないようだ。視点を次々に変える実験的な手法で書いている。導入部から廃屋的な雰囲気が漂ったが、どうやら千人以上も働く外資の工場ということだ。知らない専門用語も多いが工場の躍動感は伝わってくる。導入部の「鳥の目」で砂をさす言葉が10回も出てくるのはよろしくない。何人もが入れ替わって巨大工場の中に生きる人々が描かれる。今日は半ばまで読んだが、果たして後半は盛り上がるかどうか・・・
最後まで一貫して工場に勤める人たちの群像が描かれている。次々と登場人物が変わっていく。それぞれのセリフがあって、どこかレーゼシナリオ的な作品だが、やはり小説としては少し無理があるような気がするがどうか・・・
 

ありがとうございました

 投稿者:秋乃みか  投稿日:2017年 1月15日(日)14時33分33秒
返信・引用
  根保様
じゅん文学89号「ひそむもの」を読んでいただいてありがとうございました。
自分の欠点を克服しつつ書き続けていこうとおもいます。
これからもよろしくお願いします。
 

「ザイン」20号② 掌編ながら精神性が際立つ青木円香「雷鴫」鳥の羽の象徴的着眼が優れている

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月14日(土)02時47分11秒
返信・引用 編集済
  ・青木円香「雷鴫」は、妻子ある八歳年上で塾の経営者の一人直司と二年前知り合った美紗。美紗が塾を手伝っていたとき知り合ったのだが、直司に家庭があると知っていながら彼をアパートに泊めて以来一週間に一度くらい付き合って二年になっている。彼とある日、鴫を見に行き、拾った羽を美紗にくれた彼。そんな彼が過労のあげく吐血し入院、胃癌と判明しあっという間に亡くなってしまう。葬儀は身内だけで済ませたので、せめて遺影にでも会いたいと訪ねたマンションはすでに知らない若い夫婦が住んでいるだけだった・・。彼が生前「鳥になったら迎えにいけるかな」と言っていた言葉を思い出し、鳥かごと粟粒を買って帰り、鳥かごに彼からもらった鳥の羽をいれる美紗・・。毎日、鳥かごを見るのだが、当然粟粒のエサは減らない。その鳥の羽におーちゃんと名つけ、毎朝出勤するときに「おーちゃん、行ってきま^す」と表面上は明るく声をかけて出かける美紗は「きっと彼は、先に鳥になって待っているんだ」と信じ始めていた。この「鳥の羽」の小道具が生きていて、象徴的意味を持つ。ここに着眼したところが才能なのである。

そんな美紗もやがて次第にやせ細って、ある日、道で突然倒れ帰らぬ人になってしまう・・・。そんな十数枚の掌編なのだが、全編に流れる抒情は淡々と描かれながら胸を打つ話にまとまっており、この作者の精神性が際立っている資質を証している作品。苫小牧市民文芸などに発表した作品を読んできたが、抒情的でありながら抒情に溺れない構成とバランスある今時珍しい才筆と注目していた作家である。

・ここで助言すると、苫小牧市民文芸の鳥の作品とこの作品を合体させて、五十枚から七十枚の作品に仕上げ、「北海道新聞文学賞」(賞金五十万円)、クオリティーの「北海道文学賞」(賞金十万円)に応募するといい。当確は確約できないが、有力候補にはいくだろう才筆だ。二十代、三十代でなくては、選者は取らない。若い作者は、将来性を見られて有利なのだ。「文学界」「群像」など純文学分野の新人賞などは、年配者の作品なら、たとえいい作品でも無視されがちなのである。

・勝負は若いうちにやることだ。無駄に同人雑誌などに所属して貴重な時間を浪費しないことだ。特に、仕事を持っている者は、無駄な時間を浪費せず、効率的に時間を使うこと。私なんかは二十代、三十代の過酷な第一線記者時代、常に原稿用紙を持ち歩いて、食事時間前後の喫茶店、取材と取材の合間の待ち時間を利用して長編小説を書き継いでいたものだ。

・パソコン時代の現代でも、勤め人なら、会社の退社時間後、喫茶や居酒屋で一休止してコーヒーかビールでも飲みながら、パソコンで書き継ぐくらいの器用さがないと、あっという間に一年が過ぎるものだ。若さは貴重である。時間を惜しんで効率よく利用することだろう。私なんかは喫茶店でデートしているときも、愛を語りながら原稿用紙を広げて書いていたものである。ただし、相手がそんな無作法を許してくれるなら、の話である。今なら相手が許してくれるなら、パソコンを打ちながらデートしたっていい。この多忙な時代に小説を書いて行こうとするなら、時間の使い方が鍵になるだろう。

  ・相変わらず書いてますねと八頭身ウエートレス嬢声をかけ来る  石塚 邦男
 

「中部ぺん」23号(名古屋市)②

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月12日(木)11時54分7秒
返信・引用 編集済
  ・詩作品を読んだ感想を。


・尾関忠雄「天国・地獄逆さ吊り」は、「これはいったい何だ」というようなモノローグのなかに「どひゃあ」「ぎひひ」「どばあ」などの擬音がはいる散文的な作品なのだが、人生や世の中を諧謔的に観る批評詩は面白かった。

・若山紀子「行方不明」は、「あした もうご飯を炊きません/あした 味噌汁を作りません/あした 洗濯しません/わたしは居ません」こんな一連で始まる作品は、主婦が決まりきった日常が嫌になって、どこかへ行ってしまった、という話の皮肉な作品なのだが、定年退職したご主人を抱えた大方の主婦の願望かもしれない社会批評詩とも読み取れる。

・エッセイはいずれも健筆が光った。
 

アピ紹介御礼

 投稿者:田中 修  投稿日:2017年 1月10日(火)20時24分13秒
返信・引用
  アビ7号を初めて送りましたがご批評に感謝です。一人でも読んで戴ける読者がいることが書き手の励みになります。  

「中部ペン」23号(名古屋市)① 久野治の連載「黎明期の中部地方詩人」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月10日(火)19時01分1秒
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  ・中部ペンクラブ主催で年二回発刊されている。中部地区の同人雑誌間の興隆と親睦を目的として、年二回発刊、同人雑誌に発表された作品を対象にした「ペンクラブ文学賞」を公募、文芸セミナーやシンポジュウムを開催して地区の同人雑誌活動を盛り上げている。

・今号には第二十九回文学賞決定の発表のほか、会員の掌編小説、文学賞選考経過、文学講演会、エッセイ、詩、短歌作品など盛り沢山の百九十頁で商業誌並みの水準高い内容で名古屋地区の層の厚さを裏付けている。

・注目したのは、久野治の連載「黎明期の中部地方詩人」の連載。この中で北園克衛を取り上げてますが、十代から詩を書いてきた私ですが、北園はもっとも影響を受けた詩人でした。昭和三十年代に学生だったのですが、そのころのわれわれのグループはアヴァンギャルド、ダダの洗礼を受けてポール・エリュアールなどの影響、西脇順三郎の影響など濃くありましたね。

・文学講演会の清水義範「名古屋の生活と文化」は、名古屋人の気質を愉快に指摘していて面白いものでした。ケチ、貯蓄第一、もらえるものならなんでももらう気質など・・。名古屋場所の土俵の砂を持って行っても途中で捨てている・・・なんて面白いですね。大阪でもなく東京でもない名古屋文化、名古屋人の気質・・参考になりました。

・受賞作の安倍千絵「犬が鳴く」は、結婚した主婦の私は、その家にいる老犬にいつまでも馴れず「野犬」とあだ名したというところが象徴的で効いている。こういうところが小説になっている。

・猿渡由美子の短編小説「窓を越えたさきに」は、この地方の優れた書き手ということで掲載されたのだろうが、初老の夫婦の話ながら、人生の機微に何気なく触れていくところに味がある。既成作家に劣らない境地を拓いている作家である。

・掌編小説特集も、作家が力を込めて競作しているようで、津之谷季「可愛い男たち」、臼田慶子「イケスの中で母は」、合田盛光「空蝉の記」、あきのしんこ「大伯皇女姉弟最後の再会」、水上浩「歓喜の第三楽章」、名村和実「街角にて」も一流の筆筋。

   郵便ー464-0067  名古屋市千種区池下1-4-17 オクト王子ビル六階

                           中部ペンクラブ事務局

     電話ー052-752-3033
 

長期旅行でご無沙汰してました

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月10日(火)02時46分47秒
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  ・長期旅行でご無沙汰してました。手元に二十冊ほど溜まってしまいましたので、気合を入れて書き込むつもりです。  

「じゅん文学」89号のご批評について

 投稿者:有芳 凛  投稿日:2016年12月31日(土)11時22分54秒
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  根保孝栄さま
「3.5センチの隙間」を読んでいただき、ありがとうございました。とても励みになりました。
今後ともよろしくお願いいたします。
 

御礼

 投稿者:北原深雪  投稿日:2016年12月30日(金)23時49分35秒
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  根保孝栄さま
「向日葵の蔭」へのご批評ありがとうございました。
自分の作品を同人仲間以外の方に読んでいただき、感想をお聞かせいただけることはとても貴重でありがたいことだと思います。大変参考になり、次作を書きたい気持ちが湧いてきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
 

ありがとうございます。

 投稿者:猿渡由美子  投稿日:2016年12月27日(火)11時11分39秒
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  根保様
いつも読んで頂きありがとうございます。
ご意見、励みになります。
これからもよろしくお願いします。
 

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