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同人誌の運営

 投稿者:管理人 iPad 402  投稿日:2018年 2月17日(土)00時52分4秒
返信・引用 編集済
     同人誌の運営には難しい面もある。気心の知れた二、三人の小さな同人誌の場合は、口角泡を飛ばす激論があっても、それなりに発行・運営はされるだろう(休刊になっても、また機がくれば、新しい同人誌も創刊されるだろう)。
   また逆に、同人数が百人を超える大きな雑誌の場合は、規約もあって、編集委員体制もしっかり機能しているものだろう。
    問題がありそうなのは、同人数が五十人前後の文芸同人誌であるかもしれない。編集方針はなんとかいっていても、経理問題が出来すると、いろいろな意見が出てくる。編集部としてこちらをたてれば、逆の立場の方から異論が出てきたりする。文芸同人誌という小さなものでも、印刷製本費には、しっかり消費税もかかってくる。
    なんとかこういう局面を乗り切って、頑張っていきたいと思うのだが。
 
 

柿本人麻呂:泣血哀慟の歌(万葉集を読む)

 投稿者:管理人 iPad 374  投稿日:2018年 1月28日(日)11時26分17秒
返信・引用 編集済
     文学のこころとは、人を思う心だと言っても過言ではなかろう。その意味では近代・現代のみならず、むしろ往昔にこそ、その心はいやましであろう。万葉集、柿本人麿の歌こそはそうした心を最大限に詠んだものであった。当職は学生時代から、彼の歌に親しんでその長歌を暗誦・愛唱してきた。以下はその一つ、その頂点のものである。ネットにある資料を抄出させていただきながら、近代文学の掲示板であるが、あえてあげさせていただきます。

                                ◯

    万葉集巻二挽歌の部に、「柿本朝臣人麻呂妻死し後泣血哀慟して作る歌二首」が収められている。その最初の歌は、人麻呂が若い頃に、通い妻として通った女人の死を悼んだものとされている。この歌には、愛する人を失った悲しみが、飾り気なく歌われており、その悲しみの情は、21世紀に生きる我々日本人にも、ひしひしと伝わってくる。
    彼が宮廷歌人として作った儀礼的挽歌とは、まったく異なった感情の世界が、そこにはある。
    まず、歌そのものを読んでいただきたい。一人の男が一人の女に寄せる、切なくも濃密な愛を読み取っていただけると思う。

       柿本朝臣人麿妻の死にし後、泣血哀慟してよめる歌二首、また短歌
  天飛ぶや 輕の路は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば
  ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み
  数多(まね)く行かば 人知りぬべみ 狭根葛(さねかづら)   後も逢はむと
  大船の 思ひ頼みて かぎろひの 磐垣淵(いはがきふち)の
  隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに
  渡る日の 暮れゆくがごと 照る月の 雲隠るごと
  沖つ藻の 靡きし妹は もみち葉の 過ぎて去(い)にしと
     玉梓(たまづさ)の 使の言へば 梓弓 音のみ聞きて
  言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば
  吾が恋ふる 千重の一重も 慰むる 心もありやと
  我妹子が 止まず出で見し 輕の市に 吾が立ち聞けば
  玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず
  玉ほこの 道行く人も 一人だに 似てし行かねば
  すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる
短歌二首
     秋山の黄葉を茂み惑はせる妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも
    もちみ葉の散りぬるなべに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ

■大意
 軽の路は吾妹子の里であるから、よくよく見たいと思うけれど、いつも行ったら、人目が多いので人目につくし、しばしば行ったらきっと人が知るだろうからうるさいし、まあまあ後になってでも逢おうと、大船のように頼みにして、心の中でのみ恋しく思いつづけていたのに、空を渡る日が暮れて行くように、照る月が雲隠れてしまうように、靡き寄った妹は、亡くなってしまったと、使いの者が来て言うので、それを聞いて何と言ってよいやら、どうしてよいやら分らず、報せだけを聞いてじっとしてはいられないので、自分の恋しく思う心の千分の一でも、なぐさめられるだろうかと、吾妹子がいつも出て見ていた軽の市に、たたずんで耳をすましてみると、なつかしい人の声も聞こえず、道行く人も、一人も似た人が通らないので、何とも仕方がなく、妹の名を呼んで、袖を振ったことである。

短歌二首
秋の山の黄葉があまりに茂っているので、迷い入ってしまった恋しい妹を探し求める山道が分らないことだ。

黄葉の散って行くとともに使の者の来るのを見ると、ああこのようにして、懐しい便りが来たのだと、妹に逢った日が思い出される。(209)


「輕の路は 我妹子が 里にしあれば」とあるところから、この女人は大和の軽の里に住んでいたのであろう。その女人を、人麻呂は人目を偲んで通っていた。「ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み 数多く行かば 人知りぬべみ」とあるところから、そのように推察されるのである。
     何故、人麻呂が人目を忍ばなければならなかったか、それはわからない。この当時の結婚の形態は、通い婚が一般的であった。男は女と同居することなく、女の家に通うのである。男の中には複数の女のもとに通う者もあっただろう。逆に、複数の男に通われた女もあったことだろう。
    人麻呂がこの女のもとに通うのに人目を偲ばなければならなかったのは、この結婚が祝福されるものではなかったことを物語っているのかもしれない。もしかしたら、女には別に、正式の夫がいたのかもしれない。
   そんな推測は脇へおいて、この歌を虚心に詠むと、一人の男としての人麻呂が、最愛の女を失った悲しみが、ひしひしと伝わってくる。人麻呂は、女の面影を求めて、かつて女が足を運んだ軽の市を訪ねる。「吾が恋ふる 千重の一重も 慰むる 心もありやと 我妹子が 止まず出で見し 輕の市に 吾が立ち聞けば」と、人麻呂は、ただただ亡き人の面影を求めてさすらい歩くのである。
    誰しも思い当たることであろう。失った者の面影を求めて、その人の匂いのする所をさ迷い歩くのは、我々現代人も同じである。
    だが、そこには亡き人の面影を呼び覚ますものはなかった。かくて人麻呂は、「玉ほこの 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる」と絶叫する。
    女に先立たれた一人の男としての人麻呂の、痛ましいような、情けないような、何とも不思議な魂の叫びが伝わってくる。

http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/56.htm

http://www5e.biglobe.ne.jp/~narara/newpage%202-207.html

http://manyo.hix05.com/hitomaro/hitomaro.aido.html
 

古典と近代文学、似ているところ

 投稿者:管理人 デスクトップ 689  投稿日:2018年 1月19日(金)13時03分15秒
返信・引用 編集済
   やはり以前に投稿したもので恐縮ですが、再度ご披露させていただきますね。

       〇

『源氏物語』と近代文学、似てるところ 投稿者:管理人  投稿日:2009年 5月 5日(火)14時04分

 『源氏物語』の巻々、あるいは登場人物をみていると、ふっと、近代文学のそれに似ているなあ、と感じることがあります。もちろん、『源氏』の方がはるか先にできているのだから、〝真似〟や影響は、近代作品の方に決まっているのですが。以下は、ほんとに勝手な当方の見立てではあるが、いかがでしょうか。


 最初にふっとそんなことを思ったのは、30巻での「藤袴」の巻で、あんなに美しかった玉鬘が、夕霧など相応の男性の言い寄りものけて、また宮中への入内をも断って、いちばんありえない髭黒の大将と結婚してしまったことだ。玉鬘も当初は好きでなかったというのに。
 玉鬘といえば、源氏の友人・頭の中将の遺児、それもあの不幸な死に方をした夕顔と間の遺児であった。なぜ、北九州の方ですごしていたんだか理由・委細は忘れたが、いずれにしても多少の不幸な境遇は否めない。しかしこの玉鬘の美貌は多くの人を魅了するほどであった。父探しに都に来たのであったが、ある日行列なんかで見た実際の父親は、養い親の光源氏にだいぶ劣ったみえたのでがっかりしたこともあった。またあろうことか、彼女の美貌はその養いの父親になっていた光源氏も彼女に一方ならぬ想いを寄せることにもなった(有名なのは「蛍」の巻きで、たくさんの蛍が舞う中で玉鬘の顔が一入、美しく照らし出されたシーンであろう。
 でこの女主人公、とそれをめぐる人物の顛末が、当方には堀辰雄の『菜穂子』に似ている感じがする。不幸なおいたちゆえか、母との確執から逃れるせいか、一番その結婚相手にふさわしい都築明とではなく、東京のずっと年上の資産家と結婚してしまう(この段、初めて読んだときに、ああこういう道行が近代小説なのだ、なと妙に合点したことがある)。ファザーコンプレックス、と一言では言い切れないが、結婚という一段落をめぐる不思議な結末である。

 次に思うのは、結婚どころか、異性にたいして臆するところあのある男性の話で、これは《宇治十帖》の薫がそれにあたる。友人の匂宮の行動的なのに対して、マジメな勉強家であるとともに、どこか生存の影をしょっている(ま、自らの出生の秘密も抱えていたのであるが、それはともかく仏道で敬慕していた宇治の八の宮の處についに相談しに行く)。宇治の八の宮は、桐壺帝の八番目の宮で、由緒正しいのに皇統から離れ、仏道にいそしんでいたその姿が、求道の薫にぴったりだったのだろう。出生の秘密とは、源氏の実子とされるがそうではなく、光源氏の後妻・女三の宮と柏木との密通によって生れた宿命の子である。光源氏自身もそのことを知って、若い時代の藤壺との過ちを想起し、叱るどころか、苦悩している(ま、そのうぶな薫が、八の宮の娘たちを見初めて、劇を織り成しているところに、また『宇治十帖』のおもしろさはあるのであるが。
 自らの過去を思い、悩んでいる主人公がでてくる近代作品ですぐ思いつくのは漱石『彼岸過ぎ迄』であろう。そこに出てくる須永市蔵がぴったりである。97年のセンター試験にも出題された作品だが、須永にはまず出生をめぐって、子供心に陰をさすところがある。父の死ぬ直前、「市蔵、おれが死んでも、お母さんを困らせるんじゃないぞ」といわれたが、もっと不審な気持ちをそそる言葉は葬式の時の母の言葉だ。「ね、お父さんがいなくなったって、今までどおりお母さんが良くしてあげますからね」。こんな、わざわざ言わないくてよいことをいわれたために、却って、少年時代から、「僕は自分の親にたいする疑念が生れた」という須永市蔵。実際に、暗くなるべく生い育つ市蔵は異性との付き合いにも躊躇があった。親戚(いとこ筋)にあたる格好のフィアンセになりうる千代子を前にしても、愛しているのにそのことをいえない。のみならず、とてもじゃない独白(告白ではない)をするのだ。「僕は、物事に畏れを知っている。そんなんでことにあたって、どんなに二の足を踏んできたか。が、千代子はそういうことを知らない。屈託のないお嬢さんだ。僕の苦労を彼女にかけてあげたくはない」(具体的な会話内容は当方の思い出し・作成なので、関心の或る方は原文(=青空文庫)で確認されたい。
 要するに、薫も市蔵も、人生の裏面に敏感すぎる男であるだがその陰影が漱石先品に、どんなに知的な奥行きを与えたか、『源氏物語』がただの〝栄華物語〟に終わってないか、を証左するものである。

 こういうことを書いていくときりが無いが、この薫の形象、あるいはかれが後の面倒をみる柏木(恋心の不義の罪障で死んでしまう)、このふたりの暗い人物に対して、健康的で好男子で、かつ思慮深い常識家であるのが、夕霧であろう。かれは柏木の死んだ後、その後始末をし、未亡人(落葉の宮)を弔問している。また、一周忌を迎え、いまだに悲嘆にくれる父・光源氏をも慰めても居る(41巻の「幻」の巻)。もちろん、夕霧も普通の人情を持った男、父の後妻・紫の上を人目見ただけで魅了され、玉鬘が好きになり、友人の未亡人の落葉の宮を慕うようになっていく(そのことで、恋人の雲居の雁はたいへん立腹、里へ帰るなどしている)。でも、社会人として、人情のあるまっとうな青年として、夕霧の行動・心理はごくまっとうなのではないか。常に、周囲を冷静な目でみているし。
 この夕霧に相当するのは、漱石『行人』の出てくる、長井一郎の弟・二郎が似ているのではないか。兄さんの大学教授は知的だが物事にすべて懐疑的で、実は妻の愛情をも疑っている、〝幸薄い〟男だ。なんでも自分の思うようにいかないとすまない彼は時に妻をなぐる。しかし、「弱い子羊を打つ」ような自分の卑怯さも知っている。あるジレンマにはさまれた知識人のありのままを描いた傑作といえよう。貞操を疑われた奥さんと〝探偵〟を仰せつかった、弟・二郎は或る暴風雨の和歌山の温泉の寝間で、彼女(兄嫁)に告白されてしまうのある(「私はかまわなくってよ」)-。嵐の晩の一夜のこのせりふほど、兄弟の懸隔をしめした處でもあるだろう(漱石嫌いで、有名な正宗白鳥も、このシーンを「女の描けない漱石が始めて描けた」ところであるそうだ。

 この夕霧が義母である紫の上を始めてみてあこがれるシーンは、場合によっては大岡昇平『武蔵野夫人』の戦争からの帰還兵・勉に擬せられるし、あのおとなしい美貌の夫人・道子は紫の上になぞらえていいのかもしれない(勉に野性味をみるとすれば、匂宮をここにもってきてもいい)。

 また、柏木(36巻)・横笛(37巻)・鈴虫(38巻)・夕霧(39巻)あたりの、柏木の道ならぬ恋、それを見る夕霧の構図は、少し違うが、漱石「それから」の三千代を想うあまりになんども人の家のあたり(これはむろん三千代の夫である平岡の家)をへめぐるあたりに似ている。このシーンはまさしく〝恋〟だなあと最初に読んだ時想ったものだが、気になる人のことは寝てもさめても想い募るもので、明治のあの〝姦通罪〟のあった時代に、代助はついに、彼女を〝奪婚〟するのであろう(自然の情をとおしたばかりに、二人は、世間からの罰として、次の作品で宗助とお米は〝崖下〟の家に住み、奪婚された友人の影におびえて暮らすのである(柏木の場合、は、いわば中宮にあたるような女性を、たまたま横顔を見ただけで、重症の恋の病に陥り、世話になった源氏様にすまない、気持ちで、なんと死んでしまいます。ま、物語の展開上、そうしなくてはならないかったにせよ、ちょっと強引?)

 さらに、以下はほんの印象ですが、源氏が5巻「若紫」の巻きで、わらわやみに病んで北山の大徳に診てもらういわば、入院の後半、かわいらしい少女にあいますね。祖母らしき人と一緒に、雀の子をともだちが逃がしたと行って、泣いているシーン。教科書にもよく載っていた可憐なシーンですが、これは、〝垣間見(かいまみ)という、垣根から家の中、庭などを見る場面ですが、これと似た近代の小説では、室生犀星の『性に目覚める頃』、その〝お賽銭泥棒〟をのぞき見するシーンに、似ていますね。両方とも、今日では軽犯罪法違反ですが(無粋な名前だこと)、美しいものをのぞこうとするのは、『古事記』や、民話「鶴の恩返し」にしろ、普遍的な物語の行いです。
 あと、源氏が須磨で配流されて暴風雨に遭ったときあがありましたね、そのとき父王(亡き桐壺院)の亡霊が出て道案内して、無事、明石の土地だかに漂着しましたね。あの導きも、「ハムレット」にあるシーンにそっくりですね。
 また、前後しますが、柏木が自分の実の妹と知らず、玉鬘を慕うところは、三浦綾子『氷点』に少し設定が似ていますね(こっちは、ほんとの兄妹ではないのだから、恋愛はできるはずなのだけれど)。また、薫の出生の秘密ということだけでいえば、志賀直哉『暗夜行路』にもモチーフが似てないこともない。

 ま、『源氏物語』の直接の影響は、あの頃の、源氏亜流物語群や、中世王朝物語などに、むしろ色濃い影響はあるのですが、断続しているはズの、近代・現代にも通じるところをエッセイしてみました。(^^;)(>_<)(^o^)^^;<(_ _)>(-_-;)
 

〈かなしみ〉と日本人

 投稿者:管理人 デスクトップ 674  投稿日:2018年 1月19日(金)09時43分5秒
返信・引用 編集済
   今年は、「赤い鳥」が大正7年に創刊されてから100年、いわば〈童謡百年〉だそうである。それにちなんで。やはり旧稿からですが、子供の歌が冒頭にある小文を紹介しますね。



〈かなしみ〉と日本人 投稿者:管理人  投稿日:2007年 4月26日(木)02時47分35秒

  あかりをつけましょぼんぼりに  お花をあげましょ桃の花
  五人ばやしの笛太鼓       今日はたのしいひな祭り

 「うれしいひな祭り」の冒頭部分であるが、この童謡をいかにも〈かなしげ〉な歌と批評する人がいる。「うれしいひな祭り」という題であり、「今日はたのしいひな祭り」と歌っているのに、歌ってみればわかるように、実に〈かなしげ〉に響く、という―。 こんな「序文」ではじまるテキストを書店で手にした。タイトルは『〈かなしみ〉と日本人』、NHKのラジオ講座テキストで、著者(講師)は、竹内整一という倫理学専攻の東大教授である。
 この「うれしいひな祭り」の歌自体(サトウハチロー作詞・河村光陽作曲)にはさほど〈かなしみ〉は感じなくても、童謡や唱歌、あるいは日本の詩歌に(あるいは広く日本文化全般に)〈かなしげ〉なトーンがあるという主張には実に共感できるし、現代の日本で〈悲しみ〉の復権を唱える論には我が意を得た。

 人間には〝喜怒哀楽〟を初め、さまざまな感情・情緒があるが、例えばこの熟語に代表されている四種類に限っても、〝哀〟ほど、深くあわれなるものはあるか。例えば〝喜〟〝楽〟は、確かに、前向きな感情であり、文字通り喜ばしく、楽しいものである。しかし、例えば他人が〝喜び〟〝楽しん〟でいるのを見て、われわれは心を打たれるか。「よかったな」程度であり、場合によっては「何であいつが」と、とその〝喜ん〟でいる相手を〝憎む〟場合もある。また、〝怒〟りの感情は(〝憎む〟も同類)、確かにエネルギーがあり、実際の行動力にも結びつくような強い感情であるが、それは何か「分析以前の」原始的な感情であり、その瞬発力の前にもう少し思弁があれば、という後悔があとに立つ感情ではある(〝自爆テロ〟はどうにかならないか)。
 そういう点に鑑みれば、〝哀〟の感情ほど、情緒深く、人間精神の深奥に徹した感情はないように思われる。〝かなしみ〟とか〝あはれ〟という感情は、人間の奥深くに発せられる、自発的な、理性的・内省的な、どうにもやるせのない情緒であって、この感情のたゆたいこそは、その様態・動向からも、〝喜怒哀楽〟の四つの中でも、他に抜きん出ている。
 この四つの感情を人間以外の他の動物に置き換えてみると、このことははっきりする。例えば、猫に〝喜怒哀楽〟はあるか―。〝喜〟〝楽〟があるのは、えさでもやって食べているのをみれば、あるだろうと推測できる(おいしい魚などだと〝喜〟んで食べているように見えるし、猫じゃらしで遊んでやると〝楽しん〟でいるように見える)。〝怒〟になると、これはもう動物の本能と思えるほど、われわれは普段に眼にする。ところが、〝哀〟はどうか。私見であるが、当方には猫にはそれを感じることは出来ない。確かに犬には、なんとなく〝哀しげ〟な顔をするときがあって、やはり猫よりは〝高級〟なんだろう、と思われる。
 そう、〝哀〟はやはり、〝高級〟な情趣なのである。〝怒〟のような旧皮質そのものが露出するのではなくして、新皮質と旧皮質を相互に往来した上での(これは比喩である)、ある情趣なのだ。

 「かなしい」を語源的に分析すると、「~しかねる」からきたそうだ。親しい者との死別など、どうにも処理しかねる感情がわいてくる。「かなしみ」は、それをどうにもできないからかなしいのであって、これは怒りのように対象を見つけて、ぶちかますというわけにもいかない。〝喜〟〝楽〟などのように、互いの肩を叩いて、感情を共有するといわけにもいかない(よく、涙にくれて互いに抱擁するなど子女の場合にみかけるが、それはそれよりしかたがないという消極的な理由によるのであり、〝喜〟〝楽〟の積極的な行為とは違うことは、ぜひ留意したいところである)。
 「かなしく、やるせない」などという。この「やるせない」も、同根の語であって、「遣る」「瀬」がない、すなわち、(悲しい感情などを)「遣る」(どこかに流し出す・排出する)、そうした「瀬」(水の流れ口)がないのである。くぐもった感情は、どこにも排出できず、内部に纏綿するのである。本居宣長は、そうした情趣(「あはれ」)をそのまま纏綿させるのがよい、といったそうだが、たしかに、それこそが心身のために、わが民族の美学に添っている。

 近来、「かなしい」というのは〝クライ〟だとか、〝めめしい〟とかいわれ、否定的な感情とされてきたが、それはそうではない。「かなしみ」があるからこそ、人間は人生の奥深さ、人間精神の深奥、文化の奥深い豊かさを知れるのである。欧米、なかんずくアメリカ文明のその場限りの楽しさ・豊かさ、に酔い痴れていては、この奥深い情趣をしることはできない(〝ディズニー〟もいいが、常に愉しく陽気に、愛嬌ふるまいて、とはいかないのが人間ではないか)。
 この感情こそは、人間のみが保持できる〝人間らしい〟感情である。

 本テキストでは、宮澤賢治のかなしみ(特に妹トシとの死別に際する)や、国木田独歩や西田幾多郎のいわば生存の根本のかなしみ、などを紹介しているが、当方も感じていた古典に取材した〝かなしみ〟の例を最後に紹介しておこう。


 「源氏物語」に〝柏木〟という男が登場する。この男がひょんなきっかけで、ある女を死ぬほど恋してしまう。女は〝女三宮〟といって、じつは光源氏の後妻にあたる人である。その〝人妻〟を恋してしまった。ほんのちょっとしたきっかけであった。親友である〝夕霧〟(源氏と故葵上との息子)たちと蹴鞠に興じていたある夕べ、鞠を追いかけて偶然、女三宮の姿を御簾の隙間から垣間見てしまった。一目惚れ。以来、柏木の懊悩が始まる(「源氏物語」における、こうした〝垣間見〟は、印象深い。初めのほうの光源氏による紫の上の垣間見も有名だが、この女三宮の場合は西日を背にして、実に神々しいほどのまぶしさだったようだ)。
 女三宮というのは、実は源氏の兄、朱雀天皇の愛娘で、どうにも嫁ぎ先が見つからぬ際に、あえて権勢ある弟、後見役ともなる光源氏に降嫁させたのであった(その際、最愛の妻、紫の上の懊悩は人知れず深いものであった)。中年の源氏も、新妻に興味はなくはないものの、そのあまりにも内面の幼さに興がそがれた、ということもあったようだ。
 だが、ドラマは本物語の核心に関わるところへまで展開する。すなわち、柏木はついに女三宮と不義を犯すのである。源氏が病に臥せった紫の上を看病している隙をぬった行動であった(のちに、生まれる子こそが、〝宇治十帖〟の主人公・〝薫〟であった)。あとでそれが露見し、柏木は光源氏からそれとなくそれを指弾される(源氏としても、自身の藤壺とのあやまちがあったのだ)。柏木にとって、それはかなり手痛いことであった。光源氏といえば当時もう栄耀栄華を極めた人であり、そのひとの指呼を受けたということで、懊悩は深まり、ついに死の床に伏す。そして、愛したその人(女三宮)に向けて、最後の一言を頼むのある。「あはれとだにのたまはせよ」。しかし、女三宮はそれには応えない。これほどの〝かなしさ〟〝やるせなさ〟はあるだろうか。柏木は、間際に(せめて、いとしいよだけでもおっしゃってください)と乞うたのだった。

 「かなしみ」は、個体としての感情であるが、民族の、あるいは共同体の情趣、である。日本古典、あるいは近代文学には、それらを感じさせる名場面が多く見受けられる。どのように、かなしいのか、その美学は、などいろいろ考えてみたいところである。
 

「更級日記」のことなど

 投稿者:管理人 デスクトップ 315  投稿日:2018年 1月17日(水)12時39分47秒
返信・引用 編集済
   井口文学についてはまた改めて紹介したいところですが、旧PCのデータを調べていたら、きょうのように雨もよいの寒い日、同じ情緒を綴っていた投稿の元原稿がありましたので、披露しておきますね。
                             2009年 1月 9日(金)16時59分 群系掲示板

 きょうはひさしぶりに雪が降って、寒さがいちだんと厳しい。ちょうど締切の仕事があって家に閉じこもらねばならないから、出かける気持ちが抑えられてよい。仕事がなくて天気がいい日など、気持ちがうきうき(あるいはうずうずして)外へ行かないではすまないときがある。こんな気持ちは人皆に普遍的なようであって、「死の家の記録」の〝囚人〟たちでも、天気の悪い日は却って外界への憧れを持たずにすんだようだと作者ドストエフスキーはその気持ちをいっている(捕囚の人ほど、外への、自由への憧れは強かろう)。囚人たちは、風呂へはいっているとき、〝娑婆〟のことをいろいろ云々していたようだ(こんなシベリアの流刑地に、風呂なんてあったのかな。読後の記憶としてあのシーンは印象的だった)。

 我が古典でも、晴れの日は時にお出掛けがあったようだ。「女車」に乗って、平安の女房たちも郊外へピクニックへ出かけたようである。牛車に木漏れ陽のする木の枝がかかる様をみずみずしく清少納言も書いていたようだった。逆に風雨や雪に降り込められた塞いだ気分の女房たちのようすも「枕草子」にはあったようだ。宮中で、同僚たちも相応にいたなかで、そうした自然界の〝大荒れ〟はいかにもさびしく、またこわいような気持ちであったろう(特に雷がおどろおどろしく鳴り響くときなど、気が気でないようであったろう)。

 近代ならともかく、まだ迷信や未知がたくさんあった頃、人々はどんなに心淋しいときを送ったことだろう。「枕」や「源氏」はむろん、「更級日記」などは、人事もないあわせでそうした気持ちを叙していて、いまの文章など以上に、その心象は印象けざやかである。たった原稿用紙100枚も足らないこの「押し花の匂いのする」(堀辰雄)日記には、かの時代のそんなに身分は高くはない(受領階級)に生い育ったからこその様々な感慨があって、気持ちをそそる。都へ向かう旅日記で目にしたものは少女時代の思い出を追想したからこそもあって(また筆を持った晩年の今の悲愁の気持ちもあわさって)なんともいえない、人生の万華鏡ともいえる。

 十歳前後で、上総(千葉・市原)のこの土地を去ろうとする頃に、手作りの木彫りの丈六の仏を見捨てていく気持ちのいじらしさ、この土地の何もかも目にとどめたいとする気持ちなどは、通信・交通の発達し今日では感じえぬ、心の髄まで染みとおった感慨であったろう(人間の本来の原初的感情とも思える)。途中松里(今の松戸)で長年面倒を看てくれた乳母との別れ、一面の茅の生えた武蔵野を行く茫々の感覚(竹芝の昔語りを挿入しないではいられぬほどの茫漠なさまーそれが今日の東京である)、あるいは丹沢の山の暗がり、そこで野宿するのもなんともそら恐ろしいものだったろう(少女の身では、またとんでもない原初的体験の日々であった)。そんな中、暗がりから現れた遊女たち、その澄んだ声に、少女ら一行はなんともいえぬ癒しを覚えたことだろう(少女だからこその、そうした歌舞を演ずる人への目の覚めるほどの感慨は、最近でも韓国ドラマ「ファン・ジニ」NHK土曜深夜、でキーセンたちの舞いに瞠目した主人公少女の初々しい感動に見られたことだった)。旅の一行も命がけだったろうが、当時の遊女たちも、それこそ命がけで、その生業を生きていたであろう。情報のあまりない中古という地平は、それこそ毎日毎日が「生きる」そのものであったと思われる。
 やっと都の邸宅へ着いたが、都といっても、木々がうっそうと茂り、夜中でもあったでもあったし、少女の落胆は相応なものであったろう(物語のある都はどんなに華やかなものかという幻想もあった)。その都での生活もまた、少女の夢と幻想を少しずつ破っていく現実ばかりであった。でもそうした中でもささやか日々の暮らしを点綴するその筆致にも、もはや懐かしい、とも言表できるような日常があった。

 時に姉との生活は今日にも通じる、ある纏綿とした情緒を読む者の気持ちにひたさないではいられない。ある晩、夜空にながれ星をみる二人。ふっと、姉は「ねえ、いま急に私がいなくなったらどう思う」。妹は(何を言うの)となま恐ろしい気持ちになる。「冗談よ」と紛らわしげに姉はいうが、それを受け止める妹(作者)の気持ちは真にいかばかりであったろうか。姉の「急にいなくなったら」という言葉は現代でもありそうだ。そしてこの言葉は姉妹の、特に姉に特有の属性かもしれない。妹をかばい、保護してきた、特に母親が常時身近にいるわけではない家族関係にあっては、姉は我が身を犠牲にする母性の象徴でもあったかもしれない。
 その姉妹の会話の中に現れたのが一匹の子猫であった。「かわいらしい。ね、この猫を飼いましょう」。どちらの提案かこの猫を飼うという話が、この日記、特に姉妹の生活にあるけざやかな印象を与えることになる(ちなみに平安の当時、猫は今日ほど多くはなく、もの珍しかったそうである)。すなわち、姉が病気になって、猫が姉妹から遠ざけられて、従者たちの居所に置かれていた頃、姉の夢にその猫が現れたというのである。「猫はどこ?」がばっと起きた姉は言う。実は夢に、その猫が現れて言うには「私は侍従の大納言の娘の生まれ変わりです。久しぶりにご姉妹の近辺にいられて嬉しかったのですが、近頃は遠ざけられて、あやしの者たちの近辺にいるのが憂わしいのです」。この「侍従の大納言の娘」というのは、姉妹が(特に妹が)、〝手〟を習っていた方だったのだ。昔は文字はそれこそ手習いであって、身近に手をとって教えてもらった。だが、「侍従の大納言の娘」はあるときはかなくなって、死んでしまった。その辞世の歌に「私がいなくなってしまったら、鳥部山に立つ煙を私だと思ってほしい」というものだった。当時の仏教的な無常観ならでは(いや、今日にも通じる)死生のむなしさがつたわる歌である(煙となる、は「なくなる」という言表になんともぴったりだ)。

 「更級日記」はその後、その大切な姉の死、宮仕えのこと、それから帰って老残の父へのなんとも切ない思い、そして残った姉の遺児を川の字のように添い寝すること、一家の大黒柱になっていかなねばならない、夢から覚めた現実へ回帰せざるを得ないいきさつが主人公の思い(それは歴史上の多くの女たちの思いであったろう)とともにつづられる。そして、やっと三十歳をかなり経て結婚するが(当時としては破格の晩婚)、けっして悪い夫ではなかったのに、幸福は得られず、夫の任地にくだる際にみた流れ星の不吉な予感が的中して、彼女はやもめとなる。老残の孤独な身の上を吐露してなげく一巻の末に、さらにかきくどいた(告白相手の)尼は、あなたはまだましですよ。訪れてくれる甥ごさんがいるではないですか、私はもっと孤独ですよ、という話を最後につづって日記は終わる。
 だがけっして〝ハッピーエンド〟ではないこの日記には、不幸一辺倒とはいえないあるメッセージがわれわれには伝わるのである。すなわち、あなたは幸せばかりではなかったが、そうしたさまざまな人生の断片を思いのたけ吸い込んだではないか、精一杯生きて哀しみ、歓び、切なさを生きた、ではないか。人生のペストリ(織り込み)を十二分に味わった、その意味では、それを味わえないでその日その日をゲームなどで興じて(楽しい)とした現代の子供たちよりも、何倍か、その人生を味わえたのではないかー。


 古典には(特に日本古典には)、人間の持つそうしたさまざまな哀歓がみられる。最後に最近、目にした「うなゐ松」のある一節を紹介しておきたい(むろん仕事で古文テキストを作成する時に〝発見〟したのであるが)。
 これは近世初期、歌人木下長嘯子の歌文集『挙白集』にある章段なのだが、「うなゐ」とは 「髫/髫髪」と書いて「髪をうなじのあたりで切りそろえ、垂らしておく小児の髪形」をさすが、いっぺんの内容は、我が娘子の死期にあった際を書いたものである。十歳くらいの我が子が、春の桜を待たずに死ぬ運命なのを、健気に、父親が手折ってきた梅の小枝をみながら、後世のことを頼むいじらしさの描写は、「源氏物語」〈御法)の紫の上の逝去の場面に比するほどの筆舌の一節であった(文芸作品の味わいは、単にストーリーの有為転変、だけでなく、ある印象的な場面・情景にこそある、とわが恩師大野茂男先生が仰せであった)。
 確かに、「死」こそ「すべてを打ち切る重大事」(鴎外遺言)であるが、逆にそれこそ、その描写こそ、残ったものにどんなに感銘を与えるか、である。近代作品では、漱石「彼岸過ぎ」までに、小さな者の死(まだ一歳になったかいなかの〝雛子〟の突然死)で看ることが出来るし、有島武郎(「小さき者」)の、その母親(有島の妻)の死に、看ることが出来る。いかなる〝不幸〟が君たち残った小さき者たちにふりかかるものか、愛情に満ちたその父(有島)の筆致は、近代日本散文の最も「美しい文」に数えられるだろう(そして、彼自身の心中と、その発見の悲劇的顛末は、あわれを誘わずにいられない)。

 こんな文章を書いているヒマはなかったのですが、興にのって長く書きました。興味のある方はぜひお読みください(「うなゐ松」の一片は、実はセンター試験2006年に出題本文であります)。
 

井口氏の句集より その3

 投稿者:管理人 iPad 899  投稿日:2018年 1月12日(金)13時44分55秒
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     ひきつづき、井口時男氏の句集『天來の獨樂』より  (p60以降)

     能登半島  七句より
1   同宿は馬の尿(ばり)ども能登の夏

2   奥能登やここにはここの蝉鳴きしきる

3   ひるがほや能登金剛をやさしうす

     追悼・秋山駿
4    ごろた石のぬくみなつかし河原菊

5    蛇にも秋ずるりと冷えた身を運ぶ

6    ポケットに胡桃一顆を尖らせて

7    ぬれぬれと雨後の満月きのこ太る

8    落葉踏んで錆びた殺意を埋め戻す

9    焼鳥の香にそぞろ神いまそかり

10   アルビノの鯉は沈めり寒椿

11   革命の書(ふみ)読む夜や大くさめ

12   をんな病むとか椿の家は小暗くて

13    ころがれ子らよ花の堤で目まひせよ

14    花かげに養(か)ふ不機嫌のこの獣

15    「国歌斉唱」蜆は蜆を生み継げよ

16    波斯菊(ハルシャギク)乱れよ団地解体す

17    蕁麻(イラクサ)や微熱あるわが神経叢

18    敗戦忌夭(わか)き死はみな汗臭く

19     雑踏を突つ切る秋のがらんどう

20     我がはらわたもかくは苦きか秋刀魚啖(く)ふ

21     粗塩にまぶせ言の葉富士冠雪

22   「原子の火」こぼれてセイタカアワダチソウ

23     セシウムをめくれば闇の逆(さか)紅葉

24     還暦や親不知に沁む寒の水

         光部美千代さんを悼む  四句   より
25     添ひ臥しのたましひ濡れて花に雨

26     かなしめばこぼれてゐたる花あせび


     9ページから103ページまで、1ページには平均三句掲載だから、300句近くあるうちの26句、先に掲出した17句を入れても、全体の一割近くにすぎない。まず、こうした抄出であることを了解されたい。ただでさえ短い句世界のほんの一部なのである。
    掲出した基準は、まず面白いこと、そして了解可能なこと(コメントが出来ること)、逆に了解に危惧があっても、何か所以がありそうなこと、掲出したいこと、などが理由となろう。

     句作を他人が注するのは危ういことである。どんな捉え違いがあるかわからない。それでも最大公約数の了解を目途に注解する。なぜするか、一言、面白いからである。

     まず、冒頭の1と2。すぐ連想する人もいようが、芭蕉の句を思う。むろん、『奥の細道』の「蚤虱馬の尿する枕元」と、「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」であるが、1は「同宿は馬の尿ども」とあって、場所も時も異なるが、芭蕉と同様な境地になっていよう。2も、「ここにはここの」「蝉鳴きしきる」のことわりがある。3は、「能登金剛」の題詞があるが、そのほとりにひるがほが咲いて、金剛の地も旅人をなじませる。「やさしうす」は俳句ならでは言表である。
     4は、文芸評論家・秋山駿への追悼句。「ごろた石」は、地面に転がっている石ころ。『内部の人間』以来、秋山氏のキーワードは「石ころの人間」であった。内向の世代一流の自己凝視。それを作者は「ぬくみなつかし」と受けている。(作者、暮れに刊行の講談社文芸文庫の秋山駿『小林秀雄と中原中也』の解説を書いているそうな)。
     5、「蛇」を受けて「ずるりと冷えた」と続ける。こうした擬態語の妙。欧米語ではどう表現するものか。6、「ポケット」と「胡桃」の子供言葉に、「一顆」と「尖らせて」の大人の自我。7、「ぬれぬれと」と「きのこ太る」が妙にあう。
    8、「錆びた殺意」は前にも同工の句があったが、こうした内面こそが作句の必然。「錆びた」「埋め戻す」に躊躇いと時の経過を思わせる。
    9、「焼鳥」にも神がいらっしゃるのだ。そわそわと人を誘惑する神さまが。
   10、「アルビノ」は、メラニンが欠乏する遺伝子疾患だが、「鯉」にもそうした疾患があるようだ。白い鯉は見かけることがある。「寒椿」との対照でけざやか。
   11、題詞に、「北一輝『日本改造法案大綱』を読みつつ」とあるが、作者ならではのことである。俳人には医者や政治家、等インテリも多いが、北一輝を読む俳句作者がどれほどいようか。「大くさめ」がきいている。
   12、めずらしく女人のすがた。25、26の人と関連するか。「椿の家」がポイントか。「小暗くて」と言いさしするのが、韻文の妙。
   13、これはまた一種明るい句。「ころがれ子らよ」と呼びかけ、「目まひせよ」と結ぶ。「花の堤で」が中にあるのがいい。14、これも微笑ましい一句。「不機嫌のこの獣」のいいさしがいい。こいつは、作者お気に入りの猫、かどうか。
   15、「国歌斉唱」にカギカッコがある。また、以下の「蜆は蜆を生み継げよ」の受けもわかるようで、今ひとつ分からない。「蜆」は民草、すなわち国民を意味するか。「蜆」の語には、梅崎春生の同名小説を思わせる。
   16、「波斯」は、ペルシャと打つと出てくる。波斯菊は、キク科の一年草。空き地や道端に咲く。解体された団地のそばに何気なくその黄色い花が咲いている。「乱れよ」に作者の感慨があろうか。
   17、作者の句には思いのほか、植物がおおい。「蕁麻(イラクサ)」もその一つだが、これは「蕁麻疹(ジンマシン)」にも使われるように、薬草でもある。「微熱ある」は、近頃の「微熱少年」の先発形か。
   18、終戦日といわれるこの日、「敗戦忌」と捉えるところに、作者の立ち位置はうかがえよう(がこれはこの板などの読者には多かろう)。案外に、先の大戦のこと、その悲惨を吟ずる俳句は多い。多くを語らぬ短詩だから、the rest. Is  Silenceで、余白の沈黙は読み手のそうぞうりょくに委ねるか。
   19、「がらんどう」の語には、思い出がある。皆とやっている文芸同人誌で、川端康成の特集をしたとき、同人の一人が、川端の文学を一言、「がらんどう」と題して、一論文を草した。何もないからっぽうのことだが、欧米ではただの空無だが、この国の言葉ではもう少しの余韻がある。この句もこの一種か。
   20、秋刀魚のはらわたは苦い。わがはらわたも同様か。微笑と苦笑の一句。この国ならではの句。
   21、この句には、やや長い題詞がある。いまここにそれをしめす。
         十月十六日、「群像」が新人文学賞の評論部門を廃止したことを知る。同賞を受賞して仕事を始め、十五年前に『批評の誕生/批評の死』を書いた身として、感慨無きにしも非ず。折しも富士山初冠雪。
       評論部門の廃止ー。なんとも切なく、義憤も感じる。いや、悲憤慷慨ただならずだ。批評があってこそ、この世のひみつ、秘儀を知れる、というもののはずだ。やはりアニメ全盛、目だけで感動せよとか。もはや「言の葉」は、「粗塩(あらじお)でまぶ」すしかないのかー。
    22、23は、3・11の震災、原発事故を受けた句。この悲劇をどう御したらいいか、表現者の念頭に爾来あったことだろう。俳句という短詩形で示すのはとりあえずの対処法。「原子の火」とやはりカギカッコ。原発運転の当初は、この永遠のエネルギー(に見えた)にどんな期待をかけたことだろう(私事であるが、荒正人の評論に「火ー原子エネルギー」というのがあった。雑誌『近代文学』の〈未来人〉といわれた俊秀にも期待があった)。だが、実際には、「火は」「こぼれ」てしまった。「セイタカアワダチソウ」だけが、繁茂しているとは嘱目だが、厳しい現実の受け止めがあろう。23も「セシウム」の語彙が全てを物語っていよう。「闇の」「逆紅葉」が吟じ手の認識。
   24、「還暦や」「親不知」にこの句趣はある。この感懐は人様々だろうが、評者も人も、還暦は今や一里塚に過ぎない。
    25、26の二つには、作者の言い知れぬ思いがこもっていよう。悼む対象の人は、そもそも作者に俳句の面白さを伝えた人だった。高校の句会の主宰者だったそうだが、その方は少し前に鬼籍に入っていたそうな(それを作者はインターネットの検索で知ったとか)。過去の追憶の思いとともに、ばんかんの思いで作句した。25、「添ひ臥し」と「濡れて」「花に雨」の言葉に、言い知れぬ色香の姿がただよう。だが、それは「たましひ」なのだ。26、「かなしめば」にこの作者にはめずらしいほどの気持ちが率直に表れていよう。「花あせび」におもいを象徴させるか。
     この対象の女性については、この句集にある七つの随想の最後に、「光部美千代さんを悼む」という文章に委細が書かれている。この15ページに及ぶ文章こそは、この間然するところがない句集の白眉というべきだろう。評者は、何か言いたいが、粛然とした気持ちでこの小文を終わるしかなかろう。ここまでお読みいただいて感謝します。
 

井口氏句集の随想から

 投稿者:管理人 iPad 372  投稿日:2018年 1月 8日(月)15時51分1秒
返信・引用 編集済
      井口時男氏の句集を時折開いては、鉛筆片手に各句をチェックしている。案外に奥深いもので、これは単なる嘱目吟か、それとも深い寓意があるのかといろいろ考え、あぐねている。傍にiPadを置いてわからない語句は直ちに検索して。
    自分も国語教師を務めた身、それなりの語彙の知識、地理も歴史も好きで風物の知識もあると思ったが、もう氏の蘊蓄と、語彙に対する的確に首を下げ下げである。時折詞書があって、吟じられた場所・空気を知ることも出来るが、多くはわからないでそのままやり過ごす句も多い。それでも、いくつか吟行を共にして行くうち、氏の吟じる姿勢、手振りも多少感じられてきた時、ふと目にしたのが句集の後半に折りたたまれた随想であった。これを読んであっと思った。なんだ、ここに作句の機縁が書かれているではないか。それも俳人にはないほどの詳しさ、丁寧さ、さて的確さで(さすが散文の猛者)。そこには、氏の俳句への認識、作句態度も書かれてあって、なるほどと思った(実に明快で共感出来た)。以下に、そのブリフィーングを試みる。もとより、12ページにもなる随想の、ほんの勘所を抄出するのだから、わかりにくい箇所もあるかもしれぬ。それは乞容赦。ぜひ、本句集を手にされたい。
                                        七篇ある随想の巻頭にある「突つ立ち並ぶ葱坊主」(2012年12月記)より

                                           ◯

107p
    近ごろ、時々俳句を作っている。散歩を始めたのがきっかけだった。

【注】
    この散歩のきっかけは、腹部大動脈瘤の切除手術がきっかけだったとある。このことは仄聞はしていたが、この後二十年務めた大学も辞められたとか。惜しまれたことだろうが、正しい選択だったと思う(当方も大病を経験したが、氏のような要職にはなかったので気楽ではあった)。

108p
    以後、努めて毎日歩いている。まったく、自分の生涯に散歩する日々などが来ようとは思ってもみなかった。

【注】
    学生時代の散歩は、「ただのうろつき、不審な徘徊だった」とあるが、内面に何かを抱えた人間はそういうものではなかったか。スポーツマンでもないかぎり、ランニングも散歩もなかった。中年以後、病気などの機縁で、次の人生が始まる。


     散歩を続けられたのは、近くに多摩川が流れていたおかげだ。水は無聊を慰める。
【注】
     「同じ経路を何度でも歩けば、おのずと風景の細部が目に留まる」として、見た光景、出来た「最初の句」が先に引いた、以下の句だ。

         わらわらと抱かれ曳かれて春の犬

111p
    しかし、句作が多少継続したのは一九八四年の二月から翌年にかけてのほぼ一年間だけだ。
【注】
  「古い句帖」とあるように、最近の句作の前の往時のことが書かれる。「当時、勤務していた高校に俳句好きの若い女教師がいて、彼女を中心に同僚が集まって素人句会を開いていた」ー。

          気 疎(けうと)しや木々芽吹く朝咳く男

     三句あるうちの一句をあげる。「すべて嘱目の実景、実際に発した句だが、自意識が棘立ってもいる」として、「木々芽吹く朝に咳いたのはこの私ではなかったか」とあるのは、嘱目吟を是としながら、内の自意識も隠さない作者らしい。

続いて書かれるのは、氏の作句論、いわば俳句(吟)の本質論だ。

111p
    五七五、十七音の俳句は、短歌の七七を捨てた結果、自分の思いを述懐する余地がない。だから俳句は、抒情を削ぎ、内面を切断する。

    さて、その俳句の本質について、井口氏は次のように言う。

112p
    俳句はただ、世界を小さく、鋭角的に切り取るだけだ。その切り取り方の角度が世界と向き合う角度であり、逆にたどれば自己と向き合う角度である。
    俳句に「思想」の表現などというものが可能だとすれば、そしてその「思想」がただの標語でないとすれば、この世界意識=自己意識の構造がかろうじて支えるしかないのだと思う。

【注】
    よくぞ、言ってくれた。俳句にも「思想」があり得る。それも、自己意識が辛くも支えるものとして。これは、後で述べるように、短詩形の世界史的文脈においても、稀有な可能性なのだ。

112p
    三十年前の自意識の棘立ちに比べれば、三十年ぶりの私の自意識はかなり穏やかだ。…日課としての散歩が長年無視し続けてきた自分の肉体という自然との「和解」という試みであるのと同じく、句作もまた、無視しつづけてきた風景という自然との「和解」の試みだからである。

【注】
    ここで氏が頻用する、「和解」ははしなくも、志賀直哉の〈和解〉をおもわせる。対立してきた父との和解、すべてを受け容れる境地になる。氏は、定義して次のように言表する。

112p
     「和解」は、自然にせよ人間にせよ、意のままにならない他者の存在を認知し
対象化することから始まる。この際、ユーモア(俳味)もまた「和解」の一形式である。

【注】
   ここから、氏の嘱目吟が始まる。対象を見たとおり、そのまま吟じる。「十七音の短詩が世界の多様性との接触を保持するにはそれしかない」ー。

113p
    …だが、人よりも犬や猫、ことに猫の方に私の目は行く。出会う犬はみんな紐で繋がれているが、猫どもはみんな野良だ。たぶん、猫の句がいちばん多い。

           春昼や己が尻尾をねぶる猫

微笑ましくもあるが、場所柄、以下数句あるが割愛。

116p
    認識と表現のエコノミーを本質とする俳句が、一種の寓意性、警句性を内蔵しているのは確かである。…俳句をヨーロッパに紹介したチェンバレンは、類似の詩形がないのでしかたなく、俳句を「エピグラム」、つまり詩的警句と訳していた。そこには、詩の小片という古い語義があったのだそうだ。
     なるほど詩の小片かもしれない。しかし、ものもろくに云えないような不自由な小片である。この小片は、言葉というものへの断念をさえ要求する。こんな詩形は他にない。

【注】
    それでも、井口氏がいま、この寡黙な小片に魅かれるのは、「いまの私が、小説だの批評だのといった饒舌なジャンルに飽き足りなくなったせいかもしれない」とー。
    批評というジャンルで、おそらく戦後世代でもっとも大きな達成をなした氏の現在の境地として、関心を持って聞き耳を立てる。しかし、俳句もやる批評家として、これからも活躍してもらいたい、というのが、読者の大方の希望であろう。


    
 

俳句いくつか

 投稿者:管理人 iPad 272  投稿日:2018年 1月 7日(日)20時03分6秒
返信・引用 編集済
     文芸評論家である井口時男氏はこの数年、俳句に嗜んでいるそうだ。
まったく門外漢ではあるが、当方なりに気になった句をいくつかあげさせていただく。

     1  我こそは柑子盗人山の月

      2  火のごとき暴動あれよ雨季近し

      3  秋風や魚につめたきあぎとあり

      4  まなこ病むまなこの底に冬を飼ひ

             祖母の通夜に
      5   短夜を腰の伸びたる仏かな


      6  わらわらと抱かれ曳かれて春の犬

      7  春昼や己が尻尾をねぶる猫

      8   炎天やびつこの犬が土を嗅ぐ

             網走    永山則夫の故郷
      9   晩夏光網走川はとろとろと

     10  網膜を灼く 帽子岩陰画(ネガ)の夏

              恐山
      11  秋地獄ぺらぺらまはる風車

      12  口寄せを了へてイタコは腰を伸(の)し


      13  そは猫攫ひこは柿盗ツ人いづれ白浪

      14  小春日のダチュラしなびてぶら下がり

      15   犬ふぐりまづ花々に先駆けて

      16  連翹や蝶生(あ)るる日の陽のながれ

      17  寝小便ほたるぶくろの朝まぶし

                                                         『天來の獨樂』ー井口時男句集 ー(二〇一五年十月十日  初版)より

    全く任意の抜粋であるが、句集の前半から掲出させていただいた。166ページほどの句集のうち、7pからは「古い句帖」からとあり、25pからは「 新しい句帖」からとある。また、107p以降は「随想」が七つ折り込まれている。ここに上げたのは、冒頭から、59pまでの句であって、全体の三分の一でしかない。
    さて、掲出したからには、コメントの一つでも加えねばなるまい。1は、1979年の作とあって、句集の巻頭にこれが掲出されている。「我こそは柑子盗人」とあるのは、ガキ大将の自恃だろうか、おもしろいことに、13の「新しい句帖」の一句にも通うところがある。3の句の「あぎと」は、アゴのことでここに詠みの焦点がいく。同じく4も「冬を飼ひ」が焦点だろう。
    6、7、8は犬と猫が詠まれるが、6の「わらわらと」とがきいている。多くのもの(ここでは犬)がバラバラに集まること。どういう光景か、犬にとって不幸なことか、あるいはエベントなどのことか。7はまさしく春眠のひととき。8は一転して、なにか宿命のようなものを感じる。梶井の「冬の日」に出てくる、糞まいる犬をおもいうかべた。
   9、10は作者ならではの句。永山の生まれ故郷・網走を詠んだ。ネットで検索すると、網走川があり、海岸には見事な帽子状の岩がある(必見)。むろんこれだけでなく、永山の育った青森・板柳の風景も逸することはできまい(作者は、「板柳訪問」他の散文でその地を綴っている)。
    11と12も連作の部分だが、「ぺらぺらまはる風車」と、「口寄せ」(検索)のイタコがきいている。
    14のダチュラは、チョウセンアサガオのことで、句にある通り「ぶら下がっ」っている。15の犬ふぐりは、イヌのふぐり(陰嚢)に似ているというが、ツユクサに似た青い清純な花である。句作においては星に見立てたのもあった。15の連翹(れんぎょう)はモクセイ科の黄色い花。17のほたるぶくろも、キキョウ科の花で、釣鐘状に咲く。
   かようにiPadで検索しないと、素人には詳らかにしない(おかげでだいぶ勉強になった)。

    俳句は、虚子のいうように、花鳥風月を詠むのが主流だろう。その意味では、短い言表で対象を観照的に読み込むのがポイントだろうが、作者ならではの内面の表出がないとはいえない。2の「火のごとき暴動あれよ」はそうした疼き、あるいは現状への不満が現れているものか。そうした思いは、8~10にもうかがえようが、ここに掲出した以外の句に多く見られたが、またの機会にしたい。

追加
   6の句は、多摩川の散歩で出くわした光景とのこと(後にある随想から)。ま、それで「抱かれ曵かれて」がわかった。微笑ましい情景である。





 

文学とは何かについて

 投稿者:管理人 iPad 282  投稿日:2017年12月24日(日)23時51分10秒
返信・引用 編集済
     このテーマについては、観念的に理屈でああだこうだいうより、具体的な作家を上げるのが最も説得的だろう。文学(者)とは、例えば梶井基次郎、をここではあげよう。かつての論稿から一部を掲出してみる。


  ・・・改めて梶井基次郎の諸作品を読み、感じさせられたのは、文字による表現がいかに人間やその周囲の自然、あるいは宇宙といったことまで巨細に描き分けることができるのか、といった驚きであり、またいかに、たとえばわれわれの幼年期の記憶にまで遡り、あるなつかしさを感じさせたか、であり、総じて文学表現というものが、人間の営みの中でいかに信頼のできる、われわれの生きる内実に即応しているかの、発見であった。

    まずある詩人の梶井讃の言葉を掲出したい。

      本質的な文学者                  萩原朔太郎
   日本の文学に対して、僕は常に或る満たされない不満を持って居た。それは僕の観念する「文学」が、日本の現存してゐる文学とどこか本質に於いて食ひちがつて居り、別種に属して居たからである。然るに梶井君の作品集「檸檬」を読み、始めて僕は、日本に於ける「文学」の実在観念を発見した。(中略)
   僕は考へる。文学の條件すべき要素は、単なる理智でもなく、観照でもなく、またもとより、単なる感覚や趣味でもない。文学の真の本質は、生への動物的な烈しい衝動(意志)に発足して居り、且つその意志が、対象に向って切り込むところの、本質の、比較解剖学的摘出でなければならない。(中略)
    梶井基次郎君は、日本の現文壇に於いては、稀に見る本質的文学者であった。

   この朔太郎の文章は、梶井没後に刊行されることになった全集(六蜂書房版・昭和9年、没後二年)の内容見本に載ったものであるが(新全集では別巻に所収)、こうした梶井文学の〈本質〉におりたった讃仰は、他にも見受けられる(管見では、小林秀雄、井上良雄など、戦後派では、『近代文学』同人であった佐々木基一など)。
                 「梶井基次郎  表現としてのメタファー  ー「ある心の風景」「冬の日」に即してー」
                                               (「群系」第15号 〈特集 梶井基次郎  珠玉の文学世界〉2002年より)

    いかにも朔太郎らしい言喩であるが、この朔太郎と基次郎との共鳴し合う時空間に、一つ文学なるものの表出が見られるのではあるまいか。
 

北朝鮮には、小林秀雄は生まれない。

 投稿者:管理人 iPad 961  投稿日:2017年12月22日(金)18時34分48秒
返信・引用 編集済
    北朝鮮のニュースが今世紀に入って引きも切らない。特にこの数年、金正恩という若造がトップになって以来、この国のマンガのような動向に、メディアも大国も振り回されている。やれ、核だミサイルだ、の核時代ゲームは前世紀で一応収拾がついたのではなかったか。この国のことを、嘲笑いながら、真摯な対応をする政治家やメディアは現れないものかー。
   不思議なのは、こんな小さな国に、アメリカを始め、日本も皆、振り回されていることである。GDPでいうと、日本の東北地方の一つの県の総生産しかない国に、振り回されている。いまの時代に、今さら核、大陸間弾道弾などといわれて、各国が右往左往している。これはどういう事態なのだ。アメリカが本気を出せば、赤子の手をひねるようなものではないか。
   確かに狡猾な北朝鮮は、ICBMだと言って、米国のどこかを核着弾の恐怖でもって、情勢を支配している。しかし、こんな話、危惧は前世紀のことではないか。今さら核の恐怖に怯え、子供じみたわがままをどうして許すのか。ことは、人道上の問題である。   北は、自国の安全を守ること、その手段が核であろうと、固有の権利だ、などとほざいているが、彼らがいう、「自国」とは、金正恩一派だけのことではないか。人道上の問題とは、核を向けられている国民、人びとのことをいうだけでない、北朝鮮内部の、彼の国の人民の人道上、今の金正恩政権は至って害悪だと言いたい。
    この数ヶ月、彼の国の漁船、イカ釣り船の、我が国への漂着がニュースとして流されていた。なんとも見すぼらしい木船で、多くの漁民がそこには乗っていた。皆、栄養状態もよくなく、さらにイカ釣りのノルマがあるという。漂着したからまだいいほうで、下手をすれば遭難・沈没も普通に考えられる。こういう厳しい労働条件のもとの労働、どうしてこれが労働者の国のものいえようか。中には実際遭難して遺体で発見された漁民も一、二の例ではない。彼らの労働条件、栄養状態の劣悪なこと、他国のことながら、義憤、同情の涙を禁じ得ない。
   驚くのはこうした末端の労働者のみならず、精鋭とされる兵士、特権階級とされる北朝鮮へいしにもこうした栄養状態の劣悪が見られたことだ。二、三ヶ月前の、38度線を超えてきた北の兵士、傷ついて南の介護を受けたが、ついに亡くなった彼の体から、なんと寄生虫がわんさと出てきたというではないか。我が国なら終戦直後の話だが、現代の21世紀の今日、精鋭と言われる兵士がこのざまである。
   怒りが湧いてくる。こんなバカな幼児的政権はいますぐにでも、転覆させるしかないではないか。脱北に失敗した人民、思想的に問題のあるもの、これらは皆、収容所送りだという。まるでナチスではないか。

   当方は、この国に自由はあるのか、特に学問や思想の自由は、と考えた。確かに技術的なこと、科学に関する探求・研究の自由はあろう。しかし、人文社会科学の自由はあるか。まったくもって、それは不毛の問いでさえあろうかと思ったのは、北朝鮮の国の内情をWikipediaで調べたときであった。なんと大学の名前に、金日成の名前を冠したものが数多くあるではないか。これでは、思想の自由、文学の営為は計れないと心底思ったことである。
     Wikipediaでの大学例
   金日成放送大学
   金日成軍事総合大学
   金日成政治大学
   金正日政治軍事大学
   金正淑海軍大学
   金日成総合大学
    地獄。知らないものは、そういう感覚もないであろうが、我が国のような国で文学に馴染んできたものにとっては、この国は地獄、でしかない。
 

芥川龍之介の死について

 投稿者:管理人 iPad 397  投稿日:2017年12月11日(月)20時48分26秒
返信・引用 編集済
     転換期の作家として、作品とその身ともに時代を表した作家として芥川龍之介はその第一に挙げられるであろう。明治以来、この国の近代という時代は繊細な個人に大きな犠牲をしいた。近代に抗って、二十代で夭折した、三人のT、として、北村透谷、石川啄木、小林多喜二をあげたのは、小田切秀雄であったが、確かにこれらの作家は、時代に先んじたその資質、世界観ゆえに自滅せざるを得なかった。だが、こうした明らかな犠牲に対して、芥川の場合は一見なんだかわからない自殺であった。本人も、「ぼんやりした不安」と。いっている。
   以来この芥川の死を巡って、多くの人が論じていったのは、周知のことであろう。当時代表的な見解としては、宮本顕治と小林秀雄のそれであろう。
   宮本は芥川の死を見て、その文学を「敗北の文学」とした。勃興する新しい勢力を目の前にみながら、結局それに与することなく自滅したことの謂いであったが、この勃興する勢力とは、大正期になって勢いを伸ばしてきたプロレタリア勢力であり、その文学活動であった。当時、この運動の勢いがどんなものであったか、というと、東大に新人会という左翼のサークルが出来、セツルメント活動に奉仕する学生も現れた。労働者はむろん、学生も無産政党に参画することが多くなってきた。この熱病のような左翼熱は、当時学生だった津島修治(太宰治)でさえ、「唯物弁証法は否定することの出来ない真理だ」としていたような具合だった。当の芥川も、その遺作となった「玄鶴山房」の最後に、リイプクネヒトを読む学生を配して、滅びゆく暗い山房の古い世代と対比したのであった。だが、結局、その勢力に自ら参画することなく、晩年を苦悩のうちに過ごした。宮本顕治はその芥川にむしろ同情的に、「芥川氏は自らのプチブルインテリゲンチャの苦悩を噛み締め誠実に羽搏いた」(要旨)とした。
   芥川の実像をむしろ冷静に裁断したのは小林秀雄であった。昭和四年の、「改造」懸賞論文に「様々な意匠」が二席で当選してデビューした小林は(一席は、宮本顕治「敗北の文学」)は、この喧しい喧騒のなか、舞台の正面切ってというより、自身言うように「搦め手から」登場した。この喧騒も様々ある考え方の一つに、すなわち「意匠」に過ぎないとしたのであった。小林は、「芥川龍之介の美神と宿命」でまず、彼の文学とその生を次のように裁断する。すなわち、芥川氏は人がみるような、理知の人ではなかった。その文学も神経でしかなかった。大正初期の作品から、昭和2年に死ぬ晩年まで、十年ばかりの彼の作品は、決して現実を理知の目で見据えたものではなかった。あくまでも、斜めから冷笑と皮肉を交えたものであった。よく言われるように、彼は逆説の人、でもなかった。逆説を弄するほど知的でもなかったー。
    実に辛辣であるが、いわゆる学校秀才・芥川をこのように言い切れたのは、小林ならではあろう。

   しかし、芥川の死は、時代の激動の中、後代のさまざまな人の気持ちを捉えた。何よりも同じ下町の中学の後輩・堀辰雄には大きな影響があった。「聖家族」は、芥川の死を聖なるものと捉えたものであろう。また、先の太宰治も、遠い津軽の地で芥川の死を知った。当時、「不在地主」など左翼文学を書いていた太宰はここから太宰らしい作品を書いてゆく。皆、自らに引き換えた捉え方をしていたが、同世代の問題として捉えたものに、昭和8年頃の、井上良雄の論考がある。さらに、同じ下町出身の吉本隆明にも、注目すべき論考があるが、またの機会にしたい。
 

「泡沫のキリスト」関谷雄孝作

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年12月10日(日)20時07分20秒
返信・引用 編集済
  掲示板小説第五弾「泡沫のキリスト」関谷雄孝作
開始いたしました。

http://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs/405


カプリチオ掲示板
http://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs
 

漱石の「女装趣味」について

 投稿者:管理人 iPad 428  投稿日:2017年12月 2日(土)01時32分29秒
返信・引用 編集済
     他の板からの引用で恐縮ですが、次のようにありました。

>漱石は「則天去私」などとカッコイイことをいいながら、女装癖があった、
あんな変態文学者の書くことなど研究するのもバカバカしいとか、女装癖のあった変態オヤジの漱石こそ本性で、明治帝の葬送の日の憂いを帯びた肖像の漱石など外面を装っているに過ぎないー。

  これを引用された方は、この意見に対して、たとえ女装趣味があったにせよ、それが漱石文学の本質ではなかろう、としています。

  この問題に関して、同人であった野口存彌氏は次のように言っています。

   『漱石の思ひ出』(妻・鏡子の著、1929年刊)に記録されている新婚当時の回想でやや奇異な印象を受けるのは、漱石について、
「一体自分でもきちんとしたなりをしてゐることの好きな人でした。又女のきれいな着物を着ることが好きで、私が脱いでおくとよくそれを羽織って、褄を取って見たりなんかして、家中歩き廻ったものでした」
と記している点である。漱石に女装趣味があったと判断することも可能である。しかし、それよりも結婚したことによって呼び覚まされた女性への関心の生々しさが、そのような行動をとらせたのdrはないかと考えるほうが妥当なのかもしれない。ー
     野口氏、「家族という他者と漱石ー「道草」と「漱石の思ひ出』から浮かび上がるもの」 ( 「群系」25号  漱石特集 に掲載)
2010年7月刊
 

堀辰雄という生き方

 投稿者:管理人 iPad 998  投稿日:2017年11月28日(火)21時28分23秒
返信・引用 編集済
    三島由紀夫の対極にいる作家は大江健三郎かと思っていたが、それは政治的な立場、戦後という空間に対する立場からのみいえるのであって、作家の個人的なありよう、文学的スタンスからいえば、案外堀辰雄などがそれにそうとうするのではないか。三島は国家とか民族にこだわったが、堀はそういうことへの関心よりもっぱらじぶんのこと、自分と身近な人の生をのみ考えていたように思う。三島がボディビルなどをやって、身体の強健をはかろうとしたが、堀辰雄にとってはそんなことは思いいたることもなく、結核の療養に日々を費やした。
   おそらく、彼らの読者もお互い、疎隔というか、言えば好きではなかったろう。三島の読者は、堀の生活態度から女々しいとか、弱々しいと思うだろうし、堀の読者もからすれば、三島の鍛えた筋肉すらおぞましく、その政治的主張に対してはほとんど発言もしたくないだろう。それぞれの立場はそれぞれあるのであって、それは容喙する立場にはない。

   だが堀にしてみれば好きで肺結核になったわけではむろんなく、サナトリウムの療養生活も仕方なくそうせざるを得なかった。当時の医療水準と合わせて、彼の人生、生き方は宿命、というしかないだろう。そしてその上で覚悟を決めた彼の人生、生がどういうものであったか、そこが問題である。宿命の中で、自らの生を輝くものにしたい、痛々しいがそこに彼と彼の許嫁の生があった。
   矢野綾子は、たった25歳でその生を閉じている。数少ない彼女の写真をいま見ると、いかにも堀が好きそうな、上品で、凛としたその目と帽子が束の間の生のポートレイトをなしている。二人の、二人だけの、かそけき営み、それを国家や民族を考えていないエゴチストとどうして断ずることが出来ようか。
 

同人雑誌評は「全国文芸同人誌の掲示板」にアップしております

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月23日(木)19時46分17秒
返信・引用
  httpは以下に。

     http://6928.teacup.com/377612377612/bbs

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

たまには、純情画像も。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年11月 9日(木)21時08分45秒
返信・引用 編集済
  https://m.youtube.com/watch?v=Znt84EAxU-Q  本間千代子

https://m.youtube.com/watch?v=9cVRyDnpm0o  キューポラのある街


https://www.youtube.com/watch?v=iP1IZUrpd3M     同   名カット集

https://m.youtube.com/watch?v=aDl-Uqf37RE  二人の銀座

https://m.youtube.com/watch?v=DHMy6WJLyFE  教育映画六人姉妹

https://m.youtube.com/watch?v=Z1dUUVohy2s  ルルの歌

https://www.youtube.com/watch?v=e2vkuDPLqYo&app=desktop     里の秋

https://www.youtube.com/watch?v=pbAHB49R1C8&app=desktop     川田正子
 

ネコ界の策略家ども 167

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年11月 8日(水)10時40分37秒
返信・引用 編集済
     大人気のネコくん、今度は世界の指導者に成り代わって登場です!

ネコ界のトランプ     「アメリカ第一、ネコ第一!うちらのミサイル買ってくれれば、北なんて一発にゃ、イエイ!」
ネコ界の習近平        「国内の権力基盤も固まったし、さあ来い、トランプ!土産に美味しい鰹節、たっぷりやるにゃ」
ネコ界の金正恩        「へっ、アメリカなんか何ぞのもんにゃ。うちらの核・ミサイルは米国ネコ民の恐怖になっとる」
      しかし、この三匹は、皆太ってますな。アジやサンマ、たっぷり食って、腹デブになったのね。
      しかし、うちらネコが出なくとも、こいつらのキャラは人間でも十分ですニャア。
ネコ界のプーチン     「おいおい、俺を忘れにゃ。北の策略家、実力者プーチン様だぞ。鰹節の分け前は均等ににゃ」
      しかし、世界のその他の政治家は、安倍クンも含めいまいちキャラ不足だにゃ。昔は、フセインだの、カダフィだの、ウサマ・ビン=ラディンなど、いたのに。奢れるものは、風の前の塵、か。おいらも、注意せんとあかんにゃ。
    というわけで、ネコ様は、策略家は辞めて、のんびり、平和主義者になったのでした!  オソマツ!
      
 

人気のネコ様、再登場!

 投稿者:管理人 iPad 853  投稿日:2017年11月 5日(日)12時06分2秒
返信・引用 編集済
     最近、SNS界で、評判・人気のネコ様、今一度、登場願いましょう!
                                                                              ピー。フイー、やんややんや、フットライト!

正義のネコ(人のものは掠め取らない)。            目の前で堂々といただく。
律儀なネコ(飼った恩は忘れず、元主人に会えば、挨拶する)。     ゴッっちゃんす。いえーっ!
弱いものを苛めないネコ(逃げ回る小動物を他のネコから守ってやる)。   あんさん、勘弁してやっておくんない。
魚を食べないネコ(菜食主義)。    最近、小骨がひっかるのね。ネコのくせに、俺、繊細なのね。
家庭教師ネコ(飼い主の宿題を解いてやる)。 おめえ、こんなのもわかんのけえ、バカっか。
留守番ネコ(留守番電話の替わりに応答してくれる)。 おかけになった電話番号は現在使われておりまん。番号をお確かめになってもう一度お掛け直しください。
風邪をひくネコ(マスクをかけてる)。    顔、見られたくないんでね(最近こういうマスク流行っているのよ)。
点滴をしているネコ(蒲柳の質でね)。    点滴してるって、ちょっと繊細で上品じゃない。
リポビタンDを欠かさないネコ(主人の習慣が移った)。  これ、適度に甘くて美味しい。炭酸でないのがいいにゃ
義理と人情の侠客ネコ(任侠道を一人行く)。 ネコ界の高倉健。
思いやりのあるネコ(他の立場にたって、物事を考えられる)。ネコ界の安倍晋三。      冗談きつい。
 

ネコからの反論

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年11月 4日(土)20時22分59秒
返信・引用 編集済
  〉しかし、現実のネコは無責任で、自分勝手で、他人の都合も考えず、弱いものにはすぐ手を出し容赦ない。強い者からはすぐ逃げる。食べ物をねだるときは、ニャオ~、と媚びて、意地汚く食べて、その後始末もろくにしない(し、顧みない)。正義の観念のかけらもなく、平等、人権の考えの一くさりもない。自分さえよければ、という典型。ろくな働きもせず(就労意欲が皆無)、毎日ぶらぶら、かといって勉強に励むわけでもない。これといって趣味もなく日がな、のんびり、ぐうたら、している。

   この意見に対して、愛猫家の方は、憤り心頭で、ネコに成り代わって以下のような反論をよせてきています。

  ネコは「無責任」で「自分勝手」で「他人の都合も考えず」というが、いったい一匹の猫が誰にどう「責任」をとるのか、「自分勝手」も一匹で生きているのだから仕方ない。「他人の都合」も、一匹のネコの頭にはお互い、ない。
「弱いものにはすぐ手を出し」「強い者からはすぐ逃げる」ー。これは弱肉強食の世界を生きるからには必須の鉄則。「食べ物をねだるときは、ニャオ~、と媚びて」ー。これも餌を手っ取り早く取るためには合理的なこと。「意地汚く食べて」「後始末もろくにしない」ー。食べたらさっさとその場を去るのが、厳しい世の中を渡る身にとって当たり前。すなわち、彼には生存原理の合法則性があるのだ。

「正義の観念のかけらもなく」「平等、人権の考えの一くさりもない」ー。ネコにとっては、自分がきちんと生きているのが正義。正しく生きていれば、自ずから皆と平等、人権(ネコ権)に配慮していることになるのです、
「自分さえよければ」ー自分がよければ、自ずと皆のためになる、この自己存立が世界の平和につながる、彼らネコぞくの至高の生存原理ーなのです。わかるかなあ、この弁証法が。
「ろくな働きもせず」「就労意欲が皆無」「毎日ぶらぶら」ー。繰り返しますが、彼らネコ族にとっては、生きていることが、労働、就労なんですよ。
「勉強に励むわけでもない。これといって趣味もなく」ー。ネコにとって、生きること、日々の生活が、それが勉強であり、いわば人間のいう趣味にもあたるのでげす。
 

ネコの勝手さ

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年11月 3日(金)15時14分10秒
返信・引用 編集済
   本質を逆手にとった形容はおもしろいですよ。過去ログ(2009・2・8)からのコピペ紹介です。144554

 例えば、責任感のあるネコ。 媚びないイヌ。  太ったサンマ(魚の)。 痩せたブタ。 羊毛のない羊(キモイ)。角のない牛。 猪突猛進しない温和な猪。 美しいゴキブリ。 クビの短いキリン。 鼻の短い(普通な)ゾウ。 飛ばない鳥(これはざらにいるか)。

 さらに、動物以外に目を向けると―、

 やわらかいダイアモンド。 硬い豆腐。 熱い氷(摂氏80度)。 むさくるしいそよ風。 晴天の雨。 暑くない赤道。 寒くない北極―この辺になると、笑えないですね。

 さらに皮肉交じりではー。

 誠実な政治家。 まじめな社保庁職員。 責任感ある区職員。 親身な指導の巨大予備校。 勉強をする大学生。 大人の言いつけをきちんと守る小学生。 携帯を手にしない若者。 電車内で化粧をしないOL。 漫画を見ないビジネスマン。 漫画を見ない首相。 岩波新書を携帯する大学生。 文学にあつい若者。
―こうした言い方だと、年寄りの説教みたいですね。
 (しかし、昭和はよかった)。

 しかし、何といってもおもしろい主役はネコ。ネコへの形容です。

 正義のネコ(人のものは掠め取らない)。 律儀なネコ(飼った恩は忘れず、元主人に会えば、挨拶する)。 弱いものを苛めないネコ(逃げ回る小動物を追いかけない。むしろ他のネコから守ってやる)。 魚を食べないネコ(菜食主義)。 家庭教師ネコ(飼い主の宿題を解いてやる)。 留守番ネコ(留守番電話の替わりに応答してくれる)。 風邪をひくネコ(マスクをかけてる)。 点滴をしているネコ(蒲柳の質でね)。 リポビタンDを欠かさないネコ(主人の習慣が移った)。 義理と人情の侠客ネコ(任侠道を一人行く)。 思いやりのあるネコ(他の立場にたって、物事を考えられる)。

 しかし、現実のネコは無責任で、自分勝手で、他人の都合も考えず、弱いものにはすぐ手を出し容赦ない。強い者からはすぐ逃げる。食べ物をねだるときは、ニャオ~、と媚びて、意地汚く食べて、その後始末もろくにしない(し、顧みない)。正義の観念のかけらもなく、平等、人権の考えの一くさりもない。自分さえよければ、という典型。ろくな働きもせず(就労意欲が皆無)、毎日ぶらぶら、かといって勉強に励むわけでもない。これといって趣味もなく日がな、のんびり、ぐうたら、している。
 (でも、こういうタイプ、どっか人間にもいるのでは)。
 だから格言。「食べたあと、すぐ横になるとウシになっちゃうよ」 ではなく→「ぶらぶら横になってばかりいるとネコになっちゃうよ」


 あ、きょう日曜のサンデープロジェクトに、内田誠さんが出ます(〝派遣〟の問題。先週の続編)。10ch、TV朝日。
 

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